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ゆめをんな

 七日が、過ぎた。その間で大垣源十郎が連れて来た、刺客の数は、僅かに二人であった。それも、最初の三日間の事で、この四日ばかり、死神心剣は、待ちぼうけをくらっている、と言っても良かった。

 そのかわりに、源十郎の姿は、毎日、昼ごろ、釣り糸を川面に流す心剣の前に現れては、

「仕官のご返事の程をお聞かせ願いたい」

 今日も仕官話の茶番を繰り返した。

「大垣さん――最初の奴こそ、魔法を使ったが、その後の二人はただ武芸の腕が立つだけだったな。それとも、そもそも最初から、走狗(そうく)に困る程の人手不足だったか?」

 心剣の揶揄に、源十郎は答えた。

「治癒の魔法には、術者の命を魔力の源にする……これを聞いて、翻意(ほんい)なされたのやも知れぬ」

 ――ふん。おのれの美貌を永遠には保てぬ事が解って諦めたか。いや、それならば、そもそも、さらに二人の刺客など寄越さぬ筈……何か、考えがあるな。問題は、果たしてそれを、この男の主人が、この男に明かしているか、だ。

 イザベル・カペーが、コゼットに会いたいとする理由と、心剣がそれを拒む理由は、八日前にサリバンを撃退した後、源十郎と心剣の両者の口から、語られていたのであった。ただし、心剣は、ジャンにも能力が受け継がれていると言った、コゼットの言葉は伏せている。

 今日、源十郎は、土産を持参していた。

「翻意なされたのであれば、貴公と同僚になれぬとも、知己にはなれるというもの。今日はお互いの立場の事は忘れて、一献、如何でござろう?」

 答えも待たず源十郎は、土産の中身を晒した。酒と、藤井圭吾の屋台の寿司であった。

「貴公にお教え戴いた、寿司の屋台。いや、実に腕が良い。拙者は、もともと、仙台伊達家家中の貧乏侍に生まれ申して、当然、家計は火の車。一家総出の内職で、やっと、拙者の通う道場の(そく)(しゅう)を払う余裕ができた、と言う有り様。一文でも切り詰めて暮らしの足しにするという実情でござった。それでも、一年に一度とか、半年に一度とか、寿司を口にする機会がござった。もっとも、江戸前などとは呼べぬ()れ寿司でござったが……」

 源十郎は、問わず語りの思い出話としながら、持参した茶碗二つを川の流れで洗った。

 心剣の右に、並ぶようにして腰かけて、源十郎は茶碗に酒を注いだ。

 心剣は、僅かに苦笑して、差し出された茶碗を受け取った。

 ――兵法者、らしからぬ振る舞いだが……。

 ――俺も随分と疑り深くなったものだ。

 折詰は一つである。ネタは数種合計二十貫。茶碗を洗ったのは、毒の疑念を払うためであったろうし、わざわざ心剣の右側に腰かけたのも、敵意の無いしるしである。この位置関係は、仮に、心剣が源十郎を襲う場合に有利で、源十郎が心剣を襲う場合には不利に働くからである。

 それから四半刻余り――、コルネリウス・スピレインの屋敷で、初めて会った時と同様、源十郎がほとんど一人で喋り、心剣は静かに酒を口に運ぶ、という光景が続いた。

「時に死神氏は、夢を見られることがおありか?」

 さっきまで、イザベルに拾われた経緯を話していた源十郎が、ふと、心剣へ訊ねた。

 酒は、二人で半分ずつ、飲み干していた。

「それが?」

「夢というものは、不思議なものでござる。かの愛洲(あいす)移香斎(いこうさい)殿は、夢に出てきた猿に、剣の極意を得、飯篠(いいざさ)長威斎(ちょういさい)殿、福井兵衛門殿も夢によって剣理を悟ったとか。拙者も、剣の道を歩く者として、そのような夢を見とうござるが、なかなか……。いや、そもそも、見たいと願っている時点で不心得者と申さば、見られぬのは道理でござるが。ところで、貴公、そろそろ眠たくはなってはござらんか?」

