表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

勝手な話

 西大橋を出てすぐの、主に貴族用の宿屋の一室で、大垣源十郎は、隣に座ったコゼットとともに、イザベル・カペーとカレンの姿を見守っていた。

 カレンは、椅子に腰かけ、かれこれ、二時間以上、無言で両目を閉じていた。と言って、眠っているわけでは無いのは、ぴんと伸ばした背筋と、額に浮かぶ小さな玉汗が語っている。

 その間イザベルもまた何も言わず、わずかに笑みを含んだ視線を、カレンに注ぎ続けていた。

 静かに、カレンの瞼が、開かれた。イザベルはそれを待っていたのであった。

「どうじゃ?」

「うまくいきましてございます」

 カレンの報告を聞いて、イザベルは高く笑った。

「いかな不死身も、火に巻かれてはひとたまりもあるまいて」

「カレン殿。死神氏は、何か申して居ったか?」

 源十郎が訊ねると、

「大垣様に伝えよと、言われた言葉がございます」

 カレンは死神心剣の句を、伝えた。

「ふむ……そうか……」

 源十郎は、静かに、言っただけだった。

「あの……もしや、あの方に、何か起こったのでしょうか?」

 話の読めないコゼットが、弱々しい声音で、源十郎に訊いた。

「左様。死神氏は、みまかった。それを、このカレン殿が、魔法の力で見届けたのだ」

「ああっ! そんな!」

 コゼットのショックは大きかった。両手で顔を覆い、何度も頭を振った。その姿に、源十郎もカレンも、いささか忍びない思いであった。

「源十郎、そもじ、浮かぬ顔じゃな」

 イザベルが揶揄するように言うと、源十郎は鹿爪らしく表情をことさら引き締めたものにした。

「死神氏とは、尋常の仕合(しあい)をただ一度で良いから、してみたかったと思いますと、残念な仕儀でございますれば、まことに呆気の無い幕引き……至極残念にござりまする」

 ぬけぬけと、源十郎は言ったものである。

「それはそうと、カレン殿、部屋に誘い込めたのは、死神氏だけでござろうか」

「はい。あとお二人は、残念ながら」

「よいわえ」

 イザベルが、ひら、と一度手をうち払った。

「スピレインの老いぼれに、どうしてこの女を取り戻せようか。取り戻せば、老いぼれの罪が、明らかとなるのじゃし、ブランドフォードの子爵風情が何を言ったところで、どうなるものでも無いやえ。ホ、ホ、ホ――」

 源十郎もカレンも、イザベルのその笑い声に、その喜色を讃えた顔に、戦慄を覚えずにはいられなかった。声に勝者の驕りがあった。破顔した目に、弱者への蔑視が光っていた。

 ――醜い!

 これは、源十郎にとって初めてイザベルに沸いた感情であった。この世の物ならぬほどの美貌が、こうも醜く歪んでしまうものか、と、源十郎は暗澹たる思いにとらわれた。

 もっとも、驕り高ぶる中にあって、なお、イザベルは容易に触れがたき気品と、匂うほどの美しさを保っている。だからこそ、タチが悪いといえた。

 完璧だった(ぎょく)に、(きず)が一つ付いたようなものであった。その一つの瑕が、玉を見る者の目を、どうしても引き付けてしまうのと同じであった。

 ――いったい、いつの間にイザベル様の執心が、ここまで大きくなったのか?

