その12
あの長く、狭い日から何ヶ月がたったのだろうか・・・。
受験者一人一人が軍警備のもと帰宅の戸についた後、テレビ放送で既に帰宅した受験生がインタビューに答えていた後も、ロードへの尋問はスタインがV-53sのフライトレコーダーの解析結果を手に現れるまで延々と続けられた。
机上のパソコン、フライトシミュレータ用コントロールスティックは埃を被っている。
どうにもあの日から、手が出ないままでいた。
眼を閉じれば、あの日の機動の全てが、眼に映った全てが異常なまでの現実感を持って甦る。
旋回時の染み出すような血の匂い。
脳髄、骨を通じて直接殴られたような衝撃。
剥ぎ落とされるような、意識の遠退く感覚。
何よりあの日からロードを苦しめているのは、あの時感じた・・・。
眠り、起き、眠る毎日。
本来の合格者発表の期日は既に過ぎている。
しかし、未だに軍からの発表は行われていない。
実際、軍でも対応に苦慮しているのが実情だった。
『今年の採用は流れるだろう。』
前代未聞の大事件に巻き込まれてしまったのだから、大方の予想は当然といえば当然。
だが、ロードの心を過ぎるのはパイロットそのもの になることへの不安だった。
あの戦闘は、ロードのハンデがあることをも覚悟した、硬い意志さえ揺るがしてしまったのだ。
何ヶ月経とうとも結論は出ないまま。
パイロットになることを断念するか、どうか。
長い間、自分の人生・経験の全てから微かに見えた、光る道。
正しいと思える道。
論理では解かっているのだ、それが正しいと。
しかし、感情が、あの10分にも満たない時間の中で感じた一つの感覚がロードの足に絡みつき、前に進ませない。
しかも、よほどロードにとって地獄であるのは、その感情にしたがってもいい、ということを多くの面で論理さえも認めているということだった。
あの日、スタインがV-53sの全飛行解析記録を手に現れた日・・・。
ロードが抜け殻のようになり、マスコミの去ったあの真っ直ぐに開けた道を雪に濡れながら歩いた日。
電車の中で、試験の朝会った同級生の娘達が話しかけて来ても、何を自分が口に出したかさえ思い出せないあの日。
真っ暗な空のもと雪に濡れながら、家への暗い道を、足元しか見ずに歩いたあの日。
あの日、ロードは初めて、母が自分のために泣くのを見た。
その顔は、ロードの感覚に覆い被さった厚く冷え切った緞帳を容易に貫いてしまう。
思ってもみなかったことが、ロードの感情を瞬時に溢れさせてしまった。
何も言えず、ロードは走って自分の部屋に篭もってしまった。
けれど、ベッドで布団を被ってしまっても、じっとしていると聞こえてしまうのだ。
男っぽく、さばさばした性格でとにかく不器用な、あの母が。
それは、ロードには痛すぎた。
そして、受験生から死亡者まで出してしまったあの状況で、今こうしていることは運が善かっただけなのだと痛感させられる。
次はない。
けして抜け出すことの出来ないジレンマのなかに、ロードはもう、ずっと同じ思考を繰り返していた。
ロードが決断を迫られた日。
スタインと二人の軍関係者がロードを訪ねてきたのは、冬が終わりを迎えようとしていた頃だった。
雪はまだ解けきらず、道路は白いままだったが空は晴れ軒下を出る時は雨樋を伝う雪解け水が、しばしば首筋に入った。
テレビのニュースではもうあの話題が取り上げられることも無くなっている。
しかし今も、テレビカメラの前で泣き崩れる、亡くなった受験生の両親の映像が瞼に焼きついてしまっている。
反エルドシン感情を煽るためだけの映像の作り様、コメンテーターの論調・解釈・結論。
うわべなどロードにはすぐに見抜くことが出来た。
彼らが語らない所にロードの真実があった。
あの場にいなければけして分からないだろう真実が。
最早、ロードにとって彼らの様子は他人ごとになど見えなかった。
時間という社会の目安をロードは既に忘れてしまっていた。
しかし、母が仕事へ行かなかったのでかろうじてロードはその日が日曜だと知ることが出来た。
昨日の残り物で朝食を済ませロードはまた自分の部屋へ戻った。
窓際から外を見ると道路に止まっている車の助手席に女の人が乗ろうとするのが見えた。
見覚えがあった。
ロードの家の少し西側に住んでいる子だった。
ロードとは同級生で幼稚園から、中学までが一緒だった。
