女の幻影
王都は、蒼白くやわらかな月光に照らされている――。
石畳みで舗装された広い道を、一騎、馬蹄の音も高く、風のように馳せさせる、死神心剣の神経に、触れるものがあった。
――待ち伏せはこちらも予測の上だ。関羽の五関突破としてくれる!
人影絶えた路上の先に、数多の殺気を、心剣は受け取って、しかし、速度は緩めなかった。
数秒とも言えぬ時間ののち、わらわらと、待ち伏せの衆が、二十近く、行く手を遮るように姿を見せた。
ひょぅっ、と、羽唸り上げる矢を、耳先に掠めさせておいて、フレイルで彼を馬上から落とさんとして振り上げた者の頸を、心剣はいつ抜いたか、馬手の白刃で刎ねた。
十間を疾駆する間に、三人を馳せざまに斬り、一人を蹴倒した。だが、疾駆が止まったのは、それから、五間に満たぬ短い距離の事であった。
馬は、咽喉に、槍を突き入れられ、棹立ちになった。心剣はヒラリと飛び降りた。
待ち伏せの刺客たちは、顔を隠していた。纏うている衣服も、夜に溶ける色であった。手にした武器に、統一性は無い。剣であったり、斧であったり、槍があれば棒も弩もある。
「お前たち、雇われだな」
心剣の決めつけに対する言葉は返ってこなかった。代わりに、鋭い、ショートスピアの一撃が、心剣を背後から襲った。
わずかに身を捻り、空気を突かせて、心剣は見もせずに、左手で槍のけら首を掴んだ。
「誰に雇われたかは訊かぬ。但し、道を開けねばこうなるぞ!」
言うや、心剣は槍の柄を、目にも止まらぬ動きで両断した。得物を心剣の手からもぎ取らんとしていた刺客は、急に柄が両断されたことに、思わずのことで、後方へたたらを踏む。と、その時には、斬り離された穂先が、刺客の胸へ深々と、投げ返されていた。
その技に、待ち伏せの者たちに動揺が、拡がった。
「一人頭いくらで雇われたかは知らんが、あくまで邪魔立てすると言うのなら、その金の遣い道は無いものと知れ!」
高らかに言い放ち、心剣は疾走した。
「げぇ――っ!」
「うがっ!」
駆け抜けざま、刃圏内に入った二人を斬る。
「ひ、怯むな――! 相手は一人だぞ!」
どこかで、首領格らしい者の叱咤があがった。
――十四。全員を相手にはしておれぬ……。
心剣は疾走を止めなかった。動揺と狼狽を見せつつも、待ち伏せの面々は、心剣の行く手を、遮ろうとして動いた。
――ちっ! 逃げればいいものを、弱いくせに、貰った金の分は働こうと言うのか。その健気さは、褒めてやる!
更に二人を斬った。バトルアックスの男が、恐怖の絶叫を振るわせつつ、横殴りに、得物を振るった。心剣は宙へ躍った。敵の頭上を越えつつ、利刀は、相手の脳天を割った。
月光に、煌びやかな血水を撒き散らしながら、着地した心剣の背後の、敵であったそれは、撞と倒れた。
もはや、この待ち伏せの面々に、連携などという言葉は無かった。
彼らは、完全に、正常な思考を失くしていた。逃げようと背中を向ければ、即座に、殺されるという思いであった。ならば、なんとしても、心剣を殺して、身の安全をはかる……恐怖を防衛本能に任せて、一人、また一人と、心剣に向かって行くのであった。
心剣の新たな相手の得物は、幅広の両刃直刀、いわゆるブロードソード。
「う、うわーっ!」
びゅっ、と、突き出されてきた切先は、しかし、心剣にとっては、充分の余裕をもって、対処できる程度の腕前であった。
体を開いて、切先を躱すまでは――。
さすがの心剣にも、油断があったと言える。
敵は、剣を引かぬそのままの五体を、独楽が如くの回転をしたのだ。
両刃だからこその攻撃である。
はっとして、間一髪辛うじて、身を沈めた心剣の頭上を、ブロードソードは虚しく、風を産ませた。
一瞬後、敵の胸部へ、刀を突き刺した心剣は、相手の胸倉を引っ掴むや、さっと、左へ回した。
どすっ、という音が、ブロードソードの背中からした。心剣は、飛翔してくる矢を、この剣士で防いだのであった。
ふと、心剣の耳朶が、低く不明瞭な呟きを捉えた。
魔法の詠唱であろう。
だが、どこから?