「別に……」

 と、答えた心剣の予感に、何かが触れたが、この男としては珍しく、それがなんであるか、すぐに突き止められなかった。

 (かす)かに訝った表情の心剣に、源十郎は、

「謝罪致さねばならぬ。イザベル様は、全く翻意してござらん。実は、この酒には、眠り薬を混ぜており申した」

 言いながら、頭を下げた。

「拙者も飲めば、貴公も疑わぬであろうと、思った次第でござる」

「……成程。一杯食わす代わりに、飲ました訳か。さすがに薬で眠らされれば、文字通り、寝首を掻くのも容易い」

 心剣は、むしろ笑ったものであった。

 最初の、心剣の疑念は、当たっていたのだ。

「いや、貴公には、眠って頂くだけでござる。拙者も眠り申す。確かに、ある者を近くに控えさせており申すが、その者が、貴公の寝首は掻き申さぬ。夢を見させるだけでござる。あの家も、家探しは致さぬ。すでに無人でござろうからな。約束出来申す。金打(きんちょう)しても構わぬ事でござる!」

 奇妙な話であった。

 源十郎は眠り薬の効果が出始めたのか、睡魔に負けまいとするかのように、力を篭めて言った。

「貴公には、夢を見て頂くだけでござる。夢を――うむっ!」

 源十郎は一声呻くや、ぶるっと体を震わせて、

「いかん――そろそろ拙者が限界に――死神氏――貴公はまだの様子――お疑いなら――拙者を――始末されい――ううーむ――お先に――御免……」

 源十郎がドサリと音立てて横に倒れて、寝息を立てるのを、心剣は暫くのあいだ眺めながら、思案を巡らせていたが、やがて、自嘲気味に口辺を歪ませるや、自身は、仰向けになった。

 ――どうも、この男といると、調子が狂う。口振りでは、控えさせている者と言うのが、俺に何かしらの夢を見させるらしいが……。

 心剣の目に映るのは、晴天ではあったが、また、(こま)切れの雲も多い空であった。

 ――俺に夢を見せて、どうしようというのか。

 と、肚裡に呟いて、心剣は、再び微笑を刷いた。心剣は、隣に眠った源十郎の言葉を、信じる気になっていたのであった。もとより、全て信じているわけでは無かったが、気持ちとしては、そうであった。源十郎の不思議な魅力と言うより他は無い。

 心剣が目蓋を閉じてすぐ、眠り薬の効果は、あらわれた。

 やがて、十分ほどしてのち、心剣に近寄る女があった。女は、しばし、心剣の寝顔を見つめていたが、すっ、と、右手を心剣へかざし、呪文を唱えた……。


 御家人、百俵五人扶持、草壁 東太夫(とうだゆう)茂明(しげあき)の屋敷の離れ――。

「どうもおれは、あの叔父は好かん」

「滅多な事をおっしゃられるものではありませんよ」

 草壁小夜は、困惑した表情で松平兵庫助を見た。

「雅楽頭さまも兵庫助さまに期待為されているからこそ、何かとお世話をして下さっているのではありませんか」

「確かに、世話にはなっている。なっているのだが……嫌な予感がするのだ」

 小夜は、心配そうに、訊いた。

「嫌な、予感ですか」

 うむ、と一つ兵庫助は頷いた。

「具体的に言え、と言われても無理だが……。しかし父上も父上だ。父上と叔父上では、もともと、父上が兄ではないか。いくら叔父上が若年寄だからといって、ヘコヘコし過ぎだとは思わないか?」

「兵庫助さまのお父上さまは、温厚なお方ですから」

「小夜どの。それではおれが、温厚ではないと言っているみたいだ」

 兵庫助が、笑って見せると、小夜も、口元を袖で隠して、目を細めた。

「わたくし、以前に、お父上さまから、聞かされた事があります」

「父上から? 何を聞かされたのだ?」

「はい……その……」

 兵庫助に促されて、小夜の頬に朱が混じった。

「お父上さまは、ご自分が雅楽頭(うたのかみ)さまに頭を下げれば、兵庫助さまのご出世にきっとつながると……。そうなれば、将来の――兵庫助さまとわたくしが、夫婦(めのと)になったのちの……生活の助けになるだろう、と」

