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 第八章 黄金の水


 困った……


 本当に、困った。


 ものすごく、困った。


 何がそんなに困ってるのかというと。 


 雨が降らない。


 山は街より雨が多いと思っていた。


「山の天気は変わりやすい」と言うように、しょっちゅう降るものだと。


 今年は違った。


 例外中の例外。


 私が住んでいる地域だけではない。


 日本中が雨不足に悩まされている。


 当然私の畑も水不足だ。


 田舎に引っ越してきた理由の一つは、生活費の節約。


 今はニート。収入ゼロ。支出ばかり。貯蓄に余裕があるわけでもない。ギリギリの生活。


 私が住んでる家には、シンクに蛇口が二つある。


 一つは当然水道水。


 もう一つは…… 山水だ!


 山にある沢の水が、蛇口から直接出てくる。


 私の家だけではない。


 この地区の各家庭に、山水の出る蛇口がある。


 水の豊かな田舎にはよくある。


 祖父母の家にもあった。


 内見に来た時に気づいて、心でガッツポーズ。


 水道代が大幅に浮く。


 無償。無料。ただ。


 ウヒッ。


 いざ住み始めて、その蛇口をひねった。


 出ない。


 閉めて、また開けた。


 出ない。

 

 蛇口にビンタ。


 それでも、山水は出ない。


 次は往復ビンタを。


 ……いや。


 どこかに元栓でもあるのだろうか。


 外に出て、パイプを辿った。


 地面の中に入っている。


 辿れない。


 元栓を求めて、辺りを探す。


 ない。


 大家さんに電話した。繋がらない。


 高齢のため、電話にはめったに出てくれない。


 なんとなく、うやむやになって日は過ぎた。


 そして、初めての水道代の請求が来た。


 金額を見て、思わずのけぞった。


 街に住んでいた時よりも高い。


 田舎は水が安い。私の中の神話が崩れた。


 でも、どうして? 


 こんなに使った覚えがない。


 請求書を隅々まで見て、理由がわかった。


 下水道代がべらぼうに高い。


 そうか。


 人口が少ないからだ。


 肩を落とした。


 山水の蛇口を見つめる。


 ジオングの足みたいに、ただの飾りの蛇口を。


 自然農法の畑。


 本来なら水やりなんて必要はない。


 天の恵みである雨任せ。

 

 でも、降らない。


 外に飛び出した。


 山水を引いているホースを探しに。


 山裾に、何十本も束ねてあった。


 私の家のはどれだろうか。


 方角を確認しながら、一本ずつ辿る。 


 見つけた!


 これに違いない。


 だって、ぷっつり途切れている。


 そりゃ出ないわ。


 そもそも繋がってすらいない。


 遠方に住んでいる大家さんに電話。


 奇跡的に出てくれた。


 親戚に頼んで、ホースを繋げてくれるらしい。


 やった!


 妄想が膨らむ。


 この辺の山水、綺麗でそのまま飲める。


 ご飯、絶対美味しく炊ける。いつもの紅茶、それにハーブティも。


 お風呂に使ったら、お肌つるつるになるかも。


 畑の水不足も、高級な水道代も解決!


 ミネラルウォーターが蛇口から。


 なんという贅沢。


 最高。


 浮かれていた。


 数日後。


 断られた。


 ……は?


 がくっと膝から崩れ落ちた。


 渇水で、新しく回す余裕がない。


 それだけじゃなかった。


「権利がないんだって。ごめんね」


 大家さんが申し訳なさそうに言った。


 権利?


 お金なら、払うつもりでいた。


「そうじゃなくて……」


 ああ、そういうことか。


 ここに一年しかいないことは伝えていない。


 つまり、移住者には、山水を使う権利がない。


 昔からここに住んでいる人だけのもの。


 ぼんやりと、畑を見つめた。


 水不足で変色した葉っぱ。


 くたくたと横たわる野菜たち。


 水道水を使うしかないのか。


 いや、待って。


 自然農法に、カルキ入りの水道水は厳禁。


 地中のバクテリアが、死んでしまうかもしれない。


 一度バケツに汲んで、一日置いてカルキを飛ばす。


 それから水やり。


 そこそこ広い畑。


 大変な作業。


 でも、仕方ない。


 ホースでバケツに水を入れながら、ぼんやり眺める。


 ゆっくりと溜まっていく。


 待ってる間に、ふと思った。


 この水は、畑にまくだけだ。


 下水には流れない。


 それなら、下水道代まけてくれないかな。


 ……無理か。


 そんな理屈、通るわけない。


 ため息をついて、思い出す。


 畑を始めた時のこと。


 色々買い込んだ。


 ヤッケ、長靴、剣スコップにホース。


 猪八戒の武器みたいな形のレーキ。


 一輪車まで買った。


 あれこれ揃えるのが楽しかった。

 

 でも今は、重苦しい。


 望んでいたことだったのに。


 山水の里で、水で苦労。


 なにそれ?


