壊れかけの人形 2
茜さんの牙が私の首元を噛み千切る“未来”が見えた。
相手が“上位種”だからなのか、視えるのが遅い。
私の運動能力じゃ、咄嗟に避ける事なんて出来ないだろう。
なんて半分諦めた気持ちになりながらも、どうにかベッドから転げ落ちるようにして彼女を避けた。
避けられた、というよりも落っこちて偶然当たらなかったようなモノなのだろうが。
「いったた……。 ホント視えたり視えなかったり、使いにくい“異能”だよね」
『日向!?』
「大丈夫……ではないか。 頑張るけど、長期戦になると不味いかも……」
掴んだスマホから聞こえる一花の叫び声に答えてから、立ち上がって相手を警戒する。
まさか“敵として”、彼女を警戒する事になるなんて。
私のベッドの上では、獣みたいな呻き声をあげる茜さんがこちらを睨んでいた。
またすぐにでも飛び掛かってきそうな雰囲気だが、今の所は“視えていない”。
やみくもに逃げても、多分逃げ切る事なんて出来ないだろう。
「茜さん、聞こえます? 出来れば普段の茜さんに戻って欲しいんですけど……」
無意味だと理解しながらも声を掛け、じりじりと後退していく。
一番近いのは窓、とは言え背面にある訳だが。
出来れば扉から脱出したい所だけど、そちらに走れば茜さんに近づくことになる。
今の彼女の様子だと、間違いなく襲ってくるだろう。
「そのまま、そのままぁ……」
なんて意味もない声を上げながら、後ろ手に窓を開ける。
出来るだけ音を立てないように、相手を刺激しない様にゆっくりと。
私の部屋は二階にあるが……まあ飛び降りた所で死にはしない。
「って、まぁそうですよね」
ようやく窓を開け切った瞬間、視界に映る光景が“ブレた”。
目の前に居る茜さんの姿は今も映っているが、同時に私に再び襲い掛かってくる彼女の姿。
また来る、五秒後、右回りで再び首元狙い。
「今っ!」
“未来視”で視えた光景とタイミングを頼りに、私は扉に向かって飛び出した。
せっかく窓を開けた訳だが、そっちから脱出できる時間は無くなってしまった様だ。
そして予知通りの時間、動きで襲い来る茜さんを、下手くそなヘッドスライディングみたいな態勢で避ける。
体が痛い。
床に打ち付けたのもあるが、今日昼間の運動量のせいで余計に体が重い。
「あ、ちょっと、やばっ!」
再び違う未来が瞳に映り、慌てて立ち上がろうとした……が。
間抜けな事に、クッションを踏みつけた足が盛大に滑った。
“視えた”光景は6秒後に茜さんに組み敷かれる光景。
あのまま床に転がっていれば“そういう未来”が訪れていた、というモノだったのだが。
まさかこんな事で“未来視”通りになってしまうなんて。
「や、茜さん! ちょっと待って――」
振り返れば今まさに私に覆いかぶさろうとしていた彼女。
もう駄目か、とあきらめかけた瞬間。
とどこからともなくキィンっと強めの耳鳴りの様な音が鼓膜を震わせた。
それと同時に、目の前まで襲い掛かって来ていた茜さんがその場で停止してしまった。
「えっと……?」
空中で停止している訳だから随分と不思議な光景になっている訳だが、今それどころではないだろう。
茜さんがおかしくなっている現状も問題だが、これはいったい……何が起きた?
まるで空中で体を拘束されているみたいに、ウゴウゴと僅かに動くものの、茜さんは唸り声を上げるばかり。
『日向! 無事!?』
手元のスマホから叫び声が聞こえる。
これは一花が? って、そんな訳ないか。
彼女は“異能持ち”ではない。
だとすれば、部長が“結界”を張ってくれたのだろうか?
音叉の音は聞こえないけど。
『後で説明するから、今はとにかく家の外に出て!』
この場に私が残っても何も出来る事はない。
目の前で蠢いていた茜さんの右腕が、急に制御を取り戻したかのようにバンバンと音を立てて見えない壁を殴り始める。
コレは……ちょっと本格的に急いだ方がいいかもしれない。
とてもじゃないけど、今まで一緒に居た“彼女”とは思えない光景。
というか、思いたくない。
「わ、わかった。 でも、これって……」
茜さんの状態も、今の自分の置かれている状況も理解出来ぬまま、スマホだけを持って部屋を飛び出した。
オカ研の誰かが何かをしたのは間違いない。
やはり部長が来てくれたのだろうか?
