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聖女はすべてを救えない  作者: 右京寺
第2章

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19/31

第1回公衆衛生及び応急処置講習会

その日から、私の生活は前世の「三交代勤務」を凌ぐほどの過密スケジュールとなった。

午前中はハインリヒとルシアンへの「解剖生理学」の叩き込み。午後はユーリ様と共に、治癒院での癒し。そして夜は、領都での石鹸増産計画と、騎士団に公衆衛生指導を行うための準備。

正直、ひっきりなしに手術がやってくる夜勤を思い出す忙しさだった。


そして今日、ついに騎士団全員を集めた「第1回公衆衛生及び応急処置講習会」の日がやってきた。

訓練場に集まった数百人の騎士たちの前に、まずアルベルト閣下が歩み出た。その威厳ある姿に、ざわついていた場が一気に静まり返る。


「静粛に。本日、我が騎士団をより強固なものとするため、新設した救護部隊の隊長を紹介する。――シェラ、前へ」


アルベルトに促され、私は一歩前に出た。

途端、騎士たちの間にさざ波のような動揺が走るのが分かった。


「……あれが、噂の少女隊長か?」


「あんな子供が、俺たちに何を教えるんだ?」


隠そうともしない不信と侮り。それらは私にとって、かつての若手ナース時代に「ベテラン患者さん」から向けられた視線と同じ、懐かしい種類の反発だった。

私は逃げることも、声を荒らげることもしない。ただ、背筋を伸ばし、慈愛と確信を込めた最高の「営業スマイル」を浮かべて彼らを見渡した。


「はじめまして、皆様。救護部隊長のシェラです。……私は今日、皆様に約束をしに来ました」


凛とした声で、私は場を支配するように告げる。


「私は皆様の命と健康を徹底的に守り、怪我や疾病を恐れず、安心して戦える環境を作ることを誓います。そして、私が率いる救護こそが、騎士団、ひいてはこの辺境伯領の揺るぎない基盤となることを、ここにお約束しましょう」


私の堂々たる「宣誓」に、隣にいたアルベルトがわずかに目を見開き、騎士たちもあ然としたまま静まり返った。10歳の少女が放つには、あまりに重く、強い覚悟。


「――では、早速始めましょうか」


驚きが冷めないうちに、私は一気に「講義」へと舵を切った。


「まず、今日から全員に徹底してもらうのは『手洗い』です。爪の間、指の付け根、手首まで。洗うべきタイミングは……。次に、緊急時のアルコールによる皮膚消毒。いいですか? 泥のついた手で傷口に触れるのは、自ら毒を盛るのと同じ行為だと心得なさい!」


騎士たちは当初の侮りなどどこへやら、私の放つ圧倒的な「現場感」と専門知識の奔流に、必死に食らいついてくる。


「――では、言葉で説明するより、実際にやって見せた方が早いわね」


私はそう言って、最前列で固まっていた騎士の一人を手招きした。


「誰か、水の特性を持っている方は? ……あなた、お願い。指先から、ゆっくりと適度な量の水を出してちょうだい。そう、川のせせらぎを作るイメージで」


指名された騎士は面食らいながらも、私の指示通りに術を起動させた。空中に浮かぶ水の球から、清らかな水が流れ落ちる。私はその下で、自ら試作した石鹸を手に取った。


「見ていて。まず、手首までしっかり濡らす。石鹸を泡立てて、手のひら、手の甲……。特に指の間と、この親指の付け根。ここは汚れが残りやすいわ。最後に、指先を手のひらでこすり合わせる。こうして爪の間まで洗うのよ」


私の無駄のない、それでいて徹底的な手捌きに、騎士たちは食い入るように視線を注いでいる。


「……あんなに念入りに洗うのか?」


「ええ。表面を濡らすだけじゃ、病を運ぶ目に見えない『汚れ』は落ちない」


仕上げに、私は準備しておいたアルコールを布に浸し、自分の手に擦り込んだ。


「さらに、これがアルコール、強いお酒よる消毒よ。……少し染みるけれど、これが傷口や粘膜に病が入り込むのを防ぐ最強の盾になる。ハインリヒ、ルシアン。あなたたち癒し手は、患者に触れる前に必ずこれを行いなさい。いいわね?」


