不思議な人
大文字と旅行をしてから早一週間が経とうとしていた。体育祭が中止になった一宮学校では、煮え切らない思いを抱えた生徒たちが続出。その溢れるパワーは、九月に行われる文化祭で生かすようにと先生が説得していたのは記憶に新しい。
そうして、紫陽花の花開く季節が訪れた。今月は一学期の中間テストがある。しかし、紀夫はアルバイトを始めてからというもの、いやアルバイトをする前も家で勉強をしたことが無い。
そんな時間があるならばゲームをしてた方がましだ!と言うのがアルバイトを始める以前の考え方。
そして今は、そんな時間すらない!というものに変わった。これは週四日程度はバイト、残りはネバーランドで遊ぶと決めているからだ。
アルバイトを始めてからというもの、休日でもゲームができない日が多く、楽しみが仕事に変わってきている。それではゲーマーとして失格だと紀夫は考える。
しかし紀夫がゲームをあまりしなくなったのには、忙しくなった以外にも大きな理由がある。一番仲が良いローズと時間が合わなくて一緒にゲームが出来ていないのだ。
彼女もバイトをしていると言っていただけあって、週四日程度はログインしてない日がある。どういうわけかローズとの休みが全く合わず、ゲームが一緒にできない日が続いていた。
寝ずに深夜まで一緒にできたらいいのだが、これまた相手も学生だ。無理は言えない。
ローズとは気があう仲のため、ゲーム内でメールのやり取りを良くしているのだが、最近だと、「今日もバイト頑張ってきます」とかの報告ばかりである。
そしてこの日もまた、折角学校もバイトも休みだというのに、彼女のアルバイトの日と重なってしまったようだ。
ネバーランドが協力性の高いゲームなだけあって、一緒に遊ぶ相手がいなければ楽しくないのだ。
暇を持て余した紀夫は、自分は休みの日だというのに事務所へと向かった。勉強するという考えは初めから持ち合わせていないため、ただの暇つぶしである。
「紀夫くんは毎日遊びに来てるね。そんなに暇なのかな?」
いち早く紀夫を見つけた大文字から開口一番で図星を突かれ、紀夫はイラッとしてしまう。
「暇で悪かったですね!それより何をしてるんですか?」
紀夫が事務所に着くと、応接間の模様替えが行われていた。大文字の思い付きで始まった模様替えは、部屋のイメージを冬から夏に変えようとしているとのこと。
元々あった重厚感のある棚の色を茶色から純白に。落ち着いた黒の机を透明のガラス机に変える。引っ越し業者を呼んでまで行う大仕事であった。
ここで紀夫の疑問の一つであった他の部屋がどうなっているかがアッサリと判明した。
何のことはない、7階の全ての部屋が大文字相談事務所の持ち物件であった。応接間から運び出された調度品の数々は隣の部屋に運び込まれ放置される。要は頻繁に模様替えを行う大文字用の倉庫といった具合だ。
こうなるとこの会社の経費がどのように計算されているか心配に思えるが、一つの相談で7万もの金額を貰っていればそれも納得がいくよ。多い時で一日8組の対応をして、そのうち半分は即座に解決する。しかも休みは平日に一日だけ。となれば後は小学生レベルの計算を経て、この会社の収入がどうなっているのかが分かる。なるほど。気軽にボーナスが出せるわけだ。
紀夫は模様替えの邪魔にならない様に避けて通り、奥の仕事部屋にスルリと入った。
「おはよう高橋くん。今日も暇だったの?」
いち早く紀夫に気が付いた花子が挨拶をしてきた。だがその内容は極めて失礼である。
しかし、暇だから来たというのは正解だ。けれども人に言われるといい気はしない。
「山田さんおはよう。ちょっと気になる事があってね。少しだけ話せないかな?」
「いいけど、どうしたの?」
「大文字さんのこと何だけど、どうしたらあんなに超人的になれるのかなって」
花子は大文字の身内だと言っていた。身内なら大文字の秘密を一つや二つ知っていてもおかしくないと考えたのだ。
