5-1(神追う祭り1)
神追う祭りが行われるゴアの街は、観光地らしいところと言えば透明度の高い小さな湖とささやかな渓谷があるだけで、あとは湯量は少ないものの質の良い温泉が自慢の、山間にある小さな街だった。
農業や林業などが産業の中心で、人口も少なく普段は静かなゴアの街が、今は多くの観光客でごった返していた。
「もう少し厳かにやってると思っていましたよ」
そう言ったのは、リンゴ飴としか言いようのないフルーツ菓子を食べながら歩いているアキラである。
「そうか?祭りは祭りだろ?」
と言ったヴラドは、さっき買ったたこ焼きに似た粉モノを食べていた。その巨躯は両側に並んだ露店の屋根とほとんど同じ高さがあり、行き交う人々は誰もが呆気にとられて彼の姿を目で追っていた。
「そうそう。まずは楽しまなくっちゃ。見習君」
ヴラドの隣を歩くフランがパクついているのは、どう見ても綿菓子である。肩を大きく出した衣装を纏って歩く彼女は、ヴラドとは違った意味で人々の--特に男たちの--注目を集めていた。
鼻歌を歌いながらアキラの横を歩くナーナは、両腕で今にも崩れてしまいそうなボロボロの魔術書を大事そうに抱えていた。
ゴアの街の小さな古本屋で買ったのだ。
最初は反対したアキラだったが、値段を聞いて快く了承した。たったの500バルだったのである。
「田舎の古本屋さんは魔術書の価値を判っていないことがあるから、たまにこういう出物があるの」
とは、ナーナ談である。デアで買えば、桁が3つは違うはずよと、彼女は弾んだ声で言った。
「ところで、オレたちはどこに向かっているんだ?」
「この露店を抜けた先に、新しい神が封印された神殿があるとこれに書いてるんですよ」
アキラがヴラドに見せたのは、旅館で手に入れた無料の小冊子である。
カラー刷りで、神追う祭りガイドブック(ゴア版)と記され、可愛い女の子と男の子のイラストが表紙で踊っていた。
「これによると、露店の他にも見世物小屋や芝居小屋、ショーをやってるところなんかもあるようですね。ちなみに、この先の芝居小屋でやっているのは”英雄殺し七つの冒険”ってなってます。
これ、ヴラドさんのことじゃないですか?」
「聞いてねえぞ、そんなこと」
「あ、あれかしら」
フランの指さした先、左側の露店の並びが切れたところに広場があり、その奥に仮設と思われる芝居小屋が建てられていた。芝居小屋の上にはおどろおどろしい色彩の大きな看板が掲げられ、看板を見たヴラドが「げ」と声を上げ、フランが噴き出した。
看板の中から、金髪の人間が流し目で彼らを見下ろしていた。ほとんど裸の赤い髪の美女が彼にしがみついている。新しい神の方の英雄だろう、敵役と思われる犬男が、巨大な剣を片手に看板の隅で雄叫びを上げていた。
「ぜんぜん違うじゃねえか!」
フランが声を上げて笑う。ツボに嵌ったらしい。笑い声が止まらなかった。
「フラン、笑い過ぎだ!」
「だって、あれがおおかみくんだなんて。せめて敵役にでもなってればいいのに、それが、また」
犬男だなんて、と言いたいのだろう。しかし、くっくっくっと笑うだけで、彼女はそれ以上言葉にできなかった。
「ここまで違うと、逆に興味が湧くね」
魔術書を抱き締めたままナーナが感心したように言う。
「うん、見たい気がする」
「見なくていい!行くぞ!」
ヴラドが怒鳴り、笑い続けるフランを引き摺るようにして歩いて行った先、露店が途切れたところに、仮設と思われる軍の詰所が2つ建っていた。
祭りの舞台となる新しい神を封じた神殿は、その詰所の間を抜けた先にあった。
神殿は、信者たちの襲撃を防ぐためか、それとも魔術的な意味があるのか、木製の塀でぐるりと周りを囲まれていた。塀は高さが3mほど、一辺の長さは100mほどもあった。アキラたちが歩いて来たちょうど突き当たりに塀と同じ高さに揃えられた観音開きの扉が外向きに開き、そこから中を覗くことができた。
