048 勝負の行方
再び部屋のドアをノックする音がしてお粥を持った母が入ってきた。
大黒様はビスケットを貰い瑞貴と一緒に食べさせてもらっていた。食事を終えた瑞貴がベッドに戻ると大黒様もベッドに戻ってアニメを見始めている。
そして休息の時間に入る。病院に行くことも考えていたが、とにかく今は休みたかった。
「わんっ!……わんっ!わんっ!」
大黒様が鳴く声で目が覚めた。こんなに何度も吠えることなど珍しいことだった。瑞貴と生活するようになって初めてのことかもしれない。
いつも通りであれば『わんっ』と一声だけ吠えて、あとは瑞貴が吠えられた理由を探すだけ。
両親が慌てて瑞貴の部屋に駆けつけてきた。大黒様が急に吠え始めたので、瑞貴に何かあったのかもしれないと思ったのだろう。
「どうしました?……何かあったのか、瑞貴?」
部屋に入ってきた両親が瑞貴に問いかけるが、瑞貴の体調に変化がないにも拘らず何度も吠えていたことに驚いて困惑させられる。
「……分からないんだ。突然、吠え始めたから……。何だろう?」
母がしゃがんで大黒様を撫でながら表情を見ていた。そして、勢いよく立ち上がり宣言する。
「出発まで少し時間があるから、お散歩行きましょうか?」
「えっ!?大丈夫か?」
「ええ、私は準備万端ですから。……お散歩の後でも食事の準備だけ済ませられるから大丈夫」
そう言って大黒様を抱きかかえて母は瑞貴の部屋を出て行ってしまった。瑞貴は『視察活動』と呼び続けているのだが、母にあっさりと『お散歩』にされてしまう。
部屋には瑞貴と父だけが残されてしまった。
「本当に大丈夫か?……母さんには残ってもらうか?」
「大丈夫だよ。父さんだけだと移動に困るだろ?……朝よりも良くなってるから、もう少し休めば問題ない」
父も免許は持っており、左足だけでも操作できる設定に変更可能な車ではある。それでも、他に不便もあるので二人は揃って行動している。杖を持たなければならない父は荷物を持つのにも苦労する。
「……そうか?……何かあれば、すぐに連絡するんだぞ」
杖をつきながら瑞貴の室内を移動した。そして、机の上に封筒を置く。
「この中に5万円入れてある。……クリスマスの準備で必要だろうから使いなさい」
「……そんなに、いいの?」
「あぁ、母さんにも話はしてある。お前の悔いの残らないように、しっかりと送ってあげなさい……留守中、お前たちの生活費でもあるからな」
「ありがとう」
「……なぁ、瑞貴。……世の中は『理不尽』で『不公平』なものなんだ。今のお前を苦しめてるのも、それが原因だ。全ての人が幸せで満ち足りた毎日を過ごすことは出来ない」
「……うん」
『瑠々』と『りんこ』、どちらにも平等に幸せになる権利がある。あったはずだった。
それでも瑞貴の見てきた光景は全く別物で『不公平』なものでしかない。それを『理不尽』の一言で片付けてしまうのは悲しすぎたが、瑞貴にはどうすることも出来ない。
「お前が今回関わっている『人』たちの不幸を神様なら合理的に見捨ててしまうかもしれない。神様は一人一人のことまで見てあげられないからな。……でも、お前は人間なんだ。感情に揺り動かされて合理的に考えられないことも多い」
「……そうだよね」
「そして、最善の方法なんてものが存在しない以上、後悔しないようにするしかないんだ。……頑張りなさい」
「はい」
ベッドの上で横になって天井を見ながら父の言葉だけを聞いていた。
世の中が『理不尽』で『不公平』と言い切る父は色々なものを見てきたのだろう。男として、父親として、経営者として、神媒師として。見てきたものが、そう言い切らせるのだ。
瑞貴には未だそれだけのことを言い切る経験がないが、風邪で頭はボーっとしていても父の言葉の意味は理解出来ている。
父が出て行った後、静かになった部屋で瑞貴は少し眠ってしまっていた。
すぐに戻ると言っていた母も中々帰ってこなかった。
とりあえず、この日の両親は移動だけの日程を組んであるらしく出発時間はアバウト設定だった。母の計算では十分間に合うようにはなっているだろう。
家の中が少し賑やかになったような気配を感じて瑞貴は目を覚ました。大黒様の視察が終了して帰ってきたのかもしれない。
身体は重くて体調は悪いままだったが、両親の見送りくらいしようと思い、瑞貴はベッドから出ることにした。
「……コホッ、コホッ」
少しだけ咳込みながら1階に下りていくとリビングは賑やかになっている。
――ん?……出発直前なのにお客さんかな?