心剣は再び、走り出した。脳裏には、サリバン戦の記憶がある。うかうかと不動の魔法をかけられる訳にはいかなかった。
心剣の行く手を、怯えながらも三人が遮らんとしている。左右はブロードソード、真ん中のショートスピアが、二人よりやや後方に位置して、これは、剣士二人の攻撃を心剣がどう対処するか、それに合わせた槍の一撃を加えようとする、連携の陣であろう。本来であれば。
心剣は止まらぬ。剣士二人は、心剣が間合いに入る前に、一方は袈裟掛けに、もう一方は払い切りにせんとした。
心剣は二剣が彼を捉えるより速く、両剣士の間に飛び込んだ。
そうと剣士たちが悟った時には、心剣の右にあった者は、胴を撫で斬りにされ、左の者は、心剣がいつ引き抜いたか、左手の脇差でもって、脾腹を突かれていた。
心剣にとって、その時間は、僅かに生まれた、一瞬の停止であった。そこへ偶然的に槍の一突きが迫り、
「ファイアーボール!」
背後からは声が上がり、ごうぅ、と異常な音が迫った。
直感的に、心剣は地に臥し、さらに横に転がった。
怖ろしいほどの速さで、およそ二尺はあろうかと思わる、火の玉が、ついさっきまで心剣の頭があった中空で、槍の穂先とぶっつかった。と見えたのも束の間、火の玉はそのまま、槍を呑み込みつつ進み、更には、槍使いまでをも呑み込んだ。
遠く、二騎の馬蹄が響いて来たのは、それから三分余り――心剣の刀が新たに二人の血を吸った折りの事であった。
「心剣!」
「心剣さん!」
コルネリウス・スピレインと、シャノン・ブランドフォードであった。
両者の存在は、彼らに、一層の恐怖をもたらした。
コルネリウスは状況を瞬時のうちに見て取るや、長剣を引き抜いた。そのまま、馬を駆ける。
「はーっ!」
七十に近い老体でありながら、屈強なる肉体と精神の持ち主なのである。過去の事ながら戦場での武勲も多い。
シャノンは老人に続きながら、途中で、パッと、地に降りた。ただでさえ心剣の強さに怯えていた一人が、さらなる恐慌に陥って、顔面を蒼白にしながら、彼に向けて構えを取ったからであった。
袈裟掛けの一剣を、シャノンは剣で防いだ。のち、シャノンはおのれの剣の下で回転しながら身を沈め、敵の懐に入るや、即座にその足を払っていた。
まろんだ相手を、そのままに、シャノンは心剣の許へ駆け寄ろうとする。
彼らからすれば、コルネリウスとシャノンは、自分たちを確実に地獄へと誘う増援であった。心剣一人に十九の数をもってしても討てずに、混乱しているのだ。この二人に加勢されて、なんで堪ろう。
瞬く間に、一人斃れ、三人が討たれ、敵たちはようやく、生存の為には、遮二無二、逃げるしかないと、悟ったようである。
叫び声と共に、残った者の一人が、武器を捨てて逃げだすと、他の者たちも、わぁっと、我がちに、背中を向けて、逃げ去った。
「加勢の礼は、言う。が、何故のことか?」
心剣の姿は、累たる屍体のただ中にあって、まるで何事も無かったかのようであった。
「心剣、お前は騎士という者を何か思い違いをしているようだが、ふふふ……よいか、か弱き者を助けるのは騎士としての当然の行い。いや、お前が弱いと言う事ではない。それは、これを見れば解る」
コルネリウスは闘争の痕跡に目をやった。
「第一、コゼットさんは私の屋敷で攫われたのです。放っておいてはブランドフォード家の汚名になります。たとえ、世間の誰もが知らないとしても」
シャノンの言葉は明快であった。
心剣は苦笑して、二人に訊ねた。
「相手が屋敷に居ないとなった場合、見当は?」
