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3/13

3.一番幸せだった頃の記憶

 それから私は、ライを連れて積極的にあちこちを回るようになっていた。


 私の屋敷、彼の屋敷、その周辺の森や野原。やっぱり無邪気にはしゃいでいるライに、私たちの思い出を語って聞かせながら。


 二人でよくお茶にした木陰のテーブル、ライオネルのお気に入りの窓辺、小さい頃から何度も一緒に遊んだ小川。


 そんな場所で一緒に過ごすうちに、ライの様子が変わり始めているような、そんな気がしてきた。


 最初の頃は好き勝手に走り回っていたライは、気がつけば私のそばにちょこんと座って、思い出話に耳を傾けるような顔をするようになったのだ。そして時折、あいづちを打つかのようにきゃんとほえている。


 この調子で頑張れば、ライはライオネルとしての自覚を取り戻すかもしれない。そうすれば、いつか元の姿に戻るかもしれない。 


 自然と私は、そんな希望を抱くようになっていた。だったら、もっと彼の心を揺さぶれるような、そんな思い出を話してみよう。


「ライ、今日はとっておきの場所に行きましょう」


 そう言って、ライを抱いて屋敷を出る。よく晴れた、気持ちのいい日だった。


 私の屋敷にほど近い野原を進んでいくと、やがて小さな林にたどり着く。細い獣道をのんびりと歩いていたら、突然視界が開けた。


 そこは小さな草地になっていて、背の低い花々が咲き乱れている。周囲を木々に囲まれた、とても美しい場所だった。


 ライを足元にそっと下ろすと、彼はとてとてと花畑の真ん中まで歩いていった。そうしてこちらを振り返り、つぶらな目でじっと見てくる。


 そんな彼に、静かに声をかけた。


「ねえ、ここ……覚えてる? 私たちの関係が大きく変わった、あの場所よ」


 ここであの話をしたのは、つい最近のことだ。あの時は、こんなことになるなんて思いもしなかった。



「その、さ。ええっと……君は子供の頃から、外で遊ぶのが好きだったよね。他の令嬢とは違うけれど、その……素敵だと思うよ、僕は」


 もうすっかり大きくなった少年が、草地に腰かけてためらいがちにつぶやく。柔和な顔に浮かんでいる笑みも、どことなくぎこちない。


 その隣では、愛らしい令嬢に育ちあがった少女が同じように腰かけていた。彼女はいたって無邪気に、くすくすと笑っている。


「どうしたの、ライオネル。急にそんなことを言うなんて。それと、いきなり褒められたら照れるわ」


 その言葉に、少年はぱっと顔を赤らめた。さらにしどろもどろになりながら、言葉を返している。


「あ、ええと、たまには思ったままを伝えてみようかなって」


「ふふ、変なライオネル。……確かに私は、外の空気を吸うのが好きよ。特にここはお気に入りの場所。季節ごとに違った姿を見せていて、とても美しくて……」


 そこまで言ってから、あなたといるからもっと楽しいの、と少女は小声で付け加える。


 しかしそんな言葉は、少年の耳を素通りしているようだった。少女が思っているよりもずっと、少年は緊張していたのだ。


「あのさ、それで……」


 彼の裏返った声に、少女もただならぬものを感じ取ったらしい。可愛らしく首をかしげて、彼の次の言葉を待っている。


「……僕、そろそろ婚約しようと思うんだ。もう、父さんの許可は取ってる。その、後は相手の子に話すだけで……」


 その言葉を聞いた少女が、こぼれんばかりに目を見開いた。膝の上に置かれた手が、無意識のうちにスカートをぎゅっと握りしめてしまっている。


「そ、そうなの。あ、相手はどんな子? 私の知ってる子?」


 少女の声はぎこちなくこわばってしまっていたけれど、少年はそれに気づく余裕すらないようだった。彼女のほうを見ないようにしながら、小声で話し続けている。


「ああ、君もよく知ってる……というか、君が一番詳しいというか……」


 あいまいに言葉をにごす少年。少女は行儀よく次の言葉を待ってはいたものの、その頭の中には色々な思いが渦巻いていた。


 私がよく知ってる人って、一体誰なのだろう。私の友人か、それとも親戚か……。


 そうして彼女は、ぎゅっと唇を噛みしめる。


 ついに、この日がやってきてしまった。小さな頃から一緒に遊んできたライオネルと、別々の道を歩む日が。


 かすかに震えながら、覚悟を決める少女。そんな彼女に、少年は意を決したように声をかける。


「あのさ、ナディア」


 彼の頬は、真っ赤に染まってしまっていた。


「僕と、結婚して欲しいんだ!!」




 少女は、ぽかんとしたまま動かない。少年は、まばたきすることなく少女をじっと見つめ続けている。


 優しいそよ風が花たちをそっとなでていき、少女の髪をなびかせた。


「……私で……いいの?」


 呆然としたようなつぶやきが、少女の愛らしい唇からこぼれ出る。


「もちろん!! じゃなくて、僕は、君でないと駄目なんだ!!」


 少年は必死になって、自分の思いを伝えようと頑張っている。春のうららかな日だというのに、彼の額には汗が浮いていた。


