第01話 その後のユニス
派手に暴れ回ったあの森を離れた後、私は見知らぬ土地で散々迷った末に、購入した地図の上では二日もあれば行けそうな距離の町にたどり着くのに五日も掛けてしまった。
原因は私が方向音痴だからだとか、地図が読めないからではない。
地図の方が滅茶苦茶だったのだ。
道がある筈の場所になかったり、一本道のはずが何本も枝分かれした道だったり。
平地の筈の場所に急峻な丘陵地帯がそびえていたり。
歩いていくうちに徐々に違和感が沸いて出てきたが、最初は私が間違えているのかもしれないとも思った。
でも間違っていたのは地図だった。
「なんなのよこれ!」
気付いた瞬間私はとんでもないものを掴まされたと憤慨し、地図を破り捨てた。
暫くはどうしたものかと途方に暮れていたが、ずっとそうしているわけにもいかない。
故にまずは記憶のみを頼りに、半日ほど前に通ったそこそこ人通りのあるであろう街道に戻った。
その後は道行く人に声を掛け続けた。
「大きな街まで行きたいのだけれど、道を教えてくれないかしら?」
といった具合にだ。
でも大抵の人は私を畏怖するような目で見た上でそそくさと通り過ぎてしまった。
無理もないだろう。
私の格好が異常なことくらい、自分自身重々承知している。
別にそれは長い金髪と碧い瞳という北の国特有の容姿のことを指しているのではない。
和の国にだって異邦人くらい時折いる。
問題は私の服装にあった。
フリルやら織り込みやらがふんだんに散りばめられた、可憐ではあるが地面に擦るほど丈が長くて動きにくい絹製で翡翠色のドレス。
北の国でも最高級の仕立て屋が設えた一級品。
逃亡の準備をする暇もなく当時着ていた服装のままで飛び出してきたまではいいが、その長過ぎる丈は長距離の移動には邪魔でしかなかった。
だから北の国の首都ノースブルックを発つ際に、動きづらいからと膝から下を大胆に破り捨てた。
更に、長い逃避行や幾度もの戦闘の結果所々が解れ、泥で薄汚れてしまった。
最早かつての姿は見る影もなくみすぼらしいものとなったその衣装は、不格好なうえに浮いていた。
傍からすればさぞ不審に見えたことだろう。
そんな女が背中には法弓を担いでいるのだ。
危険だと思うのが自然なこと。
何かあってからでは遅いので逃げていってしまったのだ。
それでもやっとのことで案内してくれるという人に出会い、街まで連れて行ってもらった。
この辺りはチヨダイラ(千代平)という地名だと街の目の前まで案内してくれた親切な僧侶は教えてくれた。
どうやら和の国ではどこからどこまでが何という名の土地、と明確には定まっていないようだ。
町を中心として、川や山に差し掛かる大体あの辺までを某という地名とする、なんて付け方らしい。
勿論国中に点在する農村や集落にはそれぞれに名前が存在してはいるようだ。
例えば、チヨダイラの何々村、というような呼称をするとのことだ。
農民から税をきっちり正確に徴収するためにも、どこになんという村がある、というのは把握する必要のあることだから、これは当たり前と言える。
単純に自分たちの住む村にまともな名前が無ければ不便、という理由もあるのだろうが。
文字通り右も左も分からない私を慮ってか、旅の僧侶はそのような具合に和の国の地名について大まかに語ってくれた。
今更だが私は和の国の言葉を操ることが出来る。
話すことと、聞くことについては問題ないと自信を持って言えるだろう。
実際に僧侶と会話が成り立っていることからそれは裏付けることが出来る。
ただ、読むことについては今一つだ。
和の国特有の複雑な表意文字については不安が残る。
特に地名などは発音を聞き取ることは出来ても、字は読めないことも多い。
今回のように聞きづての場合は「そういう地名なのか」と分かってもそこからどんな字なのか類推したりまでは大抵の場合出来ない。
故に、私はチヨダイラなる土地の名をどのように書くかは知らない。
とはいえそれは今後この国でやっていくのにさしたる問題にはならないだろう。
このご時世、会話はともかく読み書きが出来る人間なんてどこの国でも限られている。
異国の人間である私が多少不得手なくらいで済んでいるのはむしろ褒められるべきことの筈だ。
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心優しい僧侶に町の前までは案内してもらった私だったが、共に中まで入ることはしなかった。
なぜなら、異国の人間である私の風貌はあまりに目立ち過ぎるからだ。
チヨダイラのような城壁で囲われた大きな街には大抵、世界各地に存在する冒険者ギルドの拠点となる建物が存在し、異国から遥々仕事を求めてやってきた人間も一定数存在している。
とはいえ、私はその中でも目立つ部類だと思っている。
別に目立つだけならば構わないのだが、私は追われている身だ。
それがきっかけで私の正体が露見したり、特徴を伝え聞いて追手が嗅ぎつけてくるのは困る。
異国の人間も集まる大きな街ということで、一人くらいは配している可能性も否定できない。
敵がどの程度の規模で私を殺すための刺客を放っているのか、正直想像もつかない。
なので街に入るときなどは用心するに越したことは無いだろう。
故に私は、郊外の人目に付かない草陰に隠れて夜を待ち、それから町へと入ることにした。
入ったと言っても、夜中の間は城壁に備えられた四方の門は閉じられている。
他に入り口は無いためそれ以外の場所から侵入した。
宵闇に紛れて草陰から姿を現すと、城壁に接近。
目の前まで来たところでまず背中に担いでいた愛弓の「蹂躙する女王ブラッディ・エンプレス」を構える。
