百日紅
ぼくは、この庭に立っている百日紅。
ずっと、ずっと前に、この家のおじいさんが植えてくれた木だ。
春には葉を広げ、夏になると花を咲かせ、秋には葉を落とし、冬は静かに空を見上げる。
それを何十回も繰り返してきた。
人は一年を長く感じるらしいけれど、木にとって一年は、ひとつ深呼吸をするくらいの時間だ。
だから、あの子――レンが生まれた日も、ついこの前のことのように思える。
泣き声は小さかった。
けれど、笑い声は庭じゅうに届くほど大きかった。
よちよち歩きのころは、ぼくの幹をぺたぺたと叩いた。
「つるつるー!」
そう言って笑っていた。
ぼくの幹は、古い皮が少しずつはがれ落ちる。
そのたびに、新しい肌が現れる。
だから、とてもなめらかだ。
「猿も滑る木」――そんなことから「さるすべり」と呼ばれるようになったという。もっとも、本当のお猿さんは案外じょうずに登ってしまうらしいけれど。(漢字ペディア)
でも、もうひとつ名前がある。
百日紅。
ぼくはこちらの名前も好きだ。
百日も咲くほど、長く花を咲かせる木。
昔の人は、次から次へと咲き続けるぼくを見て、「百日も紅い花が楽しめる」と名づけたそうだ。(漢字ペディア)
百日。
人には長い時間だろう。
でも、その百日のあいだにも、レンは少しずつ大きくなっていった。
虫取り網を振り回していた夏。
宿題をいやがって、庭をうろうろしていた夏。
本を抱えて木陰に座り、ページをめくっていた夏。
背は伸び、声も少しずつ変わった。
同じ夏は、一度もなかった。
ぼくは歩けない。
だから、どこへも行けない。
けれど、この庭にいるだけで、たくさんの旅をしてきた気がする。
子どもが育つ旅。
家族が笑う旅。
季節が巡る旅。
みんな、この庭を通り過ぎていく。
今年も暑い夏がやってきた。
空では入道雲がゆっくり育ち、朝早くから蝉たちが元気いっぱい歌っている。
レンもまた、一つ大きくなった。
ぼくには、それがうれしい。
だから今年も咲こう。
去年と同じようで、去年とは少し違う花を。
毎年見てくれる人のために。
ふと見上げたレンが、
「今年も咲いたね。」
そう言ってくれる、その一言のために。
百日も咲く花より、たった一言のほうが、ずっと長く心に残ることを、ぼくはこの庭で知ったのだから。




