〖act.51〗傭兵と魔法使い、聖なる夜と間諜と
灰色の季節の中、紐育の街だけは極彩色のイルミネーションを着飾り、いつにも増して華やかな装いをしている。
「何度見ても本当に綺麗な装飾よねぇ……」
そんな華やかさが際立つ街並みを見て、ほぅ、と溜め息を漏らすのはルーツィア。
「ルーツィアの言う通り……私の地元よりも綺麗ですねぇ……」
ルーツィアに連られて同じく溜め息を漏らすのはジーナ・デイ・ハサウェイ巡査。
「そういやジーナはどこ出身なんだい?」
そんなハサウェイ巡査の呟きに反応したのは栗栖。
「あっ、はいクリスさん。私は忽吉尼州のクワンティコですよ。500人足らずのちいさな町なんですけど……」
海兵隊の基地以外何も無い町ですけどね、とはハサウェイ巡査。
「そうか、するとニューヨークからだと……」
「凡そ405マイル(653キロ)有りますね、ニューヨークとバージニアの間なら」
ハサウェイ巡査の言葉を受けて思いを巡らす栗栖に答えを提示したのはマサキ・エドワーズ刑事。
「そうか。流石だな、マサキ」
「いえ、クリスさん。そんな事は無いです」
そんなエドワーズ刑事に感心する栗栖と、少しはにかんで答えるエドワーズ刑事。
彼等がお互いを名前で呼び合ってる事にお気付きだろうか? 実はお互いに同年代である事もあり、ここ何日かですっかり打ち解けたのである。それでもこの4人の中では栗栖が一番年上ではあるが。
今日は12月24日、ルーツィアにとっては2年2回目の聖なる夜である。本来なら去年が2回目となる筈だったが、去年は色々とあり過ぎてろくにクリスマスを過ごせなかったので、回数はされていない。
国連での講義も12月と言う事でクリスマス休暇となり、更にはA・C・Oでの任務も無い事から栗栖とルーツィアは、エドワーズ刑事──マサキとハサウェイ巡査──ジーナと共に、久しぶりの聖夜を栗栖が予約したレストランでの正餐を楽しむべく、ウインドショッピングを楽しみつつ向かっている所だった。
一昨年と同じく色とりどりのディスプレイで華やかさが際立つ店先をあちこちと覗きながら、クリスマスで賑わうニューヨークの街を闊歩する4人。こう見ると二十代の若者に……見えなくもない。
だが実際は4人でそれぞれに四方に注意を払っており、不審な人の動きに気を配っていた。そして──
(……尾けられているな)
先ず栗栖が自分達の後ろから尾行していると思しき人物に気が付いた。距離にして約100m、恐らくは男性であろうと思われるが先程から幾度か歩調を変えていたのだが、向こうも此方のペースに悉く合わせているのがわかったからだ。
『クリスさんも気付きましたか?』
その時、横に並んで歩いていたマサキが栗栖の方に顔を向けずにそっと小声で声を掛けてくる。
『マサキも気付いたか?』
正面を向いたまま、やはり小声で答える栗栖。マサキは無言で頷き肯定を示す。
『とりあえずやり過ごして、様子を見るか……』
栗栖はそう小声でマサキに指示すると
「──ルーツィア、ジーナ」
前を歩くルーツィアらにも声を掛け、振り向く2人に右手の親指を下に突き出す仕草をする。それだけで2人も何事かを察して無言で頷き返し、そのまま近くにあった小売店の一軒に入る4人。ここに入って相手の出方を見る算段なのだ。
店内に入ってからは栗栖とマサキが店のショウウインドウに何気に立って、硝子越しに追跡者と思しき人物に注意を払う。
程なくして栗栖達の居る店の前を、黒の外套を着た目付きの鋭い30代ぐらいの男性が、此方に近付いて来るのが見える。
(アレが間諜……か?)
