062 別離
瑞貴が目を覚めたのは21時を過ぎたころだった。
大黒様もソファーの下で寝息を立てている。この日は、ほぼ丸一日がかりの外出になってしまったので大黒様もかなり疲れていたのだろう。
大黒様を見ていて瑞貴は何かを忘れているようなスッキリしない嫌な感覚が湧いてくる。
慌ててスマホを取り出して履歴を確認するが着信もメールも届いていない。それは、ここ数日間に当たり前の日常になりつつあったことだった。
――秋月さんから連絡がなかった?
瑞貴は急に不安になる。
時間的に余裕があると思っていたストーカー梅村修が動いてしまったことで何かあると考えてしまったからだった。
――でも、梅村が何かをしたとしたら大黒様がのんびり寝てるはずない。……もしかして、体調を崩した?
色々な事が脈絡もなく瑞貴の頭に浮かんでは消えていく。
昨夜、瑞貴が送って行った時に秋月は何も言っていなかった。それは普段通りの日常が繰り返されることを意味していたはず。
――こっちから連絡してみるか
そう考えてスマホで連絡しようとしたが、
――あれ?……秋月さんの連絡先が消えてる?……連絡先だけじゃない、これまでの履歴も全部なくなってる
スマホにはデータが残っておらず瑞貴が連絡する手段がなくなってしまった。実際には大黒様の食事を作ってもらえなかっただけで特に困ることはない。
それでも状況が理解できない瑞貴は、どんどん不安になっていった。
――秋月さんの身に危険があるなら大黒様が報せてくれるはず。……それよりもスマホからデータが勝手に消えるなんてことあるのか?
瑞貴が自分で秋月とのやり取りを消すことなどありえない。今回の件で急激に仲が良くなったことだったが、瑞貴にとっては大切な記憶の一部になっている。
――『勝手に』!?……まさか……。まさか……だよな。でも……
瑞貴は立ち上がって大黒様の食事を作り始めた。そして、大黒様は瑞貴の作ったご飯を不満げな表情ではあったが完食してくれる。
多少料理の練習をしていたとは言え、瑞貴の作る料理が劇的に変わることはない。大黒様の表情が物語っているように美味しくはなかった。それでも大黒様は完食している。
「やっぱり、そういうことなんですか?……大黒様」
鬼は瑞貴が『気付くこと』も『罰』になっていると言っていた。
「……これが『罰』」
瑞貴は妙に納得した気分になっていた。
その日は早めに就寝して、翌日の行動に備えることにした。瑞貴には確認しておきたいことが増えてしまう。
26日になった朝、早めに目覚めて準備を進める。
大黒様は瑞貴の作った美味しくない朝食を残さず食べてくれている。大黒様も神様であるので、既に状況を理解しているのかもしれない。
「それじゃ、朝の視察活動を開始しましょうか。……ちゃんとした視察は久しぶりですね」
瑞貴の目的地を優先させてもらうだった。秋月のマンションに向かうつもりでいたのだが、大黒様は違う方向へ進もうとしてしまう。
「大黒様、大丈夫ですから……。俺もハッキリさせておきたいんです」
大黒様は瑞貴の顔をジッと見た後、諦めたように方向を変えて進み始めてくれた。
そして、秋月が大黒様と最初に出会ったコンビニの横を歩いているとコンビニで買い物を済ませた秋月が出てきた。
瑞貴の覚悟を尊重した大黒様が、秋月と出会えるように誘導してくれたらしい。
「……おはよう」
「あれ?……滝川君、こんな方まで散歩に来るんだ?」
「あぁ……、休みの時だけは少し遠出するんだよ」
「へぇ、可愛い犬ね。……何て名前なの?」
「……大黒様。っていうんだ」
「大黒様、が名前なの?……面白い、名前だね……」
大黒様という名前を聞いた秋月は少しだけ怪訝な表情を見せていたが、それだけの反応だった。
瑞貴の予感は当たっていたことになる。『罰』を与える相手が神様であれば、この程度の無茶は可能になるのだろう。
「それじゃぁ、休み明けの学校でね」
秋月が短い会話を切り上げる挨拶をして、瑞貴もそれに応じる。
別れた直後に鬼が出現した。
鬼は、罰に気付くことも罰になっていると言っていた。大黒様の名前さえ覚えていない秋月に出会うことが瑞貴への罰になっている。
「……貴方への『罰』は、ご理解いただけましたか?……貴方の大切なモノを奪わせていただきました」
「ですよね。……秋月さんに悪い影響とかはありませんよね?」
「ええ、勿論です。あの方と貴方との関係性を奪っただけです。不都合な記憶は上書きしておりますが、身体への悪影響は一切ありません」
「その言葉、信じますよ?」
「貴方に恨まれるようなことは絶対にしません……信じていただきたい」