 源十郎はずっと考えていたが、どうしても分からなかった。

 一つには、簡単に手に入れる事が出来た筈のものが、そう出来なかった悔しさがあろう。また一つには、仕官の話を(つい)(がえ)んじなかった死神心剣への恨みもあろう。

 ――こんなお方では無いのだ、イザベル様は……。

 邪魔者の始末を付けるのに、自身の屋敷に火を放つなどという途方もない、そして杜撰な計画を源十郎が聞かされたのは、二日前の事であった。その瞬間から、源十郎の心は、今回のイザベルの望み一切に、反対の立場へ傾いた。

 火事など起こせば当然、騒ぎになろうし、王家に詮索されれば、最悪、爵位剥奪もありうる。領地も没収されるはずだ。

 源十郎風に言えば、御家の大事であった。

 治癒魔法の使い手一人、しかも、使う度に命を削られる治癒魔法である。いかに貴重な存在とはいえ、爵位領地と天秤にかけるまでも無い。源十郎のこの言葉は、イザベルの顔をしかめさせただけであった。ただ、それだけであった。

 そこで源十郎が考えを重ねて捻り出したのが、心剣死亡の虚偽であった。死んだはずの心剣が、ナンナを奪還すれば、さすがに相手が悪かったと、ナンナの事は諦めるかもしれない……。そうなれば、もとのイザベルに戻ってくれるはず……。

 ――勝手な話だ! が、死神氏、貴公に賭けるしかないのだ……!

 源十郎は、家臣としてのおのれの無力ぶりに忸怩するより無かった。


 イザベルの屋敷が鎮火したのは、夜明けのことであった。

シャノン・ブランドフォードとコルネリウス・スピレインは、火事に気付いたカペー邸の、近所の貴族に仕える者たちや、それこそ貴族たちと共に、夜を徹して、消火活動にあたった。

 魔法を使える貴族たちもあったが、それが消火活動に役立ったかといえば、そうでは無かった。水系魔法を使う者が、ほとんどいなかったのである。

 居ないわけでは無かったが、皆、初歩魔法しか、ものしなかったのであった。

 コルネリウスも、その一人であった。彼は、七十近く生きて来て、この時ほど、己の魔法の才と無勉強に、唇を噛んだことは無かった。

 初歩魔法、最下級水系魔法を、いくら唱えようと、燃え盛る火の手に、届く前に、蒸発する、という次第であった。

 もっとも、貴族屋敷というものは、隣邸とは、距離がある。広大な敷地のほぼ中央に、建っている。その意味では、隣家への延焼の(おそ)れは殆ど無かった。かてて加えて、風も凪いでいた。消火に当たった貴族たちに必死さがどうにも見られなかったのは、その事もあろうか。

 しかし、コルネリウスもシャノン、二人が必死であったのは言うを待たない。

 どうにかして心剣を救えぬか。

 紅蓮が気紛れを起こしたとみれば、シャノンは何度も走り出しそうになったし、事実、何度か、走った。その度に、誰かに止められ、その一瞬後には、炎が、彼を嘲るように、ごう、と、雄たけびをあげた。

 ようやく……、呑み込めるものを呑みつくした火炎が、栄枯盛衰の例えを辿った。あたりを払っていた炎の勢いも、陽の光に包まれ始めた頃合いであった。

 屋敷は、まっ黒焦げに煤に覆われた。つまり、最初に建てられた、その姿を、一応は保っていた。

 この頃には、王城からも、数十人がやって来ていた。

 宰相ゼクス・セーティも、その中にあった

 今年、四十になる宰相は、長身痩躯。男振りはよいのだが、難しげなというべきか不機嫌と言うべきか、いつもの眉根を寄せた顔を、ここでも見せていた。

「ナンナの件ですか」

 カペー邸焼失の場に、コルネリウスの姿があるのを見て取って、そう、訊ねたのは、三日ほど前、コルネリウスの告白をすぐ、思い出したからであったろう。

 もっとも、この宰相にとって、ナンナ、つまりコゼットの存在は、苦々しく思っているフシがあるのを、コルネリウスは確信していた。

 宰相には、敵が多い。わずかなスキャンダルでもあれば、この宰相に押さえつけられている政敵たちが、ネガティブキャンペーンを張るであろう。攻める過失は、宰相本人に留まらない。過去、この宰相に近しくなったあらゆる人物を対象とする。

