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第1話 転移者は、見つけ次第殺せ

首筋を焼くようなアスファルトの照り返しが、ふいに石畳の冷気へ変わった。


まばたきを一つ。


視界を埋め尽くしたのは、見慣れた国道とトラックの列ではない。石造りの家屋、行き交う木製の馬車、香辛料と獣のにおいが混ざり合う巨大な市場だった。


俺は手元を見下ろした。さっきまで抱えていたクリップボードも、握っていたボールペンも消えている。


「……は?」


「あ……おい、あれ」


甲高い声が足元から上がった。


路地の入り口付近。薄汚れた上着を着た十歳前後の少年が、俺の顔を指差していた。少年の目は、俺と広場の中央にそびえる巨大な鏡を忙しなく往復している。


鏡の表面が波打ち、映像を結んだ。


三十代半ば。無精髭。作業着姿の男。


俺の顔だった。


『――朝鐘告示。転移者を発見。賞金一万ゴルド』

『抵抗の有無を問わず、見つけ次第、即時処刑せよ』


群衆の足が止まった。数百の視線が、鏡と俺を往復する。


誰かが剣の柄に手をかけた。少年の顔には報奨金への欲が浮かんでいる。


「転移者だ! あいつだ!」


少年の叫びを合図に、ざわめきが膨れ上がった。殺意と、賞金への熱気が人垣の中を走る。


理屈を考える余裕はなかった。


俺は身を翻し、少年の横をすり抜けて路地へ駆け込んだ。


背後で足音が弾ける。見ず知らずの土地で、見ず知らずの人間から命を狙われる。意味が分からない。ただ逃げる。自分の命を守る。それしか頭になかった。


路地を抜けようとした俺の網膜へ、突然、黒い伝票が貼りついた。


【発生まで三十秒】

【最大被害到達まで三分】

【災害種別:過積載馬車の横転・連鎖衝突】

【想定死者:十八名】


視界の端に浮かぶ文字。幻覚か。


無視しろ。立ち止まれば殺される。他人の事故など知ったことではない。


ギチィ、と嫌な音がした。


過積載の荷馬車で、車軸が歪む音。固定用の麻縄が限界を迎え、繊維が一本ずつ切れていく音。


俺の足が石畳へ縫い止められた。


人手不足の配送センターで十年。欠勤、誤配送、遅延、事故の穴を埋め続けた。問題に対処するうち、致命的な異常音だけは聞き逃せない身体になっていた。


逃げろと考えているのに、もう振り返っていた。


確認する。


斜面の上。建築用の石材を限界まで積んだ大型荷馬車。車輪止めが濡れた石の上を滑り始めている。荷重が片側へ寄り、固定縄も切れかけていた。


斜面の下。人で塞がった交差点。露店の幕が視界と退避路を遮っている。


交差点の中央。空荷の木製カート。その陰には、さっき俺を売った少年がしゃがみ込んでいた。カートの横には深い排水溝と、露店を支える石杭がある。


伝票の三分は、荷馬車が交差点へ届き、十八人を潰す時刻だ。動き出すのは、もっと早い。


俺は路地から飛び出した。


「赤い服の男! 露店の幕を切れ! 向こうへ逃げ道を作れ!」


剣を抜こうとしていた男が肩を跳ねさせる。


「え……転移者……」


「いいから切れ! 上を見ろ!」


男が斜面を見上げ、顔色を変えた。


「老人と子どもを石壁側へ! 道の中央を空けろ!」


自警団らしい二人が、俺の前へ立ち塞がった。


「貴様、大人しく――」


「俺を捕まえるのは後だ! 二人であのカートを押せ! 左の車輪を排水溝へ落として、車軸を石杭へ噛ませろ! 斜めに固定するんだ!」


自警団員は顔を見合わせた。


坂の上から、木材が折れる音が重なる。


「早くしろ!」


二人がカートの取っ手を掴んだ。


「そこのガキ! カートから離れろ! 壁際で伏せろ!」


少年は一瞬だけ俺を見た。次いで、カートの陰から飛び出し、石壁の際へ滑り込んだ。


自警団員がカートを斜めに押し込む。左車輪が深い溝へ落ち、反対側の車軸が石杭へ噛んだ。


乾いた破裂音。


車輪止めが外れ、荷馬車が動き出す。傾いた荷台の固定縄が切れ、二トン近い石材が右側へ寄った。


「壁へ寄れ! 中央を空けろ!」


荷馬車が速度を上げる。


逃げ遅れた人々が、切り落とされた幕の向こうへ転がり込んだ。


暴走する荷馬車の右前輪だけが、斜めに固定したカートの車軸へ乗り上げる。


荷馬車の鼻先が空き露店の方角へ振れた。傾いた荷台が横倒しになり、石材は人の消えた区画へ流れ込む。


轟音と土煙が市場を覆った。


人々は石壁へ背をつけ、肩で息をしている。荷馬車は大破していたが、倒れている者はいない。


死者はゼロだ。


安堵するより早く、黒い線が一本だけ視界を横切った。


砕けたカートの車軸から、尖った木片が弾け飛んでいる。石壁の前へ座り込んだ老人の顔へ向かっていた。


あれは間に合わない。


俺は老人の前へ踏み込み、飛来する木片へ右手を伸ばした。


被害の中心に触れ、被害そのものを引き受ける感覚。


【集荷】


木片は触れた瞬間に勢いを失い、石畳へ転がった。老人には傷一つない。


代わりに、俺の左腕を熱が貫いた。


手首から肘へ、皮膚の下を這うように黒い亀裂が広がる。痛みが引くと、握力まで失われていた。指先が自分のものではないように痺れている。


【積載率:4%】


土煙が薄れるにつれ、群衆の視線が俺へ集まった。


黒い亀裂を恐れて後ずさる者。助けられた事実を前に、剣の柄から手を離す者。転移者を匿う罰を恐れ、目を伏せる者。それでも鏡の賞金額を横目で確かめる者。


誰も俺を捕らえようとはしない。だが、味方になる者もいなかった。


「転移者はどこだ!」


広場の入り口から、全身を金属鎧で固めた騎士たちが駆け込んできた。


群衆の肩が揺れた。いくつもの視線が、路地の影に立つ俺へ向く。


終わりだ。左手はまともに握れない。この状態では追いつかれる。


「あっち!」


声を上げたのは、先ほど俺を密告した少年だった。


少年は騎士の前へ進み出ると、俺のいる路地とは反対の南通りを指差した。


「南へ走っていった! 石が落ちる前に逃げた!」


「南だな。追え!」


騎士たちは通りへ駆けていった。


足音が遠ざかる。群衆は散乱した石材の片づけへ戻り、俺を見なかったことにした。


少年は周囲を警戒しながら路地へ入ってくる。


「俺を巻き込まないように、先に逃がしたんだろ」


「見えていただけだ」


「それでも、潰されずに済んだ。これで貸し借りはなしだ」


少年は俺の力が入らない左腕を見た。


「ここから先は取引だ。俺の妹を治療院まで運んでくれ。そうしたら、騎士の知らない地下道を教えてやる」

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