第94話「魚の骨は粉々に砕け」
トーキョー・ギンザ・シティの空が燃えている。
制空権は既にビッグ・テック、ベジミール、アジトモ三社統合軍によって失われていた。コマツから増援を送ろうにも現場は既に統合軍の戦力で満たされ、よほどの物量を送り込んだとしても覆すのは難しい。
次々と入ってくる報告に、ペッパーフィッシュ社CEOはほぞを噛むしかなかった。
《早急な決断を!》
《もう、これ以上保ちません!》
司令室より届く降伏勧告受諾を促す声の数々。
「まだだ、まだ地上勢力が——」
CEOが血走った目で呟く。
制空権は失われたかもしれないが、地上にはまだ地上勢力を送り込んでいる。空爆が失敗するとは思えなかったが、それでも「食事処 げん」に致命の一打を与えるべく送り込んだ地上部隊はいまだに顕在。店主は避難したかもしれないが、それなら店はもぬけの殻のはずで、店の設備を徹底的に破壊してしまえば源二ももう抵抗はできまい——そう、CEOは考えていた。
「それが駄目なら最終兵器を使うまで! 短距離核ミサイルの発射許可を出す!」
《は!? 正気ですか!?》
流石の司令官も、CEOの発言に頭がおかしくなったのかと怒鳴り返す。
確かにペッパーフィッシュ社の本社はトーキョー・ギンザ・シティにはない。航空部隊がコマツから発進している通り、本社はイシカワ・カナザワ・シティにある。自分たちの本拠地ではないから言える問題発言ではあったが、司令官はこれを全力で止めなければと思っていた。
まず、トーキョー・ギンザ・シティには一応の政府機関がある。メガコープが実権を握っているとはいえ、政府という組織があるから日本は日本としての体裁を保てている。
もし、ここに核が落とされれば被害は底知れない。短距離ミサイルとはいえ搭載しているのが核であればトーキョー・ギンザ・シティの大半を焦土に変えることができる。当然、政府機関が無事であるはずがない。
政府高官などは空爆が始まった時点でシェルターに避難済みだろうが、それでも各種設備が破壊されれば人間が生きているだけではどうしようもない。戸籍謄本といった超重要データが格納された量子コンピュータの本機は地下深くに保管されて被害を逃れられたとしても、トーキョー・ギンザ・シティのネットワークインフラが寸断されてしまえば復旧に膨大な時間がかかるのは目に見えている。
《流石に首都機能のあるトーキョー・ギンザ・シティに核を打ち込むのは承服しかねます! 私の権限と株主緊急招致の罷免議案を提出します!》
「ふざけるな! 『食事処 げん』を野放しにすることで我が社のダメージはより大きくなるのだぞ! 今首都を落としてでも消滅させなければ消えるのは我が社だ!」
《もうペッパーフィッシュ社は終わってますよ! ここまで騒ぎを大きくして、クーデターも失敗していれば会社取り潰しは確定です!》
いまだに自分の野望と空虚な夢を語るCEOに、司令官も負けじと怒鳴り返す。仮に「食事処 げん」の空爆が成功し、その後政府機関を抑えることができていればクーデター成功としてペッパーフィッシュ社は立ち直れたかも知れない。それこそ日本を牛耳る企業としてアジトモやベジミールも見下せたかもしれない。
だが、それも全て打ち砕かれた。
空爆は失敗し、司令室に入ってくる報告も地上部隊が統合軍に押されているというものばかり。
現実を見れば、ペッパーフィッシュ社はもう終わりだった。
そう考えると最後っ屁でトーキョー・ギンザ・シティを焼き払って「死なば諸共」をしたくなる気持ちは分かる。だが、だからといってそれを許せばペッパーフィッシュ社は国を滅した愚かな企業として歴史に残るだろう。
それに、罪のない無辜の人々をいたずらに死なせるわけにはいかない。なんとしてでもCEOを止めなければいけない。
罷免議案を提出してもCEOの権限は即座に止まらない。まず株主総会を招集しなければいけないし、議案を可決させなければいけない。それまではCEOの力は絶対なので、司令官の発言は焼け石に水だった。
「ええい、私の命令が聞けないのか! それならお前はクビだクビ! 全権限を私に回せ!」
《クソッ——このクソCEOが!》
司令官がコンソールを叩く。が、CEOの横暴な命令に誰一人従おうとせず、司令官が警備兵によって外に連れ出されるようなことにはならない。
《流石にCEOの命令にはもうついていけません! もうクーデター起こしましょうよ司令!》
《そうだそうだ! どうせペッパーフィッシュはもうおしまいなんだから派手に爆破してやろうぜ! その方が次の就職有利になるかも!》
——人徳のないリーダーとはこういうものである。
司令室の中は完全に反乱モードで湧きたっていた。
「ぐぬぬ……」
どうしてどいつもこいつも指示を聞かない、と歯ぎしりするCEO。
と、そこで通信の向こう、司令室のスクリーンにノイズが走った。
《!?》
護衛部隊も巻き込んでCEO逮捕してもらおう、などと騒いでいた司令室のオペレーターが硬直する。