塀の中にはいくつかの建物と、四角い池が見えた。四角い池にはやはり四角い島が浮かび、島の上に石造りと思われる白い建物が建てられていた。
それが、新しい神を封じた神殿だった。
「なにか、詠唱が聞こえない?」
露店の喧騒を後ろにして、リズミカルな声に気づいて、アキラはナーナに訊いた。
「うん」
ナーナが耳を澄ませる。
「4人で歌ってるかな。でも」
そこでナーナは言葉を切って、視線を落とした。再び視線を神殿に戻した彼女の顔には、感嘆の色が浮かんでいた。
「これ、凄いよ。多分、術の本体は2人でいいんじゃないかな。でも、それを3人でうまく補って……ああ、もし1人が間違ってもいいように歌ってるんだよ。4人目は……、さらにその予備になってるんだ。
こんなに凄いの、聞いたことないよ。
アキラ、そのガイドブックに何か書いてない?」
「えーと、ここかな。えー、門を開くための詠唱は、24時間、休みなく歌われています。と、凄いね。えーとそれから、この詠唱が1ヶ月続きます……って、本当?」
「ああ、だからだよ。交代しながら歌ってるんだ、これ」
納得したようにナーナが頷く。
「24時間、1ヶ月間も?」
「うん。凄いね、門って、そんなにかかる業なんだ。それと、ところどころ意味不明な言葉も混じってる。多分、安易には使えないよう、それと、他の魔術師が聞いても決して真似できないよう、相当注意して構築しているみたい。ほら、よく見ると神殿の周りの地面にも何か描いているし、神殿自体にも何か描いてある。あれも術の一部なんだよ。
神殿の周りにある、あの、規則正しく並んでいる建物は、新しい神の信者を閉じ込めて彼らの祈りで新しい神を神殿に封じているんじゃないかな」
「お、誰かいるぜ。あれ、誰だ?」
塀の内側、ヴラドの指さした先に、魔術師の黒いローブを纏った一団がいた。どうやら神殿に向かっているようだった。全員フードは被っていない。先頭を歩いているのは、白髪のかなり高齢の女性と見えたが、背筋を伸ばし、しっかりとした足取りで歩いていた。
「さあ、魔術師協会の偉い人だとは思うけど、わたしあまり面識ないから」
「あの先頭を歩いているのが、協会のトップのユン魔術師よ」
フランが、ナーナに代わって答える。
「随分長くトップを務められていて、今年で、もう70歳になられたかな」
ふと、神殿に入る手前でユン魔術師が足を止めた。そして、塀の外から見守るアキラ一行に目を向ける。その口が、何かを呟いたようにも見えた。
しかし、さすがに遠い。
「ナーナ」
「なに?」
「このガイドブックに、新しい神に会えると書いてる」
「本当?」
「うん、ほら、ここ」
アキラの指し示したページを、4人で覗き込んだ。
その間に、ユン魔術師は供を連れて神殿へと姿を消した。
「『あなたのお悩み解決いたします!金運、恋愛運、その他どんなことでも新しい神が直接面談!早いもの勝ち!この機会に是非!』って、本当なの、これ」
不信感を露わにしてナーナが言う。
「えーと、『主催・ゴア商工会議所青年部、御一人様1万バルより』」
「いろいろやってるな」
「商魂たくましいわねえ」
「なんだか怪しい気もするけど、ちょっと当たってみようよ。せっかくだし」
アキラの言葉に、ナーナはしばらく迷っていたものの、何かを吹っ切るように顔を上げると、こくりと頷いた。
「うん、そうだね。新しい神だったら教えてくれるかも知れないよね、わたしが--」
「うん。申し込みは、あ、こっちだ」
塀に沿って左へと歩いて行った先に、塀を背にして、テントに机と椅子だけという簡単な受付があった。
そこに、20代前半と思われる若い男がひとり、つまらなさそうに視線を宙に向けて座っていた。
「あ、いらっしゃいませ!」