しかし花子は首を傾げて頬に指を当てた。
「ん〜分かんないな」
普段見る事が出来ない花子の仕草に、得をした気分になった紀夫だが、質問の意図が分かっていないと考えて再び質問を投げる。
「大文字さんが街中で大演説をしたって話が本当なのかなって。少し前から興味があるんだ」
「それは本当のことみたいよ。頑なにテレビの取材を断わってたって菊池さんが言ってた。そう考えたら大文字さんっていろんな逸話があるよね」
「そうなの?他の逸話は聞いたことないな」
「まだ二ヶ月しか働いてないからだと思うよ。お客さんがね、色んな質問をすることがあるの。やの付く人と取引してたり、大物政治家とも関わりがあったり、怒らせたら海に沈められるとか何とか」
これもあったと次から次に大文字の噂話を上げていった。どれもこれも大文字ならばあり得そうで怖い。
特に交友関係は本当に幅広い。やの付く人や政治家と関わりがあっても別段不思議ではない。
というよりも、政策についての書類は以前書類の方の倉庫部屋を整理した時に見たことがある。
そう考えると大文字の逸話がどれもこれも信憑性が高くなる。
もしかしたら紀夫が知ってはいけない様な危ない情報まであるのではないかと思えた。
(そういえば俺がバイトを始めてすぐの時に石田さんと怪しい話をしてたな。それ以外に席を外させたこともないし、あれは何だったんだ?)
考えれば考えるほど大文字という人間が分からない。底知れぬ人、つかみどころのない人、そんな言葉がよく似合う。
紀夫の探究心は強くなる一方だ。
「どれもこれも本当かどうかは分からないんだけどね」
「山田さんはそういう噂話は気にならないの?」
紀夫は、女の子という生物は噂に敏感だと考える。それは花子も例外ではないだろうと考えたのだ。
「私はそこまで気にしないかな。自分の目で見て考える方が確実だと思うから」
花子の予想外の問いに紀夫は心底驚いた。自分よりも男らしいではないか。
そういえば、紀夫が学校で変態扱いされた時も、花子は軽蔑する様な目を向けてこなかった。
「山田さんは凄いね。かっこいいというか何というか」
「もう!せめて可愛いって言ってよ。それで、私に聞きたかったのそれだけ?」
顔を膨らませ、後頭部には「ムキー」という効果音が見えた気がした。普段見れない表情は新鮮さがあり、愛らしさがあった。
「そ、それだけだよ。どうやったら大文字さんみたいになれるのかなって思ってたんだ」
「凄い人だもんね。私も目標にさせて貰ってるよ。洞察力とか人脈とか驚きの連発だよ」
「お二人さん、その辺にしてくれないと俺が君達にご飯をおごらないといけなくなるだろう?」
いつのまにやら仕事部屋に入っていた大文字は、自分を褒め讃える二人の会話を盗み聞きしていた。
これは昼ご飯に定食でもおごってもらうチャンスと考えた紀夫は、さらに畳み掛けて賛辞の言葉を贈る。
「本当に思っている事なのでしょうがないですよ。僕がお茶をこぼした時もあんなに怒ってた人を落ち着かせたじゃないですか。本当に驚きましたよ」
大文字は手をパタパタと振って謙遜する。
「大した事はしてないって。正論を連続で叩きつけただけだから」
紀夫も花子も、大文字が何を言おうとしているのか理解出来ず首を傾げた。
「えっとね、クレーマーとかの怒っている人は自分が優位に立っていないと嫌なの。だけど頭に血が上っていると冷静な言葉意外にアホみたいな事を言い出すでしょ?要は揚げ足取りをしただけだよ」
大文字は簡単に言ってのけたが、それがどれだけ大変な事か紀夫ならばよく分かる。
声のトーン、言葉のタイミング、目線の動きまで全てが絶妙なバランスで重なり合って始めてできる話術なのだと。
それはマジックのミスディレクションやメンタリズムと同じ事。誘導によって沈静化させたのだ。
そんな事を素人が出来るのか。答えは出来るわけがない、だ。
「流石大文字さんですね。僕らは一生出来ないと思います」