「僕は、君と夫婦になって、一生支え合いながら生きていきたい」


 幼かった少年は、もう一人前の男の顔をしていた。


「子供の頃から、ずっとそう思っていたんだ。二人で木に登った、あの頃から」


 小さな体は大きくなり、柔らかだった頬は引き締まり、柔和でありながら精悍な青年へと変わりつつあった。


「あの本に描かれた素敵な風景を一緒に見よう。そう約束した、その時だって」


 少年の懸命な言葉に、少女は目を潤ませる。両手で胸を押さえて、そろそろと口を開いた。


「私も……ずっと同じことを考えてた。でも私は一人娘だから、いずれ婿を取らないといけない。そしてあなたは次男だから、好きなように、自由に生きられる。そんなあなたをつなぎ止めるのは、申し訳ないなって……」


「僕は君のそばにいたい。君を守って、幸せにしたい。君が僕をつなぎとめてくれるのなら、それ以上の喜びはないんだ」


 少しも迷いのないその言葉に、少女が泣き笑いに顔をゆがめた。そうして、こくんとうなずく。


 少年の顔が、ぱあっと輝いた。


「やったあっ!!」


「もう、ライオネルったら……喜びすぎよ。でもまずは、お父様たちを説得しないと……」


 飛び跳ねんばかりにして喜ぶ少年と、苦笑する少女。少年はさっきまでの緊張ぶりが嘘のように、朗らかに言った。


「大丈夫。父さんの許可は取ってるって、さっき言っただろう? 実は、おじさんとおばさんにも話してあるんだ。あとは、君の返事を聞くだけだったんだ。いい返事がもらえて、心底ほっとしたよ」


「……用意周到ね。でも、どうして私が最後だったの?」


 小首をかしげた少女の問いに、少年はもじもじと照れくさそうに身じろぎする。


「実はさ……もし断られたらって、それが怖くって……だから、まずは父さんに打ち明けたんだよ。ナディアと結婚したいんだけど、どうしよう? って」


 少年の目が、ふっと細められる。くすぐったそうな、苦笑しているような表情だ。


「そうしたらいつの間にか、母さんにも知られていて……そして母さんは、こっそりとおばさんに話を持っていって……僕が勇気を出せずにいるうちに、どんどん準備のほうが勝手に整っていった」


「もう、ライオネルったら……私の気持ち、気づいていなかったの? 尻込みする必要なんてなかったのに」


 自分も少年の思いに気づいていなかったということをこっそりと横に置いて、少女はちょっぴりすねたような顔をしてみせる。


「でもさ、君は僕のことを、少し頼りないって思ってるんじゃないかって……」


「どうして?」


「小さい頃は、君のほうが勝ち気だったし……木登りもかけっこも、君にはかなわなかったから」


「いつの話をしているのよ、もう!」


 たしなめるような口調で、しかし嬉しそうにそう言ってから、少女は勢いよく少年に抱きついた。


 突然のことに驚いて、少年は少女を受け止めきれず、二人そろって花畑に倒れ込む。


「ありがとう、ライオネル。私たち、これからも一緒よ。ずっとずっと」


 そんな二人を祝福するように、花々はそよそよと揺れていた。



 ライは、花畑の真ん中に座り込んでいる。あの日、ライオネルが求婚してくれた、あの場所で。


「何か、思い出した?」


 そう問いかけても、彼はぴくりとも動かない。毛をそよがせて、とても真剣に花々を見つめている。


 そんなライを邪魔しないように、少し離れたところに腰を下ろす。


 ライは何か思い出せただろうか。何かが変わるだろうか。ライオネルに、戻ってくれるだろうか。


 じっとしていると、期待ばかりが勝手に膨れ上がっていく。


 と、ライが動いた。彼が駆け寄った先には、一匹のミツバチ。どうやら彼は、このミツバチを気にしていただけらしい。


 なあんだ、そうだったんだ。納得と落胆に、がっくりと力が抜ける。


 そんな私の様子に気づいたのか、ライが小さな足でとことこと歩み寄ってくる。私を見上げて、心配そうにきゅうんと鳴いた。


「大丈夫よ、何ともないから」


 そう口にしたとたん、涙がにじんでくる。泣かないように必死にこらえながら、かがみ込んでライに手を伸ばした。


「本当に、何でもないの……私が勝手に期待してただけだから……あなたは、悪くない……」


 そのまま、ライをぎゅうっと抱きしめる。


「もっともっと、頑張らなくちゃ……」


 あの日と同じ優しい花園で、一人つぶやく。あの日のように抱きしめて欲しいのに、その人はここにはいなかった。






 それでも、私はあきらめていなかった。


 こうして努力を続けていれば、またいつかライオネルに会える。そう信じて。ううん、そう自分に言い聞かせて。


 そうやって、私とライが思い出をたどっていたある日。


「ナディア、聞いたぞ。君の婚約者が行方不明なのだと。行方をくらましてから、もう一月にもなるのだとか」


 見知らぬ青年は、私の部屋にやってくるなりそう言い放った。

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