第73話「疫病神お断り」
いくら「食事処 げん」がいい店だと言われても客層が全ていい人間であるとは限らない。
「てめえに食わせる飯はねえ! とっとと帰れ!」
「はぁ? 飯屋のおっさんが何イキってんだよ!」
源二と、いかにもヤンチャそうな青年が怒鳴り合っている。
最近はピークタイムを過ぎても誰かしらは常連がいるはずなのに、間の悪いことに店内にはほかに客の姿はない。
「料理人を大切にしねえ奴は客じゃねえってんだろうが!」
「何古くせえこと言ってんだよ! たかがプリントフードだろうが!」
「分かってねえな! うちは味覚投影オフで食える飯なんだよ!」
いつもなら「食えば分かる」の源二が、珍しく吠えている。
その発端は——ほんの少し、遡る。
「あー腹減ったー」
その青年が「食事処 げん」に足を踏み入れたのは昼のピークタイムが過ぎ、客足も途絶えて源二が遅い昼食を摂ろうとしたタイミングだった。
「らっしゃい」
源二が声をかけると、青年はふんふんと鼻を鳴らし、
「なんか匂うな」
などと言いながらカウンター席に腰を下ろす。
「親がこの店はすごいから一度行ってみろとか言うから来てみたが、ただの飯屋じゃねえか……」
そうぼやきながらメニューを開く青年を、源二は注意深く観察していた。
じろじろ見ていてはクレームになる。それでも、気取られない程度に視線を投げ、どのような客かを推し量る。
見た感じ、着ている服やギラついた装飾品はハイブランドのもののようだ。このような手合いに多い、高級な香水を過剰に付けている、という雰囲気はなかったが、源二がいた令和の時代に比べて匂いに敏感なこの時代の人間はどちらかと言うと無臭を好む傾向があるらしい、ということを思い出し、逆に消臭剤の類を使っているのか、と考える。
消臭剤を使ったところで何かしらの体臭が出るのが人間だ。汗をかけば皮脂と混ざった匂いがするし、安物のシャンプーを使えば香料が強く匂う。高級な消臭剤は汗の成分を即座に分解するとかで、よほど短時間で大量の汗をかかない限り長時間汗の匂いを防ぐことができるという。
——その点で、この青年は「無臭」だった。口腔ケアもしっかりしているのか口臭もなく、汗はおろか皮脂の匂いも一切しない。ここまで人間が無臭でいられるとなるとよほど高級な制汗剤や消臭剤を使っているな、と判断できる。
義体は逆に独特の匂いがある。機械パーツや人工筋肉に使われている循環液の匂いがほんのわずかに漂っている。
これはごく普通の人間には感知できるほどの匂いではないが、人一倍味覚と嗅覚が鋭い源二には嗅ぎ分けられるものだった。だから腕を義体化しているヨシロウや全身義体のカスミは近くにいると匂いで分かる。
この青年は、いや、この青年の家はかなりの富裕層だ。身に着けているもの、使っている薬品でそれは分かる。
だが、問題は彼の人格だ。
両親から何不自由なく、何もかもを与えられて生きてきたのだろうか。振る舞いは粗暴で品位の欠片もない。厳しい両親なら跡取りとして恥ずかしくない振る舞いをするよう徹底的に教育するはず——と考え、これは代々の金持ちではなく、一代二代で財を築き上げた成金か、と判断する。
元の時代でもそういう成金はよく見かけたし、バカ息子のせいで没落した家、会社もあったらしい。
そういえば元の時代で勤めていた会社も専務が親の七光り入社したバカ息子で社員に煙草を買いに行かせるなどパシらせるのはうまかったよなぁ……と思い出す。
あれ、他の社員が告発するとかして会社自体吹っ飛んでくれないかなあ、などと思いつつ、源二は青年の出方を窺った。
「おい、水は?」
メニューを見ていた青年が、唐突に源二に声をかける。
「お冷はセルフサービスとなっております」
その瞬間、青年がキレた。
「はぁ? この店は客に水すら出さねえのかよ!」
「だからセルフサービスですので」
流石の源二もカチンときたが、務めて冷静に同じ言葉を繰り返す。
——と、同時にヨシロウに「緊急事態、カメラ確認頼む」とショートメッセージを飛ばす。
「あのさあ、俺が誰か分からないの? BMS用ナノマシン出してる『マイクロピース』の社長の息子だぜ? いいか? 次期社長を前にしてんだよ?」
「……はぁ」
いまいちピンと来ず、源二は間の抜けた返事を返してしまった。
それが逆鱗に触れたのか、青年は烈火のごとく怒りだした。
「それが次期社長を前にした飯屋の態度か! もっと丁寧に水を出して敬うものだろ!」
「っても、社長じゃありませんし」
即座に源二が返答する。それも、わざと怒らせるような発言で。
青年の態度に、源二の我慢も限界に近かった。
ここで常連客の誰かがいればこの青年を叩き出したかもしれないが、今ここにいるのは源二のみ。
