今 2
光の中にいた私は、私の中に酷く暗くて冷たくてとても嫌な部分がある事も知っていた。それは出来るだけ隠したくて自分でも見ないようにしている所だ。
暗い闇の中にいた私は、私の中の酷く暗くて冷たい嫌な所を見ないようにしていた。
良い私は悪い私を認識して、悪い私はそれをずるく隠すように。
今の私は光の中でもない闇の中でもない、なんでもない、普通の…普通かな…とにかく私が本来いるはずのところにいる。はずだ、たぶん。
「山根?」と桜井が言った。「夢の話なんだけど」
「…はい」
「深くは考えんでいいよ」
深くは考えんでいいよ…私は心の中で桜井の言葉を反芻する。
じゃあどう考えろって言ってんだよ、はっきり喋れ桜井。もう、本当に…。こんな目に遭わせておいてまだそんな喋り方。
「いや、山根」桜井が私をバカにしたように笑いながら言った。「私が山根を『こんな目』に遭わせてるわけじゃないからね」
この桜井とのやり取りの間に田代姉妹は2人になっていた。
いつ3人が消えたのか全くわからなかった。5人はたぶん瞬間的に溶けるようにして二人になった、ような気がする。しゅううううん、と。
二人になった田代姉妹は私を挟むように立ち、二人交代で私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
一瞬首が取れるんじゃなかと思ったが、一人が撫でている間はもう一人が後頭部を支えていて、それを4、5回ずつ繰り返した。
私が終わると、ハヅキモエノにも。そしてヤグチに。
ヤグチにする時は私たちの時より力が強いようで、ヤグチの頭はやたらグラグラ揺れ、どうにかそれを逃れようともがいていた。
「「お前らが構えて何かする事はないから」」田代姉妹がいった。「「構えずに、お前らは普通に普通な感じでやり過ごせ」」
「意味わかんね」ヤグチが吐き捨てるように言う。「もう帰ってもいいよな?」
「今夜、眠ったらわかるよ」と高森が言った。
そしてどこから取り出したのか、500ミリリットル入りのペットボトルを3本持っている。それは市販のミネラルウォーターのペットボトルだが中身は茶色い。
「はい、これは僕が特殊なハーブをブレンドして作ったお茶だから。スルッと夢に入れるから」
嫌だな。嫌な気しかしない。
私とヤグチがためらっている間にハヅキモエノは素直に受け取り、ふたを開けて匂いを嗅いでいる。
「うわ~~」とハヅキモエノが顔をしかめる。「私、これに何が入ってんのか当てられそうな気がする」
「そう?」と高森が笑った。「その辺にはないハーブ入れてんだけど」
そんなもの入れるなよ。
「今ちょっと飲んでもいいんですか?」
いいわけないだろう。ていうかよく飲む気になれるな。
寝る前ね、と高森に言われてハヅキモエノは素直にふたを閉めた。
「ホラ」と高森が私とヤグチの前にペットボトルを突き出した。
「ホラ~」と桜井も言う。「せっかく高森先生が」
私とヤグチはしぶしぶ受け取る。
そして高森が、今度は白衣の左右両ポケットから1本ずつ私たちに渡したものと同じペットボトルを取り出した。
え?私たちのもそこから?
その2本を田代姉妹に渡すと二人は速攻でふたを開け、高森が止める間もなく一気飲みしている。田代姉妹以外の全員が「あ」と言う顔をしたが、もうペットボトルは空っぽだ。
「あ~~」と高森が唸る。
「「まずっっ!!」」と田代姉妹。
「あ~~」と高森はもう一度唸った。
「じゃあ、解散で」桜井が言い放つ。
「早く帰らんと、正門閉められてしまうよ。お茶を飲んで眠る、それだけだよ。余計な事は考えないで」
「キタは?…出てくるんですか?私たちの夢に」
「う~~ん…夢と言うのはなぁ~~…」桜井が言う。
「私がむかし私の奥さんと結婚が決まった時に見た夢なんだが…」
どんだけ前の夢の話を始めるんだ桜井。
「うちの奥さんはすごく綺麗なんだけど…見るか?待ちうけにしてるから…」桜井はごそごそとスマホを取り出す。ほら、と言って桜井が見せたのは、60歳近くかな、と思えるくらいの女の人がはにかんだように笑っているアップだったが、それはもう今までに見た事のない、輝くような美しさを持った人だった。
どう言ったらいいんだろう…その人は確実に歳を取っているにもかかわらず、おそろしく綺麗なのだ。
後ろで金色の小鳥がさえずっているような、バラ色に輝く歌声が聞こえてきそうな…
そう、それは神々しいという言葉がぴったりの、まるで女神様のような女の人だった。
「女神様みたい」
ハヅキモエノが、私が思っていたのと同じ感想をもらした。
「そうだろう?」
桜井は別に嬉しくもなさそうにスマホをまたズボンのポケットに仕舞った。
「それで夢の話なんだが…」
「桜井」とヤグチが口を挟む。「正門閉まるんじゃねぇのかよ」
「ヤグチ…まぁいいから。これはすごく大事な話だから。それで結婚が決まった時に私が見た夢の話なんだが、私の親友の吉村が出てきてな、うちの奥さんの事を好きだと言うんだ。まぁうちの奥さんを好きなやつなんて5万人もいるからな。それで私は嫌だと思って、吉村に言ったんだよ。『岡村さんがお前の事を好きだと言っていたぞ』、って」
私は見たこともない、本当にいたかもわからない、桜井の「親友、吉村」と「岡村さん」を勝手に思い浮かべてしまう。
「そしたら吉村が、『岡村さんの事は何とも思ってない』って言うんだよ。
それに、『それは嘘だろう』って。つまり私は親友に嘘をついたのがすぐにバレたんだけど、それで岡村さんも泣き始めたりして、で、そういう夢を見たってうちの奥さんに言ったんだよ。そしたらその夜うちの奥さんも夢を見ていて、『私も吉村さんと岡村さんが出てくる夢を見た』って言う。『あなたと吉村さんが喋っているのを岡村さんが嬉しそうに見ているから、岡村さんはどっちが好き?って聞いた』って夢らしいんだ」
この桜井の夢の話は何だろう…どういう話にどこにつながるんだろう…
「私はうちの奥さんに『岡村さんはどっちが好きだって言ってたか?』
って聞いたら、『さぁ…雨が降ってきて、あなたたちは雨の中を二人で歩いて行ってしまって、岡村さんは私を傘に入れてくれた』って」
そう言って桜井は私たち3人を見まわし、「あ~」と言った。
「田代先生たちどっか行っちゃったねぇ」
へ?本当だ。いない。
「そういう事なんだよ」
「…」え?え?え?え?え?
「はぁ!?」と校舎に響き渡るような声でヤグチが言った。
「ん~~」とハヅキモエノが目を閉じ眉をしかめて考えている。そして「それは」と言ってからパッと目を開けた。
「それは同じ夜に同じ登場人物で夢を見ても、同じ夢は見ない、って事ですね」
「そう!」と桜井は目を輝かせた。「そうなんだよね」
「それって当たり前な事なんじゃねぇの?」とヤグチが言う。「同じ夢なんて見るわけがない」




