エピローグ 「知らない世界で」
林花のLINEをブロックした。
次にInstagramを開いた。
個人のアカウント。
絵を載せているアカウント。
思いつくものを、一つずつ閉じた。
連絡を待たないためだった。
名前を検索しないためだった。
林花がこれから誰と会い、どこへ行き、何を作るのかを、自分の生活の続きにしないためだった。
ブロックは、林花に見せるための行為ではなかった。
見つけてほしくもなかった。
傷つけたいわけでも、後悔させたいわけでもなかった。
僕がもう一度、終わった恋に入口を作らないためだった。
絵のアカウントを閉じる前に、一瞬だけ手が止まった。
林花は昔、僕の影響で絵を描き始めたのだと言っていた。
小学生の僕が何を描いていたのかは、あまり覚えていない。
林花に何を見せ、どんな話をしたのかも曖昧だった。
僕にとっては忘れてしまうような出来事が、林花の中では残り、その先の時間につながった。
九年後、林花は美大で絵を描いていた。
僕には分からない技法を知り、僕には作れないものを作っていた。
その始まりに僕がいたとしても、そこから先を歩いたのは林花だった。
僕の影響が残っているからといって、その作品を見続けていい理由にはならなかった。
僕らは、互いの人生から何もかも消えるわけではない。
林花が絵を描き始めた理由の一部に、僕が残る。
僕が誰かを好きになるとき、その基準のどこかに林花が残る。
会えない時間の寂しさも、言葉が人を傷つけることも、好きなだけでは続かない関係があることも、僕は林花との間で知った。
残ったものまで消す必要はなかった。
ただ、それを理由に、これからの林花を知ろうとしなくていい。
僕が知らない絵を描く。
僕が知らない人と話す。
僕が知らない場所で笑う。
そのどれにも、僕の許可はいらない。
僕の理解もいらない。
林花の人生は、もう僕が読める物語ではなかった。
僕の人生も、林花に見せるための続編ではない。
スマートフォンを机に置いた。
頭の中が、妙に軽かった。
長いあいだ閉じられなかったものを、ようやく閉じたのだと思った。
白い上着のことは、これからも思い出すかもしれない。
冬の公園も、懐かしい匂いも、届かなかったメールも、完全には忘れないと思う。
忘れないことと、戻ることは違う。
大切だったことと、今も必要であることも違う。
僕らの間にあったものは、本物だった。
だからこそ、なかったことにせず、終わったものとして置いていける。
もう、林花が何をしているのか知らなくていい。
幸せになればいい。
僕の知らないところで。
昔の彼女は、人を心から好きになることを教えてくれた。
今の彼女は、その恋を終わらせてくれた。




