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狭間 4

「守ってもらうんならそりゃ、多い方がいいけどな」

 後ろから声がして振り向くと桜井がにこにこと笑っていた。

「早く席につかんと。×付けるよ。もう8分も過ぎてるから」

教室の時計を見ると確かに授業開始の時刻より8分過ぎていたが、いつチャイムが鳴ったのか全くわからなかった。

 教室を見渡すとみんないつの間にか席に着いていた。



「まぁ仕方がないな。今日は山根とヤグチとハヅキは△付けとこう。そうだ、山根?」

「…はい」

自分の席まで戻り立ったまま返事をする。

「さっき山根は放送で呼ばれてたよね?」

「…はい」

「ちゃんと行った?」

「…いえ…行けませんでした」

「あ、そう。じゃあ授業を始めるよ」



「山根」

私が席に着くとまたすぐに抑揚のない声で桜井に呼ばれた。

 もう。本気で呼ばれたくないんだけど。

「…はい」

「山根は何で世界史を取った?」

え…



 席から立とうか迷って座ったまま考える。

 どう答えればいい?世界の歴史の流れを学ぶため?本当は日本史に出てくる歴史上の人物とか場所を漢字で覚えるのが面倒くさそうだったからだ。地理だって覚えられないし。かといって世界史に出てくるカタカナの名前が

覚えやすいわけでもないけれど。ミノリちゃんとサクラちゃんは地理を選択している。ツブツブは日本史だ。

 でもなんでもう授業が始まってるのに、わざわざそんな事をみんなの前で私に聞くんだろう。



「私は何で世界史の先生をやってると思う?」

答えない私に桜井は質問を続ける。

 わかんないよ。

 だから、私に聞くの、止めて欲しい。

 …それは世界の歴史が好きだから、じゃないの?自分が教科の中で世界史が得意だったから、それを仕事にしたんじゃないの?

 が、間髪いれずに桜井は自分で答えを出した。

「なんとなくだ」


 …そうなんだ、と私は思う。他にどうも思えない。

「なんとなく」と桜井はもう一度繰り返した。

「山根」とまた呼ばれる。

「…はい」

返事をしながら嫌な顔をしているのが自分でもわかる。まだ質問が続くのか。

「知ってるか?」

「…」何をだよ?

「ハハ、」と桜井は笑った。「そんなに嫌そうに答えたらいけないよ。

もっと愛想よくしていかんと彼氏ができんぞ山根。なぁヤグチ」

何でヤグチに話を振るんだ?止めて欲しい。クラスの子たちもザワザワ言っている。


「彼氏と言えば」と桜井は面白そうに話を続ける。「昨日そう言えばオオツブと…」

「先生!!」私は慌てて桜井の話を遮った。

「すみません、先生話を戻して下さい!」

「ああ…え~とな…何を言おうとしてたか…あ、そうそう、『世界は絶えず流れ続ける大きな河で囲まれている』っていう言葉を知っているか?」

「知りません」

「ほう」



 私への質問はそれきりだった。桜井は前回の授業の続き、パクスロマーナが過ぎた、混沌とした暗い雲に覆われるローマ時代の終わりを、相変わらずの淡々とした口調で説明しはじめ、普通の授業に戻った安心感で私は桜井の話を聞き流していた。

 皇帝の名前もその頃のローマの周りの国々の名前も全く一つも頭に入らない。耳から入って来てはいても全部脳みそを素通りして、教室の天井に消えて行く感じだ。

 そしてまた、ヤグチの唇が当たった自分の唇が物凄く気になってきていた。



「…まね?」

脳みそを素通りしたその呼びかけは、もう一度桜井が口にした時にははっきりと私の頭の中に残った。

「山根?」

「はい!」ガタッと椅子から慌てて立ち上がってしまった。

「何がそんなに気になっているんだ?授業中に」

みんながちらちらと私を見る。

「いえ!」と私はさらに慌てる。「すみません大丈夫です」

「ふん?」

「すみません」私はもう一度言って椅子に腰かけた。


「まぁな、世界史なんて言ってもな、私も君らに教えながら、本当の本当はどれだけ事実なのかって思うよ。年号とか、人の名前とか覚えたって、その人が関わった歴史上の重要な事件が、本当の本当はどんな理由でどんな風に起こったかっていう事は、本当のところわからないと私は思うんだよ。確かにね、文献もいろいろ残っていて、確かにその年、その場所で、その事実は起こったのかもしれないけど私は実際の所、何も信じてはいないんだよ」

すこし教室の中がざわっとして顔を見合わせたりする子たちもいる。

桜井は続ける。「私は自分がこの目で見た事しか信じない。いや、この目で見た事だって信じられない事はたくさんある。よね?山根?」

「…」

…私?

「山根?」

「はい」

「そう思わない?」

「…思います」

桜井はニッコリと笑った。


「私のLINE仲間の先生たちもな、よくそんな事を言ってる」

マジで。桜井、LINEやってるのか…女子高生の私がやっていないのにか?

まぁやってない方が少ないんだけど。

 何度かサクラちゃんとミノリちゃんが誘ってくれたけど、何か面倒くさくてやった事がない。

 普通のメールでさえ返すの下手なのに。私はツブツブに返したメールを思い出して自分でがっかりしてしまう。

 もっと可愛くできたはずなのに。

 もっと次につながる事が書けたはずなのに。


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