でもあの音叉で“結界”を張ったなら、茜さんとはいえこの程度では済まなそうな気がするが……。
『徹先輩が“結界”を張ってくれているから、今の内に離れて! 私も外に居るから!』
あ、もう外に居るんだ。
一花の家とは自転車で十数分くらいの距離があった気がしたけど、凄く急いで来てくれたみたいだ。
もしくは私が思っている以上に、時間が経過していたのか。
というか、それよりも聞きなれない言葉があった気がする。
「徹先輩が、“結界”?」
確かに先輩の札は色んな効果がある。
でも、結界を張っている所なんて見た事がない。
まだまだ私の知らないお札が数多くあるという事なのだろうが、そんな札まで使えるのか。
他の先輩達と一緒に居るとあまり目立たないが、実は滅茶苦茶万能な“異能持ち”なんじゃ……なんて事を考えながら玄関から外へと出てくれば、スマホを耳に当てた一花が勢いよく抱き着いて来た。
「日向! 怪我はない!?」
「う、うん。 大丈夫だけど……えっと」
視線を一花から逸らすと、そこには目を閉じたまま自転車の荷台に腰かける優愛先輩。
多分“共感”を使っているのだろう。
とはいえ、家の中で動物を見た記憶はないが。
「お待ちどーさま、遅くなってごめんね? 今眼鏡君が家の周り固めてるから、もうちょっと待ってね?」
呟きながら、彼女は私の家の隅を指さす。
そこには徹先輩が険しい顔をしながら、札を家の壁に貼り付けていた。
あれは後で剥がせるんだろうか? そのまま残していかれると、色々と不味いんだが。
主に見た目的な意味で。
「えっと、徹先輩が“結界”を張ってるって言ってましたけど……そんな事まで出来るんですか?」
俄かに信じられない、というか見た事が無いので疑問に思っていた訳だが。
そんな私に対して、何故か一花が自慢げに胸を張って答えた。
「“結界札”とか“方除札”って言ってね? 普通は玄関とか扉に貼るヤツなんだけど、私が調べて色々種類を増やしてみたんだ。 “指の異能”でもどこまで効果が出るか分からないって言うから、とりあえず片っ端から貼ってもらってるの。 どう? 効果あった?」
「片っ端からって……でも、うん。 助かったよ」
どこか呆れた様なため息も零れるが、彼女の事前準備と徹先輩の“指”のおかげで助かったのは確かだ。
後でお札を剥がすのは私の仕事になりそうだが。
「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。 “指”はどっちかと言うと“声”に近いみたいで、自分の意思で異能のオンオフが可能なんだって。 だから徹先輩が異能を切れば、全部お札は剥がれるから。 壁に貼ってるけど、ノリとか使ってないんだよ? 拾うのは私の仕事だし」
自慢げに言う一花だが、言葉だけだとちょっと頭が付いて来ない。
後処理が簡単だと言うのは嬉しいが、じゃあ今ってどうやって壁に張り付いてるの?
徹先輩が描いたお札って、他の人が持っても多少効果が残ったよね?
“指の異能”ってどうなってるの?
なんて考えている内にお札の設置が終わったのか、普段より険しい顔の徹先輩が帰って来た。
「日向ちゃん、急に来てゴメンね。 とりあえず終わったけど……一花ちゃん、そろそろ説明してもらっていいかな?」
どうやら先輩達は何も聞かされていない様で、困った様に眉を顰めている。
そりゃそうだ、事態も分からず他人の家にお札……方除札? だっけ?
そんなモノをベタベタ貼ってくれと言われても、普通なら納得しない。
というかむしろ良く実行しましたね。
一花に緊急事態とか言われて、やむなくって感じだったのかな?