小学校に入るまでは毎日のように、よく遊んだ記憶がある。
小学校に上がってからは、遊んだという記憶は全くなくなってしまったが。
椅子に座りなんとはなしにそちらを見ていると、運転席のドアが開き男が降りてくる。
彼もロードの中学の同級生だった。
自動販売機から飲み物を買おうとしている。
二人とも今は何をしているのか。
付き合いの良くないロードにその線の情報源は無かった。
戦争状態にあるとはいえ、カーヴィナスはあまりに長い間戦ってきたため、人々にとってそれは当たり前のようになっている。
そもそもここから、南東に長く伸びるような大陸の全てを国土とするカーヴィナスにおいて、軍関係の従事者が占める割合はさほど多くはない。
それは、長い戦争の歴史の中で両軍の戦力がぶつかるのが中央平原に限定されるからである。
陸路エルドシンを攻めようとすれば必ず“そこ”を通らなければならず、それを阻止するため制空権を奪い合う戦闘機同士の空中戦が絶えない。
どちらが優勢になることも無く、硬直状態が長い間続きすぎたため、使用されない陸軍は減少の一歩を辿った。
海上はというと大陸の周りを囲むような電離層高密度帯と、原因不明の電子機器誤作動帯とによって直進することでさえ困難な状況。
船でさえそうだったのだから、航空機が海上を飛ぶことは自殺行為に等しい。
結果、両軍共に航空戦力だけが特化してゆき、いつの間にか空軍だけでその大半が占められるような状態になってしまっていた。
多様性を失った軍は規模を縮め効率的に、また洗練されていった。
だから、多くの人は軍と無縁の職業に就いていた。
敵襲を受け受験生が死亡していようと、今見ている事がカーヴィナスで言うところの普通なのだろう。
ロードの記憶の中には決してない、ロードの知らない眩しい笑顔。
多くのパイロット達は、あのような一般人・大切な人・カーヴィナスの平和を守るためパイロットになったと語り、そして、死んでゆく。
ロードにその感覚は分からなかった。
ロードは今まで恋人・彼女と呼ぶことが出来るような付き合いを持ったことがなかった。
ロードにとって命を投げ出しても守りたいと思える者などいなかった。
唯一、母の顔だけがロードの目に浮かぶ。
半ば形骸化、儀式化した中央平原での航空戦で無意味に死にたいなどとは、全く思わない。
浪人してまでわざわざ死地に赴きたいなどとは思ってもいない。
自分だけが人並みの幸せをわざわざ諦める必要がどこにあるだろう?
しかし、それはロードの中心となる精神に触れるモノですらないということはロード自身が一番よく解っていた。
ロードの根底にあるものは、そんな常識程度の障害など飛び越えてさえ向かわなければならない”想い”があることを明確に肯定しているのだ。
それは、ロードの中ではすでに、論理にまで昇華されている。
しかし、それほどまでの“もの”に拮抗できてしまう“もの”をロードは、あの戦闘で自分の中に見つけてしまった。
そして、思いもよらず自分に向いていた感情を、突然実感させられることで結論に至る道は自らの尾を咥え、ロードをループへと誘いこませてしまったのだ。
「わざわざ僕がやらなければならない理由が何所にある?」
(しかし、僕がやらなければ、全てに意味が無い・・・。)
たった一つの、硬く強固な”意志”さえなければロードは窓から見える二人となんら違いはないのだ。
(現状を維持するためだけの人柱。)
「その役割を、利用してまで為さなければ、向かわなければならない場所。」
庭先に止まった黒い車から、スタインと、もう二人の軍服が降り立ったとき、ロードはなんとは無しに、パソコンのあるファイルを開き、眺めていた。
「ウェイが民は死に絶えた。
ユーデリヒ、サンベイジの丘。
神官の長、サフェイド・カーヴィナス・ヤープは神の言葉を語る。
呪われしウェイ、彼の者達は神の民たる使命を捨て去った。
我はこの地を去るが、そなた等が民にこの聖地を守る使命を与える。」
経典をそこまで読んだ時、階下から大きな母の声がかかるのだった。
「ロード! お客さんが来てるよ!」
「今行くよ。」
ロードはパソコンをスタンバイ状態へと移行させると部屋をでる。
消える寸前のディスプレイには選択指定された文書ファイルの一文が目立っていた。
“何故に自らに痛みを課す誰もが歩まぬ天界への大路を行かれるか?”
