第1回 A級戦犯という違和感
第1回 A級戦犯という違和感
A級戦犯という言葉に、私は昔から違和感があった。
もちろん、戦争責任そのものを否定したいわけではない。
実際、多くの人が亡くなった。
日本も、中国も、アメリカも、東南アジアも、大きな被害を受けた。
だから、「誰も責任を負わなくていい」とは思わない。
ただ、それでもなお、
A級戦犯という概念には、どこか引っかかるものがある。
特に違和感を覚えるのが、
「平和に対する罪」という言葉だ。
平和に対する罪。
なんというか、抽象的すぎる。
最初に聞いたとき、
私は正直よく分からなかった。
何をした罪なのか。
殺人なのか。
虐待なのか。
略奪なのか。
そういう具体性が見えない。
後になって知ったのだが、
A級戦犯というのは「最も悪い」という意味ではないらしい。
A、B、Cは分類だという。
A級は、
「戦争そのものを計画・開始した責任」
BC級は、
捕虜虐待や民間人殺害など、
より直接的な戦争犯罪。
だが、私の感覚では、
むしろBC級のほうが“普通の犯罪”に見える。
捕虜を虐待した。
民間人を殺害した。
略奪をした。
これは分かる。
やってはいけないことだ。
しかしA級は、
「戦争を始めたこと」が問題になる。
もちろん、
侵略戦争はいけない、
という考え方自体は理解できる。
だが、そこで疑問が出る。
戦争を計画することは、
本当に刑事犯罪なのだろうか。
国家は普通、
戦争計画を持っている。
防衛計画。
動員計画。
補給計画。
持っていなければ、
むしろ危険だ。
では、
どこからが「侵略」で、
どこまでが「防衛」なのか。
ここが非常に曖昧に見える。
しかも、
戦争というものは、
大抵どちら側も「自衛」を主張する。
日本も当時、
経済制裁や石油禁輸の中で、
国家存続への危機感を抱いていた。
一方アメリカ側は、
日本の中国進出を危険視していた。
つまり、
双方に理屈が存在していた。
もちろん、
だから戦争が正当化されるわけではない。
だが、
後から勝者側が、
「こちらは正義」
「そちらは侵略」
と完全に線引きすることに、
私はどうしても違和感を覚える。
さらに引っかかるのは、
A級戦犯の法的構造だ。
BC級は比較的理解しやすい。
捕虜虐待や不法殺害は、
昔から軍法や戦時国際法で問題とされてきた。
だがA級は違う。
「戦争を始めた責任」を、
国家指導者個人へ刑事責任として落とし込んでいる。
しかも、
戦後に作られた裁判で。
ここに、
強い違和感が残る。
私は法律の専門家ではない。
ただ、
少なくとも近代刑法というのは、
「何をしたら犯罪なのか」
「どんな刑罰があるのか」
を事前に定めるものだと思っていた。
しかしA級戦犯は、
どうもその感覚と噛み合わない。
もちろん、
巨大戦争の後だった。
世界中が、
「二度とこんな戦争を起こしてはいけない」
と考えたのも分かる。
だから、
戦争責任を追及しようとしたこと自体は理解できる。
だがそれでも、
「法として成立していたのか」
という疑問だけは、
どうしても消えない。
なお、本稿では天皇責任については扱わない。
極めて誤解を受けやすく、
また論点が大きく変わってしまうためである。
ただ、国家元首として責任が存在しなかったとは私は考えていない。
今回はあくまで、
戦争を実際に運営した実務者と、
当時の国民感覚との違和感について考えてみたかった。




