096 未熟
「あのぅ、信じてみます。いつもと同じように笑顔で過ごしてみます。……それしか私たちがしてあげられることはないんですよね?」
「もう一つあるかな。……体調が良い時だけでも構わないから、散歩に行ってあげてほしいんだ」
「えっ?でも、固徹が行きたがらないですけど、どうすればいいんですか?」
「固徹君は連れて行かなくていいよ。ただ、リードと袋を持って、いつもの散歩コースを歩いてあげるだけでいいんだ」
「リードだけ?」
「あぁ、リードを準備したら固徹君を呼んであげてほしい。いつもと同じように」
悔いが残らないように固徹を送ってあげるには必要なことだった。『もう大丈夫』だと伝えてあげる方法は、変わらない笑顔で皆との日常を過ごすことである。
「……分かりました。……いいよね、お姉ちゃん?」
「うん」
あずさと茜は笑顔でお互いを見てた。こんな不明確な状況で瑞貴の要求を受け入れてくれたことに感謝する。
瑞貴が全てを語らなくても二人なりに状況を理解し始めているのだろう。
「ありがとうございます」
それは幼い頃から一緒に過ごしてきた家族との別れになる。それでも、瑞貴が『不幸ではない』と言っていたことを二人は信じてくれた。
「……それじゃぁ、今日はこれで失礼します」
瑞貴には、まだやりたいことが残っている。鬼との面会は中々になくならないものになっていた。
鬼からも色々聞き出さなければならないが、快く引き受けてくれることは瑞貴も容易に想像出来ている。
「えっ?……もう帰っちゃうんですか?」
「うん。まだ確認しなきゃならないことも残っているんだ。……もしかしたら、自分たちのせいにされかけていた鬼が怒っているかもしれないからね」
「えっ?……鬼が怒っているんですか?」
「だって、霊能者が『この家には鬼が棲んでる』って言ってたんだろ?……もしかしたら、『私たちのせいにされては迷惑です』って愚痴を言われるかもしれない」
「……『私たちのせい』……?」
混乱して『えっ!?』を連発してしまっている茜を見て、瑞貴は微笑んでいた。
今回の瑞貴は神媒師として来ているので必要以上に力のことを隠したりはしない。瑞貴の力を隠したまま解決することも出来るだろうが、固徹のためには仕方ないと考えていた。
「……あのぅ、滝川君?……ちょっといいかな?」
「はい?」
あずさが瑞貴の傍まで近付いてきて、小声で話しかけてきた。
「こんな質問は失礼かもしれないんだけど、どれくらいなのかな?……こんなこと初めてだから、全然分からなくて」
「どれくらいって、何がですか?」
「あっ、うん。今回、滝川君に来てもらったり、色々してもらうことになるでしょ?……掛かる費用とか……」
「えっ!?そんなもの要らないですよ。俺は仕事でやってるわけじゃないですから」
霊能者のこともあり、あずさの心配は瑞貴への報酬だったようだ。
「でも、代々引き継いでるお役目なんでしょ?」
「まぁ、そうなんですけど、お金を貰ってやるようなことじゃないです。……説明が難しいですけど、自分の意思では出来ないボランティア活動とでも思ってください」
「……自分の意思では出来ない、ボランティア活動?」
自分の意志で始めたわけではないが自分の意志で解決をしたいと考えて行動している。
「ええ、たぶん、そんな感じです」
「采姫ちゃんから頼まれたってことなのかな?」
「いいえ、俺も最初は采姫さんの依頼だと思っていましたが、違ってました。……ここに関しては説明出来ないですけど、お金を受け取ってやることではないので気にしないでください」
ここで八雲を思い出していた。八雲は精神を削って降霊しているので仕事にしてしまうしかなかったのだろう。瑞貴も疲労感はあるが、八雲のやっていることに比べれば前向きに考えられることも多かった。
今回は疫病神が瑞貴を必要としていたと考えている。
それも、あずさたち家族が病気で命を危険に晒すことがないように疫病神が神媒師に解決を求めてきていた。
――俺に八雲さん程の覚悟はまだない。それに、経費がかかっているのは采姫さんだけど、そのお金だって……
瑞貴の考えを読んだのだろうか、瑞貴は采姫と目が合ってしまった。そのことに関して考えてはいけないらしい。
「とにかく、お金なんて要らないですから。……それに、あずささんにはご馳走になってますから、そのお礼です」
「……あんな物で?」
「美味しかったですよ。……あっ!」
「どうしたの?」
瑞貴は、これで鬼に協力させる口実を得ることになった。あの時の夕食は鬼も一緒に食べているのだから鬼もお礼をしなければならない。
「スイマセン、何でもありません。でも、この話はこれで終わりです」
「うん。ありがとう」
あずさは少しだけ困った顔を見せたが、瑞貴が全く聞き入れる様子はない。体調のことも考えて見送りは断って、瑞貴と采姫は帰ることにした。
采姫の運転する車で帰る途中に、
「……今回、姫和さんや采姫さんが神媒師としての俺を必要としたわけじゃなかったんですね?」
「いいえ、今回は私たちも含まれます。疫病神が瑞貴さんを呼んでいたこともありますが、それだけではありませんよ」
「まぁ、疫病神を解放するだけなら、采姫さんだけでも出来ることですから」
「それも間違いです」
「えっ!?采姫さんにも出来ないことなんですか?」
「うーん、出来なくはありませんが、今回のことは少し困惑しているんです」
「采姫さんが困惑!?」
神様が困惑するような状況だったか、瑞貴には判断出来なかった。疫病神の存在を見つけ出すまでは瑞貴も苦戦したが、原因が分かれば特に問題になるようなことはなかったはず。
「こんな状況に遭遇するなんて思っていませんでした。神とは呼ばれていても、まだまだですね」
「『まだまだ』って、采姫さんがそんなこと言ったら俺たち人間なんて……」
「そうですね。私たちよりも未熟です。……でも、未熟だからこそ面白いのです」
含みのある言い方をして采姫は笑っていた。
未熟だから面白いかもしれないが、瑞貴は疫病神を見つけ出すまで結構な労力を使っている。
――でも、もし朝の車の中で『今回は疫病神が原因です』と聞いていたとしたら、どんな話になっていたんだろう?……たぶん笑顔で過ごしてほしいとか、散歩に行ってあげてほしいとか、何も言わずに固徹を成仏させて終わってた。
余計なことを考えずに問題だけを解決して終わらせていた可能性が高い。霊能者のことを聞いたり、固徹の約束のことも知らずに処理してしまったかもしれない。
――俺がやってることは『作業』じゃないんだ。大切にしなきゃいけないものを忘れないようにしないと……
瑞貴は心の中で自分に言い聞かせていた時、采姫はハンドルを握りながら微笑んでした。