ツブツブ
足元のコンクリートの階段がぐにゃっ、と一瞬マシュマロのように弾力のあるものに感じた。
私はまた手すりを掴む。
「おおぉ!」と桜井が言うので見ると、階段の下をうちのクラスの男子が通りかかった。
オオツブライ・ユウリだ。
フルネームで覚えている男子。うちのクラスで一番珍しい名前だし、そもそも同中なので前から名字だけは知っていた。
彼は中2の時転校してきたが、名字の珍しさと、本人がまあまあ恰好良かったので、またたく間に名前が学年中に伝わったのだ。彼は男子にはオオツブと呼ばれ、一部のキャピ女子には、ツブツブとかライライとか呼ばれている。
私は何とも呼んでいない。喋った事はあるがそれは何かの伝達事項で、まともに話をした事はなかった。
「はい」とこちらを向いたオオツブライが答えた。
「今ちょっと山根に頼んだ仕事があって、今終わったとこだったんだけど、なんか山根が気分が悪くなってきたみたいなんだよね」
そう言って桜井はオオツブライに帰る方向を聞いた。
私と同じ方向だ。だって同中だし。
「じゃあ山根を送っていってくれないか?送ると言っても家の近くまででいいんだけど、ちゃんと帰りつくように見届けて欲しいだけだから。別に手とか繋がなくていいからね」
桜井はにこやかにオオツブライに頼む。
ははは、とオオツブライはお約束でちょっと笑ったが私は笑えない。
「先生、大丈夫です」
私は気持ち悪いのを我慢して出来るだけ真っ直ぐに立って言った。「一人でも大丈夫です。ゆっくり帰りますから」
「いや」桜井がいつになくきっぱりとした感じで言う。「何かあったら私は責任を取れんよ。ただの教師なんだから」
マジで笑えないから桜井。
もしかして…私がこのふらふらしてるのって、高森に渡されたお茶が原因じゃないだろうか。
私は胃の辺りをさすりながら考える。あの、高森がどこからともなく出して来た変な味のお茶。
「じゃあ頼んだよ」桜井がオオツブライに言う。
「あ~え~と…、まぁいいですけど」
そりゃあオオツブライも困るよね。まともに喋った事もない地味な女子をいきなり任されたら。
けれど本当に大丈夫だと言う私を、桜井は無理にオオツブライに押し付けると、自分だけ渡り廊下を渡ってさっさと職員室の方へ行ってしまった。
残された私達は気まずい。
「…あの、いいよオオツブライ君」と私は言った。「ごめんね、先生が勝手に。でも私大丈夫だから先に帰って」
「ん~…そういうわけにも行かないよ。頼まれちゃったもん。山根、歩ける?」
あ、オオツブライは私の名前を把握してくれてる。「歩けるよ。なんか…桜井先生に仕事頼まれて、で、一緒にいた高森先生がお茶くれたんだけど、それ飲んでからなんかちょっと…」
「マジで!」と言ってオオツブライ…面倒臭いから私もツブツブって心の中では呼ぼう。
ツブツブはちょっと笑いながら言った。「何かあいつ妖しい時あるよね?たまに。何て言うかさ…男の魔法使いみたいな感じ?」
じゃあ私が飲んだお茶は『結局は言う事を聞いちゃうお茶』っていう魔法のお茶だったのかも…
…いや、何思ってんだ私。あんなファンタジー臭い話をされたからって、
高森からもらったお茶にまでそんな名前を付けるなんて。乙女過ぎるし、自分の陥っている変な状況を、結構すんなりと受け入れようとしてないか?
もう一度大丈夫だと断ったが、ツブツブは一緒に帰る事に決めてくれたらしい。
結構律儀な人なんだな。先生に頼まれたからって、本人がいいって言ってるんだから気にしないで帰ればいいのに。
「かばん持ってあげようか?」
ツブツブはなお親切な事にそう言ってくれた。
いえ、とんでもないです。一緒に帰ってもらうのも申し訳ないのに。知ってる男子に私と一緒に帰っているところを見られたら、ツブツブは嫌じゃないのかな。
「じゃあゆっくり帰ろう。しんどくなったら言ってよ」
ツブツブはあくまで親切だ。
「ありがとう」と私はもちろんお礼を言った。
学校の近くのバス停でバスを待つ。
下校時間を過ぎているのでバス停には私達の他に誰もいない。
「桜井に何頼まれたの?」
「え…っと…プリント…プリントの整理」
「今日って山根日直だった?」
「いや違うんだけど…」
「日直でもないのに手伝わされたんだ?」
「ん~…出席番号が一番最後だったからだって」
「そういうチョイスか」ツブツブは笑ったがすぐに言ってくれた。「ごめん、オレ普通に話しかけてるけどしゃべるとしんどい?バス乗っちゃって大丈夫かな」
大丈夫、と私は答える。「ありがと。外に出たら良くなってきたよ」