4人が近づくと、男は椅子に座り直し、大きな声を上げた。
先頭のアキラに目をやってなんだ若造かという顔をし、隣のナーナを見て、おや、若いのに魔術師かと驚きを浮かべ、ヴラドを見てぎくりと体を震わせ、フランを見て顔をにやけさせた。
なんとも表情の豊かな男だった。
アキラはガイドブックを片手に男に話しかけた。
「新しい神に面談を申し込みたいんですが、ここでいいですか?」
「ああ、はいはい、ここでいいよ。えーと、面談するのはお兄さんだけ?それとも、みなさんご一緒に?」
「オレはいいぜ」
「あたしもいいわ」
アキラの後ろからヴラドとフランが答える。
「オレと師匠の二人で、二人一緒にお願いします」と、アキラ。
「へー。お嬢ちゃん、師匠なの。凄いね、若いのに。えーと、それじゃあ、お二人様で2万バルになります。あーでも、かなり待ってる人がいるんで、ちょっと時間がかかるかなぁ。えーと、ちょっと待ってよ」
男はテーブルの下から紙の束を取り出すと、それを一枚ずつ数え始めた。宙に目を向けて指を折り、申し訳なさそうな顔をアキラに戻す。
「うーん、今ね、500人以上待ってるなあ。
どうする、お兄さん。面談は1日に3時間って魔術師協会に決められててね、1日にどんなに良くても30人ぐらいしか捌けないから、お兄さんの番になったらもう門が閉じちゃってるかも知れないなあ」
「あとどれぐらいで門が閉じそうなんですか?オレたち、門が閉じるのも見たいと思ってるんで、それまでここに滞在してますよ」
「あの詠唱、聞こえる?あれ、1ヶ月ほど続くって聞いてるけど、始まったのは20日ぐらい前なんだよ。だから、あと10日ぐらいかなぁ。まあ、キャンセルするお客さんもいるし、順番になった時にここに来ていなかったらそのお客さんは後ろに回すから早まるかも知れないけれどね。
予約だけして、来ない人も何人かいるんだよ。お金は前払いでもらってるし、その場合は返却はしませんよと言ってるんだけどね。
この間もそれでトラブルになったお客さんがいてね、こっちは最初に話してますよって言っても聞く耳なんかもってくれなくて--」
「よく喋るやつだな」
あきれたようにヴラドが言う。
「そうねぇ」
「アキラ、とりあえず予約しておこうよ」
「うん。あの」
ひとりで話し続ける男に、アキラはためらいながら声をかけた。しかし男は、一瞬言葉を止めたものの、明るく笑って再び話し始めた。
「あ、ごめん、ちょっと一人で話しすぎちゃったか。いつもそれで怒られるんだけど、ここ、結構ヒマでさ、予約はこの紙に名前を書いてもらうだけで終わるからすぐにまたヒマになっちゃって、お客さんが来るとついつい--」
「あ、ここですね、名前は一人分だけ書いたんでいいですか?」
男の話を遮って、アキラは男の言った紙を指さした。
男が口を開いたままアキラを見る。しかし話を遮られて気分を害した様子もなく、彼は明るい笑顔を浮かべた。
「いや、そこの欄にさ、二人分書いてよ。そうしたら一緒に入るんだなと判るし、後でお金を数えるのにも楽だから」
「判りました。えーと、ここに二人分ですね」
男に指示されたところに、アキラが自分とナーナの名前を書いた。さすがにアキラもこちらの文字で自分の名前を書けるようになっていた。
男が名前を確認して頷く。
「うん、いいよ。じゃあ、2万バル、お願いできる?」
アキラがナーナに目で合図をして、腰のポーチから取り出したお金をナーナがテーブルの上に置いた。
「はい、ありがとうございます。じゃあ、毎日、午後の12時半頃ここに来てみてよ。面談は1時から4時までだから、12時半ぐらいにはその日に入れるかどうか判るからさ」
「判りました。12時半頃ですね」
「面談できればいいね、お兄さん」
受付を離れようとしたアキラに、男が満面の笑みを浮かべて声をかけた。
