2話 開き直り特級呪物
それから特に変化のない日々があっという間に過ぎた。
寮から学校へ行き、教室で授業を受けるのは普通の学校と変わらない。ただ、体育の授業は球技とかではなく、長距離走から筋トレ、障害物走という軍人の養成訓練のようなメニューであった。
授業の科目の中にも迷宮論やら、選択制の薬草学、召喚学、マイナーなところで錬成学というのもあった。自身の素質に合わせた授業を四月のうちに選ぶのだ。
戦士系と術士系が大まかな二本柱で、そこからさまざまに派生していく。前衛で戦える術士や、オールラウンダーに戦えるタイプはどこに大別するのか難しいが、ぼくの場合は死霊術系に素養があって、むしろ全振りだったのだが、一応は術士系になった。優麗はバリバリの前衛である。笑顔で大斧を振り回す姿が簡単に目に浮かんだ。
桜は春雨とともにあっという間に散って、五月から緑が強くなり始める。寒い日と暖かい日が交互に訪れ、中庭の花壇も芽吹き始めていた。
昼飯を学食で食べようと歩いていたら、中庭の花壇に座り込む和服少女の姿が見えた。入学初日以来、久々の遭遇であった。周りは和服少女のことを気にした風もなく、やっぱり視えてないんじゃないかと思う。しかしこの少女には知性があったし、人の形を留めているので悪霊とは思えない。
ぼくの足はなんとなく和服少女のもとに向いた。
「こんにちは。何してるの?」
「む? おう、大容量少年よな。花を眺めておる。そちらは元気にしておったか?」
大容量?
「まあ、ぼちぼち」
「ひとと視えるものが違うと苦労するものじゃな。あそこの窓から出てきてる奴は笑えるの」
「いや、まったく」
おかっぱ少女が指差す窓からは、首が上下逆になった霊が何体もぶら下がっている。気味が悪い見た目だが、それ自体はあまり悪意を感じない。問題なのはその窓の下だ。手だけがいくつも伸びて、二階の窓にぶら下がる霊を時々引き千切って引き込んでいる。ゴキボキと音が聞こえる気がするのが気分悪い。窓の霊は気づいたら補充されており、引き込まれる順番を待っているようだ。この少女にはいったいどう視えているのだろう。
「おぬしもなんだか重いものにとり憑かれておるのう。自分で何とかなるのか?」
「まあ、いまその方法を模索してる途中といいますか」
「ジョブは得たのじゃろう? どんなのじゃ?」
「《死霊術士》と《死霊召喚士》」
「まんまじゃな。草生えるぞ」
四月の内に新入生は、適性に合ったジョブを授かる。水晶に手を当てて自らの内側に眠る才能を呼び起こす、とかではなく、オリエンテーリングで迷宮門を潜り迷宮へ入るのだ。そうすることで魂魄や肉体が迷宮に馴染み、ジョブやらステータスが生えてくる。
「君もこの学校の生徒なんだよね?」
「そうとも言えるし、そうでないとも。わしのジョブは《影法師》と《座敷童》」
「ちょうぴ?」
「座敷童の一種じゃ」
「ああ、君もまんま」
「じゃろう? 草生えるのう」
むふーっとない胸を張って自慢げなのはなぜだろう。
迷宮学校ではメインジョブとサブジョブを授かる。そのレベルを上げていけば筋力や知力、視力などの基礎能力が目に見えて上がる。だからジョブを授かった冒険者と呼ばれる人間は、世界的な競技大会への参加はできない決まりになっていたりする。バスケットゴールよりも高く飛び上がってダンクを決め、ゴールごとぶち壊すのが冒険者である。
だからこの小学生にしか見えない少女が、ゾウを一撃で倒すほどの膂力があってもおかしくはない。
「この間は待ち人に会えたの?」
「もちろんじゃ。でもすっごい不機嫌じゃった。灯性格悪いんじゃよ。びーえる? が好きで人間不信じゃし」
「趣味は人それぞれだから」
勝手に灯さんとやらの趣味を暴露してるし。それ親に絶対隠したい奴。
「もう行くね。昼ごはんまだだし。君は?」
