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4.待つことさえ許されなくて

 いきなり私の部屋にやってきたのは、とても豪華な身なりの、立派だけれど高慢さが鼻につく青年だった。


「君は一人娘で、君の家を存続させるためにいずれ婿を取らなくてはならない。だから、このまま彼を待ち続ける訳にもいかない。そうだろう?」


 彼はあいさつも名乗りもなく、ずけずけと物を言ってくる。


「あの、どなたでしょうか。それに私の家の事情など、あなたには関係がないと思いますが」


 彼の言葉に少しかちんときてしまって、すぐさま言い返す。


 淑女らしくないふるまいだなという思いが、ちらと頭をかすめた。けれど、今はそんなことを気にする余裕はなかった。


 なんとなく、嫌な予感がしていた。とっても良くないことが起こりそうな、そんな予感だ。


 そしてその予感は、あまりにもあっさりと的中してしまった。青年は私の問いに、とんでもない言葉で答えたのだった。


「いいや、大いに関係がある。私はクラウス、君の新たな婚約者となる者なのだから」


「ちょっと待ってください、それってどういうことですか!?」


 彼の言葉が信じられなくて、思わず叫んでしまう。床で遊んでいたライが、すっ飛んできて私の足元にぴたりとくっついた。


「おや、君は何も聞いていないようだな。では、教えてやろう」


 そうして、クラウスが語り出す。


 クラウスは私やライオネルの家よりずっと格上の家の令息で、そして婿入り先を探している身だった。


 だから彼は、自分が婿入りするにふさわしい家と令嬢を探し続けていた。家柄、相手の容貌や性格、そういったことを考慮しながら。


 そんな彼が一番気に入ったのが、よりにもよってこの私だった。けれど彼が声をかけるよりも先に、私はライオネルと婚約してしまった。


 仕方なく、彼は私に近づくことなく他の令嬢の品定めをしていたのだそうだ。


 ナディアが婚約破棄などになればいいのに、もしそうなったら真っ先に駆けつけてやろうと、そんな恐ろしいことを考えながら。


 しかし、そのライオネルが突然行方をくらましてしまった。そして、未だに戻ってきていない。どこに行ってしまったのかすら、誰も知らない。


 ならばとクラウスは、堂々と私の婚約者として名乗りを上げることにしたのだった。


「君のご両親には、既にあいさつを済ませてある。君の婚約者……いや、元婚約者か。その両親にも」


 衝撃を受けている私にはお構いなしに、クラウスは続ける。とても優雅に、よどみなく。


「みな、私の申し出を快く了承してくれた。あとは君が同意してくれれば、それでいい」


 私の両親とライオネルの両親に話をしてから、最後に私。


 クラウスが踏んだ手順は、見事なまでにかつてのライオネルと同じだった。偶然だけれど、ちょっと腹立たしい。あの日の素敵な思い出が汚された、そんな気分だ。


 ぐっと唇を噛んで、クラウスから視線をそらす。そんな私の感傷よりも、もっともっと重大な問題に気づいてしまって。


 私とライオネルの親が、私とライオネルとの婚約解消を、そして私とクラウスとの婚約を認めた。


 その事実が、意味するものは。


 お父様もお母様も、そしておじさまもおばさまも、もうあきらめている。ライオネルは、もう戻ってこないのだと。


 彼の帰りをひたすらに待ち続けている私を憐れんで、誰も何も言わなかっただけで。


 ライオネルが戻ってくると信じていたのは、私だけだったのだ。


「今すぐに返事をくれとは言わない。だが、いずれは色よい返事をもらえると期待している。……私は、昔から狙った獲物は逃さないのだ」


 そんな言葉だけを残して、クラウスは去っていった。去り際に見せた横顔には、不穏な笑みが浮かんでいた。それが、やけに記憶に残った。




「あなたは、確かにここにいるのに……私、いくらだって待てるのに……」


 また静かになった部屋の中、ふわふわのライを抱きしめて一人震える。


 ライオネルとの思い出の場所をめぐるうちに、ライの様子も変わってきている。まだあきらめるには早い。じっくりとライに向き合っていけば、きっとライオネルは戻ってくる。


 クラウスには事情を話して、引き下がってもらおう。それから、私とライオネルの親を改めて説得すればいい。私はライオネル以外の誰とも結婚しない、だからどうかライオネルの帰りを待っていて、と。