次いで霊力を伴った大ジャンプしつつ、弓を下方へと向ける。
風属性の弓術で突風を巻き起こして私の身体を浮き上がらせてふわりと空中に飛び上がり、本来ならあらゆる敵の侵攻を阻むのが役割である筈の城壁の上を易々と越えていった。
着地の時も同様に風属性の弓術を駆使して減速し、衝撃を抑えた。
そうして侵入に成功した後は事前に僧侶より聞き及んでいた異国の人間が集まる地区に向かい、今度は建物の陰に身を潜めて夜明けを待った。
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日が昇り辺りの店がぽつぽつとのれんを掲げ始めた頃合いを見計らって、私はその地区にある服屋へと直行した。
これまでは本当にありのままの格好だったので、まずはそれを一新することにしたのだ。
今の私の風体ではまるで異国から襲来した蛮族。
いつまでもそのままでは誰しもに奇異の目で見られるだろう。
「いらっしゃいm……」
入店すると案の定、服屋の店主は言い終わる前に絶句し、強盗か何かを見るような目つきで固まってしまった。
内心へこみつつも努めて柔和な笑みを作って話しかけると、店主も態度を改めて対応してくれはしたが。
ともあれ私は丈の長いフード付きのローブと、冒険者向けの麻製の服と革靴一式を購入した。
北の国から和の国までやってくるのは大概が冒険者か商人だ。
私は弓を携えていることから冒険者に扮していた方が都合が良いだろう。
靴に関してだが、これも元々は動きにくい物を履いていたので新調した。
ドレスに合うようなヒールの高い靴は好まないため普段から履いていなかったが、それでも長距離を移動するには明らかに不向きな靴だった。
おかげで今も靴擦れが酷く、足がズキズキと痛んでいる。
ちなみにこういう地区にはそこに住んでいる人向け、即ち異邦人向けの店が数多く並んでいる。
店を営んでいるのも異邦人であるのが殆どだ。
中には勿論、私が買い物をしたような北の国の人向けの服屋や料理屋なんかも存在する。
建物の佇まいも和の国の言葉で言うならば洋風で、北の国の店が並ぶ一角はそこだけ北の国の街並みが存在し、西の国の店が立ち並ぶ一角はそこだけ西の国の街並みが存在しており、独特の景観となっている。
そういう場所が大きな街には必ずと言っていいほど存在しているとのことだ。
代金に関しては、実はどの店に行っても大抵は北の国の発行する銀貨で支払えば問題ないのだが、それには理由というか事情がある。
和の国では現在、大名と呼ばれたり自称したりしている、武士なる身分の連中の頭領が乱立し覇を競っている。
まさに戦乱の世というわけだ。
かつては和王なる存在が国を一纏めにしていたようなのだが、今ではその権威は失墜し形骸化しているらしい。
そんなご時世だと、和の国で均一の信用に値する通貨を発行している機関など存在する筈も無い。
故に、和の国では様々な通貨が用いられている。
多くの大名が発行しているそれぞれの領内でのみ使える銅銭、どこに行っても価値のある金なんかが主だったところではある。
のだがもう一種類、和の国でそれなりに広く流通している通貨がある。
それが、海の向こうに存在する世界最大の国家北の国が発行している銀貨だ。
北の国の銀貨は、直径五センチ程の薄い円形という分かりやすい通貨の形を成している。
加えて、素材が金の次に価値のある金属であることもあって和の国以外にも世界で広く用いられている。
世界各国との貿易を盛んに行っている北の国が、他国との取引の際に自国の特産品である銀を積極的に利用していることも、世界中で流通している要因だろう。
この地区のようにあらゆる国の人間がごった返す場所ともなれば、一番信頼のおけてどこでも使える通貨として認知されている。
そんな事情のおかげで、私は和の国でも問題なく買い物をすることが出来るわけだ。
とはいえ手持ちはそう多くは無いのでこのままならすぐに尽きてしまうだろうが。
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服屋で購入した一式にさっそく身を包む。
特にローブはしっかりと羽織り、フードを深く被る。
それはそれで目立つ格好かもしれないが、トレードマークの金髪と敵に割れている面を隠せるだけで大きい。
面といえば本当にお面を付けることも考えたが、あれは私の美的センスに反するのでやめた。
多少リスクを犯してでも素のままを晒していたいという、最低限の拘りだ。
通りが少しずつ賑わいを見せ始めた頃、次に私が向かったのは金物屋。
そこでは散髪用のハサミを購入した。
その足で昨晩壁内に侵入した時には閉まっていた宿屋に向かい、部屋を取る。
鏡が無かったので窓にうっすらと映る自分の姿を頼りに、先程購入したハサミで髪を切る。
ばっさりやってしまうことも考えたが、やはり自慢の髪。
どうしても未練が残ったため焼け焦げて縮れたところを切り、周りもそれに合わせて揃えるに留めた。
立場上髪を切る、なんて行為を自らする経験は今まで無かったが、案外思うようにいった。
さて、ひとまずはこれで最低限のことは完了した。
大したことは無いかもしれないが、変装と寝床の確保。
次はどうするべきか考えたいところだが、まずは眠ろう。
今まではずっとまともな場所で眠ることなど出来ない生活を余儀なくされていたのだから。
それくらいは許されるはずだ。
そんな風に自分に言い聞かせた私は、北の国の人間に作られた宿のベッドに飛び込んだ。
それは我が家のベッドのように広くもふかふかでもなかったが、不思議と心地が良かった。