第93話「心を繋ぐ炊き出し」
「フードプリンタはあるか」という源二の問い合わせに、行政職員は面食らうしかなかった。
今は避難民を落ち着かせることで大わらわである。企業歴のこの時代、メガコープが社会の実権を握っているのは事実だが住民の管理、となると行政の仕事である。もちろん、企業も一部の業務やインフラを引き受けて民営化しているが、戸籍となると日本という国が分裂するので国民の管理という部分では政府がいまだに実権を握っているというのが今の日本だった。
そうなるとこのように企業間紛争で割を食うのが行政である。シェルターを作ったり非常食を用意するのは企業の仕事でも、避難してきた市民をまとめあげるのが行政なので、市民の不満は行政職員に向かいやすい。
実際、何人もの避難民が「もっと手際よくやれ」から「自分は金を持っているからもっと優遇しろ」まで、様々な文句が職員にぶつけられていた。
そんな状態で「フードプリンタはあるか」という問い合わせに快く答えられるほど職員も暇ではない。
苦々しい面持ちで、職員は源二に視線を向けた。
「フードプリンタなんて、今それどころじゃ——」
「それどころのタイミングなんですよ」
職員の視線に怯まず、源二が答える。
「今すべきことは避難してきた皆さんを落ち着かせることです。人間、お腹が空いているとネガティブなことばかり考えてしまう。だからそれを満たす必要があるんです」
「だったら適切な時間にここに保管している非常用エナジーバーでいいじゃないですか。フードプリンタなんて、何を悠長な——」
「はい」
ずい、と源二は職員の口に個装を剥いた試食用クッキーを押し込んだ。
緊急時の避難とは言え、貴重品の類は源二もきちんと持ってきている。その中に《《たまたま》》試食用のクッキーが入っていただけだ。
「むぐ……」
口にクッキーを押し込まれ、職員が目を白黒させる。
しかし、すぐに目を見開いてクッキーを飲み込み、源二を見た。
「なんですかこれ!?」
「クッキー」
しれっと答える源二、職員がいやそうですがと反論する。
「味がするんですけど!?」
「そういう風に作ってますから」
顔に見覚えがなかったし、やっぱりこの人うちの店知らなかったか、と思いつつ源二はそれで、と続けた。
「どうですか、落ち着きましたか」
「落ち着いたも何も」
そこまで言って、職員はつい先ほどまで心の中にあった苛立ちが薄れていることに気が付いた。
クッキー一つで、と思うがそれ以外に思い当たるものがない。
まさか、と職員は源二の顔をまじまじと見た。
「そのまさかですよ」
にっこりと笑って源二が言う。
「クッキーだと物足りないでしょうから、もう少し元気の出るものを皆さんにお出ししたいと思って。それにはフードプリンタが必要なんです」
「でもフードプリンタで出力したものは味覚投影なしじゃ食べられないじゃないですか。いや、それが貴方にはできると」
「先ほど食べていただいたクッキーが答えですよ。で、フードプリンタはあるんですか」
そう言った源二の目は自信に満ちていた。
その目に圧されて、職員がはい、と小さく頷く。
「一応、大量調理用のフードプリンタは備え付けてあります。避難が長期にわたった際、エナジーバーだけでは飽きてしまうので定期的にトンジルやカレー、オニギリといった炊き出し食が出力できますが——」
「おにぎり! ちょうどいいですね、それにしましょう」
メニューを聞いた源二の目が光る。
「フードプリンタ、見せていただいて構いませんか? できれば何人か手伝ってくださると助かりますが」
「分かりました、私がお手伝いいたします」
クッキーで味覚投影オフの料理を知った職員の判断は素早かった。
すぐに近くの職員に連絡を入れてフードプリンタの使用許可を取り付け、源二を給湯室に案内する。
「だから今のこの騒ぎを落ち着かせることができるかもしれないんです! 私が全責任を負います!」
給湯室に源二を迎え入れた職員は大型フードプリンタのカバーを取り払った。
「これはすごい」
「一度の出力で百人前が出力できます。情報によると今この避難所にいるのは我々行政職員を含めて九十人ほどですので一度で全員分出力できそうですね」
なるほど、と源二が頷く。
確かにこのシェルターは規模としては元の時代でも災害時の避難所として利用された公立小学校の体育館くらいの広さはあった。避難民の専有面積等を考慮すると百五十人~二百人程度が受け入れ上限だろうからそれを踏まえて現時点ではまだかなり余裕がある。出入り口が封鎖されてそれなりの時間が経過しているので全体的な避難としては完了しており、これ以上避難民が増えることは考えにくい。
受け入れ上限に対して避難民の数が少ないのは、ここが商業エリアで時間も人口が密集する時間から外れていたからだろう、と考える。恐らく住宅街のシェルターは下手をすると受け入れ上限を超えての受け入れが行われているかもしれない。
これが家にいる時でなくてよかった、となんとなく思いつつ、源二は鞄から調味用添加物を詰めたケースを取り出した。
調合済みのカプセルも店にはあるが、この際火事場泥棒に盗まれても文句は言わない。ただ、調味用添加物は何か非常事態——まさに今のような状況で役に立つかもしれない、と源二は調味用添加物を持ち運びやすいようにケースに詰めて常に持ち歩いていた。
「それは、調味用添加物ですか」
源二が取り出したケースを見て、職員が尋ねる。
