第1話「卒業式と、少し離れた場所の“誓い”」
三月――。
晴れ渡る空に、舞い散る桜の花びら。
公立高校の卒業式を終えたばかりの制服姿の少年は、胸ポケットに一通の返事を忍ばせながら、駅前のロータリーを振り返った。
「……来てくれた、んだ」
遠く、街路樹の影から顔を出したのは、帽子を目深にかぶり、マスクとサングラスで変装した女性。
だが、彼にはわかっていた。
その歩き方も、身のこなしも。
そして、なにより――声。
「やっと、会えた……。ずっと、会いたかったです」
そう告げた少年の名は、神谷 悠人、18歳。
そして、変装の奥にいたのは、声優界で多くのファンを持つ実力派――結城 ほのか(ゆうき ほのか)、30歳。
⸻
出会いのきっかけは、彼が16歳の夏に観た一本のアニメだった。
物語のヒロインを演じていたその“声”に、胸が高鳴った。
画面の中から届くその声が、まるで彼の心にだけ語りかけてくるようで。
毎週放送があるたび、彼は録画を繰り返し、何度も再生してはその声に浸った。
そして彼は、毎回丁寧にファンレターを送った。
「好きです。あなたの声に惹かれました。結婚したいくらい、好きです」
その想いは、まっすぐで、どこまでも純粋だった。
だが返事は来なかった。それでも彼は書き続けた。
高校生活の3年間、勉強も部活もこなしながら、ひたすら言葉を綴った。
そんなある日――
卒業を控えた2月の終わりに、一通の封筒が届いた。
差出人の名前には、彼が知る“あの名前”が、小さく書かれていた。
「――卒業、おめでとう。あなたの手紙、ずっと読んでました。
…もしよければ、卒業式のあと、駅前のロータリーに来てください。
その日くらいは、“私”として、あなたに会ってもいい気がしたから。」
⸻
そして今――その日が来た。
桜の下、彼女はそっとサングラスを外した。
見えたのは、画面の中でしか見たことがなかった、けれど、彼が何百回も夢に描いた“あの顔”。
「本当に、来てくれたんですね……。嬉しいです」
「……まさか、本当に卒業式に呼んでくれるなんて。高校生のファンに会うなんて、普通は……しないのよ?」
「でも、僕は“ファン”じゃありません。僕は――本気で、あなたを愛しています」
静かに息をのむ彼女。
そのまなざしに、嘘はなかった。
戸惑いも、恐れも、誠実な想いの前に押し流されていく。
「こっちです。…少しだけ、移動しましょう。人目のない場所に」
⸻
駅から徒歩5分。
商店街の裏手にある、小さなカラオケボックス。
彼がバイト代で予約しておいた個室。
部屋に入ると、誰もいないことを確認し、そっとドアを閉めた。
「ここなら…誰にも見られませんから」
「……本当に、用意してたの?」
「はい。ずっと、今日という日を信じてたんです。
あなたと、ちゃんと向き合えるこの瞬間を」
そして彼は、ポケットから取り出した小さな箱を差し出す。
中には、安物の指輪。
でも、それは彼の三年間の想いが詰まったものだった。
「結城ほのかさん。僕と――結婚してください」
「……っ」
「僕、まだ高校を卒業したばかりで、あなたより12歳も年下で。
社会的にも、立場的にも、なにも釣り合ってないかもしれない。
でも、僕は本気です。好きなんです。
あなたの声も、姿も、生き方も、全部、愛しています」
彼女は唇を噛みしめていた。
芸能人として、声優として、年上として。
あらゆる理性が「やめなさい」と告げていた。
けれど――心の奥では、たしかに彼の言葉に揺らされていた。
「……ふふ。あなた、ほんとにバカね」
「はい。大バカです。あなたしか見えてませんから」
「じゃあ、いいわ。……バカと結婚してみるのも、悪くないかもね」
その瞬間――
彼女の薬指に、小さな指輪が光を帯びた。
ふたりだけの、誰にも言えない極秘の誓い。
“交際0日婚”という常識破りの物語は、こうして始まった。
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