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12 淵野くん

 日頃の行いって、こう言う時に響くよな。

「守ってるの、私だし」

 調子に乗っていたとは言え、それは変わらないと思うんだ。そしてこいつは、今まで私を盾にしてきた男である。ちょっと、あんまり、頼りにはできない。

 淵野はショックを受けた様に息を飲み、おろおろと呟く。

「あれは……だって」

「だって、何だよ」

「だって……何か、ふみさんすごい助けにきてくれるから……あー、まだ見捨てられてないんだなー……って」

 へらへらしてても、情けなくても、思ったのと違ったなどと勝手に失望する事もなく。おめーはほんとしょうがねぇなと、怒りながらも救助に現れる私の姿に。

「ちょとしたほの暗い喜びが……」

 伏せた目を逸らしながら言った淵野に、思わず拳を繰り出した。それはがつりと結構な音をさせ、形のいい額にぶつかった。

「お前ほんっとそう言うの駄目だぞ!」

 人の心を試してはいけない。様な気がする。

 私の鉄拳制裁に対し、淵野は額を押さえて涙目に訴えた。

「だって! だってふみさん解らないんだもん! 僕だって不安なのー! 愛情を確認したかったのー!」

「おっまえマジ……ほんと、マジ……やれんだったら最初から自分で何とかしろよ!」

「それはほんとにやれないの! みんな、僕の話とか全然聞かないの! 全然! ほんとに! ふみさんいつもありがとう!」

 お互い切れ気味に叫んだ辺りで、何の話だったか解らなくなった。どっと疲れて、私達はのろのろと椅子に座り直す。

「……何の話だっけ?」

「解んないけど、ふみさんがそろそろ僕と本格的に付き合うって話にしとこうよ」

 確実に違う。でも、それで思い出した。

「だから、そうやってふざけるのやめろ。そのせいもあんだよ。勘違いしたの」

 甘えてくるのを甘やかしてるつもりで、結局私が甘えてしまった。まるで特別。まるで恋人。無自覚なまま、調子に乗った。

「何で勘違いなの? 僕、さっき言ったよね。ふみさんに会うまで、誰にも好きなんて言わなかったって。今も、ふみさんにしか言わないよ」

「知らねぇよ。大体、いっつもふざけながらそう言う事言うじゃん」

 ふざけてるのに、いつの間にか真に受けていた。私もほんと、救えない。

「……言えないよ。そんなの」

 呟く様にぼそりと言って、淵野は私からグラスを奪った。なみなみとワインを継ぎ足して、一気にあおる。そして空のグラスをじっと見詰めて目を伏せた。

「本気だから……恐くて。ふざけたみたいにしか言えないんだよ」

 はっ――、と。

 息が零れた。体が何かに圧迫されて、肺の空気が勝手に抜ける感覚だった。淵野は何もしていない。それでもこの息苦しさは、淵野のせいだとはっきりと解った。

「本気だよ、ふみさん。本気で、ふみさんが好きだよ。好きで好きで、どうすればふみさんを僕のものにできるのか、いつも必死で考えてるよ」

 ガタン! と、椅子が。私の足の後ろで鳴った。私は押される様に立ち上がり、そのまま数歩、テーブルから離れた。

 これは、駄目だ。

「淵野……この話、やめよう」

「ダメだよ、ふみさん。……何が恐いの」

 何が。何が?

