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これまでも、これからも【ユルファシア視点】 2

 アンドロアーズと出会った時のわたくしが真っ先に感じたのは、実のところ恐怖でした。

 彼女が闇の精霊なのはすぐに分かりました。

 そして、闇の精霊というのは、一般的に恐ろしいと思われています。

 全精霊の中で最も好戦的で支配欲が強いとされるのが火の精霊ですが、敵対した場合に最も厄介だと言われるのが闇の精霊です。一般的に闇の精霊は非常にこだわりが強く、執念深さも随一と言われます。

 精霊は自然に生まれたままでは、そのうちに命が尽きて消えてしまいます。そうならないために人の信仰を集める必要があるため、人と契約をすることは精霊にとっての生存本能のようなものに近いとも言えます。

 しかし、そんな事情で人との契約を交わす精霊が多い中、最も人との契約関係を拒否することが多いのが闇の精霊です。彼らは独自のこだわりが強く、気に食わない関係を築くくらいならば自らの消滅も顧みないというほど極端な性格の者が多いと言います。

 そんな彼らと契約を結べるのは、よほど気に入られた民であると言われていますが、一方で一度契約を交わした者たちへの執着も並外れているそうです。

 そんな彼らが守護している民に罷り間違って攻め入ったりすれば、その報復は苛烈であるとも言われています。あるいは、守護していた民が裏切って他の精霊を祀ろうとなどすれば、それまでの寵愛が嘘のように苛烈に報いるとも言われています。

 このように、性格が極端で苛烈であることが多いことも闇の精霊が恐れられる理由ですが、最も恐ろしいのは彼らのみが持つ権能です。闇の精霊は魂を司ります。そのため、洗脳や魅了といった魂に直接関与するスキルを人に与えることができますが、闇の精霊本人はもっと強い権能を持ちます。それが、魂の破壊です。

 闇の精霊ならずとも、他の精霊とでも揉めたりすれば酷い目に遭うことは多いです。モルメット教が隆盛している現在ではあまり考えられないことですが、当時は侵略戦争の最前線で火の精霊が大いなる権能をふるい、敵対する民を焼き滅ぼすなんてことも一般的でした。だけれど、どんなに強く恐ろしい精霊と敵対しても、人の子を襲う悲劇は最悪でも「死」で決着がついたとも言えます。

 だけれど、闇の精霊関連の事件は違います。彼らは、人の子の魂を破壊したり、傷つけたりすることができます。今世のみならず来世にまで影響を及ぼしたり、魂を完全消滅させて存在をすべて消し去るなどという恐ろしいことができるのです。当時の人間にとって、闇の精霊がいかに恐ろしい存在であったか、想像ができると思います。

 極端で苛烈な性格に、恐るべき権能。これが、闇の精霊が畏れられる理由だったのです。

 当時のわたくしは闇の精霊の知己などいなかったものの、闇の精霊という存在に対する共通認識は存じていましたから、アンドロアーズに対して恐怖を真っ先に感じたのです。

 彼女を怒らせてはならないと、私は強く感じました。


「え、ええ……。そうです、わたくしがあの集落の守護精霊を務めさせていただいている、ユルファシアですわ」


 わたくしは警戒しつつも、あの集落の守護をしているのかという質問に答えました。そんなわたくしの内心など知らないアンドロアーズは、実にさっぱりと笑っていました。

 

「そうか。……あれは良い地だな。人の子らが、守護精霊——其方を心から慕っているのが妾にも分かった。精霊と人の子の関わりの中では不幸なことも多いが、やはり互いに尊重し合える関係を築けるのは良いことだ。其方の徳のほどが察せられる」


 わたくしの狭量な闇の精霊のイメージとは違い、彼女の声音は優しく、そして爽やかな笑みでした。だからこそわたくしはアンドロアーズに対する警戒心が急速に萎んでいくのがわかりました。


「ありがとうございます。そう言ってくださると嬉しいですわ。ですが、わたくしは至らぬことばかりで……」

「そんな風には見えないが……そういえば、先ほども憂い深いようであったな。何かあったのか? 妾でよければ話を聞こうか?」


 アンドロアーズのその言葉に、最初は遠慮したのですが、結局わたくしは自分の憂いをそっくりそのままアンドロアーズに話してしまったのです。

 すると、アンドロアーズは一緒に悩んでくれました。そうして結局は、アンドロアーズはわたくしと一緒に集落を守護することを提案してくれたのです。


「あの集落は良き地だ。あの地が蹂躙されるのは妾としても看過できるものではない。無論、先に守護している其方が良ければの話だが……。闇の精霊の加護あれば、打てる手も増えるかも知れぬ」