ドアを開けると両親と共に見覚えがある人物を発見した。
それは意外過ぎる人物であり、ここにいる理由が瑞貴は全く分からずに混乱して、動揺する。
「えっ?……秋月さん?……どうして?」
「えっと……、こんにちわ」
秋月が家にいることの不思議。風邪の熱で幻覚でも見ているようだった。
申し訳なさそうな表情で座っている秋月の姿は、いつも見ているよりも幼く感じ取れてしまう。柴犬と『借りてきた猫』感満載の秋月が滝川家のリビングに並んで座っていた。
「起きてきて大丈夫なの?……少しは良くなった?」
「いやっ、そんなことよりも、どうして秋月さんがココに居るんだよ」
体調は絶不調だったが、そんなことを忘れさせる程の衝撃。自分の体調のことよりも現状を理解することを最優先にしたかった。
「大黒ちゃんが彼女のお家まで迎えに行ったの。……大黒ちゃんがマンションの下で動かなくなって困ってたら、秋月さんにお会いしたのよ」
「えっ?大黒様が?……秋月さんを迎えに行った?」
何故、大黒様が秋月を迎えに行く必要があったのか理解出来ない。視察途中で遭遇したというなら分からなくもないが、わざわざマンションまで行ったということになる。
母が迎えに行ったと表現する以上、大黒様が秋月を探していたことになってしまう。
「コホッ、コホッ」
「ほら、あなたがそんな状態で寝込んでるのに、私たちも出掛けちゃうから大黒ちゃんも心配してくれたのよ」
「そんな……、それで秋月さんに助けを求めに行ったってこと?」
いつの間にか瑞貴の前に移動していた大黒様がジッと見上げていた。いつもの表情からは何も読み解くことが出来ない。
――それでベッドの近くで俺を見てたのか?
あの時の大黒様は瑞貴の状態を確認していたらしい。
「わんっ!」
「……ちゃんと寝てなさいって怒ってるわよ」
このままでは母のペースで事が運ぶことになってしまう。いつもはマイペースな母に逆らうことなど最初から諦めてしまう瑞貴だが今回は絶対にダメだった。
「勝手な通訳はやめて。……俺なら、もう平気だから。秋月さんにまで迷惑をかけないでくれよ」
母は大黒様が人間の言葉を話せないことを利用する気だった。
――昨日、俺がきつく言ったから大黒様なりの反撃なのか?……いや、さすがにそんなことはしないだろう。…………まさか自分の食事の心配をして秋月さんを連れてきたのか?
料理経験のない瑞貴が大黒様の食事を用意することになるのだから不安があったのかもしれない。瑞貴が『何とかなる』程度で作られる食事を食べたくはなかったらしい。
「私なら大丈夫だよ。……大黒様のご飯の説明も聞いたし、滝川君も平気そうには見えないし……」
大黒様の食事制約の説明まで終えてるらしい。瑞貴の知らないうちに後戻り出来なさそうな段階まで進行していた。
マイペースな母親が、これほど危険だとは予想外過ぎた。
「……コホッ、コホッ」
父は黙って事の成り行きを見守っている。
気持ちの半分は瑞貴の体調を心配しているが、もう半分は面白がっているかもしれない。
「本当に平気だから秋月さんも遅くなるとお母さんが心配するだろうし」
「さっき連絡して了解はもらってるんだ」
「いや……、でも、やっぱりダメだって……」
「わんっ!」
「……ほら、ちゃんと寝てなさいって、大黒様も怒ってるよ」
どう足掻いても瑞貴の勝ち目が薄い。体調万全の状態であっても難しい戦いなのだが、現在の体調は最悪ときている。
「……瑞貴。……もう諦めて部屋に戻って寝ていなさい」
父の言葉には、どこか哀愁が漂っていた。いつも母に戦いを挑んで負け続けた男の哀愁だろうか。