「これだけの人数を待ち伏せに寄越している以上、屋敷に居ない、とは考えにくいのでは?」
シャノンは考えながら答えた。
「そう、考えさせる罠かもしれんぞ」
「ご老人の言う通り、ここに転がっているのは、雇われだとみる」
心剣の言葉に、コルネリウスが、屍体に屈みこんだ。
「ふむ――。確かにギルドの者たちかもしれんな。雇い人はイザベルでない可能性もある。だが、その場合解せんのは、心剣、なぜこ奴らが、この道をお前が通るのを知っていたか、だ」
「向こうは心剣さんの容姿も知っています。雇ったのはカペー様でしょう。きっと、こうなることを見越して。準備を整えてから、当家へ来たのでしょう」
「仮に屋敷に居ないとすると、今はもう領地に向かっておるかもしれん。急ぐぞ。シャノン、儂の後ろへ乗れ。心剣はシャノンの乗っていた馬を使うが良い」
心剣が、馬に打ち跨った時、ふと、大垣源十郎の存在が気になった。
――奴は自身を、兵法者と言った。この待ち伏せは、奴の策か?
違うような気がした。兵法としては定石だが、このような策は、あの男は採らぬだろうと、理由も無く心剣は確信していた。
心剣らが、イザベル・カペーの屋敷へ到達したのは、およそ二十分後だった。鉄柵の門を押し破り、三人は敷地内に入った。三階建ての屋敷の数個の窓から明かりが漏れていた。誰かしら居る筈であった。それがイザベルかどうかは、判らないが。
コルネリウスが乱暴に玄関を叩いた。ややあって出てきた、三十半ばの貧相な顔つきをした使用人に、心剣はいきなり、刀の切先を突き付けた。
「あるじのもとに案内しろ!」
恫喝すると、怯えながらも使用人が答えた。
「イ、イザベル様は、御領地にお帰りにあられますので、ここには……」
「それを、確かめに来たのだ、こちらは」
言い捨て、白刃を引っ提げて、心剣は屋敷の中へ侵入した。コルネリウスもシャノンも心剣の後に続いた。
「お待ちを!」
使用人が叫んだが、叫ぶだけで、自ら三人を止めようとはしないのは、やはり、抜身のままの刀に、怖気たのかしれない。
いいや。この時、三人の内誰か一人でも、使用人に振り返っていれば、彼が屋外に出て行くという奇妙な行動に、気付けたはずであった。
貴族の別荘屋敷などは、だいたいどこも、似たような造りになっている。適当にあたりを付けて、心剣らは進んだ。
手早く、数部屋を見て回り、
「妙だ」
「どうした、心剣」
「屋敷の規模を考えれば、抱える人間も数十を越えるはずだ」
「うむ」
と、コルネリウスも怪訝な表情になった。
「強盗にも似た、わたしたちの侵入に、何らの対応も無い」
全くと言っていいほど、人の気配というものが無かった。
「領地に戻る際、使用人たちも連れて行くものでしょうか?」
ブランドフォード家は領地を持たない。ゆえに、シャノンは、そのあたりの事は知らなかった。
「いや、全員を連れ行くとは、考えられん。賊の心配もある」
コルネリウスは、壁の絵画や、設えられた調度品へ顎をしゃくった。
「と、なれば、これは何かの罠だと考えるべきであろう。イザベルとやらは、やはり領地へ向かっているな。……とはいえ、一通り見て回らねば、こちらの気が済まぬ」
「それもそうです。カペー様の領地は、セレフィユでしたね」
シャノンがコルネリウスに確認した。セレフィユは王都から南西に、およそ百キロのところにある、とコルネリウスが手短に答えた。
「コゼットさんの居る可能性は低いでしょうが、手分けして見て参りましょう」
シャノンがそう言い終えぬうちに、心剣は一人、階段に足を掛けていた。
刀はすでに鞘に戻してある。踊り場で、シャノンが追い付いた。