「僕は答えを持っている。
それは、世の風潮が自己の享楽を追及に向かう中、他者のために自ら苛烈な道を歩む者の背中を知っているから。
自分がそんな人達の努力と犠牲の上に胡坐をかいて生きていることを知っているから。
そんな人達を食い物にして、生ぬるい絶望に酔い、目も開けずに世界を卑下したくはないから。
自分を支えている者を見下す様な道を僕が歩むことは、僕の心が許さない。」
「・・・という訳でして、率直に申しますと、空軍としてはあのような状況なってしまいお詫びの申しようもあるませんが、是非!!ロード君には軍へ入隊して頂きたい訳なのです。」
メガネをかけた軍仕官は自己紹介から有無を言わせず、そこまで捲くし立てた。
今回の訪問はいつもとは明らかに様子が違っていた。
試験が終わってすぐのころは毎日入れ替わり立ち代り軍関係者が謝罪に現れたが、最近その頻度はめっきり少なくなっていた。
スタインは静かにロードを見ている。
ロードは応接間の深いソファアに座り体を前傾させたまま、自分の足元しか見ていない。
「はぁ、・・・けれど、・・・ロードはどうしたいの?」
母がロードの左側から聞いてくる。
母はロードが空軍に入隊するためにどれだけ努力したかも、もちろん知っている。
何の気持ちの引っかかりも無ければ、母は今回の軍からの申し出を素直に喜んだろう。
ロードはもう気付いていた。
母はロードの答えに今しばらくの希望を託しているのだ。もしかしたら・・・、という。
ロード自身、今まで自分がやってきたことが何のためであったのかも解かっている。
「・・・・・・。」
しかし、単純に出すべき答えがどうしても出てこない。
一つの思いがロードを立ち止まらせていた。
「ロード君が過去、我が軍の採用試験を受けているのは知っています。
過去の試験ではメガネ着用のために他の面の適性が評価されておりませんでした。
我々は改めて過去の試験結果を見直しましたが、十分に適性を満たすものでした。
全く、何故今まで我々の網をくぐり抜けてしまっていたのか不思議で仕方ありません。
ですから、ロード君が軍に入隊して頂いた暁には、今まで負担されました学習費用などの諸費用はこちらで保証させて頂きます。
その相談もありまして、他の合格者には郵送通知だけで済ましていましたところを、直接我々が伺った次第です。」
まったくロードを説得に来たような口ぶりである。
しかも、言葉の端に出てくる“ロード君”という馴れ馴れしい呼び方は親しみよりもむしろ、相手に対する嫌悪感をロードに抱かせる。
「・・・・・・。」
ロードはその話を聞いてはいたが、この申し出のためにますますロードの心の中は渦を巻きループから抜け出せなくなってゆく。
ロードの決心は今や、自分の進むべき方向を決めるというよりも、二者択一で現実を選ばされているのと同じであった。
一つの道、正しいとかつて信じた道は限りなく危険で先が見えない。
「ロード君・・・」
「待て。」
また話し始めようとした士官をスタインが制止する。
「?」
スタインは立ち上がりロードに言う。
「ロード君、少し二人で話そう。」
そう言うと、ドアから玄関の方へ歩いてゆく。
「え・・・?」
不思議と、先程の士官に言われたものと同じ言葉も、スタインが口にすれば嫌悪感は沸いてこない。
ロードは彼らが訪れてから始めて顔を上げる。
ロードはそこで、改めて目前に座る二人の士官、その制服、その雰囲気とでもいうものにこの場への違和感を覚えずにはいられなかった。
「さぁ。」
スタインの意図がよく解からないままでも、ロードは言われるがままに立ち上がってスタインの後に続く。
「・・・ハーノクス君、どうするにしても気にするな。」
「はい?」
驚きと共にロードはその発言を聞くことになった。
「あの時の試験に参加していた、厳密にはあの時、空にいた受験生だが・・・、全員採用を辞退している。」