「もう食べた。おぬしにひとつ忠告しておくぞ。情けは人の為ならず、じゃ」
「中途半端な情けはその人の為にならないってこと?」
「ふはは、受け取り方は人それぞれじゃ」
おかっぱ少女に手を振って食堂に向かった。途中で振り返ったが、少女はずっと花壇に向かってしゃがみこんでいた。花壇の花は、気持ちよさそうに風に揺れていた。
食堂には優麗の姿がちらりと見えた。周りを気にしない陽気な笑い声が、混みあった生徒の喧騒の中でもぼくの方まで届いてきた。
ぼくは空いている席にひとりで座り、食事をひっそりと終えた。割とひとりで食べている生徒も多くて、気にはならなかったのが幸いか。
教室に戻ろうとすると、先を優麗が歩いていた。彼女は不意に振り返ると、ぼくに気づいて近寄ってきた。
「連~、またひとりだ」
「なかなか友だちができなくて。というか作り方がわからなくて」
「そんなものマニュアルなんてないでしょ」
「そうだよねーないよねー」
「同じ陰キャなら惹かれ合うんじゃないの?」
「そんな〇〇使いは引かれ合うみたいな……」
確かに似たものの空気というやつはあって、お互いのレベルが近いと緊張しなくていいからちょうどよいというのもある。それが特殊な能力を持つ同士が運命のように出会うみたいな壮大な物語にはならない。
迷宮という特殊の最たるものがあって、ジョブとかスキルとかファンタジー心をくすぐるような要素もあるから、そっちに趣味全振りするような輩もいるようだが、ぼくは単なるボッチだ。目の端に映る悪霊が怖くて隅っこで生きる弱虫だ。でもアニメは好き。今期の覇権アニメは逃さずチェックしている。
「うちの彼氏の話なんだけどさ、約束してたのに突然いけないって。しかも理由も教えてくれないんだよ? 意味不明」
「確かにそうだね」
「そう思うでしょ? なにか後ろめたいことがあるんだ。絶対そうだ」
「あんまり思いつめない方がいいよ? 悪い方にばっかり想像しちゃうから」
優麗の目は何かにとり憑かれたように濁っていて、ぼくの声が聞こえている様子ではない。男のことになるとちょっと病み系になるのだろう。
そこまで誰かのことを思う気持ちがぼくにはわからなかった。童貞だからと言われてしまえばその通りなのだが。
『エ? エ? パンつ? パンちゅ?』
いま廊下ですれ違った霊は、童貞のまま死んで地縛霊になったみたいな下級霊だった。思わずもらい泣きしそうなことを呟いて、女子に触れることができないまま指を咥えて遠巻きにしているだけの無害な男子霊を、ぼくは悪霊だとは思えないのだ。
だけどブリーフ姿で顔が崩れ始めているこの霊をそのままにしておくことも憚られた。いまは無害だが、いずれ悪霊化して女性に被害が出ないといいのだが。
そんなところにあのズタ袋の怪物が現れた。ブリーフ霊を見つけるなり、のしのしと近づいていき、大物の鉈で真っ二つにした。
「ええ……」
『ア? ア? ちゅ、チュウ、した、したたた、い、いちどだけ、いちどだけぇぇ、パンちゅ……』
大きな手に捕まれ、お腹の大きな口に放り込まれてぐちゅぐちゅと喰われていく姿に哀れみを感じる。童貞のまま死にたくないなと思わせる末路だった。ぼくにも早く恋人ができるといいが、友だちすらいないのに人付き合いは難しい。
「………………」
静かだと思ったら優麗も黙ってどこか遠くを見つめていた。目の中に光はなく、どこか魂の抜けた人形のようになっている。そして口だけは動いていて、何かを喋っているようだが小声で聞こえない。いや、耳をすませばほんの少しだけ。「連が近くにいる所為だ」と。少し躊躇ったが、彼女の肩を突く。
「……なに?」
「いや、大丈夫?」
「だから何が? 連こそさっきからどこ見てるのよ? 教室行かないのー?」
「あ、うん。教室行くよ」
魂が抜けたような様子もすぐに戻り、優麗本人だけが気づいていないようだった。
