第19話:ホームセンターの誘惑と、実印(ハンコ)の重み 〜株式会社・天界クラフト設立〜
更新遅くて申し訳ありません!
時間ができたので、続けて更新できたらと思っています!
「……信じられん。なんだこの完璧に規格化された木材は。そしてこの『結束バンド』という狂気の産物! 人間界の『ホームセンター』は、宝の山じゃないか!」
人間界。見渡す限り緑が広がる、とある大自然の山奥。
その奥深くにポツンと建つ、打ち捨てられた巨大な廃工場。そこを新たな拠点とするため、技巧の女神テクネは、麓の町のホームセンターで買い込んだ資材の山に埋もれながら歓喜の声を上げていた。
深海の怪物の骨とレアメタルで作られた究極のナイフを腰に差したツバサは、軽トラックの荷台からセメント袋を下ろしながら汗を拭う。
「テクネさん、神の力で作ったほうが一瞬で工場建つんじゃないすか? なんでわざわざ俺と下界のホームセンターでインパクトドライバーとか買ってきたんですか」
「バカ言っちゃいけないよ、ツバサ! 神の力で無から有を生むのは『作業』さ。でも、人間が知恵を絞って作ったこの『電動工具』の振動! ビスが木材に食い込む時のあの抵抗感! これを味わわずして何が『モノづくり』だい!」
テクネは、煤けたゴーグルを額に押し上げ、買ったばかりの電動丸ノコをうっとりと撫で回した。彼女は神でありながら、人間が不便さを克服するために生み出した「規格品」と「大衆工具」の美しさにすっかり魅了されていた。
「……テクネの言う通りだ。人間界の『制約』が生み出すシステムは、実に興味深い」
工場の片隅に置かれたパイプ椅子。そこで、知恵の神ソフィオスが、純白の法衣の下からヒョウ柄のステテコを覗かせながら、山積みの書類と格闘していた。
「ツバサよ。この『株式会社設立登記申請書』……そして『定款』。実に非効率で、無駄な記述が多い。だが、私が最も感動したのはこれだ」
ソフィオスは、厳かに一つの小さな木の棒――『実印』を掲げた。
「デジタルで一瞬で承認できる時代に、わざわざ木を彫り、朱肉という物理的なインクをつけ、紙に『摩擦と圧力』をかけて己の存在を証明する。……なんと泥臭く、なんと重みのある『認証システム』だ!」
「いや、ソフィオスさん。それ日本のビジネスマンが全員『めんどくせぇ』ってキレてるハンコ文化っすよ……」
「わかっていないな! この『押印』という身体的アクションこそが、デジタル(虚構)にはない『責任の質量』を生むのだ! 見ろ、この美しい印影を!」
ポンッ! と、ソフィオスが力強く書類にハンコを押す。
そこには、神聖な書体で『株式会社 天界クラフト 代表取締役 翼』と刻まれていた。
そう、社長はツバサである。レアメタルとジビエ肉を加工し、実体経済で勝負する前代未聞のベンチャー企業が、今ここに誕生しようとしていた。
「よし! ソフィの書類仕事が終わったなら、次は炉の建設だ! ツバサ、そのレアメタルのナイフで、そこの邪魔な鉄骨をバラしておくれ!」
「了解っす! マジでこのナイフ、鉄骨がバターみたいに切れる……!」
ツバサは、もはや「いいね」の数など微塵も気にしていない、逞しい職人の顔になっていた。
理論のソフィオス、技巧のテクネ、そして労働力(社長)のツバサ。
完璧なトライアングルで、廃工場は瞬く間に「最強のクラフト拠点」へと変貌していく……はずだった。
「皆さん、お疲れ様です! 麓の農家さんから、差し入れの『しし鍋(猪肉)』と、熱々のお茶をいただいてきましたよー!」
全知全能のドジっ子女神・アストラが、満面の笑みで大きなお盆を抱えて工場に入ってきた。
「おお、アストラ! 丁度良かった、休憩に――」
ツバサが振り返った瞬間。
アストラは、平坦なコンクリートの床で、見えない何かに躓いた。
「あわわわわっ!」
お盆が宙を舞う。
熱々のお茶が、ソフィオスが心血を注いで書き上げた「定款」と「登記書類」、さらにはテクネが広げていた「工場の改修設計図」の上に、滝のように降り注いだ。
「あーっ!? 俺の会社設立書類が茶色く染まっていく!!」
ツバサが絶叫する。
「……私の、完璧な計算式が……茶葉の成分で滲んで……」
ソフィオスが膝から崩れ落ちた。
「ご、ごめんなさい! でも皆さん、見てください!」
アストラは全く悪びれず、お茶でビショビショになったテクネの設計図を指差した。
滲んだインクと、お茶のシミ。それが、本来直線的だった工場の設計図を、奇妙で有機的な曲線へと変え、まるで巨大な「森の生き物」のような形に歪めていた。
「……おいおい」
テクネが、そのシミだらけの図面を見て、目を丸くした。
「……美しいじゃないか。直角と直線で構成された人間の規格品に、この予測不能な『流体曲線』を組み合わせる……。これだよ! これこそが、神の技巧と自然のノイズの融合だ!!」
テクネの職人魂に、新たな火がついた。
「ツバサ! ソフィ! 予定変更だ! このお茶のシミの通りに、工場の骨組みを曲げるよ! 前衛的で、最高にイカれたクラフト拠点を創るんだ!」
「えええ!? 鉄骨を曲げる!? いや、書類! 登記書類どうするんすか!」
ツバサがパニックになる横で、ソフィオスもまた、お茶で滲んだハンコの印影(にじんで巨大に見える)を恍惚とした表情で見つめていた。
「……素晴らしい。朱肉が滲み、和紙の繊維と一体化している。これこそが、世界に二つとない真の『オリジナル証明』……。このまま法務局に提出しよう」
「絶対不受理になりますって!!」
ツバサの常識的なツッコミは、モノづくりに狂った神々には届かない。
「さあ、株式会社・天界クラフト、操業開始です! 私もハンマー持ちますね!」
「アストラ! あんたはそこで座って、ただニコニコしておいで!」
大自然の深い森の奥で、お茶のシミから生まれた歪な形の要塞(工場)が、カンカンと甲高い金属音を響かせながら産声を上げた。