ショウウインドウに置かれている商品に手を伸ばし物色する振りをしながら、栗栖の注意はその男へと向けられる。
チラッと店を一瞥すると、そのまま通り過ぎて行こうとする男。
その時
「──【付印】」
栗栖の直ぐ傍でルーツィアの呟きが聞こえ、淡い光の粒が通り過ぎて行こうとする男の背中に向かって真っ直ぐに飛んで行き、背中に当たると吸い込まれて消えるのが見えた。
少し驚いて声がした方に顔を向けると、右手人差し指を銃の様に構えて男に向けているルーツィアの姿が目に入る。
「ルーツィア、今のは?」
ルーツィアに視線を向けたまま、思わず尋ねる栗栖。すると彼女は
「今のは【付印】と言う魔法よ。その名の通り、人や動物やモノに魔力による印を付けておく事が出来るの」
そう言って、滅多に見せない悪い笑みを浮かべるのだった。
その場でこの話を話す訳にもいかず、不審な男が充分離れてからセレクトショップを出て、近くの軽食店に入る栗栖ら4人。実は最初に入ったセレクトショップで、有名人であるルーツィアが注目を集めてしまったのもあるのだが。
「さて、と、それじゃあルーツィア。さっきの魔法について説明してくれないか?」
それぞれがカフェの店員に全員分の水、珈琲やラテにラテ・マキアートを注文してから徐ろに栗栖が口を開く。もちろん小声で。
「ええ、もちろん。あの魔法は追跡する人や動物、あるいは車なんかの乗り物に掛ける魔法で、魔法を掛けたモノと術者の間に一種の繋がりを生み出して、術者に相手の位置や存在を感覚的に教える魔法なの。これはクリス達が使っていた【Starchaser】を模倣して私が新しく創り出した魔法よ」
さっき栗栖が彼女らにハンドサインを示した時から万が一に備えて発動させていたのだ、とこれまた小声で言うルーツィア。
因みに栗栖がルーツィアらに示した、あのハンドサインは【敵を発見】を指し示していたのである。これはマサキとジーナがルーツィアの警護に付いてから彼等に栗栖が教えたA・C・Oの部隊内で使うハンドサインであり、その方が単なるジェスチャーよりも意志の疎通がし易いからに他ならない。
兎に角そうした訳で、不審者が居る事を伝達されたルーツィアが不審者対策として【付印】の魔法を使った、と言う次第である。
「そうか──しかし、本当に魔法には何でもありだな……」
ルーツィアの話を聞いて半ば呆れ気味の栗栖。マサキやジーナに至っては、間近でルーツィアの魔法を見たので唖然としている。そんな2人の様子を見て
「まぁ、な。すまんが2人ともコレには慣れてもらうしかないな」
苦笑を浮かべながらそう言うに留まる栗栖。
カフェの店員が注文した品をテーブルに運んできたので、この話は一旦ここまでとなったのである。
カフェで少し時間を潰し、改めて街路へと出る4人。ルーツィアの話では【付印】を認知出来る距離は周囲約200mらしい。スパイと思しき不審者の発見が護衛対象であるルーツィア頼みなのはマサキら2人には心苦しいみたいだが、この際使えるモノは何でも積極的に使うべきだと栗栖は考えていた。
大通りへと出た栗栖はルーツィアに目を向けると、彼女は小さく頷く。どうやら印を付けた人物はこの辺りには居ないみたいである。それを確認すると道行く人の足並みに揃えて歩き始める4人。
但し今度はジーナが先頭に立ち前方向に注意を払い、その後ろに栗栖とルーツィアが並んで歩き左右に注意を向け、その2人の後ろにはマサキが後方からの追跡者に注意を払う、と言ういわゆる米空軍の菱形隊形に近いフォーメーションである。
とりあえずはこれで死角は無いと思われるが
「全く……折角のクリスマスイブなのに……」
栗栖の横に並んで歩いているルーツィアから不満の声が聞こえてきて、栗栖は思わず苦笑いを浮かべるのだった。
スパイと思しき不審者の登場で、それまでのゆっくりした雰囲気は一変、他に追跡して来る者が居ないか周囲に注意を払う栗栖達4人。
そうでなくてもルーツィア自身、既に一般市民に広く顔を知られており、歩いている最中にも幾度も握手を求めてきたり何かと声を掛けてくる人が多かった。