優麗の男運のなさにはこちらがひやりとする。病んでいく彼女の様子は特級呪物並みだ。
放課後になった。部活にも入らなかったぼくは、図書室で読書をして時間を潰していた。
寮に戻っても暇なのだ。パソコンを持っていないし、マンガもない。男子寮の談話室には長年読み込まれた名作が本棚に並んでいたが、騒いでいる人も多いのであまり近寄らない。
学校の外に連絡する知り合いもいないのでスマホも持っていない。時間ばかりが余ってしまうので、ひとりで過ごす時間を持て余している。図書室は害してくるような悪意のある悪霊はおらず、静謐なイメージに沿った黒い影のような大人しい霊しかいないので気が鎮まる。霊にもひとに迷惑をかけたくないタイプの陰キャとかあるのかもしれない。
薄日が差してくるようになって、寮に戻ろうと本を閉じた。何冊か借りて図書室を出る。貸し出しを担当している図書委員の横に、開いた本にべったりくっつく丸坊主の霊がいたが、これはいつも本にしか興味がなさそうなので置物のように見えた。
廊下に出ると、なんとなくまっすぐ帰るのは躊躇われた。こういう勘はよく当たる。仕方なく遠回りして階段を下りた。途中に教室の中がちらりと見え、そこには窓際にひとり優麗がいた。机に腰かけて、窓の外を眺めている。声でもかけようかと教室に入ると、優麗の姿はなかった。
廊下に目を向けると、こちらに背を向けて上階へ歩いていくところが見えた。
胸騒ぎがして、ぼくは優麗を追いかけた。
屋上に行くと優麗はいた。
「郷巳さん、帰らないの?」
返事はなかった。じっとどこでもない虚空を見つめている。
「……アタシ思い出した。彼氏がいたんだ」
優麗は泣いていた。零れ落ちる雫が風に乗って消えていく。
彼女の感情に、世界が反転する。なんでもない空が血のような赤に変わっていく。
「アタシが重かったんだと思う。アタシは支えたかっただけだけど、あの人は違ったんだ。アタシ、屋上から落ちたんだ。壊れている場所があって、だから屋上には入れなかった。なんで鍵をあの人が持っていたのかは知らない。でも、アタシは呼び出されてあの日何の疑いもなくここに来た。そして突き飛ばされて、アタシは落ちた。アタシを落としたあの人はとても怯えた目をしていたと思う。そんな顔をしないでって言いたかった。あなたは何も悪くないよって。アタシが重くて、迷惑かけてたんだって思った。でも、でも、あの人の名前、なんだっけ? 思い出せない。とても大事なことなのに、顔も名前も思い出せない!」
優麗が死んだのは中学の敷地だった。壊れたフェンスの下はコンクリートだった。彼女は頭から落ちて、そして即死だった。間の悪いことに、ぼくはその現場に立ち会ってしまった。
ちょうど近くにいて、落ちてくるところから、落ちてぐずぐずのトマトになるところまで一部始終を見てしまっていた。肉体から離れ、霊体として起き上がる優麗のこともだ。
足元に転がってきた優麗の髪留めを拾ってしまったことで、彼女は無意識に霊力が強かったぼくにとり憑く形で安定してしまったのが不幸の始まりだった。
泣いていた優麗の頭からどす黒い血が流れていく。死んだことを思い出して、自分の姿が死んだ瞬間に近づいている。もっと悪いことに、彼女の周りにタールのようなどろりとした黒い歪みが生まれて、彼女の輪郭を崩していく。悪霊化。それが彼女の身に起こっている。
「アタシは好きだった。好き、好きだった。ああ、なんで死、ああ、死んで、アタシ、アタ、あああああ」
「郷巳さん! 自分を見失わないで! ぼくと一緒に高校に来れたんだ。ここなら郷巳さんが悪霊化しないで済むように何か方法があるはずなんだ!」
「知らない! わからない! なんでなんで、なんでアタシが死んで、あいつが生きて! くあああああああ!」