 わらえない。


 気晴らしに、散歩に出た。


 空気が美味しい。


 森の色彩。小鳥のさえずり。


 そして、山の間から覗く、茜色の夕日。

 

 目を閉じた。


 ストレスが、ゆっくりと溶けていく。


 深呼吸。

 

 もう一度、夕日を見つめた。


 綺麗。


 まだそう感じられる余裕がある。


 うん、帰ろう。


 少しだけ、心が軽くなった。


 

 次の日。


 一晩置いた水を、ジョウロで畑へ。


 ああ、やっぱり。


 最初から分かってた。


 全然足りない。


 こんな量じゃ、焼け石に水だ。


 水道代を考えたら、野菜買った方が安い。


 いや、違う。


 そんな計算のために、畑やってるんじゃない。


 途方に暮れた。


 その時、ふと思い出した。


 あの廃神社。


 みーちゃんに案内された、あの場所。


 裏山に入ってすぐ、用水路があった。


 垂れ流しの飲めない水だけど、畑にやるには十分だ。


 地区の人たちが使ってる山水とは別物。


 でも、もしかしたら。


 あの水にも、権利があるかもしれない。


 確認しよう。

 

 役場に電話して、事情を話した。

 

 垂れ流しの水だけど、やはり権利があるらしい。


 組合に問い合わせてくれるという。


 右も左もわからない新参者には、ものすごく助かる。


「使用料は払います」


 そう伝えた。


 いくらかは分からない。


 でも、水道代よりは安いはずだ。


 きっと。


 電話を待っている間。


 最近ネットで目にした、移民問題が頭に浮かんだ。


 海外から来た人たちが、日本で暮らす権利。働く権利。


 反対する人も多い。


「仕事を奪う」「文化が壊れる」「治安の悪化」


 そんな声をよく聞く。


 でも、私はどうだろう。


 日本人で、同じ日本の中で引っ越してきただけ。


 それでも、山水を使う権利がない。


 移住者だから。


 よそ者だから。


 以前の私なら、偏った意見を持っていたかもしれない。


 でも今は。


 受け入れる側の不安も、受け入れられない側の悲しみも。


 両方の気持ちが、少しだけ分かる気がした。

 

 16時ごろ、電話が鳴った。


 役場からだった。


「畑に使う程度なら、どうぞ使ってください」


 え?


「使用料もいりませんっておっしゃってました」


 本当に?


 捨てる神あれば、拾う神あり。


 ありがたい。


 権利で縛る人もいれば、助けてくれる人もいる。


 胸が熱くなった。


 組合の電話番号を教えてもらって、直接電話した。


「本当にありがとうございます」


 心から言った。


 けれど、問題はまだ一つ。


 離れた用水路から、どうやって畑に水を運ぶか。

 

 用水路には降りられない。


 狭い溝だけど、落ちたら這い上がるのに苦労する深さ。


 けど、水は浅い。


 足場が悪い。


 転んだら、大怪我。


 しゃれにならない。


 直接汲むのは無理だ。


 それに、バケツで運ぶのも大変すぎる。


 考えた。


 ホームセンターで、ホースとジョイントを買ってきた。


 以前買っておいたホースと新しいホースを繋げた。


 幸い、畑は用水路より低い位置にある。


 ホースの先に石を縛り付けた。


 浮かないように。用水路に沈めた。


 これで水が流れてくるはず。


 じっと待った。


 こない。出てこない。


 待ちぼうけ。


 ふられた気分。


 なぜ?


 もう一度考えた。


 そうか。


 ホースは一度、用水路の壁を登る。


 そこからしばらく平坦に伸びて、畑へ下っていく。


 おそらく、最初の壁を水が登らない。


 ホースを引き上げた。


 家まで連れて帰って、水道水を流した。


 反対側の先端を塞いで、水を止める。


 ホースの中は、水道水でパンパン。


 お、重い……

 

 予想以上。


 綱引きのように、一生懸命引きずった。


 右に、左に、上に。


 まるで、ホースと格闘してるみたい。


 誰かに見られてたら恥ずかしい。


 登り道は、肩にかけた。


 十字架でも背負っている気分。

 

 もう一度、用水路に沈めた。


 ダッシュで戻って、詰め物を外した。


 ホースの中の水道水が流れてくる。


 当然だ。


 水道水は、畑に流さない。

 

 バケツで受ける。


 途切れない。


 ずっと出続けてる。


 つまり、今は用水路の水だ。


 サイフォンの原理。


 呼び水で成功。


 やった!


 ホースを畑に置いた。


 水が地面を這っていく。


 まるで、地図を描くように。


 乾いた土が、喉を潤すように水を飲み干してゆく。


 夕日が、その光景を金色に染めた。


 土と水と光が、ひとつになる。


 立ち尽くして、言葉が出なかった。


 とても、美しかった。


 捨てられて、拾われて。


 ちゃんとできた。


 そして。


 ちゃんと、生きてる。  


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