帰還報告
翌日、約束の時間に皇宮に向かったら、会議室ではなく皇帝陛下だけが使用出来る広い客間に通された。
ここに来るのは初めてじゃないけど、何回来ても圧倒されてしまう。
豪華なのはもちろんなんだけどそれだけじゃなくて、職人達が皇族のために全力で作り上げた芸術作品の放つ存在感がすごいのよ。
博物館にガラスケースに入れられて、温度も湿度も最良な状態で展示されそうな歴史ある家具の中でお茶をする緊張感たらないわよ。
間違えてソファーにシミでもつけたらどうしようって、いつも体中に力が入って、ベリサリオに戻ってからぐったり疲れてしまう部屋だ。
「慣れない船旅や転移での移動で疲れただろう。今日はゆっくりするといい」
お父様やヨハネス姉弟が帰国していないので、後日改めて会議はするんだって。
だったら来なくていいって言ってくれればよかったのに。
だって変じゃない?
その場にいるのは陛下とお兄様ふたりと、モニカにパティにスザンナにエルダよ? ほぼ身内よ。
ジュードがいつの間にかエルダと婚約して、しっかり隣に座っているのには少し驚いた。
そういえば皇宮に着いてからいろんな人とすれ違って挨拶したけど、みんなえらい丁寧な対応だったな。
何かあったのかと訝しんでいたら、隣の席に座ったスザンナがそっと教えてくれた。
シュタルクに行っているせいでお父様が出席出来なかった週末の定例会議で、妖精姫は他国のことばかり気にしているのではないか。もっと帝国のために動くべきなのだから、彼女の行動は国で管理するべきなのではないかって意見が出て揉めたんですって。
やっぱり他国に嫁ぐのはどうなんだなんて、今更蒸し返す人までいたんだそうよ。
いつになってもどこの国でも、こういう人達はいなくならないのね。
そしたら突然琥珀が現れて、
『あなた達は私達精霊王がディアの後ろ盾になっているということを忘れているようね。確かに今は私達と人間は良好な関係を築いているけど、それは一部の人間の努力とディアの存在のおかげだということを肝に銘じなさい。あの子を悲しませたら、帝国にいくつも大きな砂漠が出来るわよ』
帝国は精霊王と親しくしているから、他所の国のようにはならないなんて甘いことを考えるなよと、陛下の座る椅子の背凭れに肘をついて、冷たい視線で会議に出席していた貴族達を見下ろしたらしい。
その時に陛下とクリスお兄様にも、たとえあなた達でも許さない時もあるからねと、ふたりだけに聞こえる声で伝えたそうなの。
それってカミルの話していた、私の娘を陛下の子供と結婚させよう計画のことなんじゃないの?
しっかり釘を刺してくれるなんて、琥珀先生はさすがだわ。
会議の話題はすぐに私の耳に入るでしょ?
発言した人や同意した人達が私の帰国にびくびくしていたところに、夕べ伝令が皇宮に来て、私がシュタルク王宮を破壊したことを伝えたから、中には慌てて領地に逃げ帰った人もいるみたいなの。
妖精姫が本気で怒ったらマジでやばいという認識が、改めて帝国内に広まりつつあるのね。
というか、いい加減学習してほしいわ。
それでブレインや高位貴族のオジサマ達が会うより、まずは身内が会って、私の様子を確認しようって話になったんですって。
「ブレインやおまえをよく知る高位貴族は、無事な姿を早く見たいと言ってはいたんだ。会議でくだらない発言をしたやつらなんて放置でいいしな。だがつい忘れがちになるが、おまえはまだ成人していない御令嬢だからな。保護者が揃っていないのに会議の席に引っ張り出すのはどうかと思ってな」
陛下としても、このメンバーなら気を遣わずに私と話せるから、いい機会ではあったんだって。
シュタルクの惨状を見た後だから、お友達に会えてほっと心が休まって、私としてもありがたい。
私が皇宮に来た目的は、船内でのことやカーラとハミルトンの活躍をしっかりと報告することと、カミルと一緒にペンデルスに行くという話をすることだ。
生き残るためとはいえ、精霊と共存することでオアシスを守っている人達の様子を見てみたいじゃない。
「目立つといけないので、姿を見えないようにして精霊王に連れて行ってもらおうって思ってます」
カーラやハミルトンが意外なほどに逞しかった話や、避難している人達の回復のために残ったという話はみんな感心して聞いていたのに、ペンデルスに行く話になった途端、微妙に部屋の中の雰囲気が変わった。
もうニコデムスとは縁を切っていても、ペンデルスに対する嫌な感情があるのかな。
「ディアばかりずるいじゃない。私も行きたい!」
エルダはそう言うかもしれないなと思っていたわよ。
「あなたには頼みたいことがあるのよ」
「なに?」
「ペンデルス語の精霊育成マニュアル作成よ。出来上がったら外交官と一緒に届けに行ってほしいの。他のいつもの協力者の人達も、一緒に行ってもいいんじゃないかしら」
「やる! 喜んで至急作成するわ!」
「待て。なぜエルダが行く必要がある」
「あなたも一緒に行けばいいじゃない」
「……なるほど。それならまあ……」
いっしょに行けるならジュードも文句はないのか。
「ディア、御令嬢達が行く必要があるのか?」
クリスお兄様に聞かれて顔を向けたら、隣にいる陛下が不満げに頬杖をついて睨んでいるのが見えた。
勝手に話を進めちゃ駄目だったかな?