《あー……なんか邪魔だったか?》
中央のスクリーンに狼を模したロボットのエンブレムが表示される。
《——ハッカー……?》
その声はCEOにも届いた。
「なんだ、まだ何かあるのか!?」
視界に映り込む司令室の様子をCEOが凝視する。
《いかにも、俺は流れのハッカーだ。名前は『ゴーストファング』》
《『ゴーストファング』!?》
《そして私、『スノウフォックス』も協力しています》
《『スノウフォックス』も!?》
一瞬静まり返った司令室がハチの巣をつついた騒ぎになる。
「ゴーストファング」も「スノウフォックス」も量子コンピュータに侵入できる量子ハッカーとしてメガコープ内では要注意人物だった。特に「スノウフォックス」は金さえ積まれればメガコープを渡り歩くということで裏切られないように注意する必要がある。「ゴーストファング」は量子ハッカーではあるものの積極的にメガコープの案件に首を突っ込まないので警戒度は比較的低かったはずだが。
《流石にでかい企業の中央演算システムに侵入するのは骨が折れたわー》
《その割に、もうペッパーフィッシュのほぼ全てのシステムを掌握しているようですが》
気楽そうな「ゴーストファング」と、対照的に冷静な「スノウフォックス」の声が司令室に、通信を通じてCEOの聴覚に響く。
「ぜ、全システム……?」
まさか、とCEOが執務室のドアに駆け寄る。自動ドアになっているそれは近寄れば自動的に開く——はずだった。
だが、ドアは開くことなく、その横のパネルも【Locked】の文字のまま。
「まさか——」
CEOの顔が一瞬にして青ざめる。
唯一の出口であるドアが封じられれば、執務室はただ無駄に広い棺桶となる。
《少し前から傍聴させてもらってたが、あんたら核発射命令受けたのに拒否してたのか? ついでにクーデターとか穏やかじゃないなァおい》
軽口を叩く「ゴーストファング」だが、その手が止まっていないことは司令室の面々にはすぐに伝わった。
正面のスクリーン以外のあらゆるモニタにいくつものウィンドウやインジケータが表示されては閉じ、司令室にある各種システムの権限が書き換えられ停止していくのが見える。
その進捗に司令室の面々は安堵の息を、CEOは落胆の息をつく。
《流石に俺の口から攻撃中止命令は出せねーからあんたら頼むわ。クーデター起こす気なら中止命令くらい出せるだろ》
《それはもちろん! 助かりました!》
「ゴーストファング」の言葉に司令官が感謝の意を述べ、即座にオペレーターたちに攻撃中止命令を指示する。
それを待ってましたとばかりに受け取って命令を発令するオペレーターたちに、CEOはよろよろとその場に膝をついた。
「そんな……私の城が……」
《ああそうそう、ペッパーフィッシュのCEOさんよ》
ふと思い出したように「ゴーストファング」がCEOに声をかける。
《あんたの敗因は俺を敵に回したことじゃねえ。『食事処 げん』を敵に回したことだ》
「どういうことだ」
苦々しく、CEOが尋ねる。
ここで尋ねたところで自分にはもう何もできない。ただ他の企業が指揮する警察組織に逮捕されるだけだ。
ペッパーフィッシュ社ももう完全に立ち直れない以上、CEOという肩書はただの重りにしかならなかった。
《俺は『食事処 げん』の飯が好きなんだよ。それを潰そう、ましてや『食事処 げん』が見る未来を潰そうってんなら許さない人間はごまんといる。クーデターもそこからぶち上がったんじゃねえか?》
「ゴーストファング」の言葉には一理ある。
CEOは手中に収められなかった「食事処 げん」を消そうとした。店主ごと消すことで元祖の味覚投影オフの炎も消そうとした。
得られないなら壊してしまえ、それなら誰も手に入れられない——その思いが、他の人々の心に火を灯したというのか。
《あー……対ベジミールのレジスタンスもキレてるわこれ……。さっさと撤退命令出さないと被害がでかくなるぞ》
「ゴーストファング」の側ではより詳細に状況を把握しているのだろう、そんな言葉にCEOは力なく床に拳を叩き付ける。
そのタイミングで自動ドアが開き、武装した警察組織の一団が執務室に乗り込んできた。
「ペッパーフィッシュ社CEO、ミヤモト・トモキ。罪名がありすぎるので省略、逮捕します」
「……」
警察組織の一団に取り囲まれ、手錠を掛けられるCEO。
《さーて、これで取り合えず本丸は落としたな。後は事件の後始末か……めんどくせーな……》
《『ゴーストファング』、完全に落ち着くまでが仕事です。もうひと踏ん張りしたら『食事処 げん』で祝杯といきましょう》
《『げん』に酒はないっつーの……。じゃ、後はよろしく!》
そんな言葉と共にペッパーフィッシュ社のメインフレームから二人のハッカーが離脱する。
「……どうしてこんなことに……」
歩け、とアサルトライフルの銃口で小突かれながら、CEOはとぼとぼと歩き出した。




