勝手な話
西大橋を出てすぐの、主に貴族用の宿屋の一室で、大垣源十郎は、隣に座ったコゼットとともに、イザベル・カペーとカレンの姿を見守っていた。
カレンは、椅子に腰かけ、かれこれ、二時間以上、無言で両目を閉じていた。と言って、眠っているわけでは無いのは、ぴんと伸ばした背筋と、額に浮かぶ小さな玉汗が語っている。
その間イザベルもまた何も言わず、わずかに笑みを含んだ視線を、カレンに注ぎ続けていた。
静かに、カレンの瞼が、開かれた。イザベルはそれを待っていたのであった。
「どうじゃ?」
「うまくいきましてございます」
カレンの報告を聞いて、イザベルは高く笑った。
「いかな不死身も、火に巻かれてはひとたまりもあるまいて」
「カレン殿。死神氏は、何か申して居ったか?」
源十郎が訊ねると、
「大垣様に伝えよと、言われた言葉がございます」
カレンは死神心剣の句を、伝えた。
「ふむ……そうか……」
源十郎は、静かに、言っただけだった。
「あの……もしや、あの方に、何か起こったのでしょうか?」
話の読めないコゼットが、弱々しい声音で、源十郎に訊いた。
「左様。死神氏は、みまかった。それを、このカレン殿が、魔法の力で見届けたのだ」
「ああっ! そんな!」
コゼットのショックは大きかった。両手で顔を覆い、何度も頭を振った。その姿に、源十郎もカレンも、いささか忍びない思いであった。
「源十郎、そもじ、浮かぬ顔じゃな」
イザベルが揶揄するように言うと、源十郎は鹿爪らしく表情をことさら引き締めたものにした。
「死神氏とは、尋常の仕合をただ一度で良いから、してみたかったと思いますと、残念な仕儀でございますれば、まことに呆気の無い幕引き……至極残念にござりまする」
ぬけぬけと、源十郎は言ったものである。
「それはそうと、カレン殿、部屋に誘い込めたのは、死神氏だけでござろうか」
「はい。あとお二人は、残念ながら」
「よいわえ」
イザベルが、ひら、と一度手をうち払った。
「スピレインの老いぼれに、どうしてこの女を取り戻せようか。取り戻せば、老いぼれの罪が、明らかとなるのじゃし、ブランドフォードの子爵風情が何を言ったところで、どうなるものでも無いやえ。ホ、ホ、ホ――」
源十郎もカレンも、イザベルのその笑い声に、その喜色を讃えた顔に、戦慄を覚えずにはいられなかった。声に勝者の驕りがあった。破顔した目に、弱者への蔑視が光っていた。
――醜い!
これは、源十郎にとって初めてイザベルに沸いた感情であった。この世の物ならぬほどの美貌が、こうも醜く歪んでしまうものか、と、源十郎は暗澹たる思いにとらわれた。
もっとも、驕り高ぶる中にあって、なお、イザベルは容易に触れがたき気品と、匂うほどの美しさを保っている。だからこそ、タチが悪いといえた。
完璧だった玉に、瑕が一つ付いたようなものであった。その一つの瑕が、玉を見る者の目を、どうしても引き付けてしまうのと同じであった。
――いったい、いつの間にイザベル様の執心が、ここまで大きくなったのか?
源十郎はずっと考えていたが、どうしても分からなかった。
一つには、簡単に手に入れる事が出来た筈のものが、そう出来なかった悔しさがあろう。また一つには、仕官の話を終に肯んじなかった死神心剣への恨みもあろう。
――こんなお方では無いのだ、イザベル様は……。
邪魔者の始末を付けるのに、自身の屋敷に火を放つなどという途方もない、そして杜撰な計画を源十郎が聞かされたのは、二日前の事であった。その瞬間から、源十郎の心は、今回のイザベルの望み一切に、反対の立場へ傾いた。
火事など起こせば当然、騒ぎになろうし、王家に詮索されれば、最悪、爵位剥奪もありうる。領地も没収されるはずだ。
源十郎風に言えば、御家の大事であった。
治癒魔法の使い手一人、しかも、使う度に命を削られる治癒魔法である。いかに貴重な存在とはいえ、爵位領地と天秤にかけるまでも無い。源十郎のこの言葉は、イザベルの顔をしかめさせただけであった。ただ、それだけであった。
そこで源十郎が考えを重ねて捻り出したのが、心剣死亡の虚偽であった。死んだはずの心剣が、ナンナを奪還すれば、さすがに相手が悪かったと、ナンナの事は諦めるかもしれない……。そうなれば、もとのイザベルに戻ってくれるはず……。
――勝手な話だ! が、死神氏、貴公に賭けるしかないのだ……!
