水槽 1
やっと放課後になって生物室に行くと、もうみんな揃っていたが高森がいない。
ハヅキモエノが水槽を間の当たりにしてキラキラした目をしている。
結局桜井はあの後普通に授業を続け、私がその後呼ばれる事はなかった。
というか目が合う事さえなかった。
そしてこの生物室へは、来る予定ではなかったヤグチが私に着いて来てくれていた。
「一人で行くわけじゃないから大丈夫」と言ってみたがヤグチは納得しなかった。
「バカじゃねえのお前。学習能力ねえな」
いや、バカだと思うよ自分でも。本当は速攻で家に帰りたいし。
そしてツブツブには断ったのにヤグチと一緒に教室を出るところを見られたくない。
かばんを用意していた私に、待ち構えていたハヅキモエノがあんまりキラキラした目で「行こう!」って言ってくるから
結局私は生物室へ向かうのだ。ヤグチも一緒に。
ハヅキモエノが理科の控室まで高森を呼びに行こうと言う。
「ハヅキ、お前一人で行って来い」とヤグチが言った。
あれ?と思う。
なんだ…ヤグチは私にだけお前って言ってるわけじゃないのか。
なんだろう…なんかちょっと残念な気持ちになってる自分がものすごく気持ち悪いんだけど。
結局私とヤグチとハヅキモエノの3人でで高森を呼びに行く。
本当に何してるんだろう私、と思う。
理科準備室のドアを開けてヤグチが舌打ちをした。…全く高森め。人にものを頼んどいて、自分はゆっくりコーヒーを飲んでるってどういう事?
「あ、ごめん」と高森が言う。「ごめんごめん」
結局私達選ばれし5人は…って選ばれたのは元々私だけなんだけど。そして生物の私のグループの5人以外にヤグチもいて本当は6人なんだけど、す水槽の周りに陣取る。
ヤグチは生物室の端で私達を見ているのだ。
ふふっとハヅキモエノが笑う。
そんなに嬉しいか?ハヅキモエノ。そんなにカエルと水槽に興味があるのか?
そう思っていると、ハヅキモエノは私に耳打ちしてきた。
「本当にヤグチって薫ちゃんの事が好きなんだね。ちょっと面白いっていうかヤケちゃうっていうか」
そんな事を言うからヤグチをチラッと見てしまうと、ヤグチがこっちを睨んでいた。
水は水槽の上の方から10センチくらいまでの所まで入っている。
水がこんなに満々に入っているのにどうやって運ぶんだ?高森もコーヒー飲んでる暇があったら、半分くらい水を抜いとけばいいのに。
「このままじゃ無理なんじゃないですか?」
理系のタケシタ君がそう言ってくれた。
「半分くらい水抜かなきゃ」と同じく理系のヤマダ君も言う。
ね?みんなそう思うんだから。
それでも「大丈夫」と高森が言った。
そしてついぃ―と水槽の縁を一周、中指の先で撫でた。私達はそれを黙って見守る。
高森の指が水槽の縁を一周すると水の表面がぶるぶるっと震えた。
「みんな、せーので、な」と高森が言った。
「でも先生、持つのは良いけど水がかかるのは嫌だから」
ヤマダ君がそう言うと高森はにっこりと笑った。
「見てて?」
高森は水槽の片側を2センチくらい持ち上げた。
「うっわ!」とみんな声を上げたが水槽の水は、ゆらん、と揺れただけでこぼれない。まるでもう水じゃなくてゼリーみたいに。表面がプルプルと揺れている。
5人で顔を見合わせる。
離れた所に立ってじっとこちらを見ていたヤグチもやって来た。
「じゃあ、よろしく」
高森はそう言って自分も水槽の縁を持つ。
高森とそれからヤグチも入れた7人で、せーの、と合図して持ち上げると…水槽が軽い。
本当の、この水槽の重さがどの程度なのかははっきりと分からないが、今私が水槽を持っている力は、洗面器1杯分くらいの水を運ぶ力でしかない。
私だけが手を抜いてんの?
いや、みんな変な顔をしている。
「ほら、みんな。動かすぞ~」と高森が号令をかけた。
水が、ゆらん、ゆらん、と揺れる。そしてそろそろと水槽を運ぶが、水は揺れるだけで決してこぼれない。
みんな変な顔はしているけれど、もっと変だと思って騒いだっていい状況だと思うけど。
私は黒牛ガエルのビイとその卵が固められた、ガラスの皿の上に乗ったゼリーを想像して少し気持ち悪くなる。
ハヅキモエノが嬉しそうに私の目を見て言った。
「なんかさ、すんごい汚いゼリーだよね?かき混ぜたいな。思い切り」
…。
いいよ。いいけど、私が帰った後でやって欲しい。
「先生」ハヅキモエノが高森に言った。これ運び終わったらカエル触らせて下さい」




