表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/13

女の幻影

 王都は、蒼白くやわらかな月光に照らされている――。

 石畳みで舗装された広い道を、一騎、馬蹄の音も高く、風のように()せさせる、死神心剣の神経に、触れるものがあった。

 ――待ち伏せはこちらも予測の上だ。関羽の五関突破としてくれる!

 人影絶えた路上の先に、数多の殺気を、心剣は受け取って、しかし、速度は緩めなかった。

 数秒とも言えぬ時間ののち、わらわらと、待ち伏せの衆が、二十近く、行く手を遮るように姿を見せた。

 ひょぅっ、と、羽唸り上げる矢を、耳先に掠めさせておいて、フレイルで彼を馬上から落とさんとして振り上げた者の頸を、心剣はいつ抜いたか、馬手(めて)の白刃で刎ねた。

 十間を疾駆する間に、三人を馳せざまに斬り、一人を蹴倒した。だが、疾駆が止まったのは、それから、五間に満たぬ短い距離の事であった。

 馬は、咽喉に、槍を突き入れられ、棹立ちになった。心剣はヒラリと飛び降りた。

 待ち伏せの刺客たちは、顔を隠していた。纏うている衣服も、夜に溶ける色であった。手にした武器に、統一性は無い。剣であったり、斧であったり、槍があれば棒も(いしゆみ)もある。

「お前たち、雇われだな」

 心剣の決めつけに対する言葉は返ってこなかった。代わりに、鋭い、ショートスピアの一撃が、心剣を背後から襲った。

 わずかに身を捻り、空気を突かせて、心剣は見もせずに、左手で槍のけら首を掴んだ。

「誰に雇われたかは訊かぬ。但し、道を開けねばこうなるぞ!」

 言うや、心剣は槍の柄を、目にも止まらぬ動きで両断した。得物を心剣の手からもぎ取らんとしていた刺客は、急に柄が両断されたことに、思わずのことで、後方へたたらを踏む。と、その時には、斬り離された穂先が、刺客の胸へ深々と、投げ返されていた。

 その技に、待ち伏せの者たちに動揺が、拡がった。

「一人頭いくらで雇われたかは知らんが、あくまで邪魔立てすると言うのなら、その金の遣い道は無いものと知れ!」

 高らかに言い放ち、心剣は疾走した。

「げぇ――っ!」

「うがっ!」

 駆け抜けざま、刃圏内に入った二人を斬る。

「ひ、怯むな――! 相手は一人だぞ!」

 どこかで、首領格らしい者の叱咤があがった。

 ――十四。全員を相手にはしておれぬ……。

 心剣は疾走を止めなかった。動揺と狼狽を見せつつも、待ち伏せの面々は、心剣の行く手を、遮ろうとして動いた。

 ――ちっ! 逃げればいいものを、弱いくせに、貰った金の分は働こうと言うのか。その健気さは、褒めてやる!

 更に二人を斬った。バトルアックスの男が、恐怖の絶叫を振るわせつつ、横殴りに、得物を振るった。心剣は宙へ躍った。敵の頭上を越えつつ、利刀は、相手の脳天を割った。

 月光に、煌びやかな血水を撒き散らしながら、着地した心剣の背後の、敵であったそれは、(どう)と倒れた。

 もはや、この待ち伏せの面々に、連携などという言葉は無かった。

 彼らは、完全に、正常な思考を失くしていた。逃げようと背中を向ければ、即座に、殺されるという思いであった。ならば、なんとしても、心剣を殺して、身の安全をはかる……恐怖を防衛本能に任せて、一人、また一人と、心剣に向かって行くのであった。