「ありがとうございます」
アキラが軽く頭を下げる。ただうるさいだけで悪い人間ではないと、アキラ以下全員が理解していた。
そこからは一旦別行動を取ることになり、アキラはナーナの古本屋めぐりにつき合うことにした。ひとりでいいよと主張するお嬢様に、家計担当者の責務としてついて行ったのである。
夕食時に合流し、観光客で賑わう酒場に4人で入った。
天井に頭が届きそうなほど巨大な狼男と、色香がそのまま形になったような美女、それに黒いローブを纏った魔術師とその弟子という奇妙な取り合わせに客の視線が一瞬集まったが、酔客はすぐに自分たちの会話へと戻っていった。
しばらく席が空くのを待った後、4人は酒場の隅のテーブルに腰を落ち着けた。
「神追う祭りの話題が多いのは当然ですが、西の戦乱の話題も多いですね」
聞くともなしに酒場内の声を拾っていたアキラが言う。
ヴラドがジョッキを呷りながら応じた。
「まあな。実質的にラカンでは建国以来、初めての政権交代だからな。今後、西の戦乱がどうなるか、それは気になるだろうよ」
「ショナで新しい神が生まれたのは初めてだっていう声も聞こえましたが、本当なんですか?」
「どうかな。オレは詳しいことは知らねえな。どうなんだ、フラン」
「そうね。初めてね」
ワインを口に運びながら、短くフランが答える。
「へぇ」と、ヴラドは声を上げた。
「ショナが建国してから500年ほどか?それで新しい神が生まれるのが初めてとは、さすがはショナだな」
「どういう意味です?」
ヴラドの言葉の意味を掴みかねて、アキラは訊いた。
「新しい神はね、人々の不満が生み出すって言われているの」
魚の煮物を突いていたナーナが横から答える。
「人々の現状に対する不満が祈りになって、新しい神が生まれるって。ホントのところは判らないけど。でも、政情が不安定な国ほど新しい神が生まれることが多いっていうのは確かかな。だから、建国以来500年で初めてってことは、このショナが相当、安定しているってことなの」
「ラカン帝国は建国してから200年ほどだけど、けっこう何回も新しい神が生まれているわねぇ」
フランの言葉に、ふと、アキラは疑問を覚えた。
神追う祭りについてだ。
「ナーナ、ナーナは以前、神追う祭りの術って魔術師協会の秘中の秘って教えてくれたよね。魔術師協会って一応ショナの組織なんだろう?ショナ以外の他の国で新しい神が生まれたらどう対応するの?」
「ショナと相手の国の関係によるかな。でも多くの場合は、魔術師協会から相手の国に人が出向いて、信者ごとショナに連れて帰って来るよ。
で、ショナで神追う祭りを開くの。
祭りを開く場所は毎回別の場所だけど。どういう基準で場所を決めているかは、わたしにも判らないかな」
「ラカン帝国の場合でも?」
「そう。新しい神が生まれた場合は、国を越えて協力することが多いよ」
「なるほどな。でもそうなると、このショナの政治体制が、うーん、魔術師協会の立ち位置がますます判らなくなってくるなぁ」
アキラがそう言ったのは、以前ナーナにショナの政治体制について聞いた際に、どうにも全体像が理解できなかったからである。
寡頭制、とアキラはとりあえず理解していた。
貴族制ではない。
ショナの基本は民主制だが、政治の実権は、元老院と表現するのが一番相応しい定員500名の議会が握っていた。立法、行政、裁判、全てが元老院の管轄である。行政については、元老院から毎年二人の--これも執政官と表現するのが相応しい--代表者が議会の投票で選ばれて実務を担当している、とのことだった。
場合によって2~4、必要によってはそれ以上編成される軍団を統率する各軍団長も元老院議員から選ばれ、実質的に軍も元老院の支配下にあった。
まずアキラがよく判らなかったのが、この元老院である。