「!!」
ロードの家の前は川になって、その先はここよりも一段低い小さな盆地になっていた。
その先は丘がいくつか、雪をかぶって転がっている。
白と黒だけの色彩を持つ景色は見た目に引き締まって見える。
パーシ郊外の開けた遠い景色を、目を窄め見ながらスタインは、淡々と語り出した。
「残っているのは君を除けば、そのとき地上にいた目の前で起こったことの意味も解からない、想像力もないバカだけだ。」
「・・・・・・。」
沈黙。
雪景に降り注ぐ暖かな日差しの中、鳥の囀りだけが溶けかけた雪に染み込んでゆく。
「・・・急激な左右の切り返しは、自機を無理やり敵機の視界から隠すための、伏線。」
「・・・?」
スタインは独り言のように呟く。
「その間に急減速・急上昇、敵機をオーバーシュートさせる。
・・・まったく・・・、予測はしていてもその時までは始まったことさえ気付くことが出来ない。
単純だが、人間相手ならば絶対的に効果を発揮する・・・、クソッたれな戦術だ。」
「それが・・・?」
「No.1 エリクスンが多用する機動戦術・・・。」
「なっ?!!」
その通りだった。
「私は、T.REXだよ。・・・エリクスン。」
「っ?!!」
言葉が出てこない。
T.REXそれは、ロードの知識で言えば、ネットワーク・シミュレータに於けるランキングNo.2を誇る者のコールネームである。
その言葉の意味するところが、どういうことか。
ロードに考える暇さえ与えずにスタインは言葉を続ける。
「君に入隊を無理やりに勧めることは、私には出来ない。」
「・・・。」
「わかるからな・・・。」
スタインの言葉は、不意に口をついて出た呟き。
小さく、はっきりとはしないがロードにははっきりと聞き取ることが出来た。
昂ぶった感覚と、スタインの存在、続く沈黙にロードの集中は否応なく記憶を巻き戻してゆく。
右手にサイドスティック、左手にはスロットルを握る感覚が甦ってゆく。
筋肉への微妙な指示のタイミングと、力まかせに動かしてしまいたくなる衝動を堪えながら慎重に縛りを解いていく精神面での操縦技術。
旋回するためにバンク角をとる機体、縛り付けられたコックピットの中で重力に傾く体と機体をラダー―ペダルを踏み込んで支える。
追いかける敵機のアフターバーナーの閃光と軌道が、蛍火のように浮かび上がり、敵機機動への瞬時の“先読み”が体を敏感に反応させる。
薄れゆくロードの現実は、だんだんと記憶の再生へとすり替わってゆく。
ロードの目に、恐ろしい程の現実感を伴って“あの時間”の記憶が甦る。
それは過ぎ去った時間の長さには関係がなかった。
時を経ることによって薄れることなく、それは逆に鮮明になってさえ見えるのだ。
それはロードを恐怖のループに幽閉する元凶となるものである。
ロードは、あの空間を今一度思い出さねばならなかった…。
ロードは素早く・鋭く・深く考えていた。
熟練の技術を持つ敵を相手に、この状況を回避・逆転させえる機動・・・。
(動き出しは絶対に見られてはいけない。)
しかし、その思考は背景で流れる自分の思考に邪魔される。
(生きて帰るには、後ろを取らなければ!)
(基本はオーバーシュート・・・。)
状況を把握し、理路整然と組み立てられる対抗策と、乱雑で整理のつかない思いだけを叫ぶ自分自身。
ロードの時間は多次元化され、複数の思考が様々な条件の下に同時進行し、その中から言葉を介さない直感が答えを導き出そうとしていた。
(あんな、腕利きを相手に常にミサイルロックから避け続けることなんて不可能だ。)
(機動は何を使う・・・。)
(助けてくれ!)
(今、奴の頭には何がある?)(速度失っても、他からの攻撃はない。)
(もう来るな!)
(どう動くのが楽だ?どう動いて欲しくない?)(周りに敵機の影はない。)
(早く撃墜しなければ、こちらがやられる!)