 心剣の新たな相手の得物は、幅広の両刃直刀、いわゆるブロードソード。

「う、うわーっ!」

 びゅっ、と、突き出されてきた切先は、しかし、心剣にとっては、充分の余裕をもって、対処できる程度の腕前であった。

 体を開いて、切先を(かわ)すまでは――。

 さすがの心剣にも、油断があったと言える。

 敵は、剣を引かぬそのままの五体を、独楽が如くの回転をしたのだ。

 両刃だからこその攻撃である。

 はっとして、間一髪辛うじて、身を沈めた心剣の頭上を、ブロードソードは虚しく、風を産ませた。

 一瞬後、敵の胸部へ、刀を突き刺した心剣は、相手の胸倉を引っ掴むや、さっと、左へ回した。

 どすっ、という音が、ブロードソードの背中からした。心剣は、飛翔してくる矢を、この剣士で防いだのであった。

 ふと、心剣の耳朶が、低く不明瞭な呟きを捉えた。

 魔法の詠唱であろう。

 だが、どこから?

 心剣は再び、走り出した。脳裏には、サリバン戦の記憶がある。うかうかと不動の魔法をかけられる訳にはいかなかった。

 心剣の行く手を、怯えながらも三人が遮らんとしている。左右はブロードソード、真ん中のショートスピアが、二人よりやや後方に位置して、これは、剣士二人の攻撃を心剣がどう対処するか、それに合わせた槍の一撃を加えようとする、連携の陣であろう。本来であれば。

 心剣は止まらぬ。剣士二人は、心剣が間合いに入る前に、一方は袈裟掛けに、もう一方は払い切りにせんとした。

 心剣は二剣が彼を捉えるより速く、両剣士の間に飛び込んだ。

 そうと剣士たちが悟った時には、心剣の右にあった者は、胴を撫で斬りにされ、左の者は、心剣がいつ引き抜いたか、左手の脇差でもって、脾腹を突かれていた。

 心剣にとって、その時間は、僅かに生まれた、一瞬の停止であった。そこへ偶然的に槍の一突きが迫り、

「ファイアーボール!」

 背後からは声が上がり、ごうぅ、と異常な音が迫った。

 直感的に、心剣は地に臥し、さらに横に転がった。

 怖ろしいほどの速さで、およそ二尺はあろうかと思わる、火の玉が、ついさっきまで心剣の頭があった中空で、槍の穂先とぶっつかった。と見えたのも束の間、火の玉はそのまま、槍を呑み込みつつ進み、更には、槍使いまでをも呑み込んだ。

 遠く、二騎の馬蹄が響いて来たのは、それから三分余り――心剣の刀が新たに二人の血を吸った折りの事であった。

「心剣!」

「心剣さん!」

 コルネリウス・スピレインと、シャノン・ブランドフォードであった。

 両者の存在は、彼らに、一層の恐怖をもたらした。

 コルネリウスは状況を瞬時のうちに見て取るや、長剣を引き抜いた。そのまま、馬を駆ける。

「はーっ!」

 七十に近い老体でありながら、屈強なる肉体と精神の持ち主なのである。過去の事ながら戦場での武勲も多い。

 シャノンは老人に続きながら、途中で、パッと、地に降りた。ただでさえ心剣の強さに怯えていた一人が、さらなる恐慌に陥って、顔面を蒼白にしながら、彼に向けて構えを取ったからであった。

 袈裟掛けの一剣を、シャノンは剣で防いだ。のち、シャノンはおのれの剣の下で回転しながら身を沈め、敵の懐に入るや、即座にその足を払っていた。

 まろんだ相手を、そのままに、シャノンは心剣の許へ駆け寄ろうとする。

 彼らからすれば、コルネリウスとシャノンは、自分たちを確実に地獄へと誘う増援であった。心剣一人に十九の数をもってしても討てずに、混乱しているのだ。この二人に加勢されて、なんで堪ろう。

 瞬く間に、一人斃れ、三人が討たれ、敵たちはようやく、生存の為には、遮二無二、逃げるしかないと、悟ったようである。

 叫び声と共に、残った者の一人が、武器を捨てて逃げだすと、他の者たちも、わぁっと、我がちに、背中を向けて、逃げ去った。

「加勢の礼は、言う。が、何故のことか?」

 心剣の姿は、累たる屍体のただ中にあって、まるで何事も無かったかのようであった。

「心剣、お前は騎士という者を何か思い違いをしているようだが、ふふふ……よいか、か弱き者を助けるのは騎士としての当然の行い。いや、お前が弱いと言う事ではない。それは、これを見れば解る」