 親宰相派のコルネリウスしかり、アシュレイ、ナンナしかり、である。

 眩しい朝陽の中で、宰相に事の事情を説明している間、コルネリウスはふと、

 ――今日も暑くなるな……。

 妙な事に、ここ数日間のことを、他人事のように感じられたものであった。

「ナンナはカペーの手に渡り、貴方の手飼いの者も焼け死にましたか」

 感情のこもっておらぬような口調で、コルネリウスに確認したのち、この宰相が呟いた言葉は次のものだった。

「ナンナもいっそ、カペーが始末してくれれば手間が省けるが」

 コルネリウスは、はっとして、現実に引き戻されると、非難の目を宰相に向けた。

「今――なんと?」

 宰相は真顔で答える。

「ナンナをカペーが殺してくれれば良いのだが、と、言ったのです」

「儂らが彼女を取り戻しても、御宰相はナンナを消すおつもりか」

「彼女の事が表沙汰になるようなら、そうします。あるいは、イザベルともども消えて貰うか」

 眉宇一つ動かさずに。

 コルネリウスとゼクスの付き合いは長い。宰相の性格を、老人はたなごころを差すかの如く理解しているつもりである。

 宰相の血は凍っている、という揶揄もあるが、基本的にそれは、政治に関わっている貴族たちが言っている事である。

 十八年前の戦争で乱れたあらゆるものを、必死で収束させ、しかも国家として確固たる地盤を築き、国を繁栄させんとする気概をこの宰相は持っている。現女王カチュアの治世は素晴らしいものだった、と、後世に語り継がせんが為にである。

 その思いが、時として、情け、というものを排除するのであるが、宰相自身は、常に冷静に先を見ているだけである。

ただ、為政者として己を厳しく律している分、他人に対しても、それを求めるきらいがあった。

 老人は理解している。理解しているし、正しい、とも思っている。だが、非情に徹し続けるのもどうであろうかとは、考えている。時々、付いていけぬ、と感じるのであった。

それに、ゼクスの先ほどの言葉は、完全に保身でしか無い。

「随分と勝手な話ですな――」

 だから思わず、コルネリウス口がそうついていた。

「わたしが身を引くべき時は、今では無い、と言う事です。詭弁に聞こえるでしょうが、この国を、後進に渡すときは、しっかりしたものを渡したい。他の者が無理でも、わたしならば多少の無理を通すこともできる。こう言ってはなんですが、わたしの代わりになる者は、まだおりません」

