治癒院と新しい計画
翌朝、私はハインリヒとルシアンの二人に、昨日の解剖図の復習を手が空いた時間に行うよう厳命した。
「いいですか?得意な部分からでいいので、しっかり覚えておいてください」
二人の「はい、隊長!」という頼もしい(そして少し怯えた)返事を聞き届け、私はユーリに同行して治癒院へと向かった。
ユーリは領主直属の癒し手ということもあり、運ばれてくるのは村の診療所や教会では手が負えないような、重症度の高い患者ばかりだった。
「……やはり、怪我よりも疾病の患者が多いわね」
運ばれてくる患者たちを診て、私は眉をひそめた。
化膿した傷口、原因不明の発熱、激しい下痢。魔法で一時的に症状を抑えても、根本的な原因が解決されていなければ、彼らはまた同じ病で戻ってくる。
「ユーリ様。これは魔法の精度以前の問題です。……衛生環境の改善が、早急に、かつ絶対的に必要だわ」
「そうだ、君の言う通り。君の報告書にもあったことを少しずつ実践はしてるんだが、間にあっていないんだ」
ユーリの言葉に私は考えこむ。
確かに、すぐに環境が変わることはない。だから今できることをしなければならない。
石鹸はあの村でしか生産しておらず、供給が追いついていないのが現状だ。
「領都でも石鹸を作れば良いのか」
「石鹸をか?」
私の呟きに、ユーリが反応する。
「はい。村で作るものは、安価で洗浄力の高い、下級領民向けの石鹸。そして領都で作成するものは、香りなどの工夫を加えた、貴族や中級以上の領民向けの高級石鹸。……今より供給量が増えて、衛生概念も浸透させやすいはず。あと経済も回ると思います」
「……君の頭の中には、一体いくつの計画が詰まっているんだい?」
ユーリは呆れたように笑ったが、その瞳には興味深い光が宿っていた。
「いいだろう、シェラ。私も協力しよう。」
私はその日の夜、さっそくアルベルトへの報告書と具体的な事業計画案をまとめ上げ、成分の配合比率から販売戦略まで書き上げた。
前世の膨大な看護計画を書いてきた経験が、この異世界で生かされるとは思っていなかった。
翌朝、私はアルベルトの執務室の扉を、昨日よりも少し強めに叩いた。
「閣下、おはようございます。……新しい『提案』を持ってきました」
扉の向こうで、アルベルトが「またか……」と低く呟くのが聞こえた気がしたが、私は構わずに、まだインクの香る分厚い計画書を抱えて入室した。
アルベルトは、目の前に置かれた分厚い計画書を、まるで未知の魔導書でも見るかのような不審な目つきで眺めていた。
「……シェラ。お前にとっての『夜寝る前』とは、一体何時間あるんだ?」
「ほんの数時間ですよ。それより閣下、内容を」
私が促すと、アルベルトは溜息をつきながらページを
めくった。
最初は「石鹸の増産」という名目に、ふん、と鼻を鳴らしていた彼だったが、読み進めるうちにその顔から余裕が消えていった。
「……石鹸の製法、成分の配合比率……。ここまではいい。だが、この『等級分け』そしてこの……『税収予測』とは何だ?」
「今のままでは、石鹸は数も少なく、一部の人だけのものです。でも、公衆衛生(みんなが健康でいること)のためには、安く大量に普及させる必要があります。そのためのコストを、付加価値をつけた高級石鹸の利益で相殺するのです」
アルベルトは、計画書に記された精緻な数字の羅列を指でなぞった。
「金持ちには『美と香り』を売り、領民には『病の予防』を売るか。……随分と商売人のような考え方をする。……ユーリ、貴様もこれに加担したのか?」
壁際で控えていたユーリが、肩をすくめて微笑む。
「協力はしましたが、筆を執ったのは彼女です」
アルベルトは、計画書の完璧さに舌を巻きつつも、やはりどこか面白くなさそうに椅子に深く沈み込んだ。
「……認めよう。この案は完璧だ。これほど具体的であれば、今すぐにでも文官たちを動かせる。だがな、シェラ」
彼は計画書を一度閉じ、私をじっと見据えた。
「俺はお前を、領地を支える者として招いた。……だが、貴様が持ってくるものは、俺が考えていた『癒し』の枠をとうに超えている。……俺が昨日まで頭を悩ませていた経済の停滞や衛生問題を、寝る前の
数時間で解決策に変えて持ってくるというのは……どうにも、領主としての面目が立たん」
「……あら。お褒めに預かり光栄です、と受け取っておきますね」
私が淡々と応えると、アルベルトは「ふん」と顔を背けた。
納得はしている。むしろ、これほど頼もしい部下はいないと理解している。
けれど、自分が目をかけて育てようとしていた少女が、自分の想像を遥かに超えるスピードで「領地経営の核心」にまで手を伸ばしてくることに、彼は奇妙な敗北感と、独占欲に似た苛立ちを感じているようだった。
「ヴォルクスを呼べ。この製造拠点の選定には、警備の問題も絡む」
アルベルトはそう言って、計画書を自分の引き出しへと仕舞い込んだ。まるで、他の誰にも見せたくない宝物を隠すような、そんな仕草だった。
「許可する。必要な予算と人員は俺が差配しよう。……ただし、これ以上仕事を増やすな。次、夜更かしして何かを書いたと言ってみろ。その時は執務室への出入りを禁ずるからな」
「善処します、閣下」
私が丁寧にお辞儀をして退出しようとすると、背後でアルベルトが「……全く」と、独り言のように毒づくのが聞こえた。
扉を閉めた後、私は隣にいたユーリと顔を見合わせた。
「シェラ、閣下のプライドをあそこまでズタズタにするのは、ほどほどにしてあげなさい。彼はああ見えて、君に一番頼られたいと思っているんだから」
ユーリの揶揄に、私は「お仕事ですから」と看護師らしい冷静さで返し、次の仕事へと足を進めた。
その日の夜、レラに手紙を書き、眠りについた。
新しい仕事を携えてやってきたシェラさん。
よろしければ、お手隙の際にリアクションや評価をぽちっとよろしくお願いいたします。