「郷巳さん! 怨んじゃダメだ! 死んだことをひとの所為にしないで、ちゃんと受け入れるんだ!」
「悪霊の良心に語り掛けるなんてお笑い種じゃの。もっと簡単じゃろ。おぬしがあやつを調伏すればよい」
ぼくの影からひょっこり現れたのは、おかっぱの和服少女だった。《影法師》というジョブの効果だろうか。
「どこから出てくるの」
「おん? なんじゃ! わしをまたぐな!」
「ぼくの足の間から出てきたのはそっちじゃん」
体をどかすと「よっこいしょ」と影から這い出してきたおかっぱ少女。神出鬼没というのは座敷童のイメージ通りだ。
おかっぱ少女は、顔を押さえて邪悪な気炎を立ち昇らせている優麗を観察しているようだった。
「憎悪を抱えた地縛霊の類か。その中学でなく、おぬしに憑いてきたのは稀じゃのう」
「クラスメイトだったんだ。話したことはなかったけど、事情は知ってた。男子の間でも彼氏が郷巳さんと別れたいって言っているのを聞いてたんだ。でも郷巳さんはそういう話になると泣いたり叫んだりしてうまく別れられなかった。あの日ぼくはたまたま学校に残っていた。なんだか嫌な予感がしてて、それは急かされる感じというか、学校に引き留めようとするものだった。屋上からはいつも嫌な気配がしていた。だから郷巳さんが屋上から落ちたのは偶然だとは思わないけど、ぼくが遺品を拾ったのは本当にたまたまだった。そのことで郷巳さんに憑かれることになるって思いもしなかったし」
「すでに条件は揃っておるではないか。そなたの《死霊術士》はなんのためにあるのか」
手の中にあるのは、優麗があの日付けていた髪飾り。これを媒体に怨霊を調伏するのだとわかる。
集中して念じてみたが、すぐに弾かれる感覚があった。いまのぼくではレベルが足りない。そりゃそうだ。ジョブを生やしただけでレベルアップは一切していないのだから。
「ふむ、無理そうじゃのう。ならば、祈! 出てきて手伝え!」
呼びかけに答えたのか、屋上の鉄扉を開いて現れたのは、金色の髪を靡かせた先輩だった。その背後にはキラーさんもいる。
「どういう状況? 芽衣、なんでここにいるの?」
「将来有望な一年を見つけてな。早いうちから唾つけておこうと思ったら、なんやかんやあって悪霊になりかけの霊体がおるなあ」
「全然わからない。私の仕事を増やさないでよ」
「灯じゃなく、キラーの仕事じゃろ」
「私の使い魔なんだから私に責任が回ってくるでしょ」
金色の狐獣人が手に持つのは、キラーさんと同じ鉈であった。そして恰好は巫女服である。
「悪霊になったら面倒。早いうちに始末する」
「待ってください! 郷巳さんはちゃんと話せるんです! まだなんとかなるはずです!」
「面倒……もう悪霊になってるじゃん……」
灯さんは視線を合わさず、頭を掻き毟る。こちらなんか見たくもないと言わんばかりに苛立っていた。だがキラーさんはバーサーカータイプなのか、優麗に向かっていく。ぼくのことなんかまったくスルーして大鉈を振り上げ、体が歪んだ優麗に振り下ろす。驚くべきことが起こった。キラーさんの鉈が弾かれたのだ。逆にどこかから取り出したのか、優麗は大斧を横薙ぎに振るうとキラーさんの胸元をざっくりと抉った。
たたらを踏んだキラーさんだが、痛みはないのか灰色の体からどす黒い血のようなものを垂れ流しながら悪霊化しつつある優麗に向かっていく。
「どうやったら郷巳さんを調伏できるって言うんですか?」
「決まっておるじゃろ。おぬしのジョブじゃ」
「ぼくのジョブ……」
《死霊術士》のスキル〈死霊術〉で従わせられるのは感覚でわかるが、まだ迷宮に潜ったことがなく、Lv.1である。
また別の問題で、優麗の魂をぼくの勝手で現世に留めておいてもいいのか、という問題がある。いままでは優麗が死の直前の記憶を忘れ、生者だと思い込んでいたから地縛霊として連れ回していたが、枷がなくなったいまそのまま成仏するという選択肢ももちろんあった。