基本は終身制ということだった。
議員が死ぬと、他の議員の推薦、または試験で新しい議員が選出される、とナーナは説明した。
アキラが意外に思ったのは、その選出候補となるのが、一部のエリートだけではないことだった。ショナの建国に貢献したということで、貴族という身分の人々はショナにも存在した。しかし、元老院議員の選出候補となるのは、25歳以上の全てのショナ市民--もちろん、男女共だ--だったのである。
建国時からの元々の市民だけではない。アキラのような出自の怪しい解放奴隷さえもだ。
他国からの移民であろうと、きちんと税金を納めて市民として認められさえすれば、移住したその日にでも、機会に恵まれれば元老院議員になることができた。
ナーナは知らなかったが、ハクの魔術師協会の事務長によれば、現在の元老院議員の大半は、ショナの建国後に移住して来た移民だということだった。
元老院議員になるのに試験があるというのも驚きだったが、選出候補をそこまで広げて旧来の市民との間に軋轢は生まれないのだろうかと、アキラは思った。
さらにアキラを悩ませたのが、魔術師協会の存在である。
元老院議員は基本終身制だったが、その職を剥奪されることもあった。
元老院議員による告発、市民からの告発などによって。そこに、魔術師協会の指名という手段もあった。
魔術師協会が指名さえすれば、元老院がいくら反対しようとも、議員はその身分を失うのである。
「それじゃあ、魔術師協会がこのショナの最高権力だってこと?」
そう訊いたアキラに、ナーナは首を振った。
「魔術師協会は権力を持ってないよ。でも、魔術師協会は絶対不可侵なの」
首を捻るアキラにナーナは説明を続けた。
「わたしたち魔術師ひとりひとりはショナの市民だよ。もしショナの法を犯せばショナの法によって裁かれるし、税金だって毎年納めてる。
でも、魔術師協会自体はショナから独立してて、うーん、説明するのが難しいけど、言うなれば、ショナの中に自治権を持った土地を持たない別の国があるようなものなの」
「それで、権力争いとか、何の問題も起きないものなの?」
「わたしはあまりショナの歴史に詳しくないけど、大きな問題は起きたことないんじゃないかな」
俄かには、アキラには信じられなかった。
そこでナーナが取り出したのが、ナーナとアキラの旅券である。
ヴラドの持っていた旅券はショナ発行の一般旅券だったが、彼らの旅券は魔術師協会が発行した特別製だったのである。しかも、旅券のレベルとしては、一般旅券よりも高いという。デアでビザの発給を受けた際に20日ほどですべてのビザの発給を受けることができたのも、魔術師協会の旅券だったからじゃないかな、とナーナは言った。
「一国二制度なんてものじゃないんだよね。ちょっと信じられない。どうやって魔術師協会はそんな特殊な立場を維持しているんだろう」
「そうだね」
ナーナが少し考え込む。そして、顔を上げると彼女は逆にアキラに質問した。
「アキラはさ、このショナでわたしたち魔術師の一番の義務はなんだと思う?」
「なんだろう。軍事的に協力することとか?」
「ううん。それは義務じゃないよ。徴兵は別にして。わたしたちの一番の義務はね、農業なの」
意外な答えだった。
思わずアキラは聞き返していた。
「農業?」
「うん。ショナはね、建国以来の精神として、人を一番の財産って考えてるの。地下資源が多いとか、自然災害が少ないってこともあるけど、それ以上に。ショナはこの近辺の国と比較すると、二番目に人口が多い国よりも5倍は人口が多いの。
その人口を支えているのが、魔術師協会」
「農業で?」
「そう、農業で。ショナの農業は、他の国より10倍は効率がいいのよ。それを支えているのがわたしたち魔術師。
