苛立ち
「あ、おはよう、ございます」
「ああ、おはよう」
昨日の夜、口付けを交わした後、あれからラドクリフは何も言わずに部屋を出ていった。
口付けという行為を救助の一環だとしてもローズには初めての事で恥ずかしくて堪らない。
だが今朝になって対面するとラドクリフは、まるで何事もなかったかのように、いつも通り朝食の用意をテキパキとこなしていた。
席につくとラドクリフお手製の玉子サンドとハムチーズサンドに、サラダには手作りの玉葱ドレッシングをかけて、バナナとヨーグルトをミックスしたジュースが並べられた。
相変わらず完璧な朝食が食欲をそそる。
ローズは自分だけが意識している事に落胆を覚えたが、平常心であるよう自分に言い聞かせた。
「そ、そういえば確か昨日は孤児院に行かれたんですよね? みなさん元気でした?」
「とても元気そうだったよ」
「まあ、そうですよね。そしたら今日、師匠の講義が終わった後にでも行こっかな~」
「君も昨日、一緒に行けばよかったんじゃないか?」
「あ~まあ……そうですよね~。あはは……」
「……」
「……」
結局、話が弾まず気まずい雰囲気になってしまい、お互いに朝食を黙々と口に運ぶ作業のようになってしまった。
ローズはバナナヨーグルトジュースを一気に流し込み、今のこの状況で関係ないがラドクリフの朝食は相変わらず美味しい。
ピンポーン
すると早朝に珍しく来客を知らせる電子音が鳴った。
「こんな朝早く誰だろう? 私、出てきます」
その場から逃げるようにローズは急いで玄関に向かい、扉を開ければ、そこには見知った顔があった。
「おはよう」
「ゴードン?」
「昨日あの後、ローズの様子が心配で講義に行く前に様子だけでも見ようと思って来たんだけど……」
ローズの向こうにゴードンは目線を向けた。
ちょうど食卓が見えて、そこには眉間に皺を寄せ機嫌の悪くなったラドクリフがゴードンを睨み付けていた。
「迷惑だったみたいだね」
ゴードンは申し訳なさそうに苦笑いをした。
「良かったら一緒に行きたかったんだけど、元気そうな顔を見れただけでも良かったかな」
「ありがとう。せっかく来てくれたんだから一緒に行こう」
ガシャンとフォークが皿の上に落ちる音がラドクリフの方から聞こえた。
「ちょっと待っててね、ゴードン」
そして何故か三人仲良く王城へ向かう事になった。
ラドクリフは自分を置いてローズとゴードンが二人で行ってしまうのかと思っていたし、ゴードンはラドクリフを置いて自分とローズが一緒に行くと思っていた。
だがローズは全く違う受け取り方をしていた。
昨日のラドクリフとの口付けを、どうしても思い出してしまいそうな中で、ラドクリフが他人を交える事が嫌いな性格だと知ってても誰か間に入って気まずい雰囲気にならないようにしてほしかっただけである。
まさか男二人が自分の事で火花を散らしているとは思いもしていない。
不機嫌極まりないラドクリフが会話に入るわけもなく、ゴードンとローズが二人並んで談笑し、それを鬼の形相のようなラドクリフが後ろから付いていくという異様な図が出来上がった。
「本日は、これまで」
本日も大盛況の中、ラドクリフの講義は終わった。
ただ、いつも以上にスパルタ講義を終始、展開しまくったラドクリフに、馴れていない者達は顔を青白くし精根尽き果てたような状態だったが、ラドクリフ信者の変態達は彼らとは対照的に恍惚の表情を浮かべていた。
「本日のラドクリフ様の講義は、なんて、なんて、素晴らしいんだ!」
「私、魔法使いに向いてないのかな……」
「ああ……もっと厳しく、いじめてほしい……」
「田舎に帰ろう……」
まるで地獄絵図のようになってしまった受講生達の中で、ゴードンは相変わらずラドクリフの無理難題を、いとも簡単に爽やかに、こなしていた。
その上ローズの隣を陣取っては、さもラドクリフに見せつけるように自分の講義中に肩を寄せ合って仲良さげにするもんだからラドクリフの苛立ちは限界を迎えそうになっていた。
コンコン
「失礼します。本日も、お疲れさまでした。師匠」
講義が終わって準備室に戻ったラドクリフのもとにローズは律儀に毎回、顔を出す。
いつもなら喜んでローズを迎える所だが、今朝からローズが、ことごとくラドクリフの苛立つポイントを押さえてきたのでラドクリフは、つい睨み付けてしまう。
「あ~……お邪魔でした?」
「いや」
気まづさとラドクリフの不機嫌で、ローズが余計にラドクリフと一緒にいるのを避けようとしてしまうのだが、それが余計にラドクリフを苛立たせるのをローズは知らない。
「今日は、孤児院の方に顔を出そうと思うので師匠は先に帰っててください」
「それなら僕も途中まで送っていこう」
「あ、ゴードンと方向が同じだから一緒に行くことになったので大丈夫です」
ラドクリフの中で何かがプツリと切れた。
「遅くなるかもしれないので私の分の晩御飯は気にしないでください。では、お先に失礼します。師……しょう……?」
帰り支度をするローズにラドクリフが目の前まで迫ってきて無言で見下ろしていた。
前にも似たような事があったので、また何かラドクリフの変なスイッチが入ってしまったんだろうかと思い、ローズはあまり良い予感がしない。
ラドクリフがローズの顎に手をかけると、顎をクイっと上に向かされた。
人生初の顎クイである。
見上げた先にラドクリフの唇が目につき、昨日の口付けが、とうしてもローズの頭を過ってしまう。
途端にローズは恥ずかしくて堪らなくなり、このままラドクリフに顎クイされっぱなしじゃ耐えられそうにないので、早く解放してほしく、ローズは抵抗するように身動ぎをしだした。
「あ、あの、師、師匠、な、なんなんですか。離してくださっ、んんーっ!」
そんなローズを押さえつけるようにラドクリフは口付けで唇を塞いだ。
魔力酔いを起こしてる訳ではない、なんの意味もない口付けをするラドクリフにローズは混乱し余計に抵抗する。
「んーっ!」
「口を開けなさい」
艶のある声に囁かれて、ぞくりとしたものが身体に駆け巡りローズは抵抗する事を忘れてしまった。
頭と腰に腕を回され背の高いラドクリフの方へ引き寄せられると開いた唇にラドクリフの唇が重なった。
ラドクリフの腕の中で清潔感のある香りに包まれれば心地好さが広がる。
舌を擦り付ける行為からは妙な甘さが広がった。
好きな男との口付けは痺れるような快感をローズにもたらす。頭の中は相手の事で一杯になっていく。
ラドクリフの美しい蒼白い髪が昔から好きだったローズはラドクリフの髪へ手を伸ばすと、更に口付けが深くなっていった。
「あ、ローズ。遅かったね」
「う、うん。待たせて、ごめんね」
一緒に帰る為に王城から出る門の所で、ゴードンはローズを待っていた。
「走ってきたの?」
「え?」
「顔が赤いから」
「え? そ、そうかな?」
つい先程までラドクリフとしていた事が原因だが、それを人に指摘されるのは恥ずかしい。
勘の良いゴードンは、なんとなくラドクリフが絡んでいる事に気づいた。
「もしかしてラドクリフ様と何かあった?」
「ええ!?」
当たり。
途端に顔を真っ赤にしたローズを見てゴードンは確信した。
非常に不愉快だった。
「大人げないなぁ……」
「何?」
「なんでもない。行こう、ローズ」
「う、うん」