「肉体を離れ霊体だけとなった姿はひどく脆いのじゃ。すぐに影響を受けてしまう。肉体という器もなく、意思だけでは自身を留めておけないのじゃな。おぬしの死霊術は、その器を仮に用意することができる。だから安定して悪霊化を防ぐことができるのじゃ。この学校に入ったのも、それが目的なんじゃろ?」
「うん、でもいまは、本当にそれでいいのかと思ってる。このまま成仏するほうが彼女のためになるんじゃないかって」
「そんなもの本人しかわからん。おぬしが奴を必要ならば手に入れろ。いらぬならば切り捨てろ。エゴを貫くのじゃ。それができぬのなら、おぬしが踏み込んだこの世界に相応しくない」
「ぼくはここで生きていくんだ。力が欲しい」
「その一歩があやつを眷属化することじゃ」
「でも、どうすれば。レベルが足りなくて弾かれるよ」
「わしが手助けしてやろう」
おかっぱ少女が影を操り、優麗の体を束縛していった。それは切れないベルトで拘束していくかのように、優麗の身動きをあっさりと封じていく。じたばた暴れ、叫ぶ優麗にはなにもできないのだった。
キラーさんが向かおうとするのを、金色の髪の祈さんが手で制した。
ぼくは動けない優麗に近づき、その頭に触れた。肉体がないのに触れている感覚だけはある。濡れた髪の感触、血でこびりつき固まっている感触もすべて。優麗の目にゆっくりと理性の光が戻ってくる。それはぼくも知っている優しい目だ。
「郷巳さん。ぼくは郷巳さんを助けたい」
「アンタ、関係ないじゃん……」
「うん、でも、一緒に過ごした時間は、嫌じゃなかったから。ぼく、いつもひとりだったし」
「陰キャめ」
「そうだよ。陰キャだから、構ってくれると嬉しいんだよ」
ぼくは知らず知らずのうちに泣いていた。優麗が最後まで彼氏のことを愛していたことも、尽くす気持ちに微塵も悪意がないのも知っていた。それでも報われないことはある。
その涙が理由ではないだろうが、優麗の意識は一時的に安定した。優麗の脳裏に走馬灯のように駆ける記憶が、ぼくに流れ込んでくる。恋人をもどかしい気持ちで求める気持ち。心が通じず、焦る気持ち。生前の葛藤がぼくの一部になったかのように鮮明に浮かぶ。
「いいよ、アタシがいなくちゃ連のことが心配だから、もうちょっとだけ一緒にいてあげる」
「でもどうなるかわからないよ? それでもいいの?」
「バカだなあ。アタシは死んでいて、考える脳ミソだってもうないんだよ」
「でも喋れてる。こうして会話ができてるよ」
「アタシが喋れない兵器になったとしても、アタシは連を恨まない。だから連の望むままにしてくれていいよ」
優麗は微笑んだ。ぼくと歩む道、眷属化を選んだのだ。
受け入れられているとわかれば、ぼくのLv.1の能力でも彼女を調伏することが可能だった。流れ込んでくるのが記憶だけでなく、彼女の根幹部分、魂まで入り込んでくる。恥ずかしい記憶もあった。ひとりの少女が悩み、喜び、生きていた記憶だ。やがて流入は止まり、空欄だったスキル欄に〈郷巳優麗〉が入るのがわかった。
「言ったじゃろ、情けは人の為ならず、じゃ」
「ぼくの優柔不断が招いた結果だもんね。巻き込んでごめんなさい」
「違う違う、意味は、ひとにかけた情ってものは、巡り巡って結局自分のためになるということじゃ。おぬしは悪霊になるはずだった知り合いの霊を自分の懐へ受け入れた。やらない善よりやる偽善じゃ。わしは好きじゃよ、おぬしの性格」
座敷童の少女がにかりと笑う。
空はいつの間にか、夕暮れの優しい色へと戻っていた。
朝、いつもの日常。誰にも話しかけられず、男子寮から教室棟へ向かう道すがら。
「連! おはよう!」
陽キャの声が人波を掻き分けて近づいてくる。青いブレザーにピンクのリボン、チェックのスカートが走る健康的な足に合わせて揺れている。
