第51話:皇帝陛下の御前試合。野蛮な『生魚』が、至高の芸術に変わる時
闘技場の中央に設けられた審査席。 そこに座るのは、この海洋帝国グラン・メールを統べる海帝ネプチューンだ。 白髭を蓄えた老齢の皇帝は、ここ数年、食欲不振に悩まされているという噂だった。
「完成だ。陛下、私の芸術をご堪能あれ」
先に料理を出したのは、レオナルドだった。 彼が運んできたのは、銀のドームカバーで覆われた皿。
「料理名**『皇帝のテルミドール ~濃厚な海の恵み~』**」
カバーを開けた瞬間、会場中に甘く芳醇な香りが爆発した。 真っ赤なロブスターの殻を器にし、その身をホワイトソース、チーズ、バター、そして海老味噌と共に煮詰め、こんがりと焼き上げたグラタンだ。
「おお……! なんと豪華な!」 「香りだけでワインが飲めそうだ!」
観客がどよめく。 ネプチューン皇帝はスプーンを手に取り、熱々のソースと身を口に運んだ。
「……うむ」
皇帝が頷いた。
「美味い。……確かに美味い。 濃厚なベシャメルソースと、海老の甘みが絡み合い、チーズの焦げ目が食欲をそそる。 これぞ、宮廷料理の王道じゃな」
「はっ! ありがたき幸せ!」 レオナルドが深く頭を下げる。勝利を確信した笑みだ。
だが、皇帝はスプーンを置き、ナプキンで口を拭った。
「しかし……重い」 「へ?」
レオナルドが顔を上げた。
「余は今年で70になる。バターと生クリームの暴力的な脂は、二口目には胃が拒絶するのだ。 それに……ソースが強すぎて、ロブスター本来の味が死んでおる。『魚の真髄』とは、飾り立てることではない気がするがのう」
皇帝の辛辣な言葉に、レオナルドが凍りつく。 会場が静まり返る中、私は静かに前に進み出た。
「お待たせしました、陛下。 私の料理は、ソースもバターも使いません。 魚の命を、そのまま味わってください」
私が差し出したのは、白木の板。 その上にちょこんと乗っているのは、一口サイズの小さな塊が二つだけ。
一つは、透き通るような飴色の白身魚。 もう一つは、銀色の皮目が光る青魚。
それらが、白い穀物の塊の上に乗っている。
「……なんだこれは? 生魚か?」
皇帝が眉をひそめた。観客席からもブーイングが飛ぶ。 「おいおい、調理してないぞ!」「野蛮人が! 皇帝陛下に腹を壊させる気か!」
「野蛮かどうか、食べてから決めてください」
私は動じずに言った。
「料理名**『握り寿司』**。 左が『熟成スズキの昆布締め』、右が『朝獲れアジの生姜乗せ』です。 ……手で掴んで、一口でどうぞ」
皇帝は怪訝な顔をしながらも、私の自信に押され、恐る恐るスズキの握りを指で摘まんだ。
「……冷たくない。ほんのり温かいな?」 「はい。シャリ(ご飯)は人肌の温度がベストですから」
皇帝は意を決して、寿司を口に放り込んだ。
ハムッ。
会場中が固唾を飲んで見守る。 皇帝が咀嚼する。一回、二回。
カッ!
皇帝の目が見開かれた。 その瞬間、彼の背後に巨大な荒波と、跳ね回る魚たちの幻影が見えた(ような気がした)。
「…………ッ!!!」
皇帝が震えた。
「な、なんだこれは……!? 生魚特有の臭みも、水っぽさも、一切ない! ねっとりと舌に絡みつき、噛むたびに昆布の旨味と、魚自身の甘みが溢れ出してくる!」
そして、驚愕は続く。
「この下の白い穀物! 口の中でハラリとほどけ、酸味と甘みが魚の脂を中和し、喉の奥へとエスコートしていく! これは……これこそがソースなのか!?」
私はニヤリと笑った。 シャリに使ったのは、エルフの里の砂糖と、市場で見つけた穀物酢をブレンドした特製すし酢だ。
「陛下! 次のアジもどうぞ! 鼻に抜ける香りが違いますよ!」
皇帝は言われるがままに、アジを口にした。
パクッ。 ――ツーン。
「んぐっ!?」 皇帝が鼻を押さえた。
「か、辛い! ……いや、違う! 鼻を突き抜けるような清涼感! これは……ワサビか!? 青魚の脂を、この辛みが洗い流し、鮮烈な後味に変えている!」
涙目になった皇帝の顔が、紅潮し、歓喜に歪んだ。
「美味い……! 圧倒的に美味いぞ! レオナルドの料理が『足し算』なら、これは究極の**『引き算』**だ! 余計なものを削ぎ落とし、魚の命そのものを輝かせている!」
皇帝は空になった白木の板を見て、子供のように叫んだ。
「おかわり! 余はもっと食いたい! マグロはないのか!? ウニは!?」
会場が爆発したような歓声に包まれた。 「すげぇ! 皇帝陛下が叫んだぞ!」「あの生魚、そんなに美味いのか!?」
レオナルドは膝から崩れ落ちていた。 「バカな……火も使わず、ただ握っただけの料理に……私のロブスターが負けるなど……」
「ただ握っただけじゃないわ」
私は彼を見下ろして言った。
「魚の締め方、熟成、シャリの温度、握る力加減。 その全てに、あんたが無視した『技術』が詰まってるのよ」
こうして、勝負は決した。 だが、このまま平和に終わるはずがない。 窮地に追い込まれたレオナルドが、背後の闇組織に合図を送ったのだ。
「ええい、認めん! これはイカサマだ! やれ! この小娘と皇帝を捕らえろ!」
観客席に紛れていた武装集団が、一斉に武器を抜いた。 ……が、彼らは相手が悪かった。
「おっと、食事の邪魔はマナー違反だぜ?」
観客席でカツ丼(弁当)を食べていたガルドーさんと、パフェを持った魔王様(お忍び中)が、ゆっくりと立ち上がった。




