フルーツタルトと恋する絵筆(その四)
「明日、か」
「なんだい我が弟カルダーよ、明日が待ちきれないのかい?」
日も暮れてしまい、月星が輝きだしているような空になってしまったので、一応の女性である姉ココを宿泊中の宿まで送っていると、つい言葉がこぼれてきた。それが聞こえたらしい姉は、そうすることが当然でありそしてまるで義務でもあるかのように弟をからかってくる。
「……んー」
「ん?」
「そうだね、待ちきれない。姉さんのおかげだよ、ありがとう」
「おやおや、やけに素直じゃないか。昼食後のきみとはまるで別人のようだよ」
次の日
喫茶「のばら」の開店直後から姉弟は待ち構えていた。
姉は、ルリエラがいつも来るのは昼食時間のあとだという情報を得ていたので、そのぐらいの時間までに行けばいいと思っていたらしい。
だが待ちきれないカルダーが姉の宿泊している宿の部屋におしかけてきたのでゆっくりのんびりと眠っているわけにもいかなくなってしまったのだった。
あくびを噛み殺しながら、ココはメニューを給仕の娘から受け取る。
「やれやれ、長期戦になりそうかなぁ」
そういって、朝食ということで野菜のサンドイッチと紅茶をストレートで濃いめに飲める銘柄をたずねて注文していた。
だが、ココの予想は外れることとなる。
ココがのんびりとサンドイッチを食べ終わったころに、ルリエラが店のドアを開けて現れたのだった。
ルリエラはひとりではなく、白髪の老人と一緒であった。どうもこの老人は彼女の血縁者……おそらくは祖父、ではないだろうか。
わざわざ家族を、それも家庭内でトップかそれに近いだろう権限をもっていると思われる祖父を連れてきた。とすると、この件はあっけなく断られてしまうのだろうか。
カルダーがそう考えている間に、ココはルリエラと、白髪の老人と挨拶を交わしていた。
白髪の老人はやはり、ルリエラの祖父にあたる人物でまちがいないようだった。
髪と同様に真っ白いふさふさとした眉と眉との間には、おそろしく深いしわが何本かよっている。いかにもな厳格そうな人物だ。
カルダーとココと同じテーブルの席に二人は座って、そしてルリエラがもうこれ以上は1秒たりとも耐えきれないとでもいうように口を開く。
「ココさん、それにカルダーさん。今回のこと家族のゆるしがでました。よろしくおねがいしますね」
「あぁ、やはりだめで……って、ん? ……ん?」
「……カルダー、話はちゃんと落ち着いて聞くんだね」
やれやれと、わざとらしくココが溜息をつく。
ルリエラの祖父は、かっかっかっと遠慮のない笑い声をたてている。その笑顔は意外と茶目っ気がある、といえなくもない。
「わしのようなのが来たので、断られるとおもってセリフを準備しとったのか」
「……って、え、あの、いい、のかな?」
「カルダー君や、少しだけ聞いてくれるかな。わしはな、若いころ画家になりたかったのだよ」
ぽつり、ぽつりと、老人が話し始める。
「しかし、自分にはこれといって絵の才能は無かった。根性も無かった。成人して親の決めた仕事をして、なんとなく生きてきた。通せるだけの意地すらも持ってはいなかったのだ」
「……」
「そんなわしではあるが、どうやら意地を通して生きているらしい君と、お近づきになりたい」
と、カルダーに向かってしわだらけの大きな右手を差し伸べる。一瞬困惑しそうになったが、きちんとその手を握り返すことができた。
ぎゅっと握手を交わしてから老人は満足そうに笑い
「というわけでわしと君はお近づきになった。いわば友人だ。友人がわしの孫ルリエラの絵を描いてくれるというのなら、大歓迎だよ」
「……ありがとうございます!」
カルダーは礼の言葉とともに、深々と頭をさげようとした、のだが、座ったままであったために、テーブルにしたたか頭をうちつけてしまう。
だぁんっ! と言う音が店内に響いて、なんだなんだと、客たちが好奇の目で見てきていた。
「それじゃ、よろしくおねがいするよ」
「はい、よろしくお願いしますね」
カウンター席で、椅子をひとつ間にはさんで座り、ぺこり、ぺこりと、カルダーとルリエラはお互いに小さく礼をする。
ルリエラの手には書物。カルダーの手には紙を何枚も束ねたものと、木炭の筆。
絵のモデルと言っても、ルリエラには基本的に自由にしていてかまわないと言ってある。すると彼女はすぐに店の本棚から本を数冊持ってきたのだ。
ルリエラが、本を開いて読み始める。
その顔は、まさしくカルダーがいちばん好きな表情だった。
カルダーは紙の上で木炭筆を踊らせ始めた。
これが のちの世に 「美人画の巨匠」と畏敬と尊敬の念を込めてよばれる画家の「最初の一枚」とされる絵であった。