(確実にオーバーシュートさせる。)(戦術で追い込まれているのはこちらだ。)(どんな位置でもいい、撃ってプレッシャーをかけなければ。)(機体を止める。)
(やられる!)
(中途半端で追随されたら、確実に死ぬ。)(近づきすぎた機銃戦では戦況が変わりやすい。不確定要素が多すぎるぞ。)
(落としてしまえば、空域はクリアだ!)
(相手の頭に絶対にない・・・でも、・・・くそっ!なるようになれっ!!)
ロードはローリングシザースの要領で巻き込むように機体をロールさせ、左に向かって切り返す急旋回をかける。
失速警報の鳴り響くコックピット、強力な旋回によって機体速度が急激に低下していた。
ロードを追いかけるユーネスは、すでに双発機であるV-53sが飛行安定性の上で有利となる低速域での戦闘にまで引きずり込まれていた。
(これで機体を隠しっ!!)
急激な切り替えしによって、ユーネスの視界からロードの位置は死角になっていた。
右旋回を続けるユーネスからは、HUD下方にV-53sが消えていったように見える。
「・・・・・・」
あごを引き、腹に力を入れ急激な機動による強力なGに耐える。
(ブレーキ・・・っ!)
スロットルをぶつけるように勢いよく、完全に閉じるてしまう。
そこから、スロットルレバー自体をガクリと45度ほど立たせるとV-53背面のエアブレーキが展開、風に抗う帆となる。
エアブレーキに掻き取られた風は行き場を無くし、突如として空気抵抗を増した機体は急減速し始める。
ロードの体にシートベルトが喰い込むよりも早く、ロードはスティックを右手元に引き込み、一動作で機体を正確に水平にしつつ強力なピッチアップをかけた。
カーヴィナスV-53では、唯一・・・技術試験機にだけ装備された推力偏向ノズルは、機体の尻にピッチアップのための回転モーメントを加える。
機体の翼面から気流は剥離し、渦を巻いた気流が荒れ狂い、気圧低下によって白い筋雲を生み出す。
一瞬の強力なGと、ズパッという風切り音によって、慣性と粘りつく気流を軽々と振り切り、V-53sの機首は瞬時に碧空を仰ぐ。
「くうぅっ!」
機体は120度もの大仰角・飛行不能状態なのだが、水平方向へ残った慣性によってスライド飛行を続ける。
翼面は揚力を生み出さず、機体は既に飛行していない。
巨大な凧と化したV-53sは碧空の背景の中、空中に静止しているように見えるだろう。
その様は鎌首を持ち上げる蛇の如し。
これこそ、世に有名な失速後機動、”コブラ”である。
世界にこれを上回る減速機動など存在しない。
追いかけるユーネスは、V-53sの超減速によっていやおうなくロードの目前に追い立てられてしまう。
ニアミスにも等しい絶対距離100ftという近距離で、V-53sの真下をユーネスが通過する。
上下反転した視界の中、広がる台地を背景にユーネスの反射光が過ぎる。
ロードは今、この時まで敵機の確認さえ不可能な機動をしていたのだ。察知されれば、狙い撃ちにされていただろう博打的機動戦術である。
しかし、ユーネスが今そこにいるということは戦術の根本が成功したことを意味している。
今からユーネスがオーバーシュートを回避する術はないのだ。
すでに機体は空気抵抗の差によって、自動的に水平飛行へと回復しようとする兆しをあらわし始めていた。
スロットルコントロールによって長時間のコブラ機動による操作不能に陥ることを回避していたロードは、ここに到りスロットルを全開・爆発的なアフターバーナーの推力に虹彩を引き連れ、ユーネスの背後に迫るべく加速に移る。
(右旋回からの急激な切り返し・左旋回によって、敵の目から自機を隠しエアブレーキとコブラ機動による超減速で敵機をオーバーシュートさせる・・・。)
これがロードの行った機動戦術の“意味”だった。
状況も把握できず、低速域で加速も鈍っているユーネスの背後で、獲物を見下ろすようにV-53sの鎌首がゆっくりと降りてくる。
「・・・勝った、か?」
すぐさま、レーダーロックのためのコンテナがユーネスの単発ノズルを追いかけ始める。
ロックオンが完了されれば、敵機が不規則回避機動・ジンキングを始める前に撃たなければならない。
そして、サイト中央にある敵機をロックオンするなんてことは、コンテナが敵機を追いかけ始めてから一秒とかかりはしない。
その、肺半分にも空気を吸えない短い時間の中で・・・、ロードは仮想と現実の違いを痛感することになるのだった。
見ようとする意思が目の水晶体の厚みを変化させ、焦点を対象に合わせる。
機能的に劣ったロードの近視の目でさえもが、健気にその意志に反応する。
その変化は、ロードの目を監視していたカメラに捉えられ、ヘッドマウントディスプレイに映し出される外部カメラ映像が半透明なウィンドウに拡大表示されてしまう。
ロードには読み取れてしまうのだ。敵機キャノピーの中、忙しなく周囲に視線を飛ばすパイロットの思考が。
ロードは今さら理解する。そこには“自分と同じ者”がいた。
「くっ!」
打つ、か・・・?
