プロローグ 「全部切る」
林花のLINEをブロックした。
画面に出てきた確認を押すだけだった。
指一本で終わった。
次にInstagramを開いた。
個人のアカウントを探して、ブロックする。
それから、彼女が絵を載せているアカウントも探した。
一瞬だけ手が止まった。
こっちは別に連絡手段ではない。
僕が何もしなければ、それで済む。フォローもしなければいいし、検索もしなければいい。わざわざブロックする必要なんて、本当はなかった。
それでもブロックした。
僕は自分をそこまで信用していなかった。
半年後か、一年後か、もっと先か。
何かの拍子に名前を検索するかもしれない。
新しい絵を見て、元気そうだと思うかもしれない。
知らない男が写っているのを見つけるかもしれない。
あるいは向こうが僕を見つけるかもしれない。
その可能性を、一つずつ消していった。
LINE。
Instagram。
絵のアカウント。
他にも思いつくものを確認した。
こういう作業は得意だった。
問題を分解して、一つずつ処理する。
再発の可能性があるなら、その経路を塞ぐ。
全部終わって、スマートフォンを机に置いた。
静かだった。
もっと何かあると思っていた。
胸が締めつけられるとか。
手が震えるとか。
最後にもう一度プロフィールを見たくなるとか。
そういう、別れにふさわしい何かが。
何もなかった。
代わりに、
「あ、軽い」
と思った。
頭の中が、妙に軽かった。
ずっと裏で動いていたアプリを終了したみたいだった。
通知も出さないくせに、メモリだけを食い続けるやつ。
自分でも気づかないところで、僕はずいぶん長い間それに容量を使っていたらしい。
椅子にもたれて、天井を見た。
これで終わりだ。
そう思った。
不思議だった。
終わったはずなのに、何かを失った感じより、ようやく置いていけた感じの方が強い。
嫌いになったわけではない。
むしろ逆だった。
たぶん、嫌いになれなかったから、こんなに長くかかった。
スマートフォンが光った。
反射的に画面を見る。
どうでもいいアプリの通知だった。
少し笑った。
もう彼女から連絡が来ることはない。
正確には、来ても分からない。
僕がそうした。
それでいい。
僕はベッドに横になった。
目を閉じると、なぜか今の林花ではなく、ずっと昔の彼女が浮かんだ。
顔はうまく出てこなかった。
何年も前なのだから当然だった。
なのに、どうでもいいものだけは残っている。
校舎の階段。
人の少ない一番上の階。
白い、ふわふわした上着。
それだけが妙にはっきりしていた。
何を話したのかは覚えていない。
どんな顔をしていたのかも曖昧だ。
ただ、あの頃の僕は彼女が好きだった。
それだけは、どうしても忘れなかった。
九年。
長かったのか、短かったのかは分からない。
僕らがずっと一緒にいたわけではない。
むしろ、一緒にいなかった時間の方が圧倒的に長い。
それでも、ときどき人生のどこかから現れて、また消えていった。
そのたびに僕は、まだ何か続きがあるような気がしていた。
でも、もうない。
今度こそない。
僕はもう一度スマートフォンを手に取った。
検索欄を開いて、彼女の名前を入れてみようかと思った。
やめた。
画面を消した。
暗くなったディスプレイに、自分の顔だけが映る。
二十一歳になっていた。
会う前に、僕らは写真を送り合った。
「あんまり変わってないね」
林花にそう言われて、僕も同じことを返した。
正確には、変わっていないわけがなかった。
二人とも、もう小学生ではなかった。
それでも、昔の面影を見つけるのに時間はかからなかった。
僕はスマートフォンを伏せた。
奇妙なくらい穏やかな気分だった。
まるで、とても長い映画を見終えたあとみたいに。
まだ席を立つ気にはなれない。
でももう、スクリーンには何も映っていない。
ただエンドロールだけが、
静かに流れていた。




