表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/56

第51話:皇帝陛下の御前試合。野蛮な『生魚』が、至高の芸術に変わる時

闘技場の中央に設けられた審査席。  そこに座るのは、この海洋帝国グラン・メールを統べる海帝ネプチューンだ。  白髭を蓄えた老齢の皇帝は、ここ数年、食欲不振に悩まされているという噂だった。


「完成だ。陛下、私の芸術をご堪能あれ」


 先に料理を出したのは、レオナルドだった。  彼が運んできたのは、銀のドームカバーで覆われた皿。


「料理名**『皇帝エンペラーのテルミドール ~濃厚な海の恵み~』**」


 カバーを開けた瞬間、会場中に甘く芳醇な香りが爆発した。  真っ赤なロブスターの殻を器にし、その身をホワイトソース、チーズ、バター、そして海老味噌と共に煮詰め、こんがりと焼き上げたグラタンだ。


「おお……! なんと豪華な!」 「香りだけでワインが飲めそうだ!」


 観客がどよめく。  ネプチューン皇帝はスプーンを手に取り、熱々のソースと身を口に運んだ。


「……うむ」


 皇帝が頷いた。


「美味い。……確かに美味い。  濃厚なベシャメルソースと、海老の甘みが絡み合い、チーズの焦げ目が食欲をそそる。  これぞ、宮廷料理の王道じゃな」


「はっ! ありがたき幸せ!」  レオナルドが深く頭を下げる。勝利を確信した笑みだ。


 だが、皇帝はスプーンを置き、ナプキンで口を拭った。


「しかし……重い」 「へ?」


 レオナルドが顔を上げた。


「余は今年で70になる。バターと生クリームの暴力的な脂は、二口目には胃が拒絶するのだ。  それに……ソースが強すぎて、ロブスター本来の味が死んでおる。『魚の真髄』とは、飾り立てることではない気がするがのう」


 皇帝の辛辣な言葉に、レオナルドが凍りつく。  会場が静まり返る中、私は静かに前に進み出た。


「お待たせしました、陛下。  私の料理は、ソースもバターも使いません。  魚の命を、そのまま味わってください」


 私が差し出したのは、白木のゲタ。  その上にちょこんと乗っているのは、一口サイズの小さな塊が二つだけ。


 一つは、透き通るような飴色の白身魚スズキ。  もう一つは、銀色の皮目が光る青魚アジ


 それらが、白い穀物の塊の上に乗っている。


「……なんだこれは? 生魚か?」


 皇帝が眉をひそめた。観客席からもブーイングが飛ぶ。  「おいおい、調理してないぞ!」「野蛮人が! 皇帝陛下に腹を壊させる気か!」


「野蛮かどうか、食べてから決めてください」


 私は動じずに言った。


「料理名**『握り寿司』**。  左が『熟成スズキの昆布締め』、右が『朝獲れアジの生姜乗せ』です。  ……手で掴んで、一口でどうぞ」


 皇帝は怪訝な顔をしながらも、私の自信に押され、恐る恐るスズキの握りを指で摘まんだ。


「……冷たくない。ほんのり温かいな?」 「はい。シャリ(ご飯)は人肌の温度がベストですから」


 皇帝は意を決して、寿司を口に放り込んだ。


 ハムッ。


 会場中が固唾を飲んで見守る。  皇帝が咀嚼する。一回、二回。


 カッ!


 皇帝の目が見開かれた。  その瞬間、彼の背後に巨大な荒波と、跳ね回る魚たちの幻影が見えた(ような気がした)。


「…………ッ!!!」


 皇帝が震えた。


「な、なんだこれは……!?  生魚特有の臭みも、水っぽさも、一切ない!  ねっとりと舌に絡みつき、噛むたびに昆布の旨味と、魚自身の甘みが溢れ出してくる!」


 そして、驚愕は続く。


「この下の白い穀物シャリ!  口の中でハラリとほどけ、酸味と甘みが魚の脂を中和し、喉の奥へとエスコートしていく!  これは……これこそがソースなのか!?」


 私はニヤリと笑った。  シャリに使ったのは、エルフの里の砂糖と、市場で見つけた穀物酢をブレンドした特製すし酢だ。


「陛下! 次のアジもどうぞ! 鼻に抜ける香りが違いますよ!」


 皇帝は言われるがままに、アジを口にした。


 パクッ。  ――ツーン。


「んぐっ!?」  皇帝が鼻を押さえた。


「か、辛い! ……いや、違う!  鼻を突き抜けるような清涼感! これは……ワサビか!?  青魚の脂を、この辛みが洗い流し、鮮烈な後味に変えている!」


 涙目になった皇帝の顔が、紅潮し、歓喜に歪んだ。


「美味い……! 圧倒的に美味いぞ!  レオナルドの料理が『足し算』なら、これは究極の**『引き算』**だ!  余計なものを削ぎ落とし、魚の命そのものを輝かせている!」


 皇帝は空になった白木の板を見て、子供のように叫んだ。


「おかわり! 余はもっと食いたい! マグロはないのか!? ウニは!?」


 会場が爆発したような歓声に包まれた。  「すげぇ! 皇帝陛下が叫んだぞ!」「あの生魚、そんなに美味いのか!?」


 レオナルドは膝から崩れ落ちていた。  「バカな……火も使わず、ただ握っただけの料理に……私のロブスターが負けるなど……」


「ただ握っただけじゃないわ」


 私は彼を見下ろして言った。


「魚の締め方、熟成、シャリの温度、握る力加減。  その全てに、あんたが無視した『技術』が詰まってるのよ」


 こうして、勝負は決した。  だが、このまま平和に終わるはずがない。  窮地に追い込まれたレオナルドが、背後の闇組織に合図を送ったのだ。


「ええい、認めん! これはイカサマだ!  やれ! この小娘と皇帝を捕らえろ!」


 観客席に紛れていた武装集団が、一斉に武器を抜いた。  ……が、彼らは相手が悪かった。


「おっと、食事の邪魔はマナー違反だぜ?」


 観客席でカツ丼(弁当)を食べていたガルドーさんと、パフェを持った魔王様(お忍び中)が、ゆっくりと立ち上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