夫婦2
ご主人の退室を確認し、大文字は奥さんと向かい合って質疑応答を始めた。
「答えられない事は答えなくて構いません。難しい質問であっても直感で答えて貰えると助かります。先に聞いておきたい事はありますか?」
大文字は言葉を区切り、奥さんからの質問時間を作ってから話し始める。
「夫婦の夜の営みは円満ですか?」
その途端、その質問を横で聞いていた紀夫は口に含んだお茶を盛大に吹き出した。
「ちょっと大文字さん!それはセクハラですよ!」
「落ち着け紀夫くん。それと人の家を汚したんだから先ずはごめんなさいからだ」
三人は紀夫の吹き出したお茶の処理に追われた。案内された今にカーペットが敷かれてなくて良かったと安堵を着く。紀夫は、その間に質問があやふやになってくれれば良いと思った。
「では改めて、夫婦の夜の営みは円満ですか?」
「大文字さん!そんなにセクハラがしたいんですか?」
折角煙に巻いた質問を再び掘り起こした大文字に紀夫はマジギレだ。だが、そこにはいつものおチャラけた大文字はどこにもいない。
ヘラヘラした笑顔は崩れ、眉間にシワを寄せて紀夫に対して怒っているのがよくわかった。
「紀夫くん、ちょっと外に出てて」
声のトーンが普段より3つ位下だった。そんな大文字に逆らってこの場に残る事が出来るのは余程の勇者だろう。紀夫は何か言いたげに口をまごまごとさせたが、仮にも大文字は上司だ。歯をぎゅっと噛み締めて、雨の降る家の外に出た。
(大文字さんってたまにめっちゃ怖いんだよな。あーあ、絶対後で怒られるよ。でもあれは誰がどう聞いてもセクハラだよな)
紀夫は説教を受ける覚悟を決めながら、できるだけ体が濡れないように壁際に寄りかかった。
そして待つこと数十分。やっとの事で姿を現した大文字は、先程よりも笑顔の増えた夫婦に見送られ、桑田夫妻に別れを告げた。
「お待たせ紀夫くん。また明日も来る事になったから観光はあんまり出来なくなったよ。非常に残念だ」
「……お疲れ様です」
紀夫は恐る恐る大文字の顔を覗き込む。
今は接客モードでヘラヘラしているが、実は腹の底で怒っているのでは無いかと考えた。
案の定大文字の表情は一変し、真剣なものへと変わっていく。紀夫の瞳をしっかりと見つめた。
「紀夫くん、一つだけ言っておく。俺の仕事はね、いかに相手のニーズを聞き出せるか、そしていかに相手の顔色を伺えるかに掛かっている。情事がどうかを聞いたのは夫婦仲が悪くなった原因の可能性として知る必要があったからだ。それに、答えなくても良いって前置きをしただろうに」
珍しく、説教口調で大文字が語り出しす。その真っ直ぐな視線を直視できず、紀夫は目を背けた。
「それは……そうですけど……それじゃあ、あの人が答えなかったらどうするつもりだったんですか?」
「それならそれで顔色を見て判断するさ。耳や首、頬の何処かが赤くなれば円満な証拠、声に怒りが込められていたら下手したら主人の浮気の可能性もある。まぁ、今回の原因は単純に子供が産まれて遊べなくなったからで間違いないだろうね」
紀夫はなるほど、と大文字の話に聞き入った。しかし、怒られてばかりというのは気分いいものではない。最後の一文に引っかかりを覚え、それに対してちょっかいの一つでも出そうと思い至る。
「結局は本人たちが言ってた通りだったって事ですよね?」