誠実な鬼は真っ直ぐに瑞貴の目を見て答える。秋月の身体に悪影響がないのであれば瑞貴は全てを受け入れるつもりでいた。
「大黒様も母さんが戻るまでの数日間は俺の作ったご飯で我慢してくださいね」
昨日の夜から瑞貴のご飯を残さず食べてくれたのは、この為だったのかもしれない。大黒様は、こうなっていることを理解していたのだろう。
「……我が主ながら、嫌な『罰』を思いついたものです」
「大丈夫です。それよりも、秋月さんとの繋がりが俺の大事なモノになっていたことは驚きました。それも『罰』になるほどなんて。……でも、彼女には『弱味』を握られていたから、これで良かったのかもしれない」
「……ですが、彼女自身も受け入れて望んだ結果です。……今回の件で、彼女の存在が貴方に与えた影響は大きかったはずです」
「そうですね。……秋月さんが居てくれなかったら、俺は耐えられなかったかもしれない。……感謝してますよ」
「感謝しているだけですか?」
「所詮、子どもの恋愛感情だけです。……あの二人の覚悟とは、比べるまでもないことです」
瑞貴なりの強がりになってしまう。それでも、『これで良かった』と思っていたことも本心である。
見えないモノは見えないままでいてくれた方が秋月にとって幸せなのかもしれないと瑞貴は考えていた。
ただ、何も知らなかった頃の秋月に戻るだけであれば、瑞貴は喜んで受け入れるべき罰だった。
――落ち込んでるヒマなんてないんだ。まだ、やることは残っている。……頑張ろう!
そして、誠実な鬼は子どもたちのところへ戻って行く。
瑞貴の生活は、このコンビニで秋月と大黒様が待っていてくれた日よりも前に戻っただけに過ぎない。
ショックを受けていないわけはなかったが、瑞貴はこの状況を受け入れることに納得していた。
――全部、覚悟していたことだろ?……秋月さんとは何もなかった。……それだけだ
※※※※※※※※※※
27日昼過ぎ、熱田神宮に子どもたちを迎えに行った。
もう一度、現代版の紙芝居を楽しんでもらってから28日に成仏してもらうつもりでいた。
「あれ?……お姉ちゃんはいないの?」
何も知らない子どもたちから残酷な言葉をかけられることもあったが、残り一日を楽しんで過ごしてくれた。そして、瑞貴は子どもたちに伝えておきたいこともある。
アニメを見終わったみんなに向けて瑞貴は話をした。
「お爺ちゃんたちは、みんなの事を大切に想っていた。……『良い子』のみんなが幸せになってほしかったんだ」
「……みんな、『良い子』?」
「もちろん、みんな『良い子』だよ。だから、お爺ちゃんたちは、みんなのことが大好きだったんだ」
「……『邪魔な子』はいないの?」
「いないよ。……『邪魔な子』なんて、ここにはいないよ。お爺ちゃんたちも、お兄ちゃんも、みんなが大好きだよ。……もちろん、お姉ちゃんも」
信長と秀吉が最期の瞬間まで、そのことを証明するために必死に行動してくれた。そのことだけは子どもたちにも知っていて欲しかった。
瑞貴の言葉で小さな子どもたちに上手く伝えることは出来なかったかもしれないが、それでも泣き出してしまう子がいる。
瑞貴は最後の夜を子どもたちと一緒に寝ることにした。瑠々が瑞貴に抱きついて眠っている。
瑠々の母親を裁くことになってしまったが、山咲瑠々という女の子が『悪い子』で『邪魔な子』だったから死んだわけではないことも精一杯伝えておきたかった。
――俺が出来ることは、やり切れたのかな?……あとは、俺だけでも、この子たちのことを忘れないでいてあげよう
28日の朝は早かった。気持ちが暗くならないように、みんなで笑いながら出発する。
神社に到着すると、みんなで参拝を済ませた。効果のほどは分からないが気持ちの問題である。
――この子たちの明日が幸せでありますように……
子どもたちに明日がないことは分かっている。それでも、この子どもたちに明日が来ることを瑞貴は信じてあげたかった。
「……さぁ、みんなでお爺ちゃんたちのところへ行こうか」
子どもたちに意味が分かっているのかは不明だが、揃って元気に『うん!』と返事をしてくれた。
あの二人は必ず子どもたちが来るのを待っているはずだった。
瑞貴は鞘から紐を解き『閻魔代行』と静かに唱えた。境界の紐が子どもたち全員を中心に円を描き始めた瞬間、
「あっ!お姉ちゃんだ!」「またね」「また遊んでね」
口々に騒ぎ始めて、一生懸命に手を振っていた。
瑞貴が振り返ると秋月の姿が一瞬だけ見えるが、すぐに境界の紐に取り囲まれてしまい景色は見えなくなってしまった。それでも間違いなく秋月の姿を瑞貴も見ていた。
――どうして秋月さんが、この場所に?