源十郎は、家臣としてのおのれの無力ぶりに忸怩するより無かった。
イザベルの屋敷が鎮火したのは、夜明けのことであった。
シャノン・ブランドフォードとコルネリウス・スピレインは、火事に気付いたカペー邸の、近所の貴族に仕える者たちや、それこそ貴族たちと共に、夜を徹して、消火活動にあたった。
魔法を使える貴族たちもあったが、それが消火活動に役立ったかといえば、そうでは無かった。水系魔法を使う者が、ほとんどいなかったのである。
居ないわけでは無かったが、皆、初歩魔法しか、ものしなかったのであった。
コルネリウスも、その一人であった。彼は、七十近く生きて来て、この時ほど、己の魔法の才と無勉強に、唇を噛んだことは無かった。
初歩魔法、最下級水系魔法を、いくら唱えようと、燃え盛る火の手に、届く前に、蒸発する、という次第であった。
もっとも、貴族屋敷というものは、隣邸とは、距離がある。広大な敷地のほぼ中央に、建っている。その意味では、隣家への延焼の懼れは殆ど無かった。かてて加えて、風も凪いでいた。消火に当たった貴族たちに必死さがどうにも見られなかったのは、その事もあろうか。
しかし、コルネリウスもシャノン、二人が必死であったのは言うを待たない。
どうにかして心剣を救えぬか。
紅蓮が気紛れを起こしたとみれば、シャノンは何度も走り出しそうになったし、事実、何度か、走った。その度に、誰かに止められ、その一瞬後には、炎が、彼を嘲るように、ごう、と、雄たけびをあげた。
ようやく……、呑み込めるものを呑みつくした火炎が、栄枯盛衰の例えを辿った。あたりを払っていた炎の勢いも、陽の光に包まれ始めた頃合いであった。
屋敷は、まっ黒焦げに煤に覆われた。つまり、最初に建てられた、その姿を、一応は保っていた。
この頃には、王城からも、数十人がやって来ていた。
宰相ゼクス・セーティも、その中にあった
今年、四十になる宰相は、長身痩躯。男振りはよいのだが、難しげなというべきか不機嫌と言うべきか、いつもの眉根を寄せた顔を、ここでも見せていた。
「ナンナの件ですか」
カペー邸焼失の場に、コルネリウスの姿があるのを見て取って、そう、訊ねたのは、三日ほど前、コルネリウスの告白をすぐ、思い出したからであったろう。
もっとも、この宰相にとって、ナンナ、つまりコゼットの存在は、苦々しく思っているフシがあるのを、コルネリウスは確信していた。
宰相には、敵が多い。わずかなスキャンダルでもあれば、この宰相に押さえつけられている政敵たちが、ネガティブキャンペーンを張るであろう。攻める過失は、宰相本人に留まらない。過去、この宰相に近しくなったあらゆる人物を対象とする。
親宰相派のコルネリウスしかり、アシュレイ、ナンナしかり、である。
眩しい朝陽の中で、宰相に事の事情を説明している間、コルネリウスはふと、
――今日も暑くなるな……。
妙な事に、ここ数日間のことを、他人事のように感じられたものであった。
「ナンナはカペーの手に渡り、貴方の手飼いの者も焼け死にましたか」
感情のこもっておらぬような口調で、コルネリウスに確認したのち、この宰相が呟いた言葉は次のものだった。
「ナンナもいっそ、カペーが始末してくれれば手間が省けるが」
コルネリウスは、はっとして、現実に引き戻されると、非難の目を宰相に向けた。
「今――なんと?」
宰相は真顔で答える。
「ナンナをカペーが殺してくれれば良いのだが、と、言ったのです」
「儂らが彼女を取り戻しても、御宰相はナンナを消すおつもりか」
「彼女の事が表沙汰になるようなら、そうします。あるいは、イザベルともども消えて貰うか」
眉宇一つ動かさずに。
コルネリウスとゼクスの付き合いは長い。宰相の性格を、老人はたなごころを差すかの如く理解しているつもりである。
宰相の血は凍っている、という揶揄もあるが、基本的にそれは、政治に関わっている貴族たちが言っている事である。
十八年前の戦争で乱れたあらゆるものを、必死で収束させ、しかも国家として確固たる地盤を築き、国を繁栄させんとする気概をこの宰相は持っている。現女王カチュアの治世は素晴らしいものだった、と、後世に語り継がせんが為にである。
その思いが、時として、情け、というものを排除するのであるが、宰相自身は、常に冷静に先を見ているだけである。