「ベジャイア経由で育成マニュアルがペンデルスに流れた時に、私が作成したという話が伝わって、ペンデルスでも妖精姫の名前が特別な意味を持つようになっているんだそうです。ですので、マニュアルは御令嬢方が制作したんだという話を広めたいんです」
「そういうことか。……それにペンデルスに詳しい人材を作る必要はあるな。今のままではベジャイアの影響ばかりが大きくなってしまう」
地理的にペンデルスは隣国がベジャイアしかいないからね。
でも転移魔法があるんだから、距離なんて関係ないじゃない。
魔力が枯れているせいで、ペンデルスの砂漠には今は魔獣がいないらしいけど、将来的には新しい素材が手に入るかもしれないわよ。
「ディア、行く時は僕が非番の日にしてくれよ。僕も行きたい」
アランお兄様までエルダみたいなことを言うの?
「私だって行きたいわ」
「パティ?」
「だって……ディアはルフタネンにもベジャイアにもシュタルクにまで行ったのよ。でも私は帝国の外には行ったことがないんですもの」
「一緒に行こう」
「本当?」
アランお兄様が誘った途端に、パティの表情がぱっと輝いた。
あれ? もしかして。
「みんな行きたい……とか?」
きょろきょろと見回したら、女性陣には期待を込めた眼差しで見つめられ、男性陣はきまり悪そうな顔をしていたけど誰も否定しなかった。
それで陛下が不満な顔をしていたのか。
皇帝はそう簡単には出かけられないもんな。
クリスお兄様はシュタルクにしばらく行くことになるとはいえ、仕事と観光は違うしね。
「じゃあ、みんなで行きましょう。陛下やモニカも」
「は?」
陛下より、警護のために壁際にいた近衛騎士団長のパオロが驚いて声をあげた。
「アランお兄様が一緒だし、精霊王もいるので安心よ。こうしてお茶会をしているという事にしておけば、いくら忙しい陛下でも一時間くらいは時間が取れるでしょう?」
「しかし……」
「乗った。その案で行こう」
「陛下!」
「俺は生まれてから一度も帝国から出たことがないんだぞ。歴史も習慣も違う国に接する機会は必要だ。視野が広くなるとは思わないか?」
「思います!」
パウロに話しているとわかっていても、その言葉には同意せざるを得ないわ。
「外国の状況を自分の目で見る機会があるのなら、絶対に見ておくべきです。帝国に生まれてよかった。今のこの平和な状況を壊さないようにしなくてはと、心の底から思えます。パニアグアに襲撃されたオアシスを再建するために、自分達で精霊を育て始めた彼らの生活を知ることには意味があると思うんです」
それに今後ペンデルスは大きな変化を遂げると思うのよ。
帝国もそこに関わっておくと、将来的にシュタルクやベジャイアと何かあった時に、ペンデルス側からも動けるようになるかもしれないじゃない。
「そんなことまで考えていたのか」
「いえ、今思いつきました」
「……そうだな。そういうやつだったな」
でも、ブレインにまで内緒というわけにはいかないでしょ?
説得する時に使える理由は多い方がいいじゃない。
「そんなことまでおまえが気にするな。それよりペンデルスが精霊と共存する国になり、ベジャイアと接する国境の街が出来たのなら、世界中に散らばっている移民の中には故郷に帰りたいと考える者も出てくるだろう」
「です! ですです!」
「クリス、こいつは何を言っているんだ?」
「おまえの意見に同意しているんだろ。なぜわからないんだ」
ひぇーーーー!
クリスお兄様ってば、皇帝陛下をおまえ呼ばわりしていますわよ!
このふたり、どんだけ立場が変わっても関係が変わらないの?
すごいな。本当に何かあるってことはないわよね。
忘れていたお腐れ様が目を覚ましそうになるからやめてよ。
「故郷に帰るとしても、家財道具を処分して遠い距離を家族を連れて移動するのは大変だ。躊躇する者も出るだろう。だが、ディアがいれば問題解決だ」
「ふむ。空間の向こう側に荷物を運ぶ援助くらいは兵士にさせてもいいな。各国でやれば帝国の印象がだいぶ良くなるんじゃないか?」
「妖精姫の印象が今以上によくなりそうで、それが唯一の問題だ」
「そうだな。ベジャイア国王がすっかりディアの手下のようになっているし、今後はシュタルクの首脳陣もディアには頭があがらないだろうし……うん? 海峡の向こうはすでに手中に収めているようなものじゃないか?」
本人を無視してふたりの世界を作らないでくれないかな。
やりますけどね。
私もそう提案する気ではいたからね。
「だったらペンデルスにあまり恩を売る意味が……」
「陛下。大事なことを忘れています」
「……なんだ?」
「ペンデルスが再興し、オアシスが広がったらどうなると思いますか?」
「どうなるんだ?」
少しは考えろよ……とは言えないので、にっこり笑顔。
「新しい精霊王が誕生するんです」
「ほお」
「なるほど」
タブークが一番新しい国だけど、この国の精霊王はペンデルスから移住した人達だから、新しい精霊王が生まれたのって何百年も前のはずなのよ。
私でさえ孫のように可愛がる精霊王達よ。
新しい精霊王が生まれるって話題を前にしていたし、とても楽しみにしているみたいだし、今のペンデルスのためなら、この人数でも連れて行ってくれるんじゃないかな?
そうだ。フライを寄付しよう。
国境の街とオアシスを行き来しやすくなれば、物資も調達しやすくなるわ。