 言葉の後半は、確かに、その通りであった。ゼクスは先の戦乱終結の立役者であった。英雄と言えた。だからこそ、彼の処置に下火は燻っても、拡がらずに済んでいる。

「スピレイン卿!」

 空から、コルネリウスを呼ぶシャノンの声が降ってきた。

 声の方に(おもて)を上げると、いつの間にか屋敷の中に入っていたシャノンが、二階の窓に姿を見せていた。

「卿! 来てください! 心剣さんはご無事です!」

「まことか!? よし!」

 傍にゼクスが居るのも忘れて、コルネリウスは駆けだした。

 屋敷の中は、当然のことながら、かなりの熱気と煙と焦げ臭いにおいが残っていた。

 階段を駆け上がろうとして、コルネリウスは一旦立ち止まったが、幸いにも、木製では無いようで、崩れることは無かった。

「こちらです」

 老人の姿を確認して、シャノンが自分の目の前の扉を指し示した。

「他の部屋の扉は全部焼き崩れていたのですが、心剣さんの閉じ込められたこの部屋だけが」

「うむ」

 煤がこびり付いているが、扉は間違いなく木製であったのは、コルネリウスも憶えている。

「魔法が掛けられていると、お前に言ったそうだな」

「はい。それでさっき、心剣さんの名を呼んだところ、中から心剣さんの声が返って来たのです」

 コルネリウスは取っ手に手を掛けたが、やはり、開く気配は無かった。

「心剣! 儂だ! 待っておれよ、今、助ける!」

 とは、言ったものの、それこそ押しても引いても、扉は開かぬ。半ば自棄気味にコルネリウスが抜剣したときであった。

「無駄です、伯」

 鷹揚な足取りで、ゼクスが近付いてきた。

「結界が張られています。わたしが解きましょうか。……とは言え、半日もすれば、自然とその結界の効力も消えるでしょうが」

 この宰相、国で一番の大魔法使いでもある。

 コルネリウスは先程のゼクスとの会話で、僅かばかりの苛立ちを生んでいたが、ぐずぐずしてもいられぬと考えて、素直に頭を下げたものであった。

 心剣と共にすぐにでも、イザベルを追うつもりであったのだ。

 ゼクスが、指先を扉に付けて三十秒――、

「終わりました。どうぞ」

 事もなげな口調で、コルネリウスを促した。

 あれだけ、固く閉ざされていた扉が、あっさりと開いた。

「心剣!」

「心剣さん!」

 コルネリウスとシャノンが、飛び込んでみると、死神心剣は両腕を組んで、ベッドに腰かけているという姿であった。


「妙な事となった」

 部屋に入って来た二人へ向けた心剣の第一声は、これであった。

「は? え? 妙?」

 心剣が生きていた事への喜びを、顔に出しつつも、シャノンは戸惑ったようである。

「わたしがここで焼け死んだという事にして、コゼットを救うよう、向こう様から頼まれた」

 心剣の言葉を理解するかの様に、二人は多少の時間を費やした。

「向こうに裏切り者が出た、と言うのか?」

「さて、それは分からぬ。何段か構えの罠かもしれぬ……が、本気でわたしを始末するのなら、この火事だけで充分であったのは、間違いない」

 一晩、炎の()ぜる音に包まれながら、心剣の頭を離れなかったのは、小夜に生き写しのカレンの姿であった。どれほど、振り払おうとしたか、わからない。振り払っても振り払っても、ずうっと、彼の脳裏から離れなかった。挙句、小夜が助けを求めている錯覚すらあった。

 ――コゼットは、救う。だがあの女はどうする? 助けるのか? 助けたところで、どうなる? 助けずにおいた所で、俺の知った事では無いではないか?