 コルネリウスは闘争の痕跡に目をやった。

「第一、コゼットさんは私の屋敷で攫われたのです。放っておいてはブランドフォード家の汚名になります。たとえ、世間の誰もが知らないとしても」

 シャノンの言葉は明快であった。

心剣は苦笑して、二人に訊ねた。

「相手が屋敷に居ないとなった場合、見当は?」

「これだけの人数を待ち伏せに寄越している以上、屋敷に居ない、とは考えにくいのでは?」

 シャノンは考えながら答えた。

「そう、考えさせる罠かもしれんぞ」

「ご老人の言う通り、ここに転がっているのは、雇われだとみる」

 心剣の言葉に、コルネリウスが、屍体に屈みこんだ。

「ふむ――。確かにギルドの者たちかもしれんな。雇い人はイザベルでない可能性もある。だが、その場合解せんのは、心剣、なぜこ奴らが、この道をお前が通るのを知っていたか、だ」

「向こうは心剣さんの容姿も知っています。雇ったのはカペー様でしょう。きっと、こうなることを見越して。準備を整えてから、当家へ来たのでしょう」

「仮に屋敷に居ないとすると、今はもう領地に向かっておるかもしれん。急ぐぞ。シャノン、儂の後ろへ乗れ。心剣はシャノンの乗っていた馬を使うが良い」

 心剣が、馬に打ち跨った時、ふと、大垣源十郎の存在が気になった。

 ――奴は自身を、兵法者と言った。この待ち伏せは、奴の策か?

 違うような気がした。兵法としては定石だが、このような策は、あの男は採らぬだろうと、理由も無く心剣は確信していた。


 心剣らが、イザベル・カペーの屋敷へ到達したのは、およそ二十分後だった。鉄柵の門を押し破り、三人は敷地内に入った。三階建ての屋敷の数個の窓から明かりが漏れていた。誰かしら居る筈であった。それがイザベルかどうかは、判らないが。

