一人目?
バスの中もガラガラだった。
乗客は私達の他は5人。ガラガラだったし、すぐ隣に座るなんて恥ずかしいので私達は通路を挟んで隣り合って座った。
もしかして、と思って聞いてみる。
「オオツブライ君て去年ももしかして桜井先生が担任?」
「そうそう」ツブツブは言った。
「2組だった。桜井2年目だよ」
去年も桜井のクラスだったのか…
…これって…今ツブツブと喋ってるこれって、もしかして早くも桜井が言ってた『クラスの全員が話をしにくる』の一人目って事?
いや、ツブツブは話を「しに来てる」わけじゃない。桜井に半ば無理矢理送っていけって言われて、優しいから気まずくならないように世間話をしてくれてるだけだ。
「ごめんね」と私はまたツブツブに言う。「たまたまあそこを通りかかったばっかりに。先生に言われたからって、用事あります、とか言って逃げちゃえばよかったのに」
「あ~まぁ今日は別に用事なかったし、さすがに女子送れって言われて逃げたらかっこ悪いじゃん」
「そっか。なんか、なおの事ごめん」
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。もう謝らないでよ」
ダメだな。普段あんまりしゃべらないから話が続かない。
非常に申し訳ないなオオツブライ君。気まずい気持ちにならなきゃいいけど。
「山根は部活入ってないの?」
優しいツブツブが話題を振ってくれる。
「入ってないよ。運動神経すごく悪いから。オオツブライ君は?」
「入ってないよ。運動好きだけど。毎日練習があるのとか嫌なんだよね。早く家に帰りたい日だってあるじゃん。…ねぇ『オオツブライ君』て言いにくくない?」
言いにくいけど私は今日初めてこんなにしゃべったから、キャピ女子みたいにツブツブとかライライとか気安く呼べない。
今は心の中ではツブツブって呼んでるけど。
「珍しい名前だよね」と私は答えにならない返事をする。
「あんま本当は嫌なんだよね。名字で呼ばれんの」
そうなのか、知らなかった。
「それに、これ秘密なんだけど…」
ツブツブがいたずらっぽく少し笑いながら言った。「女子にツブツブとかライライとか呼んでくるやついるけど本当は嫌なんだよね。たいして親しくもないのに、うわべだけ親しげにしてくる女子に限ってそんな感じだし。でも下手に嫌がって反感買ったら鬱陶しい事になりそうだし」
そうなんだ!心の中でさっきからずっと呼んじゃってたよ。ごめんツブツブ。たいして親しくもないのに。しかも1回呼び始めたらなかなか変えにくい…
「でもユウリくん、て呼んでる人いないよね?」
「そうだね。姉ちゃんは呼んでるかな」
「ハハハ、それはお姉ちゃんだからでしょ?あ、でもお姉ちゃんいるんだ。いいな。お姉さん何歳?」
「20。山根は?兄弟いないの?」
「いないよ。ちょっと寂しいよ」
「そっかそっか」
「オオツブライくんのお姉さん、綺麗そうだね」
「え~どうかな」
私はツブツブのお姉さんを想像する。
「呼んでみる?」とツブツブが言った。
「へ?」
「山根が下の名前で呼んでくれたらだんだん広がってさ、そのうちみんな名前で呼んでくれないかな」
私に『ユウリくん』て呼べって言ってんのか?