でも、死ぬんだぞっ?!
しかし、見逃してしまっては・・・立場を逆転され、こちらの脅威になりかねない。
くそっ!!余裕がないっ!
下ろした機首をユーネスの背後に向け、背後に滑り込むにつれて、敵機パイロットの様子は敵機のヘッドシートが邪魔をして見えなくなる。
当然あるだろう決断の時を、今の今まで忘れていた自分の迂闊さ、否応なく迫る”その時”にロードは混乱し、錯乱し・・・、ロードの視界は滲む。
こんな、目の前になって・・・からっ!!
気づくなんて・・・。
未だロードの思考はバラバラに砕かれた言葉の破片で埋め尽くされている。しかし・・・、
ピッピッピッ・・・ピーーーーーーーー!!
ミサイルロックを告げる電子音が薄茶色の瞳を映し出したのは同時だった。
ロックオン。
「はぅっ・・・!」
反射的だったのか、決心して行ったのかはロード自身にも判らない。
が、抜けるような息を吐き出したロードの右親指は、確かにミサイル発射ボタンを押し込んでしまっていた。
焦点を失ったイヤホンから響いたのと、ズーム映像がシートの陰からこちらを振り向いた敵機パイロットの瞳に反応して、拡大表示された映像ウィンドウも消える。
押し潰されるような虚無。
手ごたえの全くない、まさしく空に居るかのような感覚にロードの頭では全ての事象がただすり抜けていくだけだった。
・・・しかし、それは 長くは 続きはしなかった。
「・・・おかしい。」
ヘッドアップディスプレイにはミサイル発射を示す表示が点滅している、にもかかわらず敵機に向かい伸びて行くはずのミサイルの航跡は一向に現れないのだ。
ロックオン状態は継続していたが、迷いつつもう一度発射ボタンを押してもディスプレイ上での変化は確認できても、ユーネスは依然目の前に健在している。
悪い予感が頭をもたげ始めた。
「・・・まさか・・・。」
今まで敵パイロットの命を気にして躊躇していたことが、偽善だったと思える程にロードは迷いもなくトリガー・火器発射ボタンを連打する。が、やはり反応が無い。
「エマージェンシー!! ミサイル発射! シュートっ、・・・ウェポンフリー!FOX-2!」
機動戦術を多少知っているロードでも、機体システムについての知識はけして明るい方ではない。
もしかしたら、解除コードが必要なのかもしれない、という微かな希望に、思いつく限りの命令コードを叫びながら、ミサイル発射ボタンを連打する。
が、無情にも敵機に向かって伸びてゆく筋雲は現れない。
機銃発射トリガーに至っては、先程から引いたままの状態なのに、V-53sの砲口は沈黙を続けている。
このタイミングで撃墜できなければ、火器が使えなければ、どんなに敵機の背後を取ろうともロードを待つのは撃墜される結末でしかない。
しかし状況は、“シミュレーション”ならば当然装備されているはずの火器が、一つとして装備されてはいないという“現実”を示していた。
試験機・技術試験機というこの機の立場が最後の最後に来てロードにとどめを刺すことになった。
自分の身、肌を破り、喉元・眼前に形を持った死への恐怖が突きつけられた。
(どうする!)
(どうしよう!)
(どうすれば!)
(ここから、逃げる…)
(逃げられるのか?)