その中には明らかにスパイと思しき不審な人物からの接触も幾度があったが、その都度ルーツィアが【付印】の魔法を気付かれない様に使って接触してきたスパイと思しき人物には印を施したのは言うまでもない。そして結果としては15人ほどの人に【付印】したルーツィア。
「全く……蜚蠊みたいに、本当に次から次へと湧いて来るわねぇ……」
余りの多さに辟易したと言わんばかりのルーツィア。
向こうでもゴキブリは嫌われ者みたいである。
途中で思わぬ禍があったが、何とか予約していた時間前には店に着く事が出来た栗栖達。このレストランはクリスマスの予定がはっきりした時点で、栗栖が自身の携帯用電子機器からイェルプで予約しておいた熟成肉ステーキで有名な店である。
予約で来店した旨を伝えると担当の店員に4人掛けのテーブルに案内される。先ず水が入ったグラスとメニューが持ってこられ、暫くしてそれぞれの前に注文した料理が運ばれて来る。
ルーツィアとジーナは店名物のフィレステーキとサーロインステーキの両方を楽しめるステーキセット、栗栖はフィレとフォアグラを組み合わせたロッシーニステーキ、マサキはリブロースステーキ、それとは別にクリスマスイブと言う事もあり、テーブルには生姜やシナモンが効いた砂糖細工が可愛らしいジンシャーマンクッキーが、やはりそれぞれに置かれた。
「皆んな料理は揃ったかな? それでは食べようか」
主催である栗栖のその一声で、束の間、一時の平和な食事が始まるのだった。
そんなこんなで1時間足らずのディナーを終え会計となり、担当店員から支払い金額が記入された領収書が挟まれた用箋挟を渡される栗栖。
金額を確認するとホルダーに自分のクレジットカードを差し込んで、心付けの欄に店員へのチップ代を記入してからレシートに署名し、再び店員に渡し支払いを頼む栗栖。
店員は一度店の奥に引っ込み会計を済ませて来て、今度は3枚のレシートを付けられたクレジットカードを挟んだホルダーを手渡して来る。レシート3枚のうち1枚は担当店員へのチップの領収書のレシートであり、この辺は日本には無い文化ではある。
「あー、お腹いっぱいっ♡」
会計を済ませて店の外に出てきた栗栖達4人。ルーツィアが少し端なくお腹を摩りながら軽く伸びをする。
「クリスさん、今日はご馳走様でした」
「あっ、ご、ご馳走様でしたッ!」
そんなルーツィアを横に置いておいて、先ずマサキが、その後に続けてジーナが栗栖に礼を口にする。
「そうそう! 満腹になってお礼を言うのをすっかり忘れるところだったわ! クリス、今日は本当に有難うッ!」
最後にルーツィアが満面の笑みで礼を言い、栗栖もそれに連られて笑みを浮かべながら「どういたしまして」と答えを返す。
だがそんな和やかな空気は一瞬で張り詰めた空気へと変わる。栗栖と笑みを交わしていたルーツィアの表情が穏やかな物から一転、不意に緊張した面持ちとなり
『クリスッ、【付印】の反応があるわ。それも複数ッ』
栗栖に固い小声でそう告げてくる! ルーツィアの言葉に身構える3人!
『これは──恐らく人数は6人よ』
続けて接近して来る人数を手で示しながら口にするルーツィア。
『何方から接近して来ているか分かるか? ルーツィア?』
栗栖の問いに目を瞑り、意識を集中するルーツィア。マサキとジーナが辺りに注意を払いつつ、ルーツィアと栗栖の会話に聞き耳を立てる。
『──私から見て12時に2人、2時に2人、6時に2人。距離は感覚的に200と言った所かしら』
レストランの前、大通りの左側を向いたルーツィアが栗栖らに時計表示で接近して来る者達の方角を口にする。この場合、9時側は出てきたレストランと言う事になる。そうすると自ずと向かうべき経路は限られる事になる。
「良しッ! ここでは何かあったら色々と不味い。車道を横切って向こう側へ出るぞッ!」
栗栖が言うが早い、4人全員でクリスマスイブで渋滞し始めている車道へ出ると、クルマの間をすり抜けて反対側へと渡って行く。
相手も栗栖達の動向に気付いたらしく、後を追う様に車道を渡って来るのを感じ取り「来たわよ!」と告げるルーツィア。
聖夜で賑わうニューヨークの繁華街で、いま栗栖達とスパイとの追走劇が幕を開ける。
次回投稿は二週間後の予定です。
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