「はい、隊長!」


二人の返事が訓練場に響く。騎士たちは、自分のごつごつした掌を見つめ、今まで無造作に扱ってきた自らの「衛生」という概念が、どれほど命に直結しているかを肌で感じ取ったようだった。


「——さて、次は傷口の応急処置の方法だけど。実際に傷がないと、どこをどう押さえるべきか分かりにくいわね」


私はそう呟き、近くにいた騎士へおもむろに手を差し出した。


「剣を貸してちょうだい」


「は、はあ……? はい、どうぞ」


困惑しながら差し出された剣を私は受け取った。そして、迷うことなく自分の左の前腕を鋭く切りつけた。


「——っ!?」


一瞬、訓練場の時が止まった。


白い肌に鮮烈な赤が走り、鮮血が地面に滴り落ちる。


「シェラ!? 何をしている!」


「隊長!?」


アルベルト閣下とヴォルクスが色を失って駆け寄り、ユーリ様やハインリヒ、ルシアンも顔を真っ白にして集まってくる。だが、私は溢れる血を冷静に見つめたまま、解説を続けた。


「騒がないで。……いい? まず出血がある場合、このように清潔な布で傷口を強く『直接圧迫』します」


私はあらかじめ準備していた布を傷口に当て、力強く押さえた。


「もしこれでも止まらないほど激しい出血であれば、傷口よりも心臓に近い側を布などで縛りなさい。次に、傷の中に泥や異物が入っている場合は、さっき教えたように綺麗な水で徹底的に洗い流すこと。最後に、新しい布で傷を覆って固定する……。以上が、癒し手が到着するまでの間にあなたたちがすべき『戦場での義務』よ」


実演を終えた私の周囲は、もはや静まり返るどころか、重苦しい沈黙に支配されていた。騎士たちは、自分の体を傷つけてまで教えを叩き込もうとする10歳の少女の狂気に近い覚悟に、言葉を失っている。


「……君という子は。無茶が過ぎる」


横から伸びてきたユーリ様の震える手が、私の腕に添えられた。柔らかな光が傷口を包み、瞬く間に皮膚を繋ぎ合わせていく。


「ありがとうございます、ユーリ様。助かりました」

「……お礼を言いたいのはこちらの方だけど、流石にその顔はできない」


ユーリ様は、悲しみとも怒りともつかない、ひどく困り果てたような顔で私を見つめていた。ハインリヒとルシアンも心配そうな顔で硬直している。

静寂の中、アルベルト閣下がゆっくりと歩み寄ってきた。その瞳には、隠しきれない動揺と、燃え上がるような怒気が混じり合っている。


「……シェラ。講義が終わったら、すぐに執務室へ来い」


耳元で、低く、逃げ場のない声でそう告げられた。


「わかりました、閣下」


私が淡々と応えると、閣下はそれ以上何も言わず、翻って自分の位置へと戻っていった。ヴォルクスもまた、信じられないものを見たという風に首を振りながら後に続く。


とんでもない空気だが、私はそのまま講義を続ける。


「生水をそのまま飲むことも、今日限りで厳禁です。必ず煮沸した水か魔法で生成した水を飲むように。戦地での体調不良は、剣で斬られるよりも確実に戦力を削ぐ『目に見えない刃』なのだから!」


「……は、はいっ!」


騎士たちの返事には軍隊らしい統制が戻っていた。

一通りの詰め込みを終える頃には、屈強な男たちが、まるで難解な魔導書を丸暗記させられた後のような、疲れ切った顔で立ち尽くしていた。


「以上で、第1回・公衆衛生及び応急処置講習会を終わります」


「諸君、彼女の教えを骨に刻め。……解散!」


アルベルトの峻烈な号令が響き、騎士たちが一斉に安堵の息を吐いて散っていく。


こうして、騎士団の歴史に深く刻まれることになった「第一回講習会」は、全騎士の心に刻まれた強烈な畏怖と共に幕を閉じた。


突拍子もない行動でアルベルトを怒らせたシェラです


よろしければ、お手隙の際にリアクションや評価をぽちっとよろしくお願いいたします。

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