 コルネリウスが乱暴に玄関を叩いた。ややあって出てきた、三十半ばの貧相な顔つきをした使用人に、心剣はいきなり、刀の切先を突き付けた。

「あるじのもとに案内しろ!」

 恫喝すると、怯えながらも使用人が答えた。

「イ、イザベル様は、御領地にお帰りにあられますので、ここには……」

「それを、確かめに来たのだ、こちらは」

 言い捨て、白刃を引っ提げて、心剣は屋敷の中へ侵入した。コルネリウスもシャノンも心剣の後に続いた。

「お待ちを!」

 使用人が叫んだが、叫ぶだけで、自ら三人を止めようとはしないのは、やはり、抜身のままの刀に、怖気(おじ)たのかしれない。

 いいや。この時、三人の内誰か一人でも、使用人に振り返っていれば、彼が屋外に出て行くという奇妙な行動に、気付けたはずであった。

 貴族の別荘屋敷などは、だいたいどこも、似たような造りになっている。適当にあたりを付けて、心剣らは進んだ。

 手早く、数部屋を見て回り、

「妙だ」

「どうした、心剣」

「屋敷の規模を考えれば、抱える人間も数十を越えるはずだ」

「うむ」

 と、コルネリウスも怪訝な表情になった。

「強盗にも似た、わたしたちの侵入に、何らの対応も無い」

 全くと言っていいほど、人の気配というものが無かった。

「領地に戻る際、使用人たちも連れて行くものでしょうか?」

 ブランドフォード家は領地を持たない。ゆえに、シャノンは、そのあたりの事は知らなかった。

「いや、全員を連れ行くとは、考えられん。賊の心配もある」

 コルネリウスは、壁の絵画や、設えられた調度品へ顎をしゃくった。

「と、なれば、これは何かの罠だと考えるべきであろう。イザベルとやらは、やはり領地へ向かっているな。……とはいえ、一通り見て回らねば、こちらの気が済まぬ」

「それもそうです。カペー様の領地は、セレフィユでしたね」

 シャノンがコルネリウスに確認した。セレフィユは王都から南西に、およそ百キロのところにある、とコルネリウスが手短に答えた。

「コゼットさんの居る可能性は低いでしょうが、手分けして見て参りましょう」

 シャノンがそう言い終えぬうちに、心剣は一人、階段に足を掛けていた。

 刀はすでに鞘に戻してある。踊り場で、シャノンが追い付いた。

「私は三階を見て参ります。心剣さんは、二階を」

 シャノンは決めつけて、心剣を追い越した。

 二階にも、やはり人の気配は無かった。たとえ部屋の中に潜んで、心剣が扉を開けた瞬間の不意を突かんとしているのならば、殺気、というものが、どこか、空気を、独特のものに変えるものである。

 だから、無造作に心剣は部屋を見ていく。無人の部屋が八つを数え、新たに部屋を覗こうとした折りの事であった。

 九つ目の扉の向こうに、なにか、気配を感じたのだった。奇妙であったのは、人にしては気配が弱い事であった。確かに誰か居るのは判っていながら、それでも居るのか居ないのか、ちょっと迷うといった感じであった。

 それを、心剣は一瞬の逡巡も無く、開けた。

 部屋には、女が一人、扉を向いて、椅子に座っていた。女の前にはテーブルがあって、蝋燭が灯っていた。

 蝋燭の火に照らされた女の顔に、心剣は思わず、驚愕の声を上げそうになった。

 小夜だ。その姿は小夜のものであった。

 ――いや! 違う! 小夜は死んだ!

 心剣が自失していたのは、ほんの、短い時間であった。肚裡に、その事実を叫んだ。

 しかし、大きな瞳が、すっと通った鼻梁が、やや薄めの朱唇が、小夜と同じものであったし、頬や顎の輪線も、白い肌も、たおやかなその体も、小夜と同一のものであった。なにより、その美貌に浮かび上がる、儚げな翳までもが合致していた。

 違ったのは、衣服髪型、そして、見た目の年齢ぐらいであろうか。小夜は、いつも島田に美しく結い上げていた。この女は、洗い髪の如くであった。この女の服装は、着物では無く、水色のローブであった。小夜は、十九歳で命を散らしたが、この女は、小夜が、生きて、数年を経れば、と思われるほど、奇跡といって過ぎぬぐらい、生き写しであった。

