第72話「ひとときでも解放されたくて」
アジトモ社のパーティーで食事を提供したことや「ゴーストネオン」でのコラボという、外に向けての動きを見せたことで「食事処 げん」の客層に少しずつ変化が生じていた。
「ここがあの『食事処 げん』……」
物珍しそうに店内を見回すのは身なりのいい男女。
恐らくは夫婦なのだろうが、なんとなく店の雰囲気に比べて上品に見えた。
「個室はないのね……。面白いわ」
妻らしき女性が興味深そうにカウンター席に腰掛ける。
「一応はオーダーの仕方も見てきましたので、なんとなく分かりますわ。タイショー……でしたっけ、このオコノミヤキを二ついただけるかしら」
どう振る舞えばいいかおどおどする夫に比べて堂々とした風の妻がさっさと注文を決める。
「あ、あとヒヤヤッコもお願いします!」
意を決して追加オーダーする夫に、源二はにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ、とって食いやしません」
「そーだそーだ、ここはお上品ぶらずにがっつり行くところだぜ!」
常連のヤジも飛び、夫はハンカチで汗を拭いながら周囲を見回した。
「に、賑やかですね……」
「食事処 げん」の賑やかな雰囲気に慣れていないのか、夫はオロオロしながら源二に声をかけた。
「この賑やかさがうちのウリですからね!」
源二は源二で気づいていた。
上品な雰囲気を漂わせる高級な服やアクセサリーの数々、そして身のこなし。
あのパーティーで味覚投影オフの料理を体験し、他のものも食べてみたいとなった富裕層だろう。
こういった富裕層が店に来るのは源二としてもありがたいことだった。
つい先日「ゴーストネオン」で心に決めた「てっぺんを取る」、その足がかりとして富裕層の来訪は効果的だ。
源二の「料理で頂点に立つ」計画などつゆ知らない夫婦が出されたオコノミヤキを見る。
「いかにも庶民的な食べ物、という見た目だけど——おいしそうね」
物珍しそうにオコノミヤキを見た妻が楽しそうに笑う。
「食べてみましょ! きっとこれもびっくりする味よ」
ぐいぐいと引っ張る妻に、源二は「もしかして」と考える。
——この人、奥さんが積極的だからうまく吊り合ってるタイプだな。
積極的な者同士だと反発も大きい。うまく噛み合えばとんでもないパワーを発揮するタイプではあるが、噛み合わないと意図せずとも足の引っ張り合いになる。
反面、片方が積極的でもう片方がそれに引っ張られるタイプだとうまく誘導すれば縁の下の力持ちに支えられて大きく伸びる。噛み合った積極的タイプに比べれば伸びは緩やかだが、適度な場所に収まるのでそれなりの成功をしやすい。
いい奥さん持ってるな、と思いつつ、源二は夫婦がオコノミヤキを食べる様子を見守った。
「あらおいしい。あの時のシャトーブリアンも美味しかったけど、このオコノミヤキの方が私は好きかも」
「そ、そうだね。あ、このヒヤヤッコも食べてごらんよ。味がつるんと滑って面白いよ」
まだおどおどしているが、夫もヒヤヤッコを食べて驚いたらしい。この店に来てから初めてではないか、という様子で妻に勧め始める。
「あら、あなたが勧めてくるなんて珍しいですわね。ではいただいてみましょうか」
夫の勧めに応じ、妻がスプーンでヒヤヤッコを一口食べる。
「あらー! これ、すごくいいですわね! オコノミヤキのガツンとした感じではなくて、優しくつるんと滑ってくるところがまるであなたらしいわ」
「えへへ……」
妻に褒められた夫が照れ隠しに笑う。
そんな夫の頭を、妻がよしよしと撫で始めた。
——はい、ごちそうさまでーす。
ただのラブラブ夫婦だった。
いくら富裕層であっても人間としての根本は同じなんだな、と源二が微笑ましく眺めていると、その視線に気づいた妻がはっと我に返り真顔に戻った。
「こほん。さすが、アジトモ社がパーティーでサプライズしたいと思うわけですわ。毎日でも通いたいくらいですもの」
「僕もそう思うよ。でも、やっぱり僕たちが来ることで他のお客さんが遠慮したりすると申し訳ないな……」
妻の言葉にちら、と周りを見ながら夫が呟く。
今まで大衆的な店に顔を出して引かれた経験があるのだろうか。周囲の反応を伺う夫に、
「なんだい兄ちゃん、ビビってんのか?」
「ってかなんかやなことあったのか?」
周囲の常連が何の気兼ねもなく声をかけた。
「えっ」
「兄ちゃん、金持ってんのは分かってるが別にそれで俺たちビビりゃしねえよ。むしろ金持ちがこの店を楽しんでくれるのが嬉しいわ!」
「そーだそーだ! 別にこの店は金持ちお断りとかねーよ!」
「お前ら、勝手に店のルール決めてんじゃねえ!」
