第9話「広がる知恵、揺れる心」
初夏の風が村を渡り抜けるある日、澪のもとに一人の少年が駆け込んできた。
「澪さん! 隣村の人から手紙が届いたよ!」
小さな封を差し出す少年の手は汗で濡れ、興奮に震えていた。
澪は慎重に紙を開き、文字を追った。
「……“あなたの教えてくれた煮沸の仕方で病が減りました。灰で作った石けんで子どもたちが元気になりました。ありがとう”」
読み上げると、周りにいた村人たちから歓声が上がった。
「ほら見ろ、やっぱり役に立ったんだ!」
「澪ちゃんの紙が命を救ったんだな!」
澪は胸が熱くなるのを感じた。
――知恵は本当に人を救える。
◆
その夜、広場に集まった村人たちは口々に新しい願いを語った。
「次は畑を豊かにする知恵を知りたい」
「子どもの病気を防ぐ方法はないのか?」
「冬に備えた保存の工夫も欲しい」
求められる声はどんどん大きく、澪の胸を締めつける。
(全部答えたい。でも……私の知識は限られている。全部ひとりで背負うなんて無理だ)
焚き火の明かりの下で、澪は真剣に思案した。
――仲間が必要だ。
商人なら、物の流れを知っている。
魔法使いがいれば、庶民でも使える生活の魔法を伝えられるかもしれない。
剣士や武術家は、戦乱の世を生きる庶民に護身を教えられる。
医者や農家、服を工夫する職人……みんなの知恵を集めてこそ、本当の雑誌になる。
澪は夜空を仰いだ。遠く瞬く星々は、まるで「その道を行け」と囁いているようだった。
◆
だが翌朝、村の市場で聞いた噂が澪の足を止めた。
「聞いたか? 隣領では“字を教える女”の話がもう広まってるらしい」
「領主さまは快く思っておらんそうだ。文字や知恵を持った百姓が増えれば、秩序が乱れるからな」
その言葉に、澪の背筋が冷たくなった。
(やっぱり……支配する者にとって、知識は脅威なんだ)
けれど同時に、子どもや大人が炭筆を握り、必死に字を覚えている顔が脳裏に浮かんだ。
――あの光を消させてはいけない。
◆
その夜、澪は広場に人を集めた。
「みんなに話があります」
焚き火の明かりの中で、澪は一人ひとりの顔を見渡した。
「知識を求める声が増えています。でも、私一人ではもう限界です。だからこれからは、色んな仲間の知恵を借りたいと思います」
「仲間?」と誰かがつぶやいた。
澪はうなずいた。
「商人からは物の扱い方を、魔法使いからは家庭でできる簡単な魔法を、剣士や武術家からは身を守る方法を……医者や農家、服を作る人の知恵も集めたい。それを紙に書いて、誰にでも届くようにしたいんです」
村人たちは顔を見合わせた。やがて年寄りの一人が口を開いた。
「面白い……それはまるで、大きな本のようなものじゃな」
若者が笑いながら言った。
「知恵の寄せ集めか。そうなれば俺たちの暮らしも、もっと変わるかもしれないな」
澪は強く頷いた。
「ええ。もっと遠くへ届けたいんです。もっと多くの人に」
◆
火がぱちぱちと爆ぜ、炎の粉が星空に散った。
その光景を見つめながら澪は心に誓った。
――たとえ権力者に睨まれようと、知識を広める道をやめるわけにはいかない。
胸の奥で決意が静かに燃え上がる。
仲間を探す旅が、もうすぐ始まる。