 両者の視線が、交差した。

 女は助けを求めるような、目蓋の動きを示しつつ、椅子から立ち上がった。

 ――やはり別人……。

 心剣は、この女が自らの足で立ち上がった事に、安堵しつつも、どこか落胆を覚えた。

「お昼の事は、申し訳ありませんでした」

「昼の事――?」

 女の謝罪の言葉に、心剣は、眉宇を顰めていた。

「はい……。貴方様に夢を見せたのは、わたくしでございます」

 その声も、小夜と同じであった。心剣は、惑乱しかけた己が心を、取り戻す努力に強いられた。

「何者だ」

 心剣の誰何は僅かばかり、上ずった。

「カレンと申します」

「この屋敷に残っているのは、そなた一人か?」

 訊きつつ、心剣は部屋へ入った。

「いえ、わたくしもイザベル様について、西大橋を出てすぐの所におります」

「どういうのだ、それは?」

「貴方様の前に居るわたくしは、魔法による幻影です――」

 カレンがそう言った瞬間、心剣の背後で突然、扉が閉まった。

 慌てるでもなく、心剣は扉に手を掛けたが、どういう仕掛けか、びくともしなかった。

「この部屋には、魔法で結界が施されております」

 心剣は、片唇を上げて、苦笑せざるを得なかった。

 ――これこそが、罠であったか。幻影か。成程、気配の薄い訳だ。

「そうらしいな。わたしを閉じ込めて、どうする気だ?」

 部屋を見渡したが、窓も無い。閉まった扉が、唯一の出入り口であった。この時になってようやく、心剣は完全に平静を取り戻した。

「報告を致します。イザベル様へ。……ここに居るわたくしは、幻影ですが、ここに居るわたくしの見ているものは、今、イザベル様のもとに居るわたくしにも見えています」

「それだけか?」

 冷笑交じりの心剣へ、カレンの幻影は、小さく首を振った。

「もうすぐ……この屋敷に火が放たれます……」

「成程な。道理で人気のない訳だ。使用人どもを避難させておいたか。そしてまた、そうで無ければ、そなたが、小夜の姿を、わたしに見せつける意味も無い」

 この屋敷が()(ゆう)に帰すと聞いても、心剣の表情は変わらなかった。

「ふん――わたし一人の為に、随分と大がかりな趣向を凝らしたものだ。そなたが、その姿をとったのは、差し詰め、大垣源十郎の指図であろう。最後を迎えるわたしへの、粋な計らい、と、言いたいところだが、本音を言えば、胸糞が悪い。幻影だと言うのなら、消えていただこう」

「いいえ、小夜と申される方の姿を見せているのではありません。この幻影は、わたくし自身の姿なのです」

「……それは、謝っておく」

 心剣は驚いたが、やはり、表情には出さぬ。

「いえ……」

 カレンの幻影は言ったきり、口をつぐんだが、その眼眸(まなざし)には、何かを訴えるかのような熱が籠っていた。

 どん、どん、と扉が叩かれ、くぐもったシャノンの声が心剣を呼んだ。

「大変です! 心剣さん! どこに居るんです!?」

「わたしはここだ」

 心剣もシャノンに聞こえるよう、声量を上げた。

「ここでしたか! 大変なんです!」

「火の手が上がったのであろう」

「お気付きでしたか! 早く避難を! 出て来てください!」

「それは出来ぬようだ」

「何故です!?」

「わたしは閉じ込められた。魔法で錠がかかっているらしい」

 シャノンとやりとりをしている内に、煙の臭いが空気に交りはじめた。

「心剣さん! 少し離れていて下さい!」

 シャノンが扉に剣で斬りかかるような音が、室内に数回、響いた。扉に異常は生まれなかった。と、今度は、体当たりであろうか。

「シャノン! 心剣はここか!」

 コルネリウスも駆け付けたようである。

「御老人。シャノンと避難されるが良い。開けようとしても、無駄の様だ」

「心剣! 焼け死ぬ気か!?」

「出られぬ以上、そういう仕儀になろう。本意では無いが、わたしはここで退場――と言う仕儀になったようだ。以前も言ったが、あとの事は、御老人の胸一つだ」

「心剣!」

「ぐずぐずなされるな。この部屋の中にあっても、煙の臭いが強くなっているのが分かる。ゆかれい!」

 心剣はそう言い残して、部屋の中央まで戻った。その時、気が付いてみると、部屋の隅にベッドがある。

 扉からは、シャノンと老人が体当たりしているらしい音が、数回続いたが、やがて、それも止んだ。

 椅子から立ち上がっているままのカレンを、無視するかのように、心剣は腰の二刀を引き抜き、あろうことか、悠々、ベッドに寝そべった。背を彼女に向けて。

「こ、怖くは無いのですか? 恐ろしくは?」

 逆に慌てたのは、カレンであった。

「――わたしは今まで、いろいろと、好き勝手やってきた。が、していない事も、試したことも無いものも、また、色々ある。死ぬ、というのは、その一つだな」

 カレンの耳が捉えたのは、むしろ涼しげな声音であった。

「カレンとか、言ったな。今からわたしの言う言葉を、しっかり覚えて、大垣源十郎に申すが良い。

  夏の虫 飛んで火に入る、うかうかと

   やれ仕方無しやと その身焼かるる

 ふむ……どうもわたしには、句の才能は無いようだ」

 ――駄句だが、まあ、その駄句さ加減が俺に相応しいと言える。

 胸の裡で、自嘲したものであった。

 横になった心剣の背中に、なにか思い詰めたかの様な強い視線を、カレンは当てていた。

 十分して――。

 焦げ臭さが、ますます増す中にあって、しかし、部屋は一向に暑くはならぬ。臭いが強くなるという事は、煙が入ってきてもおかしくないというのに、それも無い。奇怪な事であった。