騒ぐ常連たちに源二も苦笑しながら声をかける。
「まあ、うちは料理と店の雰囲気を楽しんでくれるなら誰でも歓迎ですよ。お客さんはうちの雰囲気を楽しんでくださってる、ありがたい話ですよ」
「……いい店ですね」
ぽつり、と言って夫が源二を見た。
「前にちょっと出かける用事があって、とりあえず食事を、と入った店で『金持ちが来るところじゃねーよ』とか言われてそれ以来大衆食堂に入るのが怖かったんですよね。でも妻が『もう一度味覚投影オフの料理を食べたい』と強く希望したので思い切って来たのですが……来てよかった」
「うーわ、どこだよその店。☆1付けてやろうか?」
「金持ちが貧乏人を嫌がるならまだしも、貧乏人が金持ちを嫌がったところでメリットねえだろ」
「だからお前らいちいちヤジ飛ばすのやめてくれる!?」
この店の常連は好奇心旺盛な人間が多い。好奇心旺盛だからこそ味覚投影オフという物珍しさに首を突っ込んでそのまま沼に沈んだような連中なので、面白そうな話に首を突っ込むのは習性かもしれない。
いずれにせよ、そんな常連にこの夫婦——特に夫は救われたようだった。
「常連さんの雰囲気も含めて、本当にいい店ですね」
「ありがとうございます」
「また来たいですわ。こうやっていろんな方とおしゃべりしながら食事をするなんて、考えたこともなかったのですがこんなにも楽しいなんて」
そう言いながら紙ナプキンで口元を拭く妻。
皿にあったオコノミヤキもヒヤヤッコもいつの間にかなくなっている。
「あなた、早く食べないと私が食べてしまいましてよ」
「ああ、それは嫌だ。これは僕の分だ」
妻に言われて夫が慌てて残ったオコノミヤキを口に運ぶ。
「また来てもいいですか?」
最後の一口を飲み込み、夫が尋ねた。
「もちろんですよ! 是非ともうちのメニューを全制覇してください!」
「それできた奴ヨシロウ以外いないだろうが!」
「あいつは客じゃねえ! マネージャーだ!」
「あぁ? 誰が客じゃねえって?」
常連のツッコミに源二が反応したタイミングでヨシロウがひょっこり顔を出す。
「うわ、話がややこしくなった!」
「うまいbotが来たぞ! タイショー、ぶちかましてやれ!」
「余計話をややこしくしないで!?」
どのような客が来ても通常営業の「食事処 げん」の様子に、夫婦は顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
「本当にいい店ね」
「ああ、そうだね」
笑いが絶えない店に二人の心も明るくなる。
時々行っていた高級レストランとは真逆の雰囲気。
生演奏BGMが響くだけの静かな店内、ウェイターの説明だけが店内で発せられる言葉で、それ以外の私語は発しにくい重い雰囲気に慣れていた夫婦にとって「食事処 げん」は何もかもが初めての体験だった。
アジトモ社の高級レストランは出される料理も高級なものではあるが見た目だけで、味は当たり前に味覚投影されるもの。
「食事処 げん」の料理は旧時代の大衆料理と言われたものばかりだが、そのどれもが自分の舌で味わえるもので、この時点で未知との遭遇である。それだけではない、食べた時の衝撃を口にしても誰も注意しない。それどころか常連たちが同意し、店主も巻き込み、不思議な一体感すら覚える。
高級レストランでの食事こそが「特別な体験」だと思っていたが、それは間違いだと気づいた一瞬。
「特別」は日常にも潜んでいる。
当たり前の人々が当たり前のように食べる料理に隠された「特別」に気づき、夫婦は目から鱗が落ちたような気がした。
もちろん、これを毎日食べ続ければ特別は当たり前に変わるのだろうが、それでもこの温かさを当たり前として受け取れるのならそれはどれほど幸せなことだろうか、と考えてしまう。
こんな素晴らしい経験を常連たちは当たり前として楽しんでいる。いや、当たり前だが全く同じではない日常を楽しんでいるのだ。
富裕層として当たり前に感じていた窮屈さがここにはない。自由で、温かくて、心から笑える幸せ。
「また来ましょう」
妻が夫にそう声をかけると、夫もそうだね、と頷いた。
「ここに来るとなんか君と自由になれる気がする。たまにはこの自由を楽しみたい」
「うちはいつでも歓迎ですよ」
源二もにこやかに声をかける。
「食事で身も心も自由になる、いいじゃないですか」
そのために「食事処 げん」は存在する。
抑圧された人々の心を解き放つ、と言ってしまうと傲慢なような気もするが、それでもほんのひとときでも自由になってもらいたい。
今の自分がそうであるように、他の人も楽になっているのなら。
そんな理想の店になっていることに、源二は少なからず誇らしさを覚えていた。