そこで気付いた。
私を好きな人がクラスに2,3人て桜井が言っていた。
一人はツブツブ?さっそくそんな展開なのか?いや、「ユウリくんて呼んで」なんてちょっとした冗談か、ツブツブは人が良いから、本気でみんなに下の名前で呼んで欲しいと思って私に頼んでいるんだろう。
どっちかな、冗談の方が強いような気がするけど。
でも、どっちにしろ名前で呼ぶなんて無理だな。恥ずかしいもん。ちゃんと喋ったのだって今が初めてなのに。
ごまかすように私は言った。「『ユウリくん』てかっこいい名前だよね」
「そう?ありがと。結構好きなんだよね自分の名前」
素直なんだなツブツブ。
何をしゃべっても普通に素直な感じに聞こえる。きっと心の奥のところが綺麗なんだろう。
6つ目の停留所で2人とも降りて歩く。だんだん家に近付いて来た。
「この辺でいいよ」と私は言う。「ありがとう。何か本当にごめんね」
「もう~謝んなくていいって言ったじゃん。ちゃんと山根の家のそばまで行くよ」
「いいよいいよ。全然気分良くなってきたし」
「オレさ、実は女の子と2人で帰るのってはじめてだったんだけど」
「私だって男の子と2人は初めてだよ。ちょっと恥ずかしいよね…なんか…
それならなおさらゴメン。私なんかで」
ハハハ、とツブツブは笑った。「何言ってんの」
「それでももう、桜井先生無茶言うよね?急に送れって言うのもそうだけど
私だって急に呼びだされたと思ったら…」
ふん?とツブツブが、なんだ?と言う顔をする。
ヤバい。ツブツブが普通にしゃべってくれるから桜井に頼まれた事を普通にしゃべりそうになった。
口止めされたわけではなかったけれど、誰かに話したら命無くす的な展開になったりして…
それより誰に話してもきっと苦笑される。頭がおかしくなったんだと思われるだけだ。私が桜井の事を頭おかしいと思ったように。
いくら素直で優しいツブツブでも、それを聞いたとたんに、私なんか送らなきゃ良かったと後悔し始めるだろう。
「でもオレ、桜井結構好きなんだよね」ツブツブが言った。「なんか、…仙人みたいな感じだよね」
私だって好きだったよ、さっきの話を聞くまでは。…本当に仙人かもしれないよ?本人は神様だってうそぶいてたけど。
ツブツブは言う。「桜井に頼まれた事だし、ちゃんと送るよ」
どうしよう…こんなに言ってくれてるのに、ここでさらに断ったら人の良いツブツブも、ちょっとムッとするかもしれない。
「ありがとう」少し恥ずかしいので足元を見ながら言うと、ツブツブはニッコリ笑って言ってくれた。「どういたしまして」
じゃあ気をつけてと、結局家のすぐ手前の角のところまで一緒に来てくれたツブツブが、「門入るまでは見とくから、一応」と言って手まで振ってくれた。
嬉しかったな。
桜井ありがとう。ツブツブに頼んでくれて。だからと言って桜井に言われた仕事を、すんなり受け入れられるわけじゃないけど。
自分の部屋に入ると制服を脱ぎ棄てて、下着のままベッドに倒れ込んで
放課後の事を思い返して見る。
桜井はいったい何者なんだ?
神様だよ、とか悪い冗談を言って笑ってた。
最低だな桜井。罰が当たるぞ教師のくせに。
思い出して私は、脱ぎ捨てた制服のポケットから高森にもらったクラスの名簿をガサガサと広げて見た。高森も何者なんだ?そしてあのお茶。絶対に『何か』が混ざってた。生徒に一服盛るとかあり得ない。教師のくせに。
ツブツブとの会話を一通り思い出してみる。
思い返すとやっぱりツブツブはいい人なんだと確信する。あの時あそこを通ったのがツブツブで良かった。
そしてたぶんツブツブは一人目だったのだ。桜井の言ってた、クラス全員が「話をしにくる」ってこういう事なんだよね?
そうでもないと、ほとんど喋った事もなかったツブツブが、あんなに私と普通にいろいろ喋ってくれるなんてあり得ない。
ツブツブ、名前で呼ばれたいって言ってたな。なんか可愛い。
キャピ女子にツブツブとかライライとか呼ばれるのも本当は嫌なんだってカミングアウトしてた。それで余計好感が持てたかも。
「話をしにくる」って設定がなかったらそんな事わざわざ、ほとんど喋った事がなかった私には言わないはずだ。こんなコミュニケーション能力の低い女子に。