(旋回性能は?)
(向こうが上)
(此方が動いた途端、反転して背後から狙われる。)
(では、どうすれば!)
乱れた思考では基地がどの方向へあるのかさえ判らない。
機首は中央平原、西に向いていた。
大まかに考えればカーヴィナスは東。
が、そこへ向かうにはユーネスに背中を向けることとなる。
そんなことは、とてもではないが出来はしない。
例え戦術的優位な位置に自分が居ようとも、そこは薄氷の上、決して自ら動きひびを入れてはならないのだ。
既に読み切られている、敵が“詰む”ための次の一手、それを回避し続けるには此方が王手を打ち続けなければならない。
(もしかしたら、燃料が無くなって帰って行くか?)
そんな、望みを無理やりに持ってみるが、機銃戦の間合いとは五秒もあれば逆転可能であるということを、身に染みて知っているロードにとって、それは遠い時間の先である。
(そうだ、このまま、投降を呼びかければ…)
鼓動が、ひどく早くなっていることにロードは気付かない。
(そんな、手に乗る相手ではない…)
視界が、鼓動に呼応して赤い明滅を繰り返していることにロードは気付かない。
(武装が無いことを、教えるようなものだ…)
ロードに残された希望は、どれも自分ではどうすることも出来ない他力本願なものだけになってしまっていた。
・・・・・・異常に長い時間がロードの体と心に絡みつき、ロードの力を奪ってゆく。
ドドドドドドド・・・
(・・・。)
真紅の視界、ループを続けるロードの思考が、避けていたある答えに到った時、鼓動はそれが現実だと示すかのように一つ大きく脚を踏み鳴らす。
(このまま、死ぬのか?)
ドクンッ!!
結末がロードの頭を過ぎり、鼓動と共に奥歯がガチガチと音をたてて鳴った。
(・・・。)
(・・・。)
ドドドドドドド…
恐怖の鼓動に遮られ、止まった思考。
今や、目から入ってくる映像は、情報を伴わない“ただの絵”としてしかロードに認識されなくなった。
一瞬を切り取ったように、動かない真紅に染まった絵。
(これは、夢か?)
もはや、ロードには敵機の機動を予測するだけの思考は動いていない。
しかし、目は、手は、体は機械のように、常に正確に、不規則動作を繰り返す敵機の背後に自分を導いていた。
とてつもない速さで、正確無比に動く体とは対照的に、そこに言葉は流れていない。
しかし、遂にそれさえもが、だんだんと光を無くし始めるのだった。
早鐘のような鼓動と、恐ろしい早さで動く四肢、血液を絞り上げる筋肉が体中の酸素を消費してゆく。
しかし、今まで、うるさいほどに聞こえていた、ヘルメット内からチューブを逆流する呼吸音が、いつの間にか止んでいる。
今、自分自身を支えるべきロードの呼吸は止まってしまっていた。
真っ赤な視界の中で、ロードの思考は急速に黒く塗り潰されてゆく。
血液降下によるブラックアウトではない。
体中の酸素消費に供給側が追いついていない、それは血液降下とは別の酸素欠乏である。
意識の縛りが解けはじめたロードの目は、左右で焦点と注視点をずらし始めてしまった。
ロードは何故自分がここにいるのかを思い出そうとする。
それは、停止しようとする時間の中で、自分すら分からなくなりかけていたロードが、自分を取り戻すために踏もうとした単純極まりない自明の道筋。
(・・・。)
(・・・。)
(・・・かあさん・・・?)
(・・・君は・・・)
ドクンッ!
その道筋の根源にあったイメージによってロードが自分自身を思い出した時、藁を掴む力が細胞の一つ一つから群をなし、執念の発露としてロードの四肢に沸き起こってきたのだ。
それは、ロードが嘗て感じたことのない凶暴なまでの欲求だった。
「ヒュウゥゥゥーーーッ!」
深く、濃く空気を吸い込む。
それは、瞬時に体中に広がるロードの尽きかけていた力となり、フライトレコーダーには、停止していた音が再び記録され始める。
ロードはその時、震えるほどに感じていたのだ…。
(生きたい!)