子どもたちは『お姉ちゃんにもお別れの挨拶が出来た』と喜んでいる。瑞貴も焦ってしまっていたが、今は他事に気を取られている場面ではない。
結界が完成してから、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
「お兄ちゃんとも、ここでお別れなんだ。……でも、みんなが寂しくないようにクリスマス・プレゼントを用意したよ。もらってくれるかな?」
そう言って、黒い柴犬のキーホルダーを一人一人に手渡した。
結界の中でなら持っていることが出来るはずだと考えた。これから先の世界に持っていけるかは分からないが渡しておきたかった。手にしていられるのが結界の中だけだったとしても、消え去る瞬間まで幸せな気持ちでいられる。
「この小さな大黒様が一緒に行ってくれるから、安心して」
そう言って『浄玻璃鏡』をみんなに見せて、『縁の紐』を胸から出現させた。
「……みんな、また必ず会おうね」
瑞貴は『縁の紐』を斬っていく。子どもたちは消えてゆく身体を気にすることもなく、
「また遊んでね」「また会おうね」、「ありがとう、お兄ちゃん」
と言ってくれていた。瑞貴は、必死に涙を堪えていたので『またね』を繰り返すしか出来なかった。
「大丈夫。お爺ちゃんたちが、きっと待っていてくれるから」
瑞貴は祈るような気持ちで呟いていた。
――あの二人なら、きっと待っていてくれる。……最期まで見送るって約束したんだから
子どもたちが光になって、天国の景色に吸い込まれていく。そして、11個の小さな光が飛んでいく先には2つの大きな光がある。
「何だ……、やっぱり最期まで美味しいところを持っていくんですね?」
その光は1つの塊になって遠ざかり、やがて消えていった。
瑞貴が渡したキーホルダーも一緒に消えていてくれる。
瑞貴には、綺麗な景色の中へキーホルダーを持った子どもたちが信長と秀吉に駆け寄っていく姿が見えていた。みんなが幸せそうに笑い合っている。
この一ヶ月間、この姿を見るために瑞貴は頑張り続けた。
――なんだ、閻魔様も優しいことをするじゃないか。……本当はキーホルダーなんて持っていっちゃダメなんですよね?
『閻魔刀』を鞘に納めながら、『さよなら、また会おうね』と瑞貴は言う。
そして、結界を解いた外には秋月が居てくれた。みんなでお別れを出来ていたことが瑞貴には嬉しい。
涙を拭っていた瑞貴に秋月がゆっくりと近付いて恐る恐る話しかけてくる。
「……滝川君、何をしてたの?……子どもの声が沢山聞こえてきたんだけど。……何かあったの?」
「何でも、ないよ。……秋月さんこそ、こんなに朝早くからどうしたの?」
「スマホのスケジュールに入ってたの。……登録した記憶がなかったんだけど、何だか気になっちゃって」
データの全ては閻魔様によって消されているはずで瑞貴には謎だった。
――ここでも甘さが出てしまってますよ、閻魔様。……データ消さないでいてくれたんですか?
今回の件で色々な収穫があったが、閻魔大王の印象が大きく変わったことも加えられてしまう。
「そうなんだ。何の予定かな?……でも、ありがとう」
「えっ?お礼を言われるようなことしてないよ?」
「そっか。……そうだよね」
秋月は、瑞貴からお礼を言われる意味が分からないでいた。瑞貴は秋月が意味を理解していなくても構わなかったが、この場に来てくれたことに感謝の気持ちを伝えたかった。
※※※※※※※※※※
これで予定していた全てが終わったことになる。
一ヶ月間の出来事だったが、瑞貴にとっては意味のある一ヶ月間だったと感じていた。
泣くこともあったし、結果として自己満足でしかなかったのかもしれない。それでも瑞貴自身が偽善者でも構わないと考えて覚悟してやったことの全てだった。
――神媒師として、最初の務めなんだから及第点だよな?
そう自分に言い聞かせて、閻魔様からの依頼を終えようとしていたのだが、ここで終わるなと言わんばかりに、
「わんっ!」
大黒様が瑞貴を叱責する。年内に解決すべきことで、忘れてはいけないことが瑞貴には残っていた。