「そういえば調味用添加物を使いこなして料理を出す店が近くにあると聞いてました。まさか貴方が」
「そうですよ」
手際よく添加物を調合し、源二がそれをフードプリンタにセットする。
「やっぱり避難時の炊き出しってありがたいですし、ちょっとテンション上がるんですよね。それにうまい飯は結束も高まりますし」
そんなことを言いながら源二がフードプリンタを起動すると、いくつものおにぎりが次々と出力口に出力されていく。
それを大型トレイに並べ、職員は驚きを隠せずに源二を眺めていた。
このような状況でも落ち着き払っていられる胆の太さ、避難で不安だろう市民に対する配慮、心によほどの余裕がないとそんなことはできない。
トーキョー・ギンザ・シティも十年ほど前にはダイバエリアが戦場となったが、職員はその現場にいたわけでもなく、避難が必要なほどの大規模災害も久しく起こっていなかったことから、今回の大規模避難で初めての避難民誘導を行うことになった。マニュアルはBMSですぐに参照できてもマニュアル通りに物事が進まず、いくつも発生したイレギュラーに困り果てていた。
そこへもっての源二の「フードプリンタありますか」発言である。
最初は厄介なことになった、と思った職員だったが、クッキーを口に入れられたことで一気に気持ちが落ち着いた。一度落ち着いてみれば周囲の動きがよく見える。
決まった時間にエナジーバーを配給するのは大切だが、源二は一回避難民全員の腹を満たそうと考えたことに気付いて全責任を負う覚悟を決めた。
これで避難民の不満が少しでも弱まればこちらの勝ちだし、駄目だったとしても何もしないよりはデータになる。
そんなことを考えているうちに最後のおにぎりが出力され、源二は満足そうに頷いた。
「とりあえず皆さんに一つずつ配ってください。私の勘が正しければ——皆さん、落ちますよ」
「はい!」
職員が頷き、数人の応援要請を出す。
すぐに三人の職員が集まり、それぞれトレイを手に給湯室を出た。
「一人一つずつ配って! 味覚投影オフで食べてみて、と!」
職員の指示に、応援に駆け付けた他の職員も素早くおにぎりを避難民に配布する。
「へー、時間じゃないのに炊き出しあるんだ」
「ま、腹は減ってもって言うもんな——って、味覚投影オフで食えるってマジかよ」
「え、知ってる。『食事処 げん』でしょ? そうか、ここ店に近いから——」
避難所をざわざわと声が流れていく。
不満そうに職員に詰め寄っていた避難民もおにぎりを受け取ったら大人しくなって自分に割り当てられたエリアに戻っていく。
——結局、時間が時間だからみんな小腹が空く頃合いなんだよな。
源二も両手に一つずつおにぎりを持ってヨシロウの前に戻る。
「なんだゲンジ、勝手なことしてると思ったらお前は——」
源二の手に収まったおにぎりに、ヨシロウが苦笑した。
「そうだよな、お前はそういう奴だよな」
「ああ、まずは少し腹に入れて落ち着けってことだ」
今回のおにぎりは特別製だぞ、と言う源二に、ヨシロウはそうか、と思いつつおにぎりを口に運んだ。
「——む」
食べてもいつも見かけるような「具」がない。純粋にライスだけでできたオニギリだ。
味付けは普段の具入りのものに比べてややしょっぱさを感じる。
——だが。
「うめえなこれ」
気が付けば、ヨシロウはオニギリを貪っていた。
ただの塩味のライスのはずなのに、食べる手が止まらない。
それどころか食べているうちに焦っていた気持ちが落ち着いてくるような感覚さえしてくる。
食べ終わる頃には、ヨシロウは完全にクリアになった思考で現状を確認することができるようになっていた。
「何食わせたんだ」
「何って、塩にぎりだよ」
「シオニギリ」
源二が口にした名称を反芻して、ヨシロウが周囲の様子をうかがう。
いくら吸音性能が高い壁を使っていると言っても興奮している人間の叫び声などは天井などを反響して聞こえてくる。
だが、いつの間にかその喧騒もなくなっていた。
「ちょっと様子を見てきますかね」
源二が自分のブースを出て通路を回る。
職員たちが走り回っているし、何人もの避難民も通路にいたが、その顔に焦りはなかった。
幾分落ち着いた顔になり、「結局今回の避難って何だったんだろう」と話し込んでいる。
「あ、いたいた!」
先ほど、フードプリンタの有無を訊かれた職員が源二を見つけて駆け寄ってくる。
「何ですかあのオニギリ! 皆さん静かになったんですけど!」
「これが炊き出しの力ですよ」
まさかここまで落ち着くとは思ってませんでしたけど、と言いつつ源二が笑う。
「炊き出しの力——」
「ええ、いくらしんどい時でも人間、おいしいものを食べたら元気が出るものなんですよ。私はそのお手伝いをしただけです」
学生時代、炊き出しのボランティアをした時のことを源二は思い出す。
絶望に満ちた顔をしていたホームレスでも一杯の豚汁で希望を取り戻すことがあると知ったのはその時だ。レストランを開きたい、とは昔から思っていたが、人々が癒される店にしたいと思った、そのきっかけはこれだったかもしれない。
そんな経験があったから、源二は炊き出しで人々の不安を取り除くことを考え、実践した。
その結果は思っていた以上で、炊き出しをして本当に良かった、と心底思う。
とはいえ、避難民によっては毎食出せという横暴な人間もいるだろう。
こういった炊き出しは特別な時に特別なタイミングで行うから貴重なのだ。
さて、避難はいつまで続くのか、と思いつつ、源二は避難所が一定の秩序に落ち着いたことに安堵した。