 一晩中、自問を繰り返していたのであった。

 思考が堂々巡りをするのは、この男としては珍しいが、たった今、シャノンらの顔を見た瞬間、腹は決まった。

 心剣は立ち上がり、二刀を腰に手挟んだ。

「御老人、イザベルとやらの領地――南西に向かえば良かったか」

「あ、ああ、うむ。セレフィユにエミーレと言う城塞都市がある。それがカペーの居城だ。入られたら厄介だが、今から追い付けるかどうか」

「それは大丈夫かと、思います」

 シャノンが手を顎に当てながら言った。

「カペー様がコゼットさんを攫ったのは、昨日の夕方です。確信はありませんが、おそらくどこかで宿を取ったと思います」

「ならば急ぐ他はあるまい」

 言った時には、心剣はもうすでに、大股に歩きだしていた。

 しかし、部屋の入口で、その足を止めざるを得なかった。

「……」

 入口に立ち塞がるようにして立っている男――宰相ゼクスに、心剣は、何らの興味も持たぬ顔つきで、ただ、「邪魔だ」という視線を送った。

「君が死神心剣か。伯からかねがね聞いている」

 ゼクスも、そう口にはしながらも、心剣への興味は全く感じられぬほどの顔付きであった。

「この件、是非とも上手く動いて貰いたいものだ」

 この言葉に、このゼクスと言う男が何を考えているのか、心剣は感ずるものがあった。

「知った事か。どいて貰おう」

「と、言う事は、わたしの思惑を察した、と見て良いかな?」

「知った事かと、こちらは言っている。どかねば、斬るぞ」

 再度心剣が念を押すと、ゼクスは何も言わず、かすかに肩をひそめて、一歩を退いた。

 心剣はゼクスの隣を通り抜けて、あとはもう、一顧だにしなかった。

 屋敷の外の出る頃には、シャノンとコルネリウスも心剣に追い付いていた。

「馬が足らんな」

 コルネリウスの言葉に、

「屋敷に戻る暇はありませんね。なんとか隣邸のお方にお借り出来ないものでしょうか」

 シャノンがそう、提案した。

「そうだな……」

 しかし、難しいものと言えた。貴族は、すべからく騎士であった。騎士である以上、所有する馬は騎士たる象徴、大事な宝である。武具以上に大切にする者も多かった。

「掛け合うだけ掛け合ってみよう。シャノン、お前は心剣と共に先に行っておれ。身分的にお前に貸さぬとも、儂であれば何とかなるかもしれん」

「分かりました」

 シャノンが頷く横で、心剣はとうに騎乗している。シャノンも急いで騎乗した。

「ただ、カペー様が、王都を南に出たか、西に出たかですが」

「西に出たと言う事らしい」

 シャノンが驚いた表情で、心剣を見つめた。

「例の裏切り者が、俺にそう教えた。急げば、今日中に追い付けるかもしれん」

「信じるのか? 心剣」

 訝しげな顔を見せるコルネリウスに、心剣は、自嘲気味に口辺の一方を上げた。

「おかげでこうして、生きている」

「……分かった。行け。儂もすぐ後を追う」

 心剣とシャノンは、コルネリウスに軽く目礼してのち、馬腹を蹴った。


 早朝にもかかわらず、陽の光にはすでに熱気があった。貴族屋敷区を抜けると、往還には、ちらほらと、一日の生活を始めようとする人々がすでにある。

 背後から近付いてくる、けたたましい馬蹄の響きに、何事かと振り返って、仰天し、慌てて道の端に避難する者たちの中には、市場へ仕入れに向かう藤井圭吾の姿もあった。

「なんだっ! あっぶねぇな! 朝っぱらから――って、ありゃぁ、死神の旦那とシャノン様? なんだか随分急いでるみたいだったけど…………おい……まさか」

 ピィン、と直感するモノがあって、圭吾は走り出していた。最初こそ、二人を追おうとしたが、人の足で馬に勝てるはずもない。

 ――コゼットさんになんかあったに違ぇねえ! そうだ、ジャンはどうした!?

 そう考えて、圭吾は、ブランドフォード邸に向かった。

 およそ三キロの道程を、駆け通して、ブランドフォード邸に着いたときには、圭吾の体は全身汗まみれで、肩で息をするという有り様であった。

 柵門の前で、膝に手を突いて息を整えていると、

「兄ちゃん……」

 いつの間にやら、柵の向こうに、ジャンが来ていた。

「お、おう、ジャン」

 ジャンが昨晩、一睡もしていないのが、やや眠たげな表情から知れた。

「さっき、旦那とシャノン様を見たぜ。なんかあったのか?」

 我ながら、少し空々しい、とは思いつつも、圭吾は訊ねた。

「母さんが……連れ去られたって……」

 ――ちっ! やっぱそうか!

「なんで……母さんが?」

「え?」

「母さん、何かしたの?」

「それは……」

 圭吾は、ある程度の事情を聞かされていたが、固く口止めもされていた。

「だってそうじゃなきゃ、俺たちがシャノン様のお屋敷に居るっておかしいよ。兄ちゃん、何か知ってんだろ? 教えてくれよ!」

 ジャンは両手に柵を掴んで、圭吾の顔を見上げた。面上の必死さに、すがり付くような眼眸(まなざし)に、圭吾は胸を詰まらせた。

「ジャン……」

「なあ、頼むよ! ここの人、母さんが連れ去られたっていうばっかりで、理由、誰も教えてくれないんだよ」

 圭吾はジャンの顔から目を外して、しばし悩んだ。

 コゼットは魔法が使える事、その魔法の力を好からぬ人間が狙っている事、ジャンの身にも同じ魔法の力が眠っている事――コルネリウスらから聞いた話を告げれば、ジャンの懇願には叶う。が、しかし、それらを告げて、どうなるというのか。かえっていたずらに、ジャンの不安を煽るだけではないか、と思うと、また一方で、何も知らされないままの状態が続く(こわ)さも、圭吾はよく知っていた。