 だって、私は狡いから。

 自分は他と違うって顔で、淵野のそばにいた。でも何も変わらない。淵野の気持ちを考えもしない、身勝手な女と変わらない。

 いや、もっと悪かった。興味がないって顔をして、真正面からぶつかろうとさえしない。愛して欲しいと乞いさえしない。

 その癖に、心のどこかで淵野は自分のものみたいに思い込んでいたのだ。

 あぁ、恥ずかしい。あぁ、何て臆病。

 私は私に失望していた。

 そして酷く、むかついていた。

 自分だけは正義みたいに信じてたのに、全然そんなんじゃなかったんだ。守るんじゃないのかよ。私まで、こいつを傷付けてどうすんだ。

「恐いよ、僕も」

 淵野は俯き、テーブルに載せた自分の手を見ながら静かに立った。そしてそのまま迷う様に、それでも思い切る様に、両手を一度強くにぎって頭を上げた。

 何かを決めてしまったみたいな、それともすっかり途方に暮れてしまったみたいな。真正面から見た淵野の顔は、ぐらぐらと、しかし気圧される様な何かがあった。

 きれいでも、甘くもない。淵野が私に浴びせたのは、ただどろどろと絡め捕る言葉だ。

「ふみさんに嫌われるのが恐い。ふみさんがいなくなるのが恐い。だけどふみさんがどこかへ行くなら、嫌われたって無理にでも捕まえてしまいたい」

 いつの間にか、囚われていた。

 体の横にだらりと垂らした私の手に、大きな手がひっそりと触れる。肩の上には頭が軽く押し付けられて、ふわふわの茶色い髪が私の頬をくすぐった。

「ふみさん、ごめんね」

「何で」

 謝るの。

「ごめん。だって、ふみさんがいないとダメなんだ。僕はもう、ダメなんだ」

 苦しげに、ゆらゆらと。不安定なその声は、きっと淵野が震えているせいだろう。

「ごめんね、ふみさん」

 解らない。何で淵野が謝るんだろう。

 謝るべきは、私だろう。私は狡い。そして汚い。その汚さを淵野が知ってしまうのが恐い。淵野に失望されるのが恐い。

 だから、今すぐ放してしまいたい。なのに、ずっと離さずいて欲しい。

 もうさ、何か。

「淵野。多分だけどさ、私も駄目だよ。頭ん中ぐっちゃぐちゃで……何かもう、駄目だよ」

 淵野の背中に私がこわごわ片手で触れると、彼は両手できつく私を抱き締めた。

「そっか。ダメだね、僕達は」

 恐くて恐くて仕方がないのに、触ってしまうともう駄目だった。熱を持った様に頭の芯がぼうっとなって、私達は馬鹿みたいに長い時間互いに互いを離せずにいた。


 私は朝食を待ちながら、眉間のシワをぐりぐりと揉んだ。

「虫がよすぎると思うんだよね」

「何が?」

 不思議そうに言うのは、キッチンの淵野だ。

「私は淵野の近くにいる訳でしょ?」

「うん。いてね。ずっと」

「自分は近くにいる癖に、他の女には寄ってくんなって蹴散らすんだよ。でも今は、私も淵野の事が好きな訳」

「ふみさん、今のもっかい言って」

「私にも下心があるんだよ。正義は死んだ。こうなっちゃうと、ただの独占欲だと思うんだ。最悪だよ。私はもう駄目だよ」

「いいね、独占欲。出して出して。どんどん出して」

 味噌汁と玉子焼きの朝ご飯をテーブルに並べ、淵野は私の隣の椅子に座った。

「何で隣」

「正直顔が真っ直ぐ見れない」

 お前にそんな人間らしい感情があったのか。

 昨日はお互い、どうかしていた。

 私も淵野もうっかり胸の内を吐き出し過ぎて、何かもうこれ、飲まなきゃやってらんねぇなーって。二人そろって浴びる様に酒を飲み、そのまま潰れて朝を迎えた。

 思いをぶつけ合った恋する二人の、初めての朝。酒臭く、顔は腫れてて、すすった味噌汁が臓腑に沁みる。

「僕さぁ、解らないんだけど。ふみさん的には何がそんなにダメだと思うの?」

「何ってお前……」

 何となくだよ。

「僕も好き。ふみさんも好き。二人仲よし。何がダメ? ありもしない問題を考えてるから、答えが見付からないんじゃない?」

「えっ、何それ賢そう」

「僕ね、多分、ふみさんが気にしてる事いっぺんに解決する方法知ってると思うよ」

 箸で玉子焼きを割りながら、淵野が言う。

「僕はふみさんのもの。ふみさんは僕のもの。そう言って約束すればいいんだよ。周りにも知らせてさ。そうしたら、自分のものを独占するのは当たり前。そうでしょ?」

 僕も嬉しい。ふみさんも嬉しい。周りも納得。素晴らしいよね! 勝者しかいない!

 淵野は、きらきらしい顔で自分の考えを絶賛した。それを見ながら、私は思った。

 何だよこいつ。天才かよ、と。

 どうかしていた。酒が残っていたせいかも知れない。

 それただの結婚もしくは恋人じゃねぇか。

 私がそんな突っ込みを思い付くにはもうしばらくの時間と、アルコール血中濃度の低下が必要になる。

 実際にそう突っ込むと、淵野は何だか楽しげに笑った。ヘーゼルの瞳をきらめかせ、どこか熱っぽく、夢見る様にきれいな顔で。

「いい考えでしょ? ねぇ、ふみさん――」

 笑いを含んでそう言うと、触れそうに寄せた唇で続きの言葉を耳元で紡いだ。

 馬鹿みたいに甘ったるい声で、内から溶かすかの様に遠慮なく熱烈な言葉を私に注いだ。


  (了 Copyright(C) 2017 mikumo. All rights reserved.)

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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