「すみません徹先輩、一刻を争うみたいだったので……あ、日向。 家の人とか大丈夫? こんな事までしておいて今更なんだけど」
本当に今更だけど、私自身助けられた身なので文句はない。
家族が帰って来ていたら、とんでもない事になっていた気がするけど。
「まだ誰も帰って来てないから大丈夫だよ。 それとありがとね、本当に助かった。 先輩達もありがとうございます」
そう言ってから頭を下げるが、正直今はそれどころではない。
というか、どう説明していいかも分からない状況なのだ。
とはいえ曖昧に誤魔化す訳にはいかなくなってしまったので、あった事そのまま話すしかないのだが……
なんて、思っている時だった。
「なっ!? 全員家から離れろ!」
急に徹先輩が叫び声を上げ、私達を後方に居た優愛先輩の元まで押しやった。
一瞬何が起こっているのか分からなかったが、視線を家の方へと向ければ……
「お札が、燃えてる」
徹先輩がいつも使っている攻撃用の札の様に、壁に貼り付けてあった結界札が紫色の炎を上げていた。
え、アレ大丈夫なのだろうか?
火事になったりしない?
とかなんとか思っていた私だったが、そこは心配いらなかったようで。
壁には焦げ跡一つ残らず、貼ってあったお札だけが灰となって風に舞っていた。
「まさかとは思うけど、中に居るのって……もしかして“上位種”?」
頬を引きつらせた徹先輩が、青い顔をこちらに向けてくる。
もういい訳も言い逃れも出来ないだろう、というかするべきではない。
頭を切り替えて、状況の説明を始めた。
さっきから信じられない事ばかり起きているが、いつまでも現実逃避をしている場合ではない。
皆も集まってくれたのだから、いち早くこの場を納めなければ。
とはいえ、今回の相手は……
「中に居るのは、茜さんです」
「は?」
「“八咫烏”に何か変化があったみたいで、その影響が茜さんにも出たって言ってました。 それで、その……祓ってもらう為に、草加先生を呼んで欲しいって」
私の表情から何かを読み取ったのか、徹先輩はギリッと奥歯を噛みしめて家を睨んだ。
どうにか彼女を戻せないのか、何か手段はないのか。
色々と先輩達に尋ねたくなる気持ちはある。
でも今はそんな問答をしている時間もないのだろう。
「とりあえず、僕一人で行きますね。 相手が“上位種”となれば、万が一の事も考えられます。 一花ちゃんは部長に連絡を、日向ちゃんは何か“視えた”場合すぐ伝えてください」
「で、でも相手は……」
「分かっています、それは僕自身の目で確かめます。 可能であれば、僕が祓いますから大丈夫です。 渋谷も、頼むぞ」
「え?」
私の言葉を遮って、徹先輩が後方の優愛先輩に声を掛けた。
相変わらず目を瞑っている優愛先輩も、「了解」とだけ短く答えるだけだ。
なんというか、あまり動揺した様子がない?
そう思ってしまうくらい、先輩達の反応は淡泊だった。
今まで一緒に居た“あの茜さん”なんだよ?
それを今、平然と祓うって……。
オカ研部員としては当然の判断なのかもしれない、でもそんなに簡単に割り切れるモノじゃ――
「勘違いしてるみたいだからウチから言っておくね? 見捨てるつもりはないよ? でも、本当に危険な状態なら見逃すつもりもない」
呆然とする私に、背後から優愛先輩の声が掛けられた。
相変わらず目は閉じてるし、他の何かに集中しているみたいだったが……その顔は、今までに見たことも無い程強張っていた。
「忘れた? ウチらは“普通”に過ごす為に怪異を狩る。 それを害するモノがウチらの知り合いでも、やる事は変わらないよ。 このまま見逃して、放っておくほうがずっと後悔する事になる」
「でも!」
思わず反論しようと口を開くが、続く言葉が見つからない。
私の感情はただの我儘であり、理想論だ。
何かの手段を講じて茜さんを戻し、また皆でいつもの様に過ごす。
そんなハッピーエンドばかりがチラつくが、現実はそんなに甘くはない。
優愛先輩の言う通り、ここで茜さんを取り逃がし他の誰かを傷つけたなら……その時私は、多分私自身を許せない。
あの時祓っておけば、私にもっと力があれば。
そんな事ばかりを考えて、この先の人生を過ごす事になるだろう。
ソレが分かっているからこそ、先輩達は戦う事を選んだのだ。
その意思を曲げられる程、私は強くない。
相も変わらず、私は弱いままなのだ。
