第二十話 うどんで自白を
今回の件、背後関係をあぶり出すために、捕縛者たちは屯営で厳しい尋問が続けられている。
しかし敵もさるもの。誰一人として頑と口を割ろうとはせず、埒が明かない。
「順番に殺せば残りの誰かが口を割るのではないか」
聞くだに恐ろしい提案をするのは近藤先生だ。当時の洛中はそれくらいに人の命が軽かった。
しかし土方先生に意見が求められると、彼は「いや」と首を振る。
「あの中には何も知らされていないヤツもいるだろう。知っているヤツを先に斬っちまったら元も子もない」
うどん屋の土方先生が自らこの話に入ってきている。なぜだろう。いつも新撰組のほうの話はあまり興味を示さないのに。
「それより、各々個別に収監するんだ」
そして、以後一切の食事を与えない。さらに、それぞれの耳に届くようにこう言うのだ。
「情報を提供した者から順に、うどん処新鮮組より『超絶全部盛りうどん』を食わせてやる」
「ほう……」
なるほどな……と、一度は納得してから思い直したように腕を組む近藤先生。
「しかし、それでは偽情報を掴ませられる恐れがある」
「まぁ最後まで聞け。こう付け加えるんだ。『……されど、情報の裏を取り供述が偽である場合は斬首』」
「うむ……」
「最後まで供述しない場合は餓死するわけですか?」
僕が聞くと、鬼の土方先生は事も無げにうなずいて、続けた。
「数日間、きっと誰の供述もとれんだろう。が、腹の事情はいよいよ切迫するはずだ。そこまで餓えさせた上で、ある夜から……な」
囚人たちの見えぬところで、誰かにうどんをすすらせる。ついでに出汁の匂いを各部屋に送り、うまそうな匂いで充満させるのだ。
「するとどうなる?」
と、近藤先生。
「あんたは腹が減ってないから分からないかもしれないが、これにより、収監されている全員が疑心暗鬼に陥るだろう。誰かが口を割ったんじゃないか、とね」
「なんとえげつない……」
つい口に出してしまう僕。土方先生はそれを褒め言葉と受け取ったようだった。
「ひもじくなればなるほど、その思いは募る。……最後には、誰かが漏らしちまったんならもういいだろう、楽になろう……と思い始めるだろうさ」
「……」
……土方先生はこのしばらく後、フランス国の軍人をして「欧州の士官でも充分通用する」と言わしめる戦略家として名を馳せるんだけど、『煮込みうどん殺法』といい、今回のことといい、コノヒトのえげつなさはつまり、世界等級ということなんだろう。
果たして結果は土方先生の意図通り。
数日放置された刺客たちはうどんをすする音に動揺したらしい。
それでもすぐに根を上げる者はいなかった。しかし二日、三日と続くうどんの匂い。そしてダメ押しのように、囚人たちの耳元で囁く土方先生。
「もうだいぶ証拠も取れてきた。すべて裏が取れた時点で一つの協力もしなかった者は餓死をするまで何も与えない」
……空腹でめまいのする頭に、これは堪らない。うどんをすする音と香ばしいカツオの匂いの中で、機密を守っているのはもはや自分だけなのではないか。馬鹿を見ているのは自分だけではないのか……。
……いつまでとも知れぬ空腹の苦しみに耐えながら、次第に追い詰められていった彼らの意地と義理は、徐々に……まるで砂の山を風が刮いでいくかのように徐々に、崩れていった。
そして浮上してきたのが桝屋喜右衛門。
四条大橋近くにある桝屋という薪炭屋の主人だ。彼らはこの男の子飼いだが、"鴉"に要請され、彼が新撰組副長を暗殺するために派遣されたらしい。
「市村左門という名に聞き覚えはないか」
土方先生は聞き慣れない名を挙げるが、彼らは知らない。結局彼ら自体はほとんど何も知らなかったため、以後しばらく監察方が四条大橋をうろつくこととなった。
さてその翌日。
平常どおり商いを続けている新鮮組の厨房から、珍しく土方先生が顔を出した。
視線の先には今も毎日食べに来てくれる常連、雑賀兼吉さんが上がり座敷に座っている。
「雑賀さん、こたびの通報、痛み入る」
「その面ぁ見る限り無事だったようだな」
「おかげさまで」
その後、土方さんはじっと雑賀さんを見つめている。
「どしたい?」
「あ……いや、博徒の情報というのも捨て置けぬと思い……」
「ったりめえよ。京でも江戸でも、地下に根付いているのは博徒と乞食と遊女だぜ」
雑賀さんが笑いかけるが、土方先生はそれでも目を離さずに見たままだ。彼の笑顔は苦笑いに変わり、
「もう食っていいかい?」
「どうぞ」
それで一度視線を外した雑賀さんだったが、見下ろす土方先生はそんな彼の横っ面に声をかけた。
「なにゆえ、そこまでする」
「あん?」
「あんたにはそこまでする義理はないはずだ。違うか?」
「ここのうどんがうめえからだよ」
「まじめに聞いている」
「……」
雑賀さんは再び、土方先生を見上げた。しばらく、土方先生の切れ長な大きな目と、雑賀さんの厚ぼったい二重まぶたの掛かった目が、互いを映す。
雑賀さん、とても安らかな笑顔を見せた。
「いや、本当だよ。あんたの作るうどんが、俺は本当に好きなんだ」
その目が、いとおしそうにうどんのどんぶりを見る。両手はまるでどんぶりを抱きしめるかのように、添えられていた。
「いつまでも、あんたのうどんが食っていられる世であればいいのになぁ……」
「そのために新撰組はある」
雑賀さんは「ふっ」と胃の腑の空気を吐き出すような表情をした。
「新撰組か……」
「あんたはまた明日も食いに来るのか?」
「もちろん」
「念入りに下ごしらえをしておこう」
「ありがてぇ」
雑賀さんはそう言いながら、今度こそうどんをひたすらに食っていた。