「そんな事はないさ。練習と経験あるのみだ。ただ……俺と同じ方法で身につけるのはオススメしないけどね」
どこか儚げで、悲しそうな表情が薄っすら見えた。
「どういう事ですか?」
「何でもないよ。さぁ、そろそろお昼の時間だ。菊池くんももうすぐ帰ってくるはずだから、皆揃ったら食事に行こう。花子ちゃんと紀夫くんのシフトが一緒の出勤になる日が少ないからね。こういう時こそ親睦を深めようじゃないか」
紀夫は、土足で心に踏み込んでくる人間が、親睦も何も無いだろうと感じたが、苦笑いを作るだけに留めた。
大文字はここぞとばかりに菊池に電話をかけて昼ご飯に誘った。
それから数分程度で折り返しの電話が入り、菊池を加えた一同は定食屋に繰り出した。
たった四人程度のーーしかも二人は学生のーー会社であるが、全員揃って食事に向かう事はそうそう無い。
それだけ仲がいい証拠である。
「さっきの続きなんだけど、紀夫くんが頼むものを紙に書いて当てて見せよう!」
先程の話の流れから、大文字の話術を見せてくれるのだろうと紀夫は期待した。だがハードルはあげる方がいい。失敗したら吠え面をかかせる事が出来るのだから。
「大文字さん、それをするなら全員にしないと平等では無いかと」
確かにそうだな、と特に気にした素振りは見受けられない。
「二人はそれでいいかい?」
菊池も花子もこれに承諾。
この小さな定食屋で、大文字による脅威のマジックショーが始まった。とは言っても想像とは一切違うとても地味なものだ。
大文字はいつもと変わらずヘラヘラしているだけで、特に何かをするでもなく「これ美味しいよ」だとか「俺はこれ嫌いなんだ」とかの話をするだけ。本当にいつも通りなのだ。
全員がメニューを決め終わった後、大文字がそれを言い当てる瞬間が訪れた。
「先ずは花子ちゃんからいこうか。花子ちゃんは女の子らしいものを選んでいるね。ダイエット中なのかな?うんやっぱりそうだ」
花子が返事を返す暇も与えず、まるで花子の心と会話をしているような口振りだ。
「というとこっちのマグロ丼かな?雑炊かな?おっと。最初に決めていたのは卵雑炊みたいだね」
「何でわかったんですか!」
見事に的中させたみたいだ。
「花子ちゃんは反応してくれるから簡単に分かるよ。詳しい事は企業秘密で」
「凄いですね。私も次から見破られないように精進します」
頑張りたまえと肩を叩き、次のターゲットに狙いを定めた。
「次は菊池くんだね。君はざる蕎麦だ」
花子の時のように質疑応答も、誘導も無い。大文字が投げたボールは直球ど真ん中ストレートだ。
「悔しいですが当たってます。どうしてざる蕎麦だと?」
「いやいや、君ほど分かりやすいのは逆にすくないよ?だってここに入った瞬間にざる蕎麦の看板を凝視したでしょう?その後にメニューを開いてざる蕎麦のページでまたも止まった。挙句そのままメニューを閉じればざる蕎麦で確定だ。視線がね、分かりやすいのさ」
菊池の場合は一番分かりやすい例だ。誘導云々の前に、彼女の行動を観察した大文字の勝ちだ。
最後に紀夫の番になる。先に答えを教えよう、紀夫は何も選んでいない。勿論それではマジックとして成立しない。もしもテレビでそんな事をしようものならクレームやらバッシングの嵐だろう。
だが、天狗の鼻をへし折るにはこれ位が丁度いいと考えた。
「君は色んなページを見ていたね、本当に色んなページを。目移りが物凄く多かった。……紀夫くん、ルールは守らないとダメだよ?早く頼みたいやつを選びなよ」
図星をつかれた紀夫は、驚愕どころではなかった。
(なんでばれた?そもそもこれはばれているのか?当てずっぽうなのか?なんで?ーー)
慌てふためく紀夫は、壁に立て掛けたメニューの中から適当に海老フライ定食を選ぶ。
ここまで適当に選べばなんの問題も無いだろうと考えて。
「はい今決まったね。海老フライだ」
結局紀夫の抵抗は、大文字の掌で踊らされただけで終わった。