ただ、為政者として己を厳しく律している分、他人に対しても、それを求めるきらいがあった。
老人は理解している。理解しているし、正しい、とも思っている。だが、非情に徹し続けるのもどうであろうかとは、考えている。時々、付いていけぬ、と感じるのであった。
それに、ゼクスの先ほどの言葉は、完全に保身でしか無い。
「随分と勝手な話ですな――」
だから思わず、コルネリウス口がそうついていた。
「わたしが身を引くべき時は、今では無い、と言う事です。詭弁に聞こえるでしょうが、この国を、後進に渡すときは、しっかりしたものを渡したい。他の者が無理でも、わたしならば多少の無理を通すこともできる。こう言ってはなんですが、わたしの代わりになる者は、まだおりません」
言葉の後半は、確かに、その通りであった。ゼクスは先の戦乱終結の立役者であった。英雄と言えた。だからこそ、彼の処置に下火は燻っても、拡がらずに済んでいる。
「スピレイン卿!」
空から、コルネリウスを呼ぶシャノンの声が降ってきた。
声の方に面を上げると、いつの間にか屋敷の中に入っていたシャノンが、二階の窓に姿を見せていた。
「卿! 来てください! 心剣さんはご無事です!」
「まことか!? よし!」
傍にゼクスが居るのも忘れて、コルネリウスは駆けだした。
屋敷の中は、当然のことながら、かなりの熱気と煙と焦げ臭いにおいが残っていた。
階段を駆け上がろうとして、コルネリウスは一旦立ち止まったが、幸いにも、木製では無いようで、崩れることは無かった。
「こちらです」
老人の姿を確認して、シャノンが自分の目の前の扉を指し示した。
「他の部屋の扉は全部焼き崩れていたのですが、心剣さんの閉じ込められたこの部屋だけが」
「うむ」
煤がこびり付いているが、扉は間違いなく木製であったのは、コルネリウスも憶えている。
「魔法が掛けられていると、お前に言ったそうだな」
「はい。それでさっき、心剣さんの名を呼んだところ、中から心剣さんの声が返って来たのです」
コルネリウスは取っ手に手を掛けたが、やはり、開く気配は無かった。
「心剣! 儂だ! 待っておれよ、今、助ける!」
とは、言ったものの、それこそ押しても引いても、扉は開かぬ。半ば自棄気味にコルネリウスが抜剣したときであった。
「無駄です、伯」
鷹揚な足取りで、ゼクスが近付いてきた。
「結界が張られています。わたしが解きましょうか。……とは言え、半日もすれば、自然とその結界の効力も消えるでしょうが」
この宰相、国で一番の大魔法使いでもある。
コルネリウスは先程のゼクスとの会話で、僅かばかりの苛立ちを生んでいたが、ぐずぐずしてもいられぬと考えて、素直に頭を下げたものであった。
心剣と共にすぐにでも、イザベルを追うつもりであったのだ。
ゼクスが、指先を扉に付けて三十秒――、
「終わりました。どうぞ」
事もなげな口調で、コルネリウスを促した。
あれだけ、固く閉ざされていた扉が、あっさりと開いた。
「心剣!」
「心剣さん!」
コルネリウスとシャノンが、飛び込んでみると、死神心剣は両腕を組んで、ベッドに腰かけているという姿であった。
「妙な事となった」
部屋に入って来た二人へ向けた心剣の第一声は、これであった。
「は? え? 妙?」
心剣が生きていた事への喜びを、顔に出しつつも、シャノンは戸惑ったようである。
「わたしがここで焼け死んだという事にして、コゼットを救うよう、向こう様から頼まれた」
心剣の言葉を理解するかの様に、二人は多少の時間を費やした。
「向こうに裏切り者が出た、と言うのか?」
「さて、それは分からぬ。何段か構えの罠かもしれぬ……が、本気でわたしを始末するのなら、この火事だけで充分であったのは、間違いない」
一晩、炎の爆ぜる音に包まれながら、心剣の頭を離れなかったのは、小夜に生き写しのカレンの姿であった。どれほど、振り払おうとしたか、わからない。振り払っても振り払っても、ずうっと、彼の脳裏から離れなかった。挙句、小夜が助けを求めている錯覚すらあった。
――コゼットは、救う。だがあの女はどうする? 助けるのか? 助けたところで、どうなる? 助けずにおいた所で、俺の知った事では無いではないか?