「その通り。ん?別に俺は恥ずかしい事は言ってないぞ?他のいろんな要素を潰して置かないとその人の本当の悩みが分からないからね。少し前に紀夫くんが解決してくれたあのイジメられていた男の子もまた然りだ。不確定なものは削っていくんだよ」
大文字の話しは紀夫の頭では理解できず、途中から頭を抱えて頭痛と戦い始めた。
「ほら混乱した。最後に一つだけ教えておこう。人はね、簡単に操れるんだよ。驚くほど簡単にね」
笑顔の陰に隠れて分かり辛いが、大文字が口角を吊り上げてニタリと笑った気がした。普段表に見せている笑顔は、まるで仮面でも被っているかのような錯覚さえ覚える。
ほんの一瞬で元の笑顔に戻ってはいるが、紀夫は言葉を失い、自分の血の気が引いていくのを感じた。
「おっと、ごめんごめん。ついイジメすぎたね。じゃあ予定通りホテルに行って温泉に入ろうではないか!」
どれが本物の大文字の顔なのか。そんな鶏が先か卵が先かヒヨコが先かみたいな疑問を抱え、頭の中はその事で一杯だ。しかし、無邪気な顔で笑う大文字を見たら、それは自分の気のせいだったと思えてきた。
なんの事はない。大文字の素はこっちだろう。二面性のある人間なんていくらでもいる、と。それ以上は考えない事にした。
大文字の予約していたホテルは、和風の露天風呂と洋風のユニットバスなどが設置されてある和と洋の中間のようなホテルだ。
入り口は日本庭園という雰囲気で、ししおどしや小さな池はこれぞ日本といった印象。入り口を抜けた先には、絵画や壺などの飾られた洋風フロアが広がる。
二人が案内された部屋は完全に和室であったが、他の部屋だと完全に洋室の部屋、その両方を合わせた部屋と三種類の部屋がある。
二人は自室に荷物を置き、ここまでついてきてくれたタクシーの運転手に別れを告げて、足早に温泉へ向かう。
二人が向かったらのは貸切タイプの露天風呂。竹で作られた目隠しと、木で作られた脱衣スペースも相まって、安らかな空間が作られる。
紀夫は悩みを忘れ、温泉に浸かって日頃の疲れを流した。
「おっさんみたいだね紀夫くん。そのまま湯船に浸かって「良い湯だな〜」って言ってみなよ」
「おっさんとは失礼ですよ。大文字さんより年下ですよ?俺がおっさんなら大文字さんもおっさんです」
紀夫の姿は、しつこく付きまとう悪ガキを追い払おうとするおっさんである。
「いいや違うね。俺はいつまでも精神年齢を若く保っているからな!」
バーンと胸を張って言い放っていたが、自分で精神年齢が低いと言うのも如何なものか。
この日は一日中大文字と一緒に行動し、疲れていた紀夫は無視を決め込んだ。
「さて紀夫くん。ここの宿をとった真の目的を伝えよう。ここに立って下を見下ろせば、なんと下にある温泉が丸見えなのだ!」
その言葉を聞き、男で立ち上がらないものなどいない。紀夫も例に漏れず、疲れを忘れ、目を凝らして先は女性用の露天風呂。丁度良く誰かがいないかと目を凝らした。
「……大文字さん、ここから下の露天風呂を見たいならマサイ族になるしかないですよ。視力が足りない」
「その通り!いいかい紀夫くん。<見えそうで見えない>と言うのが一番いいのだ。見えてしまえば「なーんだこの程度か」となるし、逆にガードが硬すぎると何も感じない。だからこそ見えそうで見えないスポットがあるここを選んだのだ!」
力説を始めた大文字を見た紀夫は深いため息を吐き出した。
(この人って本当にテレビやネットで話題になる位すごい人なのかな?そういえば、この人本人が叫んで人を集めたんだよな?それすらも何かトリックがあったりして?)
