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フレンツさんとの問答

フレンツが再び神殿を訪れたのは、光誕祭から一月ほど経った頃だった。


今度は、王宮から事前に連絡があった。正式な訪問として、神殿と情報を共有したいことがある、という名目だった。でもセレーヌ大神官は、アルテに小声で言った。「正式な名目はありますが、半分はあなたに会いに来ているのだと思います」と。


アルテは、少し笑った。


「半分は、正式な用件なんですね」


「半分は」とセレーヌ大神官も、少し笑った。


今回は、大神官室ではなく、神殿の応接室が使われた。セレーヌ大神官も同席したが、正式な用件が終わると「少し席を外します」と言って、自然に二人にする場を作ってくれた。


◆ ◆ ◆

応接室に、フレンツとアルテ、二人だけになった。


前回の正式訪問と違って、今日のフレンツは、少し肩の力が抜けていた。正装だったが、どこかいつもの茶色の上着の時の気配がにじんでいた。


「最近」とフレンツは言った。「いろんな国から、使節が来ているそうですね」


「来ています」とアルテは言った。「ガルデン国、ランテ王国、正統派の神官、ノルダンの商人、仙人教の老師」


「一週間で、ですか」


「一週間で、四人」


フレンツは、少し表情を変えた。


「疲れていませんか」


「少し疲れました」とアルテは正直に言った。「でも、大丈夫です」


「大丈夫、というのは」


「ただのアルテとして話せている間は、大丈夫です」とアルテは言った。「それがわからなくなったら、危ないかもしれませんが」


◆ ◆ ◆

フレンツは、しばらく、アルテを見た。


「ひとつ、聞いていいですか」とフレンツは言った。「王として聞くのではなく、フレンツとして」


「どうぞ」


「今、各国があなたに会いに来ています。光明派は希望として、精霊教は象徴として、正統派の穏健派は可能性として——それぞれがあなたを、何か別のものとして見ています。そのことを、どう思いますか」


アルテは、少し考えた。


「怖いです」と言った。「それぞれが違うものとしてわたしを見ているのに、わたしはひとりしかいない。どれかに合わせようとしたら、他のものが嘘になる」


「それが怖い?」


「それが怖い。でも——合わせようとは思っていないので、今は大丈夫です」


フレンツは、少し頷いた。


「合わせようとしない、という選択は——難しくないですか」


「難しい」とアルテは言った。「でも、そうしないと、わたしではなくなる気がするので」


◆ ◆ ◆

「逆に聞いていいですか」とアルテは言った。


「どうぞ」


「フレンツさんは——王として、いろんな人の期待に合わせることが、あるんですか」


フレンツは、少し止まった。


「あります」と言った。「常に、そうです」


「辛くないですか」


「辛い時もあります」とフレンツは正直に言った。「でも——王という立場は、そういうものだと、ある程度は受け入れています。ただ」


「ただ?」


「この神殿に来る時だけは——王ではなく、フレンツでいられます」


アルテは、その言葉を受け取った。


「それは」とアルテは言った。「わたしが、祭りの日にただのアルテでいられる、というのと——似てますね」


「同じだと思います」とフレンツは言った。「ずっと、そう思っていました」


◆ ◆ ◆

「黒の根域のことを」とフレンツは、少し声のトーンを変えた。「報告を受けています」


「王宮にも、情報が来ているんですか」


「ギルドからも、神殿からも」フレンツは言った。「Sランクの冒険者が、調査を続けていますが、まだ原因がわかっていない」


「精霊たちも」とアルテは言った。「少し前より、落ち着いてきています。でも、完全ではない。何かがまだ、奥にある気がします」


「あなたが、感じているんですか」


「ソルテが、精霊の気配で感じています。わたしは——黒の根域の方向を、精霊たちが気にしていることで、知っています」


フレンツは、少し考えた。


「もし、何かが起きた時——あなたは、どうしたいですか」


「どうしたい、というのは」


「戦う、逃げる、待つ——いろんな選択肢があります。あなたが、どう考えているかを、知りたい」


◆ ◆ ◆

アルテは、少し時間をかけて、考えた。


黒の根域の異変が、最終的にどんな形になるかはわからなかった。でも——精霊たちがアルテを守ろうとしていること、ソルテが感じているものがあること、ギルドの最上位の冒険者が調査していること。様々なものが、何かに向かっている気がした。