さて、どうしてくれよう、と源二ははらわたが煮えくり返る思いで考え始めていた。
こんな奴に食わせる飯はない。他者に敬意を持てない、親の権威を振りかざすしかできない人間にはお灸が必要だ。
そう考えると今この店に誰もいないことが幸いしているような気がする。
そう決めると源二の行動は早かった。
「お帰りいただけますか」
源二の口から出た言葉は驚くほど低く、冷たかった。
「っ」
源二の言葉の冷たさに、青年が一瞬怯む——が、すぐに顔を真っ赤にして源二に盾突く。
「たかが飯屋のおっさんが偉そうに言ってんじゃねえよ!」
「てめえに食わせる飯はねえ! とっとと帰れ!」
源二も吠えた。
完全に堪忍袋の緒が切れた。
基本的に来るもの拒まずをモットーとする源二でも限度がある。
この客は「食事処 げん」にとって不利益しか生まない。
「お客様は神様だ」とは元いた時代によく言われた言葉だが、神は神でもこの青年は疫病神である。料理を出したところで粗末に扱うのが容易に想像できて、源二は完全に追い出すモードにスイッチが入っていた。
「はぁ? 飯屋のおっさんが何イキってんだよ!」
「料理人を大切にしねえ奴は客じゃねえってんだろうが!」
「何古くせえこと言ってんだよ! たかがプリントフードだろうが!」
「分かってねえな! うちは味覚投影オフで食える飯なんだよ!」
もう、互いに自分たちが客と店員であることを忘れて怒鳴り合っている。
そこへ駆けつけたヨシロウは「あーあ……」とため息をついた。
何が起こったかは移動中に防犯カメラを確認していたので大体把握している。これはキレた源二も悪いが横柄な態度をとる青年の方がもっと悪い。
カメラについていたマイクの音声から、青年がどこの誰かは把握していたので、ヨシロウはこっそりと動画を匿名で両親に送り付けた上でマイクロポストSNSにも「『食事処 げん』で暴れる汚客!」と投稿しておく。
とりあえずはこれだけでも青年の家と会社には打撃を与えられる。SNSでの「食事処 げん」の人気は高く、源二の人柄はSNSでも「昔気質の気のいいおっさん」で愛されている。
源二がキレたのは想定外ではあるが、青年の暴言は目に余るものがあるので「店員が客にキレた」よりも「客、それも次期社長が人気店でもめ事を起こした」という話題の方が火種となる。
案の定、SNSでは「『マイクロピース』の次期社長でイキってる奴じゃねーか」や「あのタイショーがキレるとかこいつ酷いな」などといったリプライが続々と寄せられ、あっという間に炎上が始まっている。
ある程度拡散されたところでヨシロウは青年に歩み寄り、トントンと肩を叩いた。
「そんくらいにしとけ。炎上してるぞ」
そう言いながら、青年に炎上している投稿を共有する。
「は? このおっさんがナマ言って——」
鬼の形相で振り返った青年だったが、共有された投稿を見た瞬間硬直した。
「な——なんだよこれ!」
「見ての通り、お前さん炎上してるぞ。こりゃー会社も無事じゃすまないだろうなー」
そう言ったヨシロウの声がやや棒読み気味だったのは気のせいではないだろう。
「てめっ、余計なことを!」
激高した青年がヨシロウに殴りかかろうとする。
その拳をあっさり受け止め、ヨシロウは軽く振り払った。
「ガキは帰んな。ゲンジは《《真っ当に》》生きる奴には優しいが、てめぇのような根性の曲がった奴には厳しいぞ。一回痛い目見て反省するこったな」
「くそ——!」
一対二では勝ち目がないと悟ったのか。
青年がどん、とヨシロウを押しのけて店を出ていく。
それを見送った源二がほっと息をついた。
「助かったよ」
「お前があそこまでキレたら手を出さずにはいられんだろうが。お前も大人げない」
「すまん」
ヨシロウから投稿されたものを共有され、源二も投稿を追い始める。
「普段のお前の人柄のおかげでお前に対する批判はあまりないが、それでも客に怒鳴る店主ってことで苦言を呈してる奴はちらほらいるな。ま、この辺は常連が火消ししてくれるだろ」
あいつら、訓練されてるようなものだからと続けるヨシロウに、源二も苦笑して頷く。
「しかし、この店も厄介な客が来るようになったな」
「まぁ客の全員が良客ってことはないだろうよ。だが、ああいった手合いに対する対処も慣れた方がいいかもな」
ああ、と源二が再び頷く。
「何度もお前や白鴉組の力を借りるわけにはいかんからな。気を付ける」
「じゃー気分転換に甘いもんでも食うか。ゲンジ、パフェ作ってくれ。お前も食うだろ」
「俺、昼飯まだなんだが」
戻ってきたいつもの空気にほっとしつつ、源二がヨシロウのリクエストに応えてパフェを出力し始める。
それを見ながら、ヨシロウは、
——ゲンジもごく普通の人間で安心した。
そう、ふと思うのだった。