裏が読めない性格なだけにずる賢い事を考えていそうで深読みしてしまう。
その後、調子に乗り過ぎた大文字から謝罪貰うまで紀夫の機嫌は直らなかった。
風呂から上がり自室に戻ると、大文字は色んな所に電話をかけ始めた。時間は午後八時。仕事の電話が迷惑になるとか、失礼だとは微塵も考えていないようだ。大文字が電話をかけた回数は計6回。その内の2回は以前紀夫もあった事がある石田だ。会話の内容までは分からなかったが、全ての電話が今回の桑田夫妻にかかわる事らしい。
一日中大文字と行動を共にして改めてわかった事だが、大文字という人間はつくづく何を考えているのか理解できない。
大文字の予定では明日中にこの案件は片付くそうだが、人の悩みをそんなに簡単に解決できるとは思えない。しかし、大文字はそんな旅行ついでにチョロっと買い物程度の感覚で解決出来ると断言した。
大文字以外の人間の言葉であれば戯言で終わるような事も、この人が言うと何故か信頼できる気がする。
深夜遅くまで電話をかけていた大文字をよそに、紀夫は一人、眠りについた。
ーー
翌日早朝からホテルの売店でお土産を買った二人は、地元のタクシーを使って再び桑田家に向かった。
「大文字さん、今日は最初から席を外しましょうか?」
「ん?昨日の事を引きずってるのかい?無駄な心配だよ。君がまた失言をするようなら追い出すけど、そうでないならその場にいてもらった方がいいからね。君の成長の為にならないだろう。とはいっても、今日は書類を渡しに行くだけなんだけどね」
紀夫は今回も入れて既に2回も失態を晒している。どちらも軽く説教をされるだけで済ませれた。いっその事、ビシッと怒られた方がスッキリするということをこの人ならば理解しているだろうに。
こうやって考えさせる事こそ大文字の策略なのだろうか?そう捉えた紀夫は、今の状況を甘んじて受け入れた。
桑田家に着き、昨日と同じ居間に案内され、昨日と同じ椅子に座る。
大文字は昨夜の内に作成したであろう機密情報満載の用紙を取り出し、それを自分の前に置いた。紀夫の位置から用紙を横目に見てみると、下の方にチェックを付ける欄があった。
「昨日話した通り、この地域にある一時保育をしている場所とその金額を記載した用紙がこちらです。次に、もしも奥様が働かれた場合の収入や保育費、生活費などを記入したものがこちら、ご主人の仕事についてもついでに入れておきました。最後にご自宅のリフォームによって期待できる色彩効果とそれにかかる費用を記入したものが此方。これで全てです」
淡々と、物凄く簡単に作ったと言わんばかりに次々と書類を出していたが、その内容は尋常でない程貴重なものだ。しかも全てが手書き、全てを昨夜一日で完成させている。
その速度と精度に、桑田夫妻も開いた口が塞がらない様子だ。
「これだけの量を本当に一日で作ってこられるとは……流石口コミナンバーワンの相談所は違いますね」
「いえいえ、とんでもない。では出張料を込みでお支払いをお願いします」
いつも見る金額は大体2〜5万円ほど。大文字が三日以上かかると考えたものに関しては時価で計算される。しかし今回は出張料まで入っている。
7万円という領収書に、紀夫はまたも吹き出しそうになった。払う方も払う方で、満面の笑みで7万円の入った封筒を大文字に渡している。つまりたった三枚の紙切れにそれだけの価値があったと考えているのだ。
今回紹介した物を要約すると、子供を一時的に預ける場所の書類。
二人のすれ違いを回避するため、仕事の時間が同じものを記載した書類兼紹介状。
まずは見た目からという事で家のリフォームや家具の交換、それに伴って現れるであろう相乗効果や、リフォームにかかる費用の書類や参考書。
たったこれだけ、されど<これだけ>だ。
人によっては価値のないものだが、この夫婦から見たら価値があるもの。
特に仕事については桑田夫妻も転職を考えていたようで、書類を渡した後は食い入るように見ていた。
大文字は二人の満足した顔を見るなり、大文字は自分の仕事は終わったと立ち上がる。
満足そうな夫婦に見送られ、紀夫は自分に対して向けられたものでは無いにも関わらず、心なしか嬉しくなった。
大文字はたった二日で夫婦の悩みを解決して見せた。しかも最高の形で、だ。
紀夫は大文字という人間が凄まじい能力を持った人間だと改めて実感すると共に、大文字という人間が何故こんなに凄いのか調べてみたいと思った。
だからこそと言うべきか。大声で人を集めた話はどうも引っかかる。この人なら確かに出来そうな気はするが、無名の状態でどうやったのか。実力であれば紀夫の信頼度は高まるが、そうでなければ……つまりはイカサマであれば、自分はどう対応するのか。
疑問は疑問を呼び、連鎖して絡み合う。
こういう時は誰かに相談してみるのが良い。歳も同い年だし、今現在紀夫が一番話しやすいのは花子だ。その花子は大文字の親戚にあたる。機会があれば花子に大文字の事を聞いてみようと決めた。