「逃げない」とアルテは言った。「でも、無謀には動かない」


「どういうことですか」


「精霊たちが示す時まで、待ちます」とアルテは言った。「精霊たちが『今だ』と思う時が、わたしが動く時だと思います」


フレンツは、その答えを聞いて、少し考えた。


「精霊たちを——信頼しているんですね」


「信頼しています」とアルテは言った。「頼むのではなく、一緒に。だから、精霊たちが判断した時に、一緒に動く」


フレンツは、しばらく黙っていた。


「わかりました」と言った。「王として、その言葉を——信じます」


◆ ◆ ◆

「もうひとつ」とフレンツは言った。「個人的なことを聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「成人の儀式で——『ただのアルテでもありました』と言ったそうですね。セレーヌ様から聞きました」


アルテは、少し驚いた。


「セレーヌ様が話したんですか」


「あなたの言葉を伝えてくれました。王として知っておくべきだ、と言って」


「そうですか」アルテは、少し考えた。「どう思いましたか」


フレンツは、少し時間をかけて答えた。


「聖泉の前で、最も格式ある場所で、その言葉を選んだことが——あなたらしいと思いました」フレンツは言った。「そして、王として安心しました」


「安心?」


「ただのアルテでいられる聖女が、この街の中心にいる。それは——この街が、まだ大丈夫だということだと思います」


アルテは、その言葉を聞いて、少し目が熱くなった。第三十話で聞いた「炉端妖精へのおやすみ、それだけでこの街が大丈夫だと思える」という言葉と、同じ意味を持つ言葉だった。


◆ ◆ ◆

フレンツが立ち上がった。


「今日は、来てよかったです」とフレンツは言った。いつも言う言葉だった。でも、今日は少し違う重さがあった。


「わたしも」とアルテは言った。「話せてよかったです」


「次に来るのは——夏の大祭の時になるかもしれません」


「今度は、正式に来ますか」


「正式に来ます」フレンツは言った。「でも——できれば、どこかで少しだけ、工夫した時間も作ります」


アルテは、笑った。


「工夫、楽しみにしています」


フレンツが扉に向かった。その手が扉に触れる前に、アルテは言った。


「フレンツさん」


「はい」


「ここに来る時だけフレンツでいられる、というのは——大変ですか」


フレンツは、少し考えた。


「大変です」と正直に言った。「でも、ここがある、とわかっているから——王でいられます」


アルテは、その言葉を、静かに受け取った。


扉が閉まった。廊下に足音が遠くなった。


◆ ◆ ◆

セレーヌ大神官が、戻ってきた。


「よかった会話でしたか」


「よかったです」とアルテは言った。「フレンツさんが——ここがあるから王でいられると言っていました」


セレーヌ大神官は、少し微笑んだ。


「あの方は、いい王になっています」と言った。「あなたのおかげもあって」


「わたしのおかげ、というのは大げさです」


「大げさではありません」セレーヌ大神官は言った。「ただのフレンツでいられる場所がある王は——民のために、正しく使えます。その場所を作ったのは、あなたです」


アルテは、少し考えた。自分がそんなことをしたつもりはなかった。ただ、知らない人に話しかけて、また会いたいと思っただけだった。


「意図したわけではないんですけど」


「意図しないことの方が」とセレーヌ大神官は言った。「大切なことが多いものです」


◆ ◆ ◆

夜、アルテは紙に書いた。


フレンツさんが来た。「ここがあるから王でいられる」と言っていた。わたしの「ただのアルテでいられる日がある」というのと、同じだと思った。お互いに、役割を降ろせる場所が、必要なのかもしれない。黒の根域について話した。「精霊たちが示す時まで待つ」と言った。フレンツさんが「信じます」と言ってくれた。セレーヌ様が「あなたのおかげもある」と言ってくれた。意図していなかったことが、誰かの力になっていた。それが、少し不思議で、少し嬉しかった。


暖炉の炎が揺れていた。


「今日も、ありがとう」とアルテは言った。


「おやすみ」


炎がふわりと揺れた。精霊たちが、静かに光った。


水都の夜が深くなった。王宮の方向に、灯りがいくつか見えた。フレンツは今頃、また王として、何かを考えているかもしれなかった。


でも、ここがある。


アルテは、目を閉じた。

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