 アンドロアーズは、そう言ってくれました。私に否やなどあるはずもありません。

 それは願ってもないことでした。打てる手が増えるどころの話ではありません。闇の精霊が厄介と言われる理由、そして畏れられる理由。それらすべてが、味方と考えれば心強いとしか言いようがないのですから。

 実際に、わたくしの民たちが新たに闇の精霊の加護を得たと知った火の精霊の民らは、それまでの主張も引き下げ、わたくしたちへの干渉をすっかり止めてしまいました。

 アンドロアーズのおかげで、わたくしたちに平穏が戻ったのです。

 民たちはわたくしを認めてくれたように、アンドロアーズのことも認め、彼らがわたくしのために作ってくれた小さな祠はわたくしたちふたりの祠となりました。のちに、精霊ふたり分でこれは狭いと民たちはもう少し大きな祠を作り直してくれましたが、当時の基準でも立派なものとは言い難かったでしょう。それでもそれは、彼らの心が込められたものでした。

 わたくしとアンドロアーズはそれに不満などあるはずもなく、ただただ穏やかに日々を過ごしました。

 わたくしの加護によって民たちは飢えることなく過ごし、アンドロアーズの加護によって外部から脅かされる可能性も激減しました。

 わたくしは、自分でも土の精霊らしい土の精霊であると思っています。争いごとは嫌い、急激な変化も望まず、変わらず穏やかに流れる日々を愛しています。

 そして、そんな穏やかな日々をアンドロアーズも愛してくれていました。

 彼女の方は、一般的に言われる闇の精霊像とは少し違っていたかしれません。わたくしと一緒に集落のささやかな発展を喜び、紡がれていく命を慈しむその姿には、噂されているような苛烈な闇の精霊像からかけ離れていました。

 いえ、むしろ噂されているような行動の苛烈さは、闇の精霊の愛情の深さの負の面であるということなのでしょうか。そのようなことも、ぼんやり思っていました。

 わたくしも民たちと共にあることに喜びを覚えるたちでしたが、アンドロアーズの愛情の細やかさはわたくし以上であるように思えました。彼女は、パン屋の妻の出産が無事に済むように心配し、生まれた子がその亡き曽祖母と同じ色をしているといって喜んだりしていました。そして、民が亡くなると、そのひとりひとりのために悲しみに沈みもしました。

 永遠ならぬ人の子との離別の悲しみは常にありました。しかしそれでも、ささやかで、幸福で、静かな日々が続きました。

 わたくしたちはまるで最初から決められていたかのように、共にあることが自然で、心地よかったのです。そうして、手と手を取り合い集落を守護するわたくしたちを、民たちも熱心に信仰してくれました。

 それは、とても幸せな日々でした。だからこそわたくしは、ずっとこのような日々が永遠に続くような錯覚をしてしまったのです。


 しかし、時は流れ続け、変化は訪れます。

 わたくしたちが、小さな集落で静かで不変に思える日々を過ごしていた間も、世の中は動き続けていました。

 そうして、その大きな潮流は、ついにはわたくしたちの集落にまで変化を促しに訪れたのです。


「モルメット教……聞き及んではいる。だが、なぜ妾に精霊王などという大任を? 妾は他の精霊と比べてもそう大きな力を持っているとは言い難い」


 アンドロアーズが、モルメット教の使者からにそう問い返します。

 そう、ある日突然現れたモルメット教の使者は、アンドロアーズに「精霊王」となる打診をしにきたのです。

 モルメット教は勢力を拡大し続けている、現在最も勢いのある団体であることは、この辺境の地にも届いていました。ですが、勢力圏を拡大し続ければいずれこの地にも至るにせよ、現在は物理的に離れていましたので当座はまだこの地に届かないと判断していたのです。先々のことは分かりませんし、油断はなりませんでしたが、勢いのあった部族が急速に滅亡するというようなことは当時珍しくもありませんでしたから、気にしすぎても仕方がないと判断もしていました。

 そんなモルメット教がこんな辺境にわざわざ赴いてきて交渉しにきたのも不思議でしたが、アンドロアーズに精霊王などという高位のポジションを用意したのも不可解でした。モルメット教は恭順した精霊は全て受け入れることは存じていましたが、それにしたって精霊王という立場は特別なはずです。