正式に魔術師になるとね、魔術師協会から農業に魔術をどう活用しているか教えてもらえるの。その一方で農業に関する術式は徹底的に秘密にされてて、ショナの魔術師が他国に移住するのに制限は一切ないけど、移住した先で、もし農業に関する術式を漏らそうとしたら呪いが発動して命がなくなるようになっているの」
「ナーナも?」
おそるおそる訊いたアキラに、ナーナは頷いた。
「うん、わたしも。この農業に関する術が、魔術師協会にショナ内での自治権を与えているんじゃないかな」
あくまでも推測ではあったが、ナーナはそう言った。
寡頭制民主主義兼協会型魔法帝国ってとこかとアキラは思ったものの、様々な権利や義務が両者の間で複雑に絡んでいて、彼は未だにショナの政治体制を理解できていなかったのである。
「それだけじゃなくて、歴史的な理由もあるわねぇ」
アキラの話を聞いたフランがワインの入ったグラスを手に補足する。
「魔術師協会が自治権を持っているのは、ショナを建国する際に魔術師協会が果たした役割が大きかったっていうこともあると思うわ」
「フランさん、それはもしかして、ショナ自体よりも、魔術師協会の方が先に存在していたってことですか?」
「そうらしいわね」
アキラは諦めて首を振った。
「ますます判らなくなりました」
「ま、この世界でずっと生きて来たオレにもよく判らないんだから、オメエには余計に判らないだろうよ。オメエの言う通り、オレの目から見てもこの国はかなり特殊だと思うぜ。これだけの国力があるっていうのに建国時の領土をいっさい拡げようとしねえし、500年間も権力争いらしい権力争いが起こってねぇなんていうのはな。
他の国は、オレの故郷を含めて、ま、権力争いばっかりだ」
「ヴラドさんは北の出身だったっけ」
ナーナの問いに、肉を噛み切りながらヴラドは頷いた。
そこからはヴラドの身の上話となった。
ちょっとした理由があって、まだ10歳にもならない頃にひとりで国を出たこと。あちらこちらの国を転々と彷徨ってショナに流れ着き、まだ10代になったばかりだったのに20歳と偽って軍に入ったこと。それから30年近く傭兵として暮らして来たこと。
「故郷に帰りたいと思ったことはないの?ヴラドさん」
山菜の天ぷらに手を伸ばしながら、ナーナが問う。
「無理だな。帰ったら、これだ」
ヴラドは自分の首に手を当て、牙を剥き出して笑って見せた。
夕食が終わった後はどこにも寄ることなく、旅館に戻った。
借りた部屋は2室で、アキラとナーナが同じ部屋で、ヴラドとフランが別の部屋という部屋割りだった。部屋割りは、アキラの反対を押し切ってヴラドとフランが強引に決めたものである。
チェックインの際に、アキラの肩に太い腕を回して、まるで恫喝するかのような低い声でヴラドは諄々とアキラに説いた。
「オメエと嬢ちゃんを同じ部屋にした理由は判ってるな。アキラ」
「……判りませんね」
「しらばっくれるんじゃねぇ。オメエらを見てると、こっちがイライラするんだよ。早く決めちまえ。お互いその気があるのは間違いねぇんだからよ」
「ヴラドさん」
アキラはフランとナーナに背を向けたまま声を落とした。
「オレの事情は知っているでしょう?」
「おう。だがな、それはそれ、これはこれだ。もしもの時は約束通り、オレがカタぁつけてやるよ。文化的な違いっていうのもあるかも知れねぇが、こっちはこっち、そっちはそっちだ。今のままじゃあ嬢ちゃんが可哀想だぜ」
「いやいや」
「嬢ちゃんには、フランがしっかりといろいろ教えてるから、安心しな」
そう言われて見ると、そちらはそちらで女性陣二人が額を寄せるようにして何やら話し込んでいた。時折頷くナーナの首筋が桜色に染まっている様で、それがアキラを不安にさせた。
「何を教えているか判りませんが、オレは今すぐにでも止めたい気分ですよ」