「ねえ聞いて! アタシこの学校の生徒じゃなかった!」
「うん、知ってた」
「あははは! アタシバカみたい。なんか記憶が曖昧になってるところは違和感が仕事しないみたい!」
「不思議だね」
「でももう大丈夫。アタシいま頭すっきりしてるの。ほら、周りもアタシのこと見えてるみたいだし」
「……ええ?」
「なんか連の一部になったみたいで、受肉はしてないけど顕現してる、みたいな? 昨日座敷童の子が教えてくれたの。あの子めっちゃいい子。なんか喋り方おばあちゃんぽいけど」
「うん、本人に言わない方がいいね」
「アタシ学生じゃないけど、連の盾として力を付けとくから。訓練施設使い放題だし、勉強しなくていいから試験もないし。え? ちょっと待って? やばくない? 楽でいいわ」
「郷巳さんはどこで暮らすの?」
「優麗、名前で呼んで」
「う、うん。ゆーりさん」
「うむ、まあいいでしょ。アタシの住むところ? 連の部屋はルームメイトいるから住めないでしょ。だから座敷童にお願いして住むとこ紹介してもらったよ。あの子も似たような存在みたいだし」
「霊体なの?」
「なんだろ。精霊とか妖怪の方が近いかも。元が人間でも死霊でもないみたいだしね」
優麗は死んでも、従霊になっても性格は変わらなかった。
太陽のように明るくて、底抜けに能天気だ。不安というものがないのだろうか。男が絡んだときだけ、ちょっとやばくなるのだろうか。
まだ迷宮に入ることはできない。最初の半年は基礎体力や座学がメインとなって、十月くらいから本格的な探索が始まる。
ここに来る前は、悪霊に対抗する方法が知りたいだけだった。いまは、少しだけ自分の力を試したいと思っている自分がいる。それは前向きな気持ちで、優麗に少しだけ引っ張られているような気もする。
「ねえ、連!」
「うん?」
「楽しいね! 学校生活!」
ワクワクが止まらない。そんな顔だった。
――後日談。
それは古い思い出。連も忘れている幼少期のこと。
アタシたちは幼馴染だった。家がすぐそばで、近くの公園でよく遊んだ。
砂場で城か家か何かを作ってたんだ。
小さい男の子と、小さい女の子。無心になってある程度作ったら満足して、顔を上げると目が合った。
「ねえ、ずっといっしょがいいね。将来レンとユーリはけっこんするの!」
「うん! ぼくゆーりちゃんとけっこんする!」
「ずっといっしょだよ!」
「うん!」
連は昔からほんわかニコニコとしていて、女の子のような可愛い男の子だった。アタシの言うことを疑いもせずに聞いてくれた。とっても優しい男の子。
「そういう話を小学校に上がる前、公園の砂場でしたんだ。だからアタシは大人になったら連と結婚する予定だったの」
「……て流れを米倉氏に植え付けたい件」「君と米倉君が初めて顔を合わせたのは中三のときだって、本人が言ってたけど」「これを恋と呼んでいいものか、執念というのかのう」
「なぜそんな嘘を??」「意味ぷーでござる」「狂気を感じるのう」
「だってアタシのこと見えないイケメンにとり憑いていたって楽しくないじゃないですか。それに連はイケメンじゃないけど可愛いわんこ系だから、ギリギリ妥協できるラインだって思ったんです。どうせ死んでるアタシは連なしじゃ成仏しちゃうし」
「それって植え付けるまですること? なんか怖い……」「追跡王でござる……」「連の気持ちガン無視が恐ろしいのう」
「連は自分がアタシを縛っていると思っているみたいですが、全然逆ですね。連は霊感強くても霊力クソ雑魚なんで、むしろアタシの家系が由緒ある霊媒師なので、霊力ガンガン使って呪ってますね」
「開き直り特級呪物」「誰か祓わんと米倉氏が呪い殺されるでござる」「映画よりほらーじゃ」
そんな話が部室で語られる。いつか先の、何気ない放課後の一幕。




