第2話:冒険者が吐きそうになる『暗黒水』の正体
「……詰んだ」
孤児院の厨房。 私の身長よりも少し高い調理台の前で、私は頭を抱えていた。
あれから私は、あのおぞましい「ドブ色スープ」をリメイクしようと試みた。 だが、結果は敗北だ。 料理の基本は『素材7割、腕3割』と言われる。どんなに優れた技術があっても、腐りかけた謎の雑草と、泥臭い水だけでは、神楽坂奏(私)をもってしても「食べられる産業廃棄物」を作るのが限界だったのだ。
「塩がない。砂糖もない。あるのはカビた岩塩もどきと、砂利みたいな穀物だけ……」
これでは、死ぬ。 崖から落ちて死んだと思ったら、今度は栄養失調か、あるいはストレス死だ。 私の胃袋は、あの崖で見た「岩茸」への未練と、現在の空腹でブラックホールのように悲鳴を上げている。
「外だ……外へ行こう」
私はボロボロの修道服の袖をまくり、決意を固めた。 孤児院にお金はないらしいが、私のこの可愛い顔を使えば、試食くらいは恵んでもらえるかもしれない。 プライド? そんなものは前世の崖の下に置いてきた。今の私は、ただの腹を空かせた猛獣だ。
◆
街へ出ると、そこはまさしくファンタジーRPGの世界だった。 石造りの建物、土埃の舞う大通り。剣を背負った男たちや、杖を持ったローブ姿の人間が行き交っている。
だが、今の私にそれらを楽しむ余裕はない。 私の視線は、露店に並ぶ「商品」だけに注がれている。
「……あれは、干し肉? いや、靴底かしら」 「あのパン、釘が打てそうなくらい硬そうね」 「あの野菜、色が毒々しい紫なんだけど……」
絶望のパレードだった。 どこの店を見ても、食材への愛が感じられない。 この世界の住人は、味覚神経が死滅しているのだろうか? それとも「食事=ただのエネルギー補給」という悲しい文化なのだろうか。
フラフラと歩いていると、広場の一角に人だかりができているのが見えた。 屈強な男たちが、何やら露店の前で騒いでいる。
「おい、もっと『アレ』をくれ!」 「オヤジ! 『黒のポーション』だ! これがないとダンジョンに潜れねぇ!」
ポーション? 回復薬か何かだろうか。 私は人混みをかき分け、最前列へ滑り込んだ。子供の体はこういう時に便利だ。
そこには、鎧を着たスキンヘッドの冒険者たちが、小瓶に入った**「ドス黒い液体」**を手にしていた。
「くぅぅ……いくぞ、野郎ども!」 「「「おう!!」」」
彼らは悲壮な覚悟で小瓶の蓋を開け、一気に煽った。
「ぐ、ぐえぇぇぇぇッ!!」 「ぶはぁッ! ぐっ、おえっ……!」 「ま、不味いッ!! 鼻が曲がる!!」 「だが効く……! 筋力が漲ってきたぞぉぉ!!」
地獄絵図だった。 大の男たちが涙目で悶絶し、何人かは嘔吐きながら水をがぶ飲みしている。 なるほど、良薬口に苦しとは言うが、あれは相当な劇物のようだ。
私は興味を失い、立ち去ろうとした。 その時だ。
――ふわっ。
風に乗って、ある「香り」が私の鼻腔をくすぐった。
男たちが飲んだ小瓶から漂う、その香り。 香ばしく、少し酸味があり、それでいて奥底に眠る濃厚な豆の発酵臭。
私の足が止まる。 全身に電流が走る。 まさか。 嘘だろ。 こんな異世界の、しかもあんな「毒薬」扱いされている瓶から、この匂いがするなんて。
私は無意識のうちに、涙目で瓶を握りしめているスキンヘッドの男に近づいていた。
「ねえ、おじさん」 「あん? なんだ嬢ちゃん。ここは子供が来るとこじゃ……」 「それ、ちょっと匂い嗅がせて」
私の鬼気迫る表情に押されたのか、男はビクリと肩を震わせ、空になった小瓶を差し出した。
「お、おう。臭いぞ? 鼻が腐るぞ?」
私は忠告を無視し、小瓶に鼻を近づけた。 クンクン、と嗅ぐ。
間違いない。 この芳醇な香り。大豆と小麦、そして麹菌が織りなす奇跡のハーモニー。 私の脳裏に、白いご飯、刺身、冷奴、焼きおにぎりの映像がフラッシュバックする。
「……これ、どこで売ってるの」 「あ? そこの屋台だが……」
私は屋台の店主に詰め寄った。
「おじさん! これいくら!?」 「『筋力増強ポーション(小)』か? 一本で銅貨2枚(約200円)だが……嬢ちゃん、やめとけ。これは近くの『ゲテモノ窟』で湧いてくる汁でな、効果はすごいが味は泥水以下だ。子供が飲んだらショック死するかもしれんぞ」
店主は親切心で止めてくれた。 周りの冒険者たちも、「おいおい、チャレンジャーだな」「死ぬぞ」と囁き合っている。
私は、懐に入っていた全財産(孤児院を出る時にくすねてきた小銭)をカウンターに叩きつけた。
「一本ちょうだい!!」
店主は呆れながら、黒い液体の入った小瓶を渡してくれた。 私は震える手で蓋を開ける。 鼻を刺す強烈な匂い。確かに、精製されていない分、雑味やエグみのような匂いも混ざっている。だが、その本質は変わらない。
私は小瓶を口に運んだ。 冒険者たちが「うわっ、見ろよ」「吐くぞ、桶を持ってこい」と騒いでいる。
――コクン。
とろりとした液体が、舌の上を転がる。 最初は強烈な塩気。 次に、ガツンとくる濃厚なコク。 そして鼻に抜ける、燻したような香ばしさ。
これは……。 スーパーで売っているような大量生産の醤油じゃない。 昔ながらの木桶で、三年以上じっくりと熟成させ、水分が飛び、旨味の結晶となった……
「……『たまり醤油』だ……ッ!!」
私の目から、感動の涙がツーと零れ落ちた。 ああ、神様。転生させてくれてありがとう。 この世界には、醤油があったのだ。 ただ、誰もこれを「調味料」だと気づかず、原液のまま一気飲みしているという狂気の世界だというだけで。
「じょ、嬢ちゃん!? 泣くほど不味かったか!?」
慌てふためく冒険者のおじさん。 私は涙を拭い、満面の笑みで彼を見上げた。この12歳の体で出せる、最高の営業スマイルで。
「ううん、違うの! おじさん、これ全部買い占めてもいい?」 「は?」 「あと、誰か『オークの肉』持ってる人いない!? 今ならこのポーションを使って、私が飛びっきり美味しい料理を作ってあげる!!」
広場が静まり返った。 誰もが、「この可愛らしい少女は、ついに頭がおかしくなったのか」という目で私を見ていた。
だが、私は確信していた。 この『たまり醤油』と、さっき見た脂身だらけで捨てられていた『魔獣の肉』があれば。 人類を虜にする「悪魔の料理」が作れることを。
「さあ、調理開始よ!」