「……行ってくるよ。 とりあえず呼びかけてはみるけど、日向ちゃんを襲った上にいくつかの“結界”を振りほどいたと考えると……あまり期待はしないで」
口を噤んだ私を見て、徹先輩はそれだけ言い残し室内へと向かった。
最後に見た茜さんを思いだす。
とてもじゃないけど、普通の状態じゃなかった。
私達はいつも通り、“怪異”を祓うだけ。
今回の個体は、ちょっと縁が深かっただけだ。
いつもと変わらない。
そんな風に割り切れれば、どれほど楽だったか。
言うなれば前回だって、問題の怪異と縁のある人間が目の前に居る状態で祓ったのだ。
以前の状況を考えれば、私達だけ我儘を言える立場ではない。
それくらいは理解している、いるのだが……それでも。
「本当に、良いんですか? 茜さんですよ?」
「茜さんだからこそ、だよ。 ウチはあの人が誰かを殺す所なんて、見たくない」
優愛先輩は目を瞑ったまま、力強く言い切った。
確かにその通りだ、とは思う。
でも、心が付いて来ない。
「……とにかく、部長には連絡しました。 なんて言ったら良いのか分からないので、兎に角緊急だって。 近くに居るみたいで、すぐに来られるそうです」
一旦話を遮るかの様に、一花が声を上げた。
私がウダウダ悩んでいる内に、彼女は彼女の仕事を熟していた様だ。
本当に頭が下がる、一花に比べて私は……
「っ! “ブギーマン”! 徹を助けて!」
未だに悩んでいる私を他所に、優愛先輩が急に叫び声を上げた。
その視線の先、眼は閉じているので顔を向けた先? に目を向ければ。
「え?」
先程私が開いた窓から、徹先輩が放り出されて宙を舞う姿が。
え? ホント、何が起きた?
混乱している私や一花。
誰しもが反応すら出来ないで居る状況で、一つだけ動くモノがあった。
それは空中に居る徹先輩を包み、私たちの近くへと音もなく着地する。
「すまん渋谷、助かった。 あと、“お前”もな」
それだけ言って、“黒い霧”の中から徹先輩が立ち上がった。
えっと、え?
今徹先輩、“怪異”に助けられた?
もはや色々と理解の範疇を超えた出来事の連続で、私はまたもや状況に付いていけなくなっていた。
――――
普段部長の“結界”がある為、この札はほとんど使った事がない。
数種類は軽くテストしてみたことはあったが、まさかぶっつけ本番でここまで使う事になるとは思わなかった。
今後はこういうのも僕の役目だ、しっかりしなければ……。
なんて事を思いながら札を設置して、しばらくしてから日向ちゃんが家から飛び出してくるのが見えた。
一花ちゃんの言う事には、何でも緊急事態らしい。
色々と心配事はあるが、彼女のご家族が不在な事を願って普段以上に手早く済ませないと……。
こんなことなら、いち早く部長に連絡を取るべきだったのかもしれないが。
なんて、先輩達ばかりアテにしていたら今までと変わらない。
僕達も、変わらなきゃいけないんだ。
とりあえずは、きっちり仕事を済ませよう。
そんな想いを胸に最後の札を壁に貼り付け、後輩達の元へと足を向けた。
「日向ちゃん、急に来てゴメンね。 とりあえず終わったけど……一花ちゃん、そろそろ説明してもらっていいかな?」
ある意味、僕らだけの初陣だ。
しかし、色んな意味で状況が悪い。
後輩に『緊急事態』と言われるがまま、他人様の家にお札を貼りまくり、相手も分からないのに部長達への連絡を後回しにしてしまったのだ。
普段ならこんな事はしないが、一花ちゃんの様子が尋常じゃなかったので今に至る。
なんて、言い訳でしかないのだろう。
日向ちゃんのご家族が居れば怒られるどころか警察沙汰だし、下調べもしないまま相手のテリトリーに突っ込んだ結果だ。
間違いなく、部長に知られたら盛大なお説教が待っているだろう。
そんな事を考えながら彼女達の話を聞けば、それはさらにため息を溢したくなる様な事のオンパレード。
結局部長には助けを求める結果になるし、何より俺と渋谷だけで“上位種”を相手することになってしまった。
しかも、相手が相手だ。
判断に迷うとか、そういうレベルじゃない。
到底僕達だけでは判断できないし、そんな相手を部長達が来るまで抑え込まなければいけないのだ。
未だ混乱している日向ちゃんを残し勝手に家に上がらせてもらうが、思わず大きなため息が零れた。
「ホント、先が思いやられるな……」
初陣だなんだと意気込んでいたのに、既に弱音を吐く事になるとは思わなかった。
ホント、勘弁してくれ……。