「私は三階を見て参ります。心剣さんは、二階を」
シャノンは決めつけて、心剣を追い越した。
二階にも、やはり人の気配は無かった。たとえ部屋の中に潜んで、心剣が扉を開けた瞬間の不意を突かんとしているのならば、殺気、というものが、どこか、空気を、独特のものに変えるものである。
だから、無造作に心剣は部屋を見ていく。無人の部屋が八つを数え、新たに部屋を覗こうとした折りの事であった。
九つ目の扉の向こうに、なにか、気配を感じたのだった。奇妙であったのは、人にしては気配が弱い事であった。確かに誰か居るのは判っていながら、それでも居るのか居ないのか、ちょっと迷うといった感じであった。
それを、心剣は一瞬の逡巡も無く、開けた。
部屋には、女が一人、扉を向いて、椅子に座っていた。女の前にはテーブルがあって、蝋燭が灯っていた。
蝋燭の火に照らされた女の顔に、心剣は思わず、驚愕の声を上げそうになった。
小夜だ。その姿は小夜のものであった。
――いや! 違う! 小夜は死んだ!
心剣が自失していたのは、ほんの、短い時間であった。肚裡に、その事実を叫んだ。
しかし、大きな瞳が、すっと通った鼻梁が、やや薄めの朱唇が、小夜と同じものであったし、頬や顎の輪線も、白い肌も、たおやかなその体も、小夜と同一のものであった。なにより、その美貌に浮かび上がる、儚げな翳までもが合致していた。
違ったのは、衣服髪型、そして、見た目の年齢ぐらいであろうか。小夜は、いつも島田に美しく結い上げていた。この女は、洗い髪の如くであった。この女の服装は、着物では無く、水色のローブであった。小夜は、十九歳で命を散らしたが、この女は、小夜が、生きて、数年を経れば、と思われるほど、奇跡といって過ぎぬぐらい、生き写しであった。
両者の視線が、交差した。
女は助けを求めるような、目蓋の動きを示しつつ、椅子から立ち上がった。
――やはり別人……。
心剣は、この女が自らの足で立ち上がった事に、安堵しつつも、どこか落胆を覚えた。
「お昼の事は、申し訳ありませんでした」
「昼の事――?」
女の謝罪の言葉に、心剣は、眉宇を顰めていた。
「はい……。貴方様に夢を見せたのは、わたくしでございます」
その声も、小夜と同じであった。心剣は、惑乱しかけた己が心を、取り戻す努力に強いられた。
「何者だ」
心剣の誰何は僅かばかり、上ずった。
「カレンと申します」
「この屋敷に残っているのは、そなた一人か?」
訊きつつ、心剣は部屋へ入った。
「いえ、わたくしもイザベル様について、西大橋を出てすぐの所におります」
「どういうのだ、それは?」
「貴方様の前に居るわたくしは、魔法による幻影です――」
カレンがそう言った瞬間、心剣の背後で突然、扉が閉まった。
慌てるでもなく、心剣は扉に手を掛けたが、どういう仕掛けか、びくともしなかった。
「この部屋には、魔法で結界が施されております」
心剣は、片唇を上げて、苦笑せざるを得なかった。
――これこそが、罠であったか。幻影か。成程、気配の薄い訳だ。
「そうらしいな。わたしを閉じ込めて、どうする気だ?」
部屋を見渡したが、窓も無い。閉まった扉が、唯一の出入り口であった。この時になってようやく、心剣は完全に平静を取り戻した。
「報告を致します。イザベル様へ。……ここに居るわたくしは、幻影ですが、ここに居るわたくしの見ているものは、今、イザベル様のもとに居るわたくしにも見えています」
「それだけか?」
冷笑交じりの心剣へ、カレンの幻影は、小さく首を振った。