 夫婦と口にした途端、小夜は、ますます赤くなって、いじらしく俯いた。

「父上がそんなことを」

「……はい」

 兵庫助は、優しく見つめながら、小夜の手をとった。

「目が覚めた。そうだ、俺には小夜どのとの将来がある! 父上にも叔父上にも、感謝しこそすれ、なんで憤慨出来よう!」

「兵庫助さま――」

 ふと、小夜の表情が翳った。

「でも……わたくしの足が萎えているばかりに、お父上さまにも兵庫助さまにも、いらぬ苦労を……」

 兵庫助はそっと、小夜を抱き寄せた。

「ばか。苦労なものか。それに、萎えていようが無かろうが、関係無い。おれは、小夜どのが好きなのだ」

「兵庫助さま――! うれしい!」

 小夜は、兵庫助の胸に、両手をついて、ややのあいだ、体を寄り掛からせていたが、

「もしや、兵庫助さまは、御存知ですか?」

 そのままの姿勢で、訊ねた。

「何をだ?」

 小夜が、すっ、と、右手で示した先には、一目で貧しいと知れる一軒の家――コゼット宅であった。

「あの家の者は、一体、どちらに参っているのでしょう?」

「あの家の者ならば、シャノンの屋敷に匿われているが、それが、どうしたのだ?」

 兵庫助は答えていた――。


 源十郎の言った通り、女は人に夢を見せて、その夢を覗くことのできる魔法使いであった。イザベルの寵は並々のものでは無かった。この女の魔法で、好ましい夢を、選んで観ることができるからである。

 女は目的を達し、しばらくのあいだ、茫然としていたが、つと立ち上がって、何もせずに立ち去って行った。源十郎を起こそうともしなかったのは、彼による指示であったろうか。それとも、狼狽からであったろうか。


 心剣の覚醒は、およそ四時間後の事であった。彼は覚醒してからも、しばらく両目を閉じたなりで、

 ――一体、なんの魂胆があって、あの時の事を、俺に見せた?

 頭脳で考えつつ、瞳は、目蓋の裏の小夜の姿を眺めていた。

 ――小夜は最後になんと訊ねた……?

 目が覚めてみると、見た夢の最後あたりがぼんやりとして、これはちょっと、思い出すのは無理そうであった。

 ゆっくりと身を起こして、心剣は周囲を眺めた。大垣源十郎の姿は消えていた。心剣の大小の二刀も無事に残されていた。

 と、源十郎の横たわっていた場所に、小石を重しにして、書置きが残されている。心剣はそれを拾った。


 本日の儀、全く卑怯の振る舞いにて(そうろう)、貴公が侮蔑なされるも、拙者に弁明の余地あろうはずもなく候、ただ、主命なればこそ。

 蝶の舞 石上睡猫(いわがみすいびょう) 庚申(こうしん)() 猫が見てるか 胡蝶の夢か

 さらばにて御免。

                          大垣源十郎


 一読するや、心剣は書かれた狂歌に目を宛てて、外せなくなった。この歌が急を要する事態を告げているのは、明白であった。

 もっとも、意味を理解するのに、時間はかからなかった。

 庚申の日の夜、石の上で眠る猫が蝶になる夢を見たが、あるいは蝶が夢で猫になっているのか。

 (さむらい)たるものの心構えの一つに、「花下(かか)睡猫(すいびょう)、心は舞う蝶の如し」というのがある。泰平の世に合わせた振る舞いをしていても、蝶が舞うように心が躍動していれば、一たび変に応じて、いかなる働きも出来る、と。

 花下となるべき場所を石上としたのは、心剣を猫に模したものに相違ない。

 下の句は、「荘子 斉物論」の中にある一節のことであろうか。

 昔、荘周(荘子)は胡蝶になる夢を見たが、目が覚めてみると、人間のままであった。果たして、自分が夢の中で胡蝶になったのか、それとも、胡蝶が夢で自分になったのだろうか。この荘周にあたる部分を、源十郎は猫に変えている。

 猫、すなわち心剣である。

 庚申夜の意味なすところとは?

 人体には、三虫、三尸()の虫が巣食い、庚申の日に眠ると、虫が、帝釈天に日頃のその人物の行いや秘密を、告げる、という庚申の信仰が、日本にはある。ために、庚申の日の夜は、人々は眠らず過ごした。

