虚宿の日
おばあちゃんの法事の日だった。
お寺の広い部屋には、お線香のにおいがふわふわと漂っていた。
大人たちは静かに座っている。
お坊さんは何かを唱えている。
レンは足をぶらぶらさせながら、部屋の中を見回した。
退屈だった。
おばあちゃんのことは好きだったけれど、法事はよくわからない。
みんなが集まって、静かにしていて、おまんじゅうが出てくる日。
それくらいだった。
そのとき。
柱の横に掛かっている日めくりカレンダーが目に入った。
今日の日付の下に、小さな字が並んでいる。
レンは声に出して読んでみた。
「きょ……しゅく?」
隣に座っていたおじいちゃんが振り向いた。
「おや。読めたか」
「なんて書いてあるの?」
「虚宿だよ」
レンは首をかしげた。
「なに、それ」
おじいちゃんは少し笑った。
「昔のカレンダーみたいなものだな」
「曜日みたいな?」
「そうそう」
レンは少し元気になった。
知っている話になったからだ。
「月曜日とか火曜日とか?」
「うん。あれを七曜というんだ」
「しちよう?」
「七つの曜日の数え方だな」
レンは指を折ってみた。
月、火、水、木、金、土、日。
たしかに七つある。
「それも昔の人が考えたんだよ」
「へえ」
「十二支もそうだ」
「知ってる!」
レンは嬉しくなった。
「ね、うし、とら、う!」
「その十二支だ」
「午も未もある」
「あるとも」
おじいちゃんはうなずいた。
「昔の人はな。空や季節や月日を見ながら、いろんな数え方を考えたんだ」
レンは少し考えた。
「じゃあ、虚宿も?」
「そう」
おじいちゃんは天井の向こうを見るように言った。
「夜空の星を二十八の場所に分けて、それぞれ名前を付けたんだ」
レンは目を丸くした。
「二十八!」
十二でも多いと思ったのに。
二十八なんて、数えるだけで大変そうだ。
「昔の人は気が長かったんだなあ」
おじいちゃんが言う。
レンは思わず笑った。
「すごく長いね」
しばらく二人で笑った。
それからレンは、カレンダーをもう一度見た。
「虚宿って、どんな星なの?」
今度は、おじいちゃんが少し考えた。
仏壇の横には、おばあちゃんの写真が飾ってある。
いつものように笑っていた。
「そうだな」
おじいちゃんはゆっくり言った。
「昔の人は、虚宿をね」
「うん」
「亡くなった人を思い出したり、お祈りしたりする星だと思っていたらしい」
レンは写真を見た。
それからおじいちゃんを見た。
「じゃあ、おばあちゃんがいるの?」
おじいちゃんは首を横に振った。
「いる、というのとは少し違うかな」
「違うの?」
「おばあちゃんのことを思い出す場所、かな」
レンはますます不思議になった。
「思い出す場所?」
「そう」
おじいちゃんはうなずく。
「おばあちゃんも、おじいちゃんも」
「おじいちゃんはここにいるよ」
「そうだったな」
二人はまた少し笑った。
「ひいおばあちゃんも、そのまた前の人たちも」
「みーんな?」
「みんなだ」
レンは写真を見上げた。
おばあちゃんの顔は、ちゃんと覚えている。
笑うと目が細くなることも。
飴玉をくれたことも。
手が少しひんやりしていたことも。
だけど。
そのまた前の人たちのことは知らない。
知らない人なのに、自分とつながっているらしい。
なんだか不思議だった。
「ねえ」
レンは小さな声で聞いた。
「思い出さなかったら、寂しいかな」
おじいちゃんは少し黙った。
窓から風が入ってくる。
遠くでお坊さんの声が続いている。
「どうだろうな」
おじいちゃんは言った。
「でも、思い出してもらえたら嬉しいかもしれない」
レンはうなずいた。
それならわかる。
自分だってそうだ。
友達が自分を忘れてしまったら悲しい。
覚えていてくれたら嬉しい。
「じゃあ」
レンは天井の向こうの星を想像した。
「虚宿って、暗く光るのかな」
「暗く?」
「うん」
「みんなが忘れちゃうと」
おじいちゃんは笑った。
「そうかもしれないな」
レンはもう一度、おばあちゃんの写真を見た。
少し安心した。
「大丈夫だよ」
「ん?」
「おばあちゃん好きだもの」
おじいちゃんは何も言わなかった。
ただ、優しく頭をなでてくれた。
やがて法事が始まった。
レンはおじいちゃんの隣に座った。
お坊さんの言葉は相変わらず難しかった。
でも今日は少しだけ違った。
難しい言葉には、長い時間が入っている。
七曜も。
十二支も。
二十八宿も。
みんな、ずっと昔の人たちが考えて、今まで残してきたものだ。
もしかすると法事もそうなのかもしれない。
レンは順番が来ると前へ進んだ。
小さな手でお線香をあげる。
そして写真に向かって、そっと手を合わせた。
「おばあちゃん」
声には出さなかった。
でも心の中で言った。
――大丈夫だよ。
――ちゃんと覚えてるからね。
その夜。
帰りの車の窓から見えた北の空には、小さな星がいくつも光っていた。
その中に虚宿があったかどうか、レンにはわからなかった。
けれど。
もし本当に、思い出の集まる星があるのなら。
今日は少しだけ、明るく光っているような気がした。