「もうすぐ……この屋敷に火が放たれます……」
「成程な。道理で人気のない訳だ。使用人どもを避難させておいたか。そしてまた、そうで無ければ、そなたが、小夜の姿を、わたしに見せつける意味も無い」
この屋敷が烏有に帰すと聞いても、心剣の表情は変わらなかった。
「ふん――わたし一人の為に、随分と大がかりな趣向を凝らしたものだ。そなたが、その姿をとったのは、差し詰め、大垣源十郎の指図であろう。最後を迎えるわたしへの、粋な計らい、と、言いたいところだが、本音を言えば、胸糞が悪い。幻影だと言うのなら、消えていただこう」
「いいえ、小夜と申される方の姿を見せているのではありません。この幻影は、わたくし自身の姿なのです」
「……それは、謝っておく」
心剣は驚いたが、やはり、表情には出さぬ。
「いえ……」
カレンの幻影は言ったきり、口をつぐんだが、その眼眸には、何かを訴えるかのような熱が籠っていた。
どん、どん、と扉が叩かれ、くぐもったシャノンの声が心剣を呼んだ。
「大変です! 心剣さん! どこに居るんです!?」
「わたしはここだ」
心剣もシャノンに聞こえるよう、声量を上げた。
「ここでしたか! 大変なんです!」
「火の手が上がったのであろう」
「お気付きでしたか! 早く避難を! 出て来てください!」
「それは出来ぬようだ」
「何故です!?」
「わたしは閉じ込められた。魔法で錠がかかっているらしい」
シャノンとやりとりをしている内に、煙の臭いが空気に交りはじめた。
「心剣さん! 少し離れていて下さい!」
シャノンが扉に剣で斬りかかるような音が、室内に数回、響いた。扉に異常は生まれなかった。と、今度は、体当たりであろうか。
「シャノン! 心剣はここか!」
コルネリウスも駆け付けたようである。
「御老人。シャノンと避難されるが良い。開けようとしても、無駄の様だ」
「心剣! 焼け死ぬ気か!?」
「出られぬ以上、そういう仕儀になろう。本意では無いが、わたしはここで退場――と言う仕儀になったようだ。以前も言ったが、あとの事は、御老人の胸一つだ」
「心剣!」
「ぐずぐずなされるな。この部屋の中にあっても、煙の臭いが強くなっているのが分かる。ゆかれい!」
心剣はそう言い残して、部屋の中央まで戻った。その時、気が付いてみると、部屋の隅にベッドがある。
扉からは、シャノンと老人が体当たりしているらしい音が、数回続いたが、やがて、それも止んだ。
椅子から立ち上がっているままのカレンを、無視するかのように、心剣は腰の二刀を引き抜き、あろうことか、悠々、ベッドに寝そべった。背を彼女に向けて。
「こ、怖くは無いのですか? 恐ろしくは?」
逆に慌てたのは、カレンであった。
「――わたしは今まで、いろいろと、好き勝手やってきた。が、していない事も、試したことも無いものも、また、色々ある。死ぬ、というのは、その一つだな」
カレンの耳が捉えたのは、むしろ涼しげな声音であった。
「カレンとか、言ったな。今からわたしの言う言葉を、しっかり覚えて、大垣源十郎に申すが良い。
夏の虫 飛んで火に入る、うかうかと
やれ仕方無しやと その身焼かるる
ふむ……どうもわたしには、句の才能は無いようだ」
――駄句だが、まあ、その駄句さ加減が俺に相応しいと言える。
胸の裡で、自嘲したものであった。
横になった心剣の背中に、なにか思い詰めたかの様な強い視線を、カレンは当てていた。
十分して――。
焦げ臭さが、ますます増す中にあって、しかし、部屋は一向に暑くはならぬ。臭いが強くなるという事は、煙が入ってきてもおかしくないというのに、それも無い。奇怪な事であった。