 そうなると、この歌の意味が少々、違うものとなる。

 ――そうか! 俺に夢を見せたのは、夢の中で、秘密を喋らせるためであったか。俺はおそらく、コゼットの居場所を話したに違いない。

「ふむ。考えた……」

 心剣は呟いて、自嘲の笑みを片唇に()いた。彼は、シャノン・ブランドフォードの屋敷の場所を知らなかった。

 だが、ここで坐していても、どうしようもない。それに、おのれの中で唯一といっても良い、美しい思い出を、汚された、という、不快感もあった。


「シャノン……?」

 死神心剣に夢を見せた女が、コゼットが何処に匿われているのかを話すと、イザベル・カペーの、眉が、僅かに歪んだ。

「シャノン……シャノン――」

 イザベルは、こめかみに指をあてて、思い出そうとしていたが、ふと、大垣源十郎に、視線を向けた。

「どこかで聞いておる名じゃ」

「シャノンとやら、それがし、二度、見ており申す」

「貴族であろ」

「服装などから見ても、まず間違いないかと。……稀に見る美丈夫でござりました」

 源十郎の答えに、イザベルは、

「美しい……? ……そうじゃ! ブランドフォードじゃ! 思い出したぞえ。相続認許のお披露目式で見ておる。美しい男の子であったが、そうか、あの若者か」

 と、合点して、数秒、考える素振りののち、

「どう、思うな?」

 源十郎に意見を求めた。それに対して、源十郎の答えは、明確であった。

「申し上げ難いことでございますが、イザベル様の御領地への御帰参の期日は超えており、此度の件、お諦めあそばすが良いかと……」

「源十郎!」

 イザベルが声を荒げた。

「は!」

 源十郎が、思わず畏まると、イザベルは、数秒、おのれの感情を抑えるかのように、胸に手をあてがい、わざとらしい様子を示した。

「大声を、済まぬ。じゃが、源十郎。わらわはそもじにとって、なんじゃ?」

「あるじでございまする」

「ならば、わらわに従えい」

 そう言った、イザベルの態度は、非常に固いものであった。源十郎としては、こう言われては、このあとどうやっても徒労に終わろう。

「しかし……子爵とはいえ相手が貴族となれば、少し厄介じゃの。どういたしてくれよう?」

 イザベルは思案に入ったようであった。源十郎は、その思案が終わるまで、黙って待った。何も口にせぬ事が、この男が、イザベルに対して取った、初めての反抗であると言えた。


 ミドストリム・ブランドフォードは、城から戻って間もなく、カペー伯からの使者があると聞かされた。息子や、コルネリウス・スピレイン伯からも話を聞かされており、これは、予期していた事であった。

「コゼット殿のことだろう」

 取次の者は、

「さあ……分かりかねますが」

 と、困った顔をしているが、内心、主人と同じ直感があったものと見える。

「いかがなさいましょうか?」

「相手はカペー伯だ。使者とは言え、会わぬ訳にはいくまい。……シャノンはどうしている?」

「ジャン様に、お読み書きを教えておいでです。お呼びいたしましょうか?」

「いや、いい」

 ミドストリムが応接室の使者に会ったのは、五分後の事であった。……但し、そこに居た者は、使者では無かった。

「――! 伯!」

「久方振りじゃの。ブランドフォード」

 そこに居たのは、源十郎と、心剣に夢を見せた女を傍らに置いた、イザベルであった。

 ミドストリムは一気に緊張した。

 妖艶に微笑むイザベルに対し、源十郎の表情は些か暗いものであったが、顔中鬚に覆われているので、ミドストリムが気付かなかったのは無理もない。

「伯自らお出でとは知らず、申し訳ありません」

 この屋敷の人間が、イザベルを知らぬのも仕方なかった。

「構わぬわえ。しようの無い事じゃ。それにわらわの方も、使者と名乗った」

「それで、本日はどのような御用向きで?」

 ミドストリムの促しに、イザベルは笑みを崩さぬまま答えた。

「茶を一服、喫したいぞえ。用意してくりゃれ」

 ミドストリムの面上に、疑念の色が刷かれたが、確かに茶の一杯も振る舞わないのは、失礼にあたる。すぐに用意させた。

 運ばれた茶に、しかし、イザベルは手を伸ばそうともしなかった。ミドストリムは不快の思いを押し隠して、再度促した。

「茶をいただきに来たのじゃ。ただ、飲むのは、この女じゃがの」

「……?」

「源十郎」

「は――」

 イザベルが源十郎を呼ばわると、彼は懐から小さく畳んだ紙包みを取り出した。しかし、源十郎は、取り出したきり、苦しげな表情で微動もしなくなった。

 イザベルはそんな源十郎の姿を、嘲笑うかのように眺めた。

「その紙包みは……?」

 今度は、はっきりとした疑念を浮かべて、ミドストリム。女も、訳が解らぬようで、源十郎とイザベルを見比べている。

「ほほほ、あれは毒薬じゃ」

「なんですと?」

「えっ!?」女の双眸が大きくなった。

「筋書きはこうじゃ。そもじの出した茶には毒が入って居った。わらわを殺そうとしての。それに気付いたこの女が、茶を奪い、飲む。そもじの思惑は外れ、この男に斬られる」

「馬鹿な!」

 あまりの事に、ミドストリムは怒りに身を震わせた。

「わらわも、出来れば、この女を死なせたくは無いし、そもじも死なせたくは無いぞえ。スピレインの老人から預かった女を渡してくれさえすればの」

 イザベルは、つと立ち上がって、源十郎の前に来ると、紙包みに手を掛けた。

「源十郎、わらわに従えい」

 源十郎はそれでもなお暫くは、紙包みを渡さなかったが、やおら、がっくりとうな垂れて、とうとう、渡してしまった。

 毒薬を茶に入れたその後の、イザベルが素早く女を抱え込む動きは、ある意味で見事であった。悲鳴を上げ、女はもがいたが、イザベルが腹へ拳をくれると、糸が切れたようにぐったりとなった。