 精霊の力は、信仰の量です。集落の民たちはわたくしたちを熱心に信仰してくれたのは間違いありません。ですが、彼らがいかに熱心に信仰しようとも、小さな集落の民では集まる信仰の量は限られています。そんなわけで、わたくしもアンドロアーズも力ある精霊とはとても言い難かったのです。

 訝しむわたくしたちに使者は事情を説明しました。

 各属性の精霊王を立て、人霊契約で互いを縛り、大きな力で精霊と人の世を和合させることで争いをなくすのだと、それが彼らの主張でした。確かに、わたくしたちの集落は平穏でしたが、世の中は諍いや争いに満ちていました。より大きな力で秩序を作り上げるのだという彼らの主張にも、一考の余地はあるようにも思えました。

 そして、この集落に赴いた理由も話してくれました。

 すでに他の5属性の精霊については、精霊王はその任について順調に滑り出しているのですが、闇の精霊王担当だけ適任者を見つけられなかったそうです。そもそも、偏屈な者が多いという理由で人と契約関係にあるのが最も少ないのが闇の精霊です。その上に合同祭祀を受け入れる闇の精霊は有意に少ないのです。彼らの執着心の強さは、嫉妬心の強さにもつながり、自らの民に他の精霊を信仰することを許さないことは非常に多かったのです。

 それが、全ての属性の精霊王を立てようとするモルメット教の目指すところととことん交わらず、すでに他でも交渉を試みたことはあるようですが、その全てで交渉決裂となり話はまとまらなかったようです。

 余談にはなりますが、このような悲劇がオレリーさんの魂が破損した事件にも繋がるのでしょう。アンドロアーズが精霊王になってからはそのような事件が起こらないように気を配っておりましたから、この時期に起きた事件が、オレリーさんの身に起きた悲劇に繋がっているはずです。

 そうして困り果てていたところに、土の精霊との合同祭祀を受け入れている稀有なケースである、アンドロアーズの噂が届いたと、そういった経緯だったようです。

 使者の提案を、わたくしとアンドロアーズは話し合いました。

 モルメット教には欺瞞もありますが、その目指すところの全てが間違っているとも言い切れません。ですが、綺麗事だけではないのも事実です。実際に彼らは基本的に交渉と説得をまず試みていますが、それでも駄目な場合は武力行使を厭いません。

 そしてまた、モルメット教のあり方は合理的で、勢力拡大は続くものと思えました。そもそも、闇の精霊の偏屈さが特に顕著ですが、精霊というのはかなり個性の強い者が多く、まとまり続けるのは困難な面があるのです。強い勢力だったはずが、主要な精霊同士が対立及び分裂し、空中分解してしまうような事例は枚挙にいとまがありません。あるいは下位に置かれた精霊の謀反のような動きも。しかし、モルメット教では人霊契約で互いを縛るので、そういったことが起こらないようにあらかじめ対策されています。その上で、5属性の精霊がすでに集っているのです。これに闇の精霊が加われば、歴史上でもほとんど例のない全属性の精霊を揃えるという快挙が成し遂げられることになります。


 歴史の潮流に抗えないところにまできているのなら、長いものには巻かれた方が良いという判断もある一方、わたくしたちは互いのことを心配もしていました。わたくしは、了承すれば精霊王という大任を背負うことになるアンドロアーズを心配していましたし、アンドロアーズは彼女よりも立場が下ることになる私を案じていたようです。

 ずっと対等な立場としてささやかな日々を送っていたわたくしたちにとって、互いが対等でなくなることも、広大な領域を守護することになることもあまりにも未知のことでした。

 しかし、民たちのためには下手に諍いを起こすよりも、素直に応じた方が良いようにも思えたのです。

 幸いというか、アンドロアーズと出会った時に直面していた時に火の精霊を祀る民たちに強いられていたほど酷い条件ではありません。アンドロアーズは精霊王として最上位の立場として迎えられますし、わたくしも土の精霊としてそれはよりは落ちますが、そこまで蔑まれることのない立場に置かれます。民たちについても、素直に恭順すれば他の例からしても酷い待遇にはならないようでした。

 とはいえ、安易に決定できることでもなく、慎重な話し合いが重ねられました。

 風の精霊王であるルースファークス様と出会ったのはそのような折でした。

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