姉妹
静香ちゃんを日本に連れていく話は、驚くほどすんなり通った。
正直、もっと揉めると思っていた。
国籍だの、身分だの、警備だの、外交問題だの。
でも、お父さん――藤堂直樹が、かなり前から根回ししていたらしい。
表向きは「駐日大使館の臨時職員」という扱いにするのだと、村田さんが教えてくれた。
外交官補助、文化交流要員、そんな名目だったと思う。
実際には、ほとんど「絶対に死なせるな」という国家任務だったのだろうけど。
妊娠三十週。
切迫の兆候はないけれど、私は半ば強引に入院させた。
病室に空きがあったのも幸運だった。
静香ちゃんは最初、
「え、一人で使うんですか」
と妙な遠慮をしていた。
個室慣れしているはずなのに変だなと思ったけど、後から理由がわかった。
邪馬台国の名家女性は、常に誰かに囲まれている。
侍女、介助役、警備、親族。
一人きりで静かに過ごす空間そのものに慣れていないのだ。
彼女は、とても賢かった。
本を読むのが異様に速い。
しかも、ただ速いだけじゃない。
内容をきちんと理解している。
一度説明したことをほとんど忘れない。
医療知識にも強い興味を示した。
近代的な衛生管理。
抗生物質。
分娩監視。
産後出血への対応。
新生児管理。
黄疸。
感染症。
母乳管理。
NICU。
片っ端から質問された。
「どうして産後熱が出るんですか」
「帝王切開の死亡率は?」
「どうしてこんなに輸血があるんですか」
質問がいちいち鋭い。
たぶん、彼女たちは「出産で死ぬ」が近すぎる世界で生きている。
だから、知識への執着が強い。
自分でエコーを当てた時なんて、本当に子供みたいだった。
「あっ、動いた!」
「先生、これ頭ですか?」
「うわ、すごい……本当にいる……」
普通の妊婦さんでも感動する場面だけど、静香ちゃんの場合は意味が違った。
邪馬台国では、生まれる前に性別がわかる技術がない。
だから男児だとわかった瞬間、彼女はしばらく黙っていた。
それから、小さな声で言った。
「……お父さん、絶対泣く」
私もちょっと泣きそうになった。
あと、意外と食いしん坊だった。
妊婦だから当然ではあるけど、本当によく食べる。
病院食を完食した上で、
「りんご食べてもいいですか」
「ヨーグルト追加できますか」
「そのゼリー美味しそうですね」
と聞いてくる。
甘いものを見ると目が輝く。
干し柿を渡したら本当に幸せそうな顔をした。
たぶん、血なのだろう。
それから、彼女は「産後ダイエット不要組」だった。
妊婦とは思えない体型だった。
顔は小さい。脚が長い。筋肉の付き方まで綺麗。
痩せる努力?たぶん要らない種族だ。
ただし、生活能力は壊滅的だった。
料理は出来ない。
リンゴの皮も剥けない。
洗濯機も怪しい。
一時間放置すると病室が散らかる。
本、毛布、お菓子、筆記具、全部ベッドの上に積み始める。
「静香ちゃん、片付けて」
「あとでやります」
「今」
「はい……」
完全に子供。
おそらく、名家の子育てでは生活技能を学ぶ機会がほとんどないのだろう。
そもそも、常に誰かが世話をする社会だ。
お手伝いさんも当然のように帯同してきていた。
二十代後半くらいの、柔らかい雰囲気の女性。
近くのビジネスホテルから毎日通っている。
さらに警備員。
双子の鬼女さん。
背が高い。
綺麗。
無表情。
怖い。
病院スタッフがみんな微妙に距離を取っていた。
でも静香ちゃんは普通に、
「お姉ちゃん、お茶」
とか頼んでいる。
たぶん幼少期から一緒なのだろう。
出産は三十六週。
もちろん、母子ともに健康。
この「もちろん」が、邪馬台国では全然もちろんじゃないことを、私はもう知っている。
陣痛が始まった瞬間、村田さんが飛んできた。
本当に飛んできた。
電話して二十分で病院にいた。
どこで待機してたんだろう、あの人。
たぶん大阪府内のどこかに常駐していた。
静香ちゃんは、出産中も意外と落ち着いていた。
叫ばない。
暴れない。
呼吸も乱れない。
痛みに耐えるのに慣れすぎている感じがして、少し怖かった。
赤ちゃんは予定通り男の子だった。
それから、静香ちゃんの紹介で友達が次々にきた。
忙しくなったけど、転移後、妊娠数が減っていたので病院経営上はありがたかった。
当然、全員母子ともに無事だ。日本だったら当たり前。
1500gの未熟児も生まれたが、もちろん死なせてない。
お母さんは、奇跡っていいながら保育器の前にずっといる。
静香ちゃんとお友達が、こんな病院を邪馬台国にも作ろうって話していた。
是非作りなさい。
静香ちゃんとは、2か月間、一緒に過ごした。
いっぱい話をした。
本当に仲良くなった。
静香ちゃんは甘え上手だ。
三十代半ば、四人の子持ちとは思えないくらい幼い。
たぶん、名家女性は自分が甘える経験が少ないのかもしれない。
夜になると、よくお父さんの話をした。
遊園地。
家族旅行。
外食。
肩もみ。
お母さんとの喧嘩。
コンビニスイーツ。
どれも、静香ちゃんにとっては異世界みたいな話だった。
「私も行ってみたかった」
そう言う時の顔が、本当に子供みたいだった。
邪馬台国へ帰る前に、一緒に、ひらぱーへ行った。
ユー・エス・ジェイじゃない。
ひらぱー。
そこが大事。
ジェットコースター。
観覧車。
お化け屋敷。
ソフトクリーム。
お土産屋。
閉園前まで遊んだ。
静香ちゃん、観覧車でずっと窓の外見てた。
「日本の女の子って、こんな感じなんですね」
って、小さく呟いていた。
まるで本当の姉妹みたいだった。
だから、親子と言ったそこの学生は許さん。
その日の夜、もう一人の父、藤堂直樹が亡くなったと連絡が入った。