「さあ、どうするのじゃ? ブランドフォード」

 ミドストリムは、唇を戦慄(わなな)かせたが、もはや取るべき行動は一つしかなかった。

 ……やがて、姿を見せたコゼットに、イザベルは微かに目を細めた。

 コゼットは、場の様子に困惑しながらも、半ば覚悟していたようで、表情には余裕があった。それに、ここに呼ばれたのは、コゼット一人である。ジャンが居ないだけでも、充分であった。

「コゼット殿――すまぬ。こうするより他が無かったのです」

 ミドストリムの悔しげに詫びるのへ、

「いえ……いいんです。御迷惑をおかけしました。謝らなければならないのは、私の方です」

 コゼットは静かに答えた。

「お前がナンナかえ?」

「はい」

「治癒の魔法が使えるとか?」

「……はい」

「見た所まるで病人ではないか。……ならば、本人かどうか、確かめてくれる!」

 言うや、イザベルは、毒茶を、気を失っている女の口へと、流し込んだ。

「イザベル様!」

「待て!」

 源十郎とミドストリムの声は、部屋を震わせるに足りた。


 死神心剣と、コルネリウス・スピレインが、ブランドフォード邸へ到着したのは、それから、一時間後の事であった。心剣から、

「親子の隠れ家が知られた。わたしの落ち度だ」

 と聞かされたコルネリウスは、心剣と共に馬を飛ばして来たのだが、間に合わなかった。

「なんという……度外れた女だ!」

 ミドストリムから事情を聴いて、コルネリウスは吐き捨てるように、叫んだ。

 すでに、シャノン・ブランドフォードも話を聞いて、表情を硬くしている。

「伯――」

 ミドストリムがコルネリウスに訊ねた。

「御宰相の御判断は、いかがでありましたか」

 コルネリウスは苦々しげに、答えた。

「その事だがな。当時から、儂とレオンでコゼットを匿うのは、お見通しであったらしい」

 今回の件を受けて、数日前にコルネリウスは、罪を覚悟で、宰相ゼクス・セーティに全てを話したのであった。そして今日ようやく、宰相の判断が下されたのであった。

「匿い続けよ、との仰せであった。今更蒸し返しても仕方が無いとな。そして、絶対に表へ知れ渡ってはいかんとも申されたが……」

「御宰相からの危険は消えましたね」

 シャノンは安堵しつつ、続けた。

「ですが、カペー伯の手に、コゼットさんが落ちてしまった……」

「すまない――」

 落ち込むミドストリムの肩に、コルネリウスは手を置いた。

「そのような脅迫をされれば、仕方が無い。儂でも、そうしただろう。今は、どうやってあの女から、コゼットを奪還するかだ」

「御老人、イザベルとやらの屋敷、どこにあるか、教えて貰おう」

 ずっと黙っていた心剣が口を開いた。

「元を(ただ)せば、わたしが迂闊であったからに他ならぬ。わたし自身の手で、なんとかせねばなるまい」

「どうすると言うのだ」

「道すがら考えることとなる」

「しかしだな……屋敷に戻っておらぬ可能性もある」

「それでも、行ってみなければなるまい。……替え玉かどうかを見る為に、連れて来た女を殺そうとした相手だ。コゼットの魔法が使い物にならないとなれば、彼女がどうなるか分からぬ。事は一刻を争う。それに、あなた方が動けば、どうしても表沙汰になろう。その内に真相が解明されかねんと存ずる。ここは、市井無頼の野良犬が、勝手にやったことにされたい」

 コルネリウスとミドストリム、シャノンは、思案気に互いの顔を見合った。


「あ、おっさん」

 廊下を急ぐ心剣を見つけて、ジャンが呼びかけた。

「ジャン……」

 たたたっ、と、ジャンが駆け寄り、

「母さん、見なかった? 探してるんだけど、どこにも見当たらないんだ」

 心剣を見上げた。

「……待っていろ、ジャン」

「え?」

 首を傾げたジャンに、心剣は、これ以上、言葉が見つからなかった。

 ――すまぬ!

 肚裡(とり)で叫び、心剣はジャンから離れていった。

 その後ろ姿を、ジャンは、小首を捻りながら、眺めていた。


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