 そこまで考えたところで、さらに絶望的なことに気づいてしまった。


 きっとクラウスは、山神様の罰が当たったなんて信じてくれない。ライオネルが適当に理由をつけて失踪したのだと、そう思うに違いない。


 小さな頃から山神様について聞かされている私やお父様でさえ、すんなりとは信じられなかったのだ。ましてや、よそ者のクラウスでは。


 それに。もっと恐ろしい可能性が頭をよぎる。


 犬の寿命は、せいぜい十年ちょっとだと聞いた。だったらライは、いったい何年生きられるのだろう。


 人間と同じように数十年? それとも、犬と同じように十年? もし、後者だとしたら。それまでに私は、ライオネルを取り戻せるのか。


 考えたくない。怖い。嫌だ。


 ちょっと前まで、あんなに幸せだった。もうすぐライオネルの妻になって、ずっと彼と一緒に生きていくんだって、心の底からそう信じ切っていた。


「ライオネル……ライオネル……ねえ、お願い……返事をしてよ……ひとりに、しないで……」


 自覚してしまった絶望に打ちのめされて、床に崩れ落ちる。石の床に、涙がぱたりぱたりと落ちていく。


 ライは、そんな私をじっと見ていた。何かを考えているような顔で。何かを考えていて欲しいという私の思いが、そう見せているだけかもしれないけれど。


「……ごめんね、ライ。いきなりこんなことを言われても、どうしようもないよね」


 流れる涙をそのままに、すぐ隣に座っているライの頭をなでようとする。


 けれど私の手は、空中で止まってしまう。ライはいつになく険しい顔をすると、ひときわ大きな声でほえたのだ。背中をそらして、天に向かって。


 尋常ではない様子にぽかんとしていると、ライは入り口の扉に駆け寄っていった。小さな前足で扉を引っかいて、開けてくれと催促している。


 訳が分からないまま、扉を開ける。するとライは、放たれた矢のように飛び出した。


「待って、ライ!」


 思わず叫んだけれど、ライは振り返らなかった。


 まるで飛ぶように、ライは走る。廊下を走り抜け、昼間は開けたままになっている勝手口を通り、柵の格子の間を通り抜け。


 体は小さいのに、私が全力を出してもついていくのがやっとだった。


 そうして私たちは、屋敷の外の野原にいた。それでもライの足は止まらない。その小さな体が、山神様の森に飛び込んでいった。


「駄目、そっちは!」


 止めたけれど、遅かった。もうライの姿は、茂みの向こうに消えていた。


「どうしよう……」


 夕方の赤い太陽が、宙に差し伸べられたままの私の手を赤く照らし出していた。




 もうすぐ、夜がやってくる。ライは戻ってこない。そしてこの先は、立ち入り禁止の山神様の森だ。


 普段の私なら、絶対にこの先には進まない。暗い道も、野生の獣も、山神様の怒りに触れることも、全部怖いから。


 でも、ライを探したい。他の何よりも、ライを失うことが一番怖い。あの子を失えば、本当にライオネルがいなくなってしまう。


「……山神様、失礼いたします。大切な人を見つけたら、すぐに出ていきますから」


 震える声で、それでも胸を張ってそう宣言する。それから一つ深呼吸して、森の中に踏み出していった。




 もう夕暮れ近い森は、ぞっとするほど暗かった。


 おまけにやけに静まり返っていて、私が茂みをかき分けるがさがさという音だけが、不気味に響き渡っている。


「ライ、どこにいるの! おうちに帰りましょう!」


 その静けさを打ち破るように、声を張り上げる。


 こんなに騒がしくしたら、山神様を怒らせてしまうかもしれない。そう思わなくもなかった。でも今はそれ以上に、ライを見つけたいという思いが勝っていた。


 いっそ、私も山神様の怒りに触れて、子犬にされてしまえばいいのかもしれない。それならクラウスと結婚させられることもないし、ずっとライと一緒にいられる。


 そんなことを考えながらひたすらに突き進み、ライを呼び続ける。


 いつの間にか日は落ちて、木々の向こうに月がほんのりと見えていた。


 小枝に引っかかれて腕は傷だらけだし、髪もぐしゃぐしゃだ。茂みのせいで見えないけれど、たぶんスカートもあちこち裂けていると思う。


 我ながら、ひどい姿だ。でもライを、ライオネルを見つけるためなら、これくらい我慢できる。


「ライ、ねえライ! 聞こえたら、返事をして! お願い、戻ってきて!」


 暗い森の中、たった一人、叫ぶ。


「帰ってきて、ライオネル!!」


 ひとりでに、涙がにじんでくる。辛くて唇を噛んだその時、遠くでかすかな声がした。間違いない、あれはライの声だ。


 脇目も振らずに走り出す。道なんてない森の中を、まっすぐに。転びながら、それでも止まらずに。


 傷の痛みも、さっきまで感じていた辛さも、もう忘れていた。ライを見つけた。一緒に帰ろう。もうそのことしか、頭になかった。


 ひたすらにやぶを押しのけていたら、突然小さな草地に出た。ライオネルに求婚された、あの花畑とちょっと似ている。


 そしてその真ん中に、誰か立っていた。

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