「おい。本当にこの屋敷に、火が放たれているのか?」
轟々として燃え盛る紅蓮舌が、移るを幸いにしてあらゆる物を呑み込まんとしている音は、確かに、聞こえるのだが、きな臭さ以外の変化の無さに、心剣は僅かの不審を覚えた。
「はい。そうして貴方様は、焼け死んだ事にします」
「焼け死んだ事にする――? 人がせっかく、焼け死ぬつもりでいるのに、どういうのだ。お前たちには、絶好の機会であろうに」
冷ややかに心剣は言ったものだ。
「そもそも、この部屋はなぜ燃えぬのか」
寝返り打って、心剣はカレンの返答を待った。
「結界で、守られておりますから」
「この屋敷のあるじは、お前たちの女主人であろう。この部屋の事も知っているはずだ」
「はい。ですが、イザベル様は魔法の初歩の初歩を、お学びなされただけで、お詳しくはございません。むしろ、大垣様の方が、お詳しいくらいです」
「何? あの男、魔法を使うのか?」
カレンは、首を振った。
「いいえ、大垣様に魔力はございません。ですが、色々と調べたとうかがっております」
「そうか。つまらぬな」
「……この数日のイザベル様は、まるで人が変わったかの様です。貴方様を始末するのに、この屋敷に誘い込んで火を付けると申されました。そこで大垣様は、確実を期す為に、貴方様をこの部屋へ誘い込むという提案をなされて……確かに貴方様が亡くなったと、偽の証言をすればいいと、わたくしにそっと、耳打ちをされたのです」
「何ゆえにそのような事――」
冷笑交じりに言いかけた心剣を、カレンが遮った。
「お願いです。わたくしたちをお助け下さい」
「敵に助けを求めるか。たわけ! 余人は知らず、この死神心剣、窮鳥も、もっけの幸いにして撃つ男だ」
突き放したが、なお訴えるように、カレンの目や顔は必死であった。
「わたくしはイザベル様に殺されそうになりました」
「知らんな。俺にはどうでもいいことだ」
答えながら心剣は、そうか、この女が毒茶を飲まされたのか、と、多少の憐憫を感じていた。やはり、小夜に瓜二つという事実があるからであろう。
「ナンナ様は、わたくしの命の恩人です。ナンナ様の魔法が、イザベル様の望みを叶えるものでは無いと、イザベル様がご判断された時、ナンナ様はどうなってしまうか、判りません。ここ数日で、本当に、イザベル様は変わってしまったのです」
身内ともいえる人間が、こう考えているのである。コゼットの置かれた立場は、よほど逼迫していると言えた。
「生きながらえる以上、俺の目的は、お前たちが連れ去った女を取り戻すことにある。そなたまで助ける筋合いなど、無い」
カレンは一瞬、はっ、としたように瞳を動かしたが、すぐに、眼を伏せた。心剣はほんの少し顔を歪めて、もう一度彼女に背を向けた。カレンをずっと見ていると、だんだん、小夜本人かと、思えてしまうからであった。
長い沈黙ののち――。
「兵庫助様……」
ぽそりと言った、カレンの言葉に、心剣の全身の血が、沸き立った。大刀を引っ掴んで立ち上がるや、
「その名を呼ぶなっ! その貌でっ! その声で!」
咆哮にも似た叫びと共に、抜いた白刃の切先をカレンに向けた。
否。正確には、カレンが先ほどまであった空間に向けたのであった。
「むっ――」
カレンの姿は無かった。
――そうか……幻影であったな。
心剣はゆっくりと刀を鞘の内に戻したあと、またしてもベッドに寝転がった。
瞼を閉じると、その裏に、小夜の姿が映った。いや、その小夜は、小夜では無いかも知れなかった……。