「おい。本当にこの屋敷に、火が放たれているのか?」

 轟々として燃え盛る紅蓮舌が、移るを幸いにしてあらゆる物を呑み込まんとしている音は、確かに、聞こえるのだが、きな臭さ以外の変化の無さに、心剣は僅かの不審を覚えた。

「はい。そうして貴方様は、焼け死んだ事にします」

「焼け死んだ事にする――? 人がせっかく、焼け死ぬつもりでいるのに、どういうのだ。お前たちには、絶好の機会であろうに」

 冷ややかに心剣は言ったものだ。

「そもそも、この部屋はなぜ燃えぬのか」

 寝返り打って、心剣はカレンの返答を待った。

「結界で、守られておりますから」

「この屋敷のあるじは、お前たちの女主人であろう。この部屋の事も知っているはずだ」

「はい。ですが、イザベル様は魔法の初歩の初歩を、お学びなされただけで、お詳しくはございません。むしろ、大垣様の方が、お詳しいくらいです」

「何? あの男、魔法を使うのか?」

 カレンは、首を振った。

「いいえ、大垣様に魔力はございません。ですが、色々と調べたとうかがっております」

「そうか。つまらぬな」

「……この数日のイザベル様は、まるで人が変わったかの様です。貴方様を始末するのに、この屋敷に誘い込んで火を付けると申されました。そこで大垣様は、確実を期す為に、貴方様をこの部屋へ誘い込むという提案をなされて……確かに貴方様が亡くなったと、偽の証言をすればいいと、わたくしにそっと、耳打ちをされたのです」

「何ゆえにそのような事――」

 冷笑交じりに言いかけた心剣を、カレンが遮った。

「お願いです。わたくしたちをお助け下さい」

「敵に助けを求めるか。たわけ! 余人は知らず、この死神心剣、窮鳥(きゅうちょう)も、もっけの幸いにして撃つ男だ」

 突き放したが、なお訴えるように、カレンの目や顔は必死であった。

「わたくしはイザベル様に殺されそうになりました」

「知らんな。俺にはどうでもいいことだ」

 答えながら心剣は、そうか、この女が毒茶を飲まされたのか、と、多少の憐憫を感じていた。やはり、小夜に瓜二つという事実があるからであろう。

「ナンナ様は、わたくしの命の恩人です。ナンナ様の魔法が、イザベル様の望みを叶えるものでは無いと、イザベル様がご判断された時、ナンナ様はどうなってしまうか、判りません。ここ数日で、本当に、イザベル様は変わってしまったのです」

 身内ともいえる人間が、こう考えているのである。コゼットの置かれた立場は、よほど逼迫していると言えた。

「生きながらえる以上、俺の目的は、お前たちが連れ去った女を取り戻すことにある。そなたまで助ける筋合いなど、無い」

 カレンは一瞬、はっ、としたように瞳を動かしたが、すぐに、眼を伏せた。心剣はほんの少し顔を歪めて、もう一度彼女に背を向けた。カレンをずっと見ていると、だんだん、小夜本人かと、思えてしまうからであった。

 長い沈黙ののち――。

「兵庫助様……」

 ぽそりと言った、カレンの言葉に、心剣の全身の血が、沸き立った。大刀を引っ掴んで立ち上がるや、

「その名を呼ぶなっ! その貌でっ! その声で!」

 咆哮にも似た叫びと共に、抜いた白刃の切先をカレンに向けた。

 否。正確には、カレンが先ほどまであった空間に向けたのであった。

「むっ――」

 カレンの姿は無かった。

 ――そうか……幻影であったな。

 心剣はゆっくりと刀を鞘の内に戻したあと、またしてもベッドに寝転がった。

 瞼を閉じると、その裏に、小夜の姿が映った。いや、その小夜は、小夜では無いかも知れなかった……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