029 歩道橋の鬼
「一応、他の人間にも私の姿は見えています。人間にも違和感ない姿で来ているのだから心配は不要です。」
それでも違和感はあると瑞貴は思っている。人間として見たとしても普通に怖過ぎだった。
「はぁ、『鬼』ですか……」
話しやすくはなっていたので少しだけ気軽に会話を続ける。気軽に接することが出来る存在でもないのだが緊張感から解放されて気が抜けてしまっていた。
「未だ名前を与えられていない存在ですので『鬼』とだけ呼んでくだされば結構です」
この言葉に嘘は含まれていないと感じていた。閻魔様に鬼が仕えることは聞いたこともあり名前が与えられる鬼は限られた存在になるのだろう。
名無しの鬼で閻魔大王に仕えているのであれば極卒鬼かもしれない。
「それで、『鬼』の貴方は俺をからかいに来たんですか?」
「まさか、私は、そんなに暇ではありません。貴方に『浄玻璃鏡の太刀』の使い方を教えに来たのです」
暇ではないと言っている割に楽しんでいたようにも見えていた。
「やっぱり、そうですよね」
「侑祐殿から詳しくは聞かされていないのでしょう?」
侑祐とは瑞貴の父である滝川侑祐のことだった。父の名前を知っているのであれば、この『鬼』から父も説明を聞いて閻魔様の手伝いをしただろうことを理解した。
「父を知っているんですね?」
「もちろんです」
「……もちろん、ですか」
その時に必要な最低限の情報しか得られないシステムであり、『もちろん』に続く答えはなかった。
「父から『浄玻璃鏡の太刀』については説明されるまでは仕舞っておけって言われました。今は俺の部屋のクローゼットにあります。……持ってきますか?」
「いや、貴方の使用目的に応じて、その都度説明をするから大丈夫です」
「えっ?使用目的に応じてって、いくつかあるんですか?」
「そんなに多くはありません。……ただ、条件が違うこともあるので一気に纏めて説明するのは止めておきたい」
「……条件があるんだ」
「『神の力』の一端を借り受けて行使するのだから無条件での使用はあり得ないことです」
厳しい口調で至極もっともなコトを『鬼』が言った。
まだ朝の8時30分くらいだと思うが、成仏を願う人たちと出会って直ぐに『鬼』とも遭遇している異常な状況にも関わらず、正論を聞かされて瑞貴は不思議な感覚になる。
「詳しい説明は別にして一つだけ教えてください」
「どうぞ。お答えできる範囲であれば」
「この世に留まっている存在を成仏させることは『浄玻璃鏡の太刀』で出来るんでしょうか?」
「貴方が理想としているカタチとは違うかもしれないが出来ます」
「俺の理想って……、『魂の救済』の事でしょうか?」
「これは失礼しました。その点を理解した上での質問であれば余計な一言でしたね」
これは信長と秀吉が『子どもたちを見送る』と言っていたことで瑞貴も気が付いていたことになる。
この世への未練を断ち切って成仏させることになったとしても、その後に行く世界まで保証は出来ない。成仏した後は天国と地獄に分かれることになる。
純真無垢な子どもたちと比べるまでもなく、数多くの人を殺めたであろう戦国大名が同じ世界に行けるとは限らない。同じ世界に行ける可能性の方が遥かに低い。
救済措置があったとしても天国と地獄に分けられてしまうことは瑞貴にも予想出来ていた。
それでも、瑞貴は信長と秀吉にその話題には触れずにいた。おそらく覚悟を決めている二人に対して改めて問い掛けるのは失礼だと思ったからである。
「救済されることなく地獄に行くことになるのは、あの二人も理解しれると思います」
「でしょうね。浄玻璃鏡の太刀に生前の罪を浄化する能力はありません」
「それでも成仏させてくれと言っているのであれば、俺の理想なんて関係ないです。あの二人の希望は『子どもたちを見送る』ことなんです」
「そうですね。覚悟を決めて言葉にしているのであれば従うべきでしょう」
信長や秀吉と話をしていた時も瑞貴は感じていたが、この『鬼』の言葉からも強さを感じていた。
「でも、とりあえず成仏させることが出来るのであれば俺も準備を進めていきます。貴方と話をしたい時は、どうすればいいですか?」
「そうですね。……この場所で『鬼』と呼んでいただければ参りましょう」
歩道橋の上で『鬼』と叫ぶことに躊躇いもあったが、熱田神宮から近い場所で会えることは都合が良いと瑞貴は考えていた。
「分かりました。そうさせてもらいますね」
「それでは本日はこれで失礼します」
瑞貴が言葉を返す前に『鬼』は瑞貴の横を通り抜けるようにしてすれ違った。
すれ違った直後に瑞貴は振り返ったのだが『鬼』の姿は既に見えなくなっており、歩道橋の上から消えてしまった。
「こんな消え方するくらいなら最初から他の人には見えないようにしてもらった方が良いのかも?」
誰かが見ていたとしたら歩道橋の上から大人の男が忽然と消えたことになる。それは単なる事件でしかない。
再び帰る道を進みながら瑞貴は自分の身近に紹介できない人物が増えていっていることに少しだけ不安を感じていた。現在は高校一年の冬で高校生活は2年と少し残っており、さらには大学進学も予定しているので学生としての友人を増やしたい気持ちもあった。人並みに学生生活を楽しめるようにはしたいと思っているのだが、どんどん困難な方向へ進んでいるような気がしていた。
歩道橋の階段を下り、抱えていた大黒様を道路に降ろす。大黒様の朝食代わりのビスケットを食べてもらいお水で一息入れることにした。
――気持ちは焦るし、やらないといけないことも多くなるな。……でも、ゆっくりやれば良い。俺一人では大したこともできないんだから
決して自分自身を卑下しているわけではないが、やる気が空回りして前に進めなくなることを避けたかった。
――大丈夫。ちゃんと前には進んでる
歴史上の人物に会ったり閻魔大王の従者に会ったりして混乱しそうになっている自分に言い聞かせて冷静になろうと瑞貴は考えた。