「何を言ってやがる。部屋が離れているからオメエらが何をしていようが、さすがにオレでも聞こえねえ。だから安心しな」
精一杯の抗議の気持ちを込めて、アキラはヴラドを見上げた。
「ヴラドさん。確かヴラドさんは、護衛としてオレらに同行していただいていると思っていたんですが」
「この際、そんなことは言いっこなしだ」
言いっこなしでいいんだろうか。何か間違っていると思いながら、「頑張れよ」「しっかり」という意味不明な、いや、あまり考えたくない励ましに見送られて、アキラは口数が少なくなって来たナーナと一緒に部屋に戻った。
旅館には温泉があり、ナーナは一度温泉に入った後、浴衣に着替えて床にうつぶせになって、買って来たばかりのぼろぼろの魔術書を読み耽っていた。
床と言っても、正確には何かの植物で表面を覆った、判りやすく言えば畳である。
「アキラ」
ナーナが不意に彼を呼んだ。
「なに?」
「紙とペンないかな」
魔術書から目を離すことなくナーナが言う。どうやら読んでいる間に熱中してしまったらしい。「ちょっと待って」と苦笑しながら、アキラは紙とペンを借りるため、部屋を後にした。
「この魔術書ね」
畳に胡坐をかいて座り、ナーナは、今日、500バルで買ったばかりの魔術書を指さした。魔術書は中程のページが開かれ、彼女の周りには何かをメモった紙が幾枚も散らばっていた。
アキラも、ナーナと魔術書を挟んで畳に座り、ナーナの説明に耳を傾けていた。
「アキラに最初に使った、んー、この前ヴラドさんを浮かせた術の解説書なんだよ。
この前、重力って時空間そのものの歪みだって、アキラが話してくれたよね。ここにも同じようなことが書いてあるの。あの術の本質は重力を消すことじゃなくて、どうも時空間そのもののを操作することみたい」
「でも、下向きに加速度を働かせているって言ってなかった?」
「うん。でも、それは術を作動させるただのきっかけなんだよ。本当は時空間を操作することが目的で。でね、時空間を操作して、外界から切り離すっていうのが最終的な術のカタチみたい」
「そうすると、どうなるの?」
「重力って、遮ることができないよね。電磁気力と違って。それを遮ることができるみたいなの」
「んー。何のために?」
「大きい声では言えないけど、これ、門に関わる術の一部なんだよ」
アキラは驚いて魔術書から顔を上げた。
「魔術師協会の秘中の秘って、ナーナが言ってた、あれの?今、まさにここでやってる術の?」
「うん。門そのものの術じゃないけど、どうもそうみたい。門を開くための障壁かなんかとして使っているんじゃないかな。ということは、門というのはもしかして重力が関係しているのかも」
声を潜めてナーナが囁いた時、突然、扉がノックされた。わたわたとメモを片付け、ナーナが魔術書を閉じる。
「どうぞ」
アキラが応え、ヴラドがのっそりと入って来た。
天井が低く、ヴラドは天井に触れる耳を時折動かしながら窮屈そうに腰を屈め、きょろきょろと室内を見回した。
「フランは来てねぇな」
「ええ。どうかしましたか?」
「役所の人間がフランを探しに来たそうだ。しかし部屋にいねぇから、ここかと思ったんだが」
「フランさんならどこかに出かけてたよ。お風呂に誘いに行った時に古い知り合いに会いに行くって」
「そうか、それならいいんだ。邪魔したな」
「ヴラドさん、役所の人がフランさんを探しているって、何かあったんでしょうか」
「いや、そんな感じじゃなかったな。どうやら誰か役所の上の方から探して来いと言われたらしい。丁重にと注意されてな。あいつも顔が広いからな、その会いに行ったという古い友人が役所の人間なのかもしれねぇ。
だがしかし」
ちらり、ちらりとヴラドが部屋を見回す。そして、はぁと、長いため息を落とした。
「駄目かな、こりゃ」
諦めたように小さく呟いて、狼男はのそのそと出て行った。