一晩中、自問を繰り返していたのであった。
思考が堂々巡りをするのは、この男としては珍しいが、たった今、シャノンらの顔を見た瞬間、腹は決まった。
心剣は立ち上がり、二刀を腰に手挟んだ。
「御老人、イザベルとやらの領地――南西に向かえば良かったか」
「あ、ああ、うむ。セレフィユにエミーレと言う城塞都市がある。それがカペーの居城だ。入られたら厄介だが、今から追い付けるかどうか」
「それは大丈夫かと、思います」
シャノンが手を顎に当てながら言った。
「カペー様がコゼットさんを攫ったのは、昨日の夕方です。確信はありませんが、おそらくどこかで宿を取ったと思います」
「ならば急ぐ他はあるまい」
言った時には、心剣はもうすでに、大股に歩きだしていた。
しかし、部屋の入口で、その足を止めざるを得なかった。
「……」
入口に立ち塞がるようにして立っている男――宰相ゼクスに、心剣は、何らの興味も持たぬ顔つきで、ただ、「邪魔だ」という視線を送った。
「君が死神心剣か。伯からかねがね聞いている」
ゼクスも、そう口にはしながらも、心剣への興味は全く感じられぬほどの顔付きであった。
「この件、是非とも上手く動いて貰いたいものだ」
この言葉に、このゼクスと言う男が何を考えているのか、心剣は感ずるものがあった。
「知った事か。どいて貰おう」
「と、言う事は、わたしの思惑を察した、と見て良いかな?」
「知った事かと、こちらは言っている。どかねば、斬るぞ」
再度心剣が念を押すと、ゼクスは何も言わず、かすかに肩をひそめて、一歩を退いた。
心剣はゼクスの隣を通り抜けて、あとはもう、一顧だにしなかった。
屋敷の外の出る頃には、シャノンとコルネリウスも心剣に追い付いていた。
「馬が足らんな」
コルネリウスの言葉に、
「屋敷に戻る暇はありませんね。なんとか隣邸のお方にお借り出来ないものでしょうか」
シャノンがそう、提案した。
「そうだな……」
しかし、難しいものと言えた。貴族は、すべからく騎士であった。騎士である以上、所有する馬は騎士たる象徴、大事な宝である。武具以上に大切にする者も多かった。
「掛け合うだけ掛け合ってみよう。シャノン、お前は心剣と共に先に行っておれ。身分的にお前に貸さぬとも、儂であれば何とかなるかもしれん」
「分かりました」
シャノンが頷く横で、心剣はとうに騎乗している。シャノンも急いで騎乗した。
「ただ、カペー様が、王都を南に出たか、西に出たかですが」
「西に出たと言う事らしい」
シャノンが驚いた表情で、心剣を見つめた。
「例の裏切り者が、俺にそう教えた。急げば、今日中に追い付けるかもしれん」
「信じるのか? 心剣」
訝しげな顔を見せるコルネリウスに、心剣は、自嘲気味に口辺の一方を上げた。
「おかげでこうして、生きている」
「……分かった。行け。儂もすぐ後を追う」
心剣とシャノンは、コルネリウスに軽く目礼してのち、馬腹を蹴った。
早朝にもかかわらず、陽の光にはすでに熱気があった。貴族屋敷区を抜けると、往還には、ちらほらと、一日の生活を始めようとする人々がすでにある。
背後から近付いてくる、けたたましい馬蹄の響きに、何事かと振り返って、仰天し、慌てて道の端に避難する者たちの中には、市場へ仕入れに向かう藤井圭吾の姿もあった。
「なんだっ! あっぶねぇな! 朝っぱらから――って、ありゃぁ、死神の旦那とシャノン様? なんだか随分急いでるみたいだったけど…………おい……まさか」
ピィン、と直感するモノがあって、圭吾は走り出していた。最初こそ、二人を追おうとしたが、人の足で馬に勝てるはずもない。
――コゼットさんになんかあったに違ぇねえ! そうだ、ジャンはどうした!?
そう考えて、圭吾は、ブランドフォード邸に向かった。
およそ三キロの道程を、駆け通して、ブランドフォード邸に着いたときには、圭吾の体は全身汗まみれで、肩で息をするという有り様であった。
柵門の前で、膝に手を突いて息を整えていると、
「兄ちゃん……」
いつの間にやら、柵の向こうに、ジャンが来ていた。
「お、おう、ジャン」
ジャンが昨晩、一睡もしていないのが、やや眠たげな表情から知れた。
「さっき、旦那とシャノン様を見たぜ。なんかあったのか?」
我ながら、少し空々しい、とは思いつつも、圭吾は訊ねた。
「母さんが……連れ去られたって……」
――ちっ! やっぱそうか!
「なんで……母さんが?」
「え?」
「母さん、何かしたの?」
「それは……」
圭吾は、ある程度の事情を聞かされていたが、固く口止めもされていた。
「だってそうじゃなきゃ、俺たちがシャノン様のお屋敷に居るっておかしいよ。兄ちゃん、何か知ってんだろ? 教えてくれよ!」
ジャンは両手に柵を掴んで、圭吾の顔を見上げた。面上の必死さに、すがり付くような眼眸に、圭吾は胸を詰まらせた。
「ジャン……」
「なあ、頼むよ! ここの人、母さんが連れ去られたっていうばっかりで、理由、誰も教えてくれないんだよ」
圭吾はジャンの顔から目を外して、しばし悩んだ。
コゼットは魔法が使える事、その魔法の力を好からぬ人間が狙っている事、ジャンの身にも同じ魔法の力が眠っている事――コルネリウスらから聞いた話を告げれば、ジャンの懇願には叶う。が、しかし、それらを告げて、どうなるというのか。かえっていたずらに、ジャンの不安を煽るだけではないか、と思うと、また一方で、何も知らされないままの状態が続く怕さも、圭吾はよく知っていた。
中学生の時、圭吾は父を亡くしている。
『父親が倒れた』
京都への修学旅行中の報であった。急いで新幹線に乗り込んだが、携帯電話を宿に置き忘れた。あの時の、連絡の取れない数時間の恐怖といったら無かった。
――この子は、あの時の俺だ……。
ジャンにあの時の自分を重ねて、圭吾は喘いだ。
「ジャンいいか――」
改めて、ジャンに顔を向けて、圭吾は言った。
「旦那とシャノン様に任せるんだ。あの二人なら、きっと――」
事実を教えるのを思い止まったのは、コゼットから、ジャンに魔法の話はしないで欲しいと、幾度も念を押されたのを、思い出した為であった。知れば、ジャンの人生は悲惨なものになると、コゼットは予言までしていた。
「なんだよ、それ……」
ジャンの顔が落胆と怒りを同時に表した。
「兄ちゃんまで教えてくんないのかよ!」
「ジャン」
「ちくしょう! 俺の! 俺の母さんの事なんだぞ!? なのになんで!? なんで俺に教えてくれないんだよ! 俺が子供だから? まだガキだからってのかよ!?」
涙を流して叫ぶジャン。しかし双眸は燃えるようにして圭吾を睨みつけていた。
「俺はもうガキじゃねえ! ガキなんかじゃねえっ!」
「ジャン!」
わざと、厳しい顔をつくり、ジャンの声に負けないくらいの一喝を、圭吾は飛ばした。
「――!」
怯んで黙ったジャンに、圭吾は目線を合わした。更に、柵を握るジャンの両の拳を、こちらも両手で包み込むようにして、握った。
「いいか、ジャン。お前は、旦那やシャノン様が、信じらんないか?」
問いに、ジャンは唇を震わせたが、言葉にはならぬ様子であった。
「コゼットさん――お前のおっかさんが、信じらんないか?」
「……」
「……俺たちがな、お前に何も言わないのは、お前を信じてるからだ。屁理屈だと思ったなら、屁理屈だと思ってくれていい。でも俺は本気だ。旦那たちはお前を信じてる。んで、お前が旦那たちの事、信じてるって、俺は信じてる。……どうだ? 旦那たちのこと、信じて待ってらんねえか?」
ジャンは鼻をすすり上げながら、戸惑うように圭吾の顔を見つめた。二人の無言の見つめ合いは、二分、続き、ようやくジャンが小さくこくりと頷いた。
「……分かった。待つよ、俺」
「――そっか。うん。大丈夫だ。旦那たちに任せときゃ、心配ねえって」
圭吾は安堵して微笑んだ。
ジャンが一歩を下がろうする様子を見せたので、圭吾は握っていた手を離した。
涙を拭いて、ジャンはふっ、と小さく笑った。
「どうした?」
「さっきの兄ちゃんの……屁理屈だと思う」
「そ、そうか? いや、ンな事は……」
圭吾はどきりとして、頭を掻いた。
「うん、いや、そりゃさ、ぶっちゃけ、俺も、屁理屈だよなァって、思いながら言ってたけど、でも、嘘は、言ってねえぞ」
と、妙なところで胸を張る圭吾に、
「うん。だから俺も、兄ちゃんの事も、信じる。おっさんやシャノン様のこと、信じるよ」
ジャンはぎこちないながらも、笑顔を見せたものであった。ただ、圭吾にはそれが、ジャンが自分に言い聞かせたかのように、映った。
――賢い子だ……。きっと納得してないだろうに、大人の事情に無理矢理合わせようとして……。ごめん。ごめんなジャン。勝手な事ばっか言って……。
圭吾の胸に、込み上げるものがあった。