と・・・。
庭先の、融けかけ水が染み出した雪を見ながら、ロードは決断の時を迎えようとしていた。
スタインが先に戻った後、ロードは遠く青い空を眺めながら白い息を大きく一つ吐き出した。
それは、溜息ではない、意識して吐き出されたもの。
そして、ロードはやっと理解する。
ロードが戻ると、居間は沈黙に覆われていた。
母の緊張した様子だけが、覆いを貫きロードの目に映る。
つい最近までは在ることにさえ気づきもしなかったもの。
いや、彼女が気づかせなかった、という方が正しいと今のロードには解かる。
立ちつくすロードの頭には思い当たる限りの記憶が再生されていく。
母は全くロードの将来に無頓着だった。
小・中・高と進路希望には一切口を出すことがなかった。
ロードが空軍への入隊の話をした時も顔色一つ変えずに、「あぁ、そう」といっただけ。
それは、まるであらかじめ、分かっていたかのような態度。
思い出してみれば、母はそういう時だけは異常に素っ気なかった気がする。
(そうか。)
今までは、自分の考えを解かってくれて協力してくれているものだと思っていた。
もしくは興味が無いものばかりと。
母はずっと恐れていたのかもしれない。
希望も同時に持ちながら。
この決断はその希望を打ち砕くもの。
「・・・宜しくお願いします。」
ロードはスタインに向かって深く一礼する。
ロードの父は戦死しているのだ。
じっと、テーブルの上におちている視線、その目が光を失い表情を無くしていくのが今のロードには、はっきりと感じ取られた。
「・・・まぁ、3回も受けているのですから当たり前ですけどねぇ?」
母は笑いながらスタイン達の方に向き直る。声が掠れていた。
あの日の朝も確か、母の目は赤かった。
「決心してくれましたか! では・・・」
なにやら鞄から資料を取り出して話し始めたメガネの士官を、スタインが左からサッと腕を伸ばし制止する。
「分かりました。
今日はこれで我々は失礼させて頂きます。
詳しくはまた後日・・・。」
そう言が早いか、スタインは立ち上がり戸口へと歩き出す。
が、残された二人は呆気に取られたように、スタインを座ったまま見上げている。
「話が違うぞ、大佐!!」
今まで黙っていた三人目の士官が声を荒げて立ち上がる。
その動きに合わせて、スタインがゆらりと、スローモーションのように士官に上体を寄せる。
ゴスッ!!
ロード達からは死角の位置で、こともあろうかスタインは、士官のみぞおちに拳を叩き込んでいた。
「グッ?!!」
「それでは・・・失礼します。」
スタインの一撃によって無言の内に悶絶し、倒れそうになる仕官を支えながら、何事もなかったかのようにスタインは出て行ってしまう。
呆けていたメガネ士官もやっと気づいたように、立ち上がり素早く一礼してから三人分のコートを引っ掴んで慌てて出て行く。
「し、失礼します。」
暫らくすると、庭先から自動車が出て行く音が聞こえてくる。
「・・・どうしたんだろねぇ?」
ロードは何も言わずに、まだそこに立っている。
スタインの心遣いがありがたかった。
「気をつかってくれたんだよ・・・。」
「・・・そう・・・なの。」
「・・・母さん・・・。 ごめん・・・な。」
母は、夕暮れの窓の外を眺めながら、しばらく黙って来客用に用意したお菓子をモグモグと食べていた。
「・・・うん・・・、分かっていたのにね。」
ロードはポケットに手を突っ込んだまま、同じように窓の外を眺める。
二人とも口を噤んだまま、まるでその一瞬は切り取られた写真のように、永遠となって親子に染み込んでゆく。
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街灯が点灯前の数度の点滅を始め、母が何も言わずに夕飯の支度を始めるまで、ロードにとって、快く充実した沈黙が流れた。
ここに、カーヴィナス共和国空軍パイロット、ロード・ハーノクスの道が開けることとなる。
少しインサートの加筆、修正があるかもしれませんが、
大筋、第一部は、ここで完結となります。
ここまで読んで頂き、感謝感激です!
ありがとうございます。
書き溜めたものはこれで消化してしまいましたので、
続きは、読んでくれた方の数が増えたら考えたいと思います~。
是非、良くも悪くも評価の程宜しくお願い致します。(あと、宣伝も!w)




