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カウントアップが止まらない  作者: 白辺 衣介
二章 抱腹九死
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抱腹九死 6

 一体何の用だろうか。先程とは違って、ノックもなしに入って来たことに、少しの違和感を覚えながら、振り返――


 ――目線の少し下を、銀色の線が走った。


 それに付随し、遅れてやって来た、腹部の痛み。何事かと思い、手を当てる。


「……血……っ!?」


 それは紛れもなく、血液。特有の鉄臭さ、重い色が、暗い闇の中でいやに強調される。

 手についた血液が俺のものであることに気付いたのは、その直後、喀血がきっかけだった。


「がっ、ぷっ」


 食道を逆流した血液が、出口を求めて俺の口から噴き出す。出口なら、すぐ傍に、俺の腹にあるというのに。

 腹部を襲う激痛と熱さから、俺は前のめりになって崩れ落ちる。そこにはちょうど、レイのものであると思われる足があった。ここに来て、俺は漸く、この傷がレイによって与えられたものだと気付く。


 しかし不思議なものだ。重傷を負っている自覚はある。なのに、それをどこかで客観的に見ている。これは、俺が今の今まで、裂傷を負ったことがないという経験のせいだろう。確かに痛い。ああ、それも気が遠のく程。視界もぼやけている。呼吸も湧き上がる血液のせいでままならない。激痛のせいで体を上手く動かせない。なのに、だのに。


「まだ、生きていらっしゃるのですか。いえ、意識があるのですか。一般人と聞き及んでいた割には、思いの外にしぶといですね」

「……あ、ごふっ」


 何故、とは思わない。思い当たる節はある。何せ、主の目の前ですら、客人に殺意を向ける二人だ。こうして、夜に襲われるのは、ある種当然と言える。今思い返すと、あの場で即座に首を刎ねられなかったことが不思議とまで思える。


 俺は、死ぬのだろうか。ここで、まだ、まとも旅も、できていないのに。こんな、ところで。

 怠慢だ。自分の弱点を知っていながら、それに対して何の策も講じなかった、怠惰な俺への、罰だ。

 だから、仕方ない。防具すら装備していなかった、金を惜しんだ。だから、仕方ない。


「ですが、幸いでした。薬への抵抗があるのが、貴男だけで。クリア様はともかく、他の皆様と正面から戦って、勝つ自信はありませんでしたから」

「……な、にを……」

「夕食に、少し、薬をもらせていただきました。眠くなる、薬を」


 なるほど、道理でソピアが眠るわけだ。俺が起きていたのは、きっと、毒物に耐性があるように、薬物にも耐性があるのだろう。毒は薬に、また逆も然り。今回のこれは、薬が毒に転じた、顕著な例だ。

 それを俺が、回らない頭で理解すると同時、レイは足先の向きを変えた。


「どこへ……っ!」

「どこへも行きません。貴男は放って置いても、そのうち失血死するでしょうし、先にソピア様を仕留めておくだけです。彼女の方が、面倒ですから」


 俺の中で、何かが、とても、ざわついた。


 血液滲む歯を食いしばり、激痛走る体に鞭を打つ。腸が散ろうと、という思いが、俺の中に生まれた。

今は、腹よりも頭が熱い。腹よりも胸が熱い。


「っ……あ、ああっ……ぐうぅ……っ!」


 地を這う。みっともなく。無様に。滑稽に。

 溢れる血など気にするな。走る痛みなぞ幻痛だ。霞む視界は、眠気で涙が湧いているだけだ。俺はいつも通りだ。いつも通り、弱くて、不完全で、それでも、自信を持って。


「何をしようとしているのかは分かりませんが……見苦しい」

「っ! があっ!」


 右の足に、足首に、熱が生まれる。まだだ。それでもまだ、俺の胸には炎が灯っている。大丈夫だ。この熱がある限り、俺は生きている。なら、最期に、やりたいことを、やるべきことを。

 這って、這いつくばって、辿り着いたのは、何も知らず、規則正しい寝息を立てているソピアが眠る、ベッドの縁。必死に、残る力を腕に込めて、ベッドに体を乗せる。


 何も遺せるものはないけれど、せめて最期は。


「見上げた気概です。満身創痍の身で、未だ彼女を守ろうとするとは」


 ソピアを庇うようにして抱き締める。あの日からずっと着けているマフラーに、赤い染みがつく。それでも、ぎゅっと、自分が生きていることを確かめるために、ソピアを守るために、抱き抱える。


「……ごめんな、ソピア……」


 結局、俺から、ソピアに「好き」とは言ったことがなかった。

ソピアのことは好きだった。でも、それが、恋愛感情なのかが、分からなくて、ずっと、言えなかった。

 ソピアは、俺のことを好きだと言ってくれていたのに、俺は、何も言えなかった。


 愛する女一人も守れず、挙句、好意すら伝えず死んでいくこの身が恨めしい。

 熱が引いていく。胸の熱も、頭の熱も、腹も、足も。体が冷えていく。熱を求めて、一層強く、抱き締める。


「……いいでしょう。一思いに、殺して差し上げましょう」


 俺の腹を捌いたナイフが、俺の足首を貫いたナイフが、銀色が迫る。視界には、俺の血でところどころ赤くなった、ソピアの顔しか見えないが、感覚的にそう思った。

 力が、抜けていく。手から、腕から。力が、抜けていく。意識すら、もう、


「――ライブッ! ソピアさん!」


 途切れる――……、。





 目が覚めたわけではない。

 空虚、虚空。そう形容すべき空間に、何の変哲もない、とってつけたような扉がぽつんと。

 踏むべき地は在らず。しかし、俺はその扉に引きつけられるようにして、一歩、また一歩と歩みを進める。


 扉は視覚で感じた距離より近かったようで、数歩歩けば、もうノブに手が届く距離だった。それに手をかけ、扉を――


「駄目だぜ。君にそこは、まだ早い」


 声がかけられる。男か女かの区別がつかない、諭すような声。誰が止めたのか。振り返る。


「初めまして、だな。ライブ・ラウンド君」


 そいつは、いまいち形を掴めない。確かに人の形はしている。けれど、靄がかかったように、それそのものが影であるかのように、真が見えてこない。少なくとも、きっと、人間ではない。そう、俺は直感で察した。


「うんうん。僕の姿は見えてねえな。安心だ、安泰だ、ああ、良かった。()が期待した君が、こんなところで終わってもらっちゃあ困るんだよ」


 彼、とは誰だろう。とは思わなかった。こいつが言う、「彼」に、どこか懐かしさを感じたからだ。その「彼」は、俺に近しい誰かだろうと。


「さあ、早く戻れ。()が愛した彼女(・・)を、あまり待たせないでやってくれ」


 また、意識が薄れる。急速に睡魔が俺の意識を蝕んでいく。俺がまだ、意識を手放さないでいられるうちに、ひとつだけ、聞いておきたいことがあった。


「お前は、何だ」


 そう言うと、影は俺に背を向けた。まともに姿が見えていないのに、前後が分かるとはおかしな話だ。

 影は、そのまま歩き出す。


「僕は、与え、導き、示す者。君たちで言うところの、神、というヤツだ。……もう、死にかけるんじゃあないぜ?」


 そして、俺は、目を、覚ます。

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