 中学生の時、圭吾は父を亡くしている。

『父親が倒れた』

 京都への修学旅行中の報であった。急いで新幹線に乗り込んだが、携帯電話を宿に置き忘れた。あの時の、連絡の取れない数時間の恐怖といったら無かった。

 ――この子は、あの時の俺だ……。

 ジャンにあの時の自分を重ねて、圭吾は喘いだ。

「ジャンいいか――」

 改めて、ジャンに顔を向けて、圭吾は言った。

「旦那とシャノン様に任せるんだ。あの二人なら、きっと――」

 事実を教えるのを思い止まったのは、コゼットから、ジャンに魔法の話はしないで欲しいと、幾度も念を押されたのを、思い出した為であった。知れば、ジャンの人生は悲惨なものになると、コゼットは予言までしていた。

「なんだよ、それ……」

 ジャンの顔が落胆と怒りを同時に表した。

「兄ちゃんまで教えてくんないのかよ!」

「ジャン」

「ちくしょう! 俺の! 俺の母さんの事なんだぞ!? なのになんで!? なんで俺に教えてくれないんだよ! 俺が子供だから? まだガキだからってのかよ!?」

 涙を流して叫ぶジャン。しかし双眸は燃えるようにして圭吾を睨みつけていた。

「俺はもうガキじゃねえ! ガキなんかじゃねえっ!」

「ジャン!」

 わざと、厳しい顔をつくり、ジャンの声に負けないくらいの一喝を、圭吾は飛ばした。

「――!」

 怯んで黙ったジャンに、圭吾は目線を合わした。更に、柵を握るジャンの両の拳を、こちらも両手で包み込むようにして、握った。

「いいか、ジャン。お前は、旦那やシャノン様が、信じらんないか?」

 問いに、ジャンは唇を震わせたが、言葉にはならぬ様子であった。

「コゼットさん――お前のおっかさんが、信じらんないか?」

「……」

「……俺たちがな、お前に何も言わないのは、お前を信じてるからだ。屁理屈だと思ったなら、屁理屈だと思ってくれていい。でも俺は本気だ。旦那たちはお前を信じてる。んで、お前が旦那たちの事、信じてるって、俺は信じてる。……どうだ? 旦那たちのこと、信じて待ってらんねえか?」

 ジャンは鼻をすすり上げながら、戸惑うように圭吾の顔を見つめた。二人の無言の見つめ合いは、二分、続き、ようやくジャンが小さくこくりと頷いた。

「……分かった。待つよ、俺」

「――そっか。うん。大丈夫だ。旦那たちに任せときゃ、心配ねえって」

 圭吾は安堵して微笑んだ。

 ジャンが一歩を下がろうする様子を見せたので、圭吾は握っていた手を離した。

 涙を拭いて、ジャンはふっ、と小さく笑った。

「どうした?」

「さっきの兄ちゃんの……屁理屈だと思う」

「そ、そうか? いや、ンな事は……」

 圭吾はどきりとして、頭を掻いた。

「うん、いや、そりゃさ、ぶっちゃけ、俺も、屁理屈だよなァって、思いながら言ってたけど、でも、嘘は、言ってねえぞ」

 と、妙なところで胸を張る圭吾に、

「うん。だから俺も、兄ちゃんの事も、信じる。おっさんやシャノン様のこと、信じるよ」

 ジャンはぎこちないながらも、笑顔を見せたものであった。ただ、圭吾にはそれが、ジャンが自分に言い聞かせたかのように、映った。

 ――賢い子だ……。きっと納得してないだろうに、大人の事情に無理矢理合わせようとして……。ごめん。ごめんなジャン。勝手な事ばっか言って……。

 圭吾の胸に、込み上げるものがあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