第一章 第八節 1 『恐怖』
「し、死にたくない……」
声が、震えていた。泣き声だった。
「また死ぬのが……怖い……」
「いやだ……」
下唇を噛んだ。
遠くに、二人の姿が見えた。もう彼にとっては他人も同然だった。
「もう、ほっといてくれ……」
立ち上がり、また走り出した。
その時――空から白い閃光が降り注ぎ、頭に直撃した。
瞬間、全てが砕けた。
『――また一つ、死が増えた』
ベッドに戻っていた。表情が全てを語っていた。手で顔を覆った。目には、ただ疲労だけが滲んでいた。
頭の中で、自分の顔を生きたまま引き裂く想像が広がった。腱が露わになるまで。
――でも、それは想像の話だ。やりたかっただけだ。
「死にたくない」
奥歯を噛み締めた。デンナとデイタンが慌てて近づいてきた、大丈夫かと聞こうとして――
シンジロウの内側から、重く暗い何かが溢れ出ていた。
「静かにしてくれ――!」
次の瞬間、青いローブの男たちが姿を現した。
仮面の隙間から、呼吸の音だけが聞こえた。
臭いを例えるとすれば――無だった。何もなかった。それが不気味だった。
シンジロウは気づいていた。でも、もうどうでもよかった。全部終わらせたかった。苦しみたくなかった。でも――あいつらが生きている限り、自分の苦しみは終わらない。みんなが生きている限り、終わらない……
頭の奥で、声がした。
止まらなかった。
『殺せ、全員殺せ、殺せ、殺せ――』
従うべきか。俺はそうは思わない。
でも――一度できたなら、二度目もできる。そう、シンジロウは受け入れた。
静かにデイタンへ近づいた。
今この瞬間のデイタンを一言で表すなら――「間抜け」だ。
揉み合った。剣を奪おうとした。
何度目かの試みで、奪えた。
デイタンを刺した。
デンナが恐怖に引きつった顔で見ていた。反応する間もなく――剣が、頭を両断した。
青いローブの男たちは動かなかった。まるで、こうなることを知っていたかのように。
その中の一人が、言葉を発した。電撃に撃たれる寸前のことだった。
「あらゆる可能性の未来の中で、お前はここまで辿り着いた」
「――だが、まだその時ではない」
また白い閃光が空に見えた。
今度は頭ではなかった。腹だった。
全てが、開いた。臓器が弾け飛び、肋骨が腹の裂け目から覗いていた。
叫べなかった。ただ、命が消えていくのを感じた。
「し、死にたく……ない……」
それから――暗闇だった。閃光はなかった。ただ、暗闇だけだった。
『――もう、死んだ』
◆◆◆◆
目を開いた時、ベッドはなかった。
長い道が続いていた。両側に緑が広がり、巨大な雲が浮かぶ青空に、眩しいほどの太陽があった。でも足元を踏むたびに、地面が空洞のように響いた。
何時間歩いても、景色が変わらなかった。まるで、抜け出せない繰り返しの中にいるようだった。
「ど、どこだ……ここは……」
声が震えた。
頭の奥で、声が答えた。
『お前はこの世界の王に罰せられた。精神が、弱かったのだ』
「その王とやらは誰だ……」
『――私だ』
目が、光った。喜びではなく、絶望の光だった。
「頭から出ていけ――!」
「ここから出せ――!」
声は、二度と答えなかった。
◆◆◆◆
その場所で二十五時間が経って、初めて夜が来た。
来ない方がよかった、と言っておこう。
月が赤かった。血のように赤かった。この世界での始まりを、象徴するように。
誰もいないはずのその場所に、二人の人影が現れた。顔はなかった。でも声は、聞き覚えがあった。
「一緒に来る?」
何度も聞いてきた。何度も手を伸ばしてきた。
シンジロウは、全部断った。
二人の影が道の奥へ消えた時――月が、血を流した。
コオロギの声が聞こえた。
そして月から、形のない何かが降りてきた。闇そのものでできた、不定形の何かが。
シンジロウはそれを見ていた。怖かった。当然だった。傍にいてくれる機会を、全部自分で捨てた。
今こそ、怖がる番だった。
走り出した。花が咲き乱れる草原を。蜂が群れていた。全部刺さってきた。それでも止まらなかった。
何かたちが追いかけてきた。しかし奇妙なことに――その声が、知っている声だった。
「この、クソガキ、なんで逃げる!」
「逃げるな――!」
足音が近づいてきた。
「放っといてくれ――!」
涙が流れた。何かの腕が、シンジロウを掴んだ。
目をきつく閉じた。見たくなかった。
「目を開けろ」
「いやだ」
瞼を、引き剥がされた。
そこにいたのは――自分だった。全員が自分の顔をして、自分の声を持っていた。でも全員が闇に塗りつぶされ、歪んでいた。
「自分から逃げるな……」
「放してくれ!」
「部屋から出ろ!」
「いやだ!」
「このガキが!」
何かたちがシンジロウの体を引き裂いた。でも死ななかった。体の各部分が、それぞれ別の虚無へと引きずられていった。
「や、やめ……」
この第八節の第一段階が始まったばかりだと